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第十八話

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「この森には最近魔女が住むと聞いたが、まさか子どもだったとはな」

クリフォードはこちらに視線を向けたまま低い声で言った。
視線を向けられてはいるものの、不思議と居心地の悪さは感じない。
男は私の眼帯を認めてはいるものの、見てはいなかった。

(なぜこんなことに……)

私はクリフォードにお茶を出しつつ、ため息をこらえた。


森の入り口でミミとぶつかったとき、クリフォードはうちを訪ねようとしていたらしい。
すっかり怯えてしまったミミを家に帰るよう促し、うちまで案内してきたのだった。
ジュールは森に出ていたが、アンが家にいたのはせめてもの救いだった。

「森の魔女だなんて、クリフォードさんったら案外ロマンチストなのね」

アンは自分より2まわり以上も大きなクリフォードの肩をぱしぱしとたたきながら笑っている。
大柄な男にはジュールで慣れているのだろうか。
恐れを知らない女性である。

「伺いましたわ、ご結婚のこと。おめでとうございます」
「ああ。ここに来たのもそれが原因だ」

クリフォードはそこでいったん言葉を区切ると、鋭い眼光をこちらに向けた。

「惚れ薬を、作ってほしい」

一瞬、その場が静まり返った。
アンですら笑顔をひきつらせている。
それもそうだ、惚れ薬だなんておとぎの世界のような話、一国の軍人の口から出るものではない。

「ええっと……、あいにくなのですが、うちではそういうものは――」
「聞けぬというのか?」

クリフォードがすごむ。
アンは視線をさまよわせながら変な汗をかいている。
ジュールが帰ってきてくれればいいのだが、このままではさすがにアンがかわいそうだ。
仕方なく私は口を開いた。

「悪いが軍人殿、ここは軍隊ではない。互いに礼節をもって会話がしたい」
「……すまない」

クリフォードはもの珍しそうにこちらを見ると、少し考える素振りを見せ、頷いた。
強面だが節度のある男らしかった。

クリフォードは続けて机の上に一冊の本を出した。
かなり古いものらしく、表紙は手垢で汚れており、タイトルが良く読めない。
ところどころ残った部分からかろうじて「エルノヴァ」という文字が見て取れた。

「魔女の書だ。金でも構わないが、こちらの方が興味を持たれると思ってな。
 惚れ薬を用意してくれたら、これをやろう」
「受けよう」
「ちょっとエマ?!」

アンが青ざめた顔で立ち上がる。
私はアンを遮るようにつづけた。

「だが、アンも言ったように、惚れ薬というものは存在しない。
 せいぜい身体をあたため、刺激することで惚れた感覚に近い状態に身体を持っていく程度のものだ。
 それでもかまわないか」
「いいだろう。」

クリフォードは深くうなずいた。
おろおろするアンをしり目に、私とクリフォードはがっしりと握手をした。

「ところで、一つ聞かせてほしい」

玄関の扉を開けようとするクリフォードの背中に、私は声を掛けた。
なんだ、と大柄な背中越しに返事がある。

「ミモザの花言葉は知っているか。」

クリフォードは驚いたようにこちらを振り返ると、しばらくして答えた。

「……どうやら本物の魔女らしいな」
「ロマンチシズムは結婚生活のためにとっておけ。こんなところで発揮されても困る」

クリフォードはふんと鼻を鳴らすと、扉を閉めた。
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