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槇島城の戦い~高屋城の戦い
徳川家康
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「私は、かねてよりプニ長様のご様子がいつもと違うことに気付いておりました」
帰蝶は俺の隣に腰かけて、訥々と語る。
「ですから、安土城を旅立たれてからというもの、ずっと心配で気が気ではありませんでした。ですが、プニ長様の決意を秘めた、あるいは覚悟を決めたような瞳を思い出して、追いかけるというようなことはしなかったのです」
「すぅ~……くんかくんか」
ソフィアが帰蝶の周りを飛び、深く息を吸い込みながら鼻を効かせて空気と匂いを堪能していた。久しぶりの生帰蝶だから、いかに神と言えども内から湧き出る欲望を抑えることが出来ないのだろう。
俺としても、こういった光景が見られると日常に戻ってきた感があって安心できる。
「異変は、昨日のお昼ごろでした。私とお市ちゃんが薙刀のお稽古をしている時、急にモフ政様が私たちのところまでやってきて、吠え始めたのです」
モフ政が、しかも昨日の昼頃に……? その時間は俺たちにすらまだ、特に何事も起きていなかったはず。一体どうして。あ、そういえば六助と宴にくる女の子たちの話してたかも。
つまりモフ政は俺のピンチではなく、遠く離れた地で行われた浮気に反応していた……? まじか。
「実を言えばモフ政様も、プニ長様が旅立たれてから普段とご様子が違いました。そわそわとして落ち着かず、信ガル様とも積極的にお話しようとしたりなど。子供たちは『いと尊し』と言って喜んでいましたが」
俺はチワワ派だから何とも思わないけど、パグとドーベルマンが仲良くしている様というのは、人によってはかなり尊いのかもな。普段モフ政は信ガルとコミュニケーションを取ろうとしないからなおさらだろう。
いや、今はそれは置いておくとして……旅立つ時、モフ政がどこか悲しそうな、寂しそうな顔をしていたのは記憶に新しい。あいつには何かを予知する能力でも備わっているのかもしれない。
「ですから、モフ政様が私たちに何かを伝えようとしているのを見て、私は『来るべき時が来た』と感じました。やはりプニ長様に何かあったのだと……。お市ちゃんにそれまでの経緯を説明し、すぐに兵を集めましたが、そこで一つ困ったことがあったのです」
「キュウン? (困ったこと?)」
「はぁ~……」
「キュ、キュン(おい、仕事しろ)」
ソフィアのやつ、帰蝶の周りの空気を肴にして酒を飲んでやがる。どこから取り出したのか、左手にはとっくり、右手にはおちょこ。一杯飲んで、恍惚の表情を浮かべながら大きく息を吐いているところだった。
帰蝶は気付いているのかいないのか、何ら気にするような素振りを見せずに続けていく。
「それは、プニ長様の正確な居場所がわからないことでした。現在京都にいらっしゃるだろう、ということはわかっていても、京都のどこにいるのかまではわかりません。出兵の準備は整えたものの、安土城から動けず困り果てていた私たちの元に現れたのが、服部半蔵殿でした」
ここでもう一つの謎、どうして半蔵があそこにいたのか、が登場する。結局いた意味はなかったけど、助けようとしてくれた気持ちはありがたかったので、あまりそういうことを思ってはいけない。
「半蔵殿は家康殿から私に宛てられた書簡を持っておられました。曰く、私が困っている時は半蔵殿がお力になってくださる、と。半蔵殿は家康殿の命でプニ長様の側に忍びの者を置き、常に居場所を把握してくださっていたそうです。本来なら護衛まで出来れば良かったのですが、家康殿も堺にて供回りの少ない状態でおられたので、人員をほとんど割けなかったのだとか」
堺か……結構近くにいたんだな。供回りが少ないとなると、本能寺の変で俺が倒れていて、かつ明智が本当に謀反を起こしていた場合、家康も危なかったのかもしれない。
俺を倒せば、織田の強力な同盟者である徳川はまず敵対するはず。その当主が近くにいて、しかも護衛がほとんどいないとなれば、まず討ちにいくだろう。
それにしても、どうして家康は今回に限って俺の側に半蔵の部下を置いてくれていたのだろうか。今まで、安土や美濃にいる時はともかく、旅先ではそんなことはなかったはずだ。
俺の疑問を察したのか、ソフィアが代わりに尋ねてくれた。
「プニ長様は、何故、旅先にまで半蔵様が部下をつけてくださったのか、疑問に思われているようですよ?」
「それは……」
「私がお話しましょう」
帰蝶の言葉を遮ったのは、爽やかで涼し気な、夏に吹く一陣の風のような声。
振り返ればそこには、カツラを被ったジャ〇ーズ風イケメンこと、徳川家康その人がいた。正門からゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「家康殿」
「本当はもっと早く参上できれば良かったのですが。面目ない」
後頭部に手を当てて、少年のように笑う。
「近場と言えど供回りも少なく、状況が把握出来ていないのでは、行ったところで足手まといどころか、共に討ち死にかと」
明智がもし謀反を起こしていたのなら、家康だってやつの敵だ。その判断は間違っていない。
恐らくは、俺についていたという半蔵の部下伝いに、酔っ払いの謀略だということを知ってこちらに向かったのだろう。
部下がそんなに近くにいたなら助けてくれればよかったんじゃね? とも思うけど実際に火矢を放ったのは正門で明智兵に紛れていた酔っ払いの仲間だ。明智の謀反にしか見えず、酔っ払いたちの仕業などと知る由もない初期の状況では、いくら忍びの者と言えどもそれを察するのは難しいだろう。
家康の弁明を聞いた帰蝶は「いいえ」と、首を横に振った。
「それよりも、半蔵殿に言伝をしていただいて、ありがとうございました。おかげでプニ長様の危機に馳せ参じることが出来ました。とはいっても、私もソフィア様に助けていただかなければ、共に心中するところだったのですが」
「実は駿河にいらした際、プニ長様のご様子と顔色から、何者かが謀反を企てていて、それをプニ長様がご存知なのでは、と考えました。あの時から、半蔵にはプニ長様に対して部下をつけるよう指示を出しています」
「なるほど。家康殿があの場で、プニ長様の言葉が理解できないと仰ったのは演技だったのですね」
「はい。流石にご様子と顔色だけでは、どなたが裏切ろうとしているのかまではわかりません。ですからあの場では何もわからないふりをして、半蔵に様子を見てもらうのがいいと判断しました」
徳川からすれば、確たる証拠を掴まない限り、織田の家臣がいる場で「裏切り者がいるのですか」とか「誰が謀反を起こすのですか」などとは外交上、口が裂けても聞けないだろう。とっさの判断にしては素晴らしい対応だと思う。
家康は、困った様に笑いながら口を開いた。
「ですが結局、最後の最後でお力になれませんでした。半蔵が火を消す忍術でも修得してくれていれば良かったのですが」
「いえ。あの状況では、人の力ではどうにもならないでしょう」
「何はともあれ、お二人が無事で本当に良かった」
視線を合わせ、微笑み合う帰蝶と家康。おい、帰蝶は俺の嫁だぞコラ。とみっともなく嫉妬なんてしてみる。
ややあって、家康が不思議そうな顔をしながら問い掛ける。
「時に、お二人が出てくる頃にはもう酔っ払いの仲間は取り押さえられていたと聞いていますが、如何にして明智兵に紛れた彼らを判別したのですか?」
本能寺に到着したばかりの帰蝶たちは、そもそも変が酔っ払いの謀略によるものであることすら知らなかったはずだ。
「彼らは私たちが着くころには、すでに。明智軍は武装しておらず火矢など持っておりませんでしたので、何も知らずとも不審者に見えたのでしょう」
「なるほど。それもそうですね」
ふむふむ、と顎を手でさすりながら納得する家康。
つまり、明智兵によって捕らえられたということ。単純な話だ。ほぼ丸腰の明智軍の中にいて火矢を取り出して使えば、「お前何してんの!?」となる。
偶然とはいえ、必然によって彼らは捕まった。まあ、まさか明智軍が丸腰で来るとは思わないからな。酔っ払いの仲間たちがアホだったというわけじゃあない。どちらかと言えばそれは明智の方だ。
炎に包まれた寺の内部でお市と戦っていたのは、やつらの仲間のうち裏口側に潜んでいたやつらかもしれない。
いつの間にか帰蝶の肩に座り込んでいたソフィアが、ふわりと飛び立つ。
「さて、そんなところですかね」
これで全ての謎は解けた。後は日常に戻って、事後処理をして、備中高松城に援軍に向かって、毛利を倒すか仲間にするかして、天下統一への大きな一歩を……。
というのはもう六助に全部任せて、俺は帰蝶と静かな余生を送りたいかな。
「では、私は一足先に宿に戻ります」
そう言って家康は場を去っていく。その背中からは、歴史の転換点に携わったなどという達成感が見えることはなく、いたって平静だ。知らないのだから当然と言えば当然だけど、それが徳川家康という男なのかもしれない。
これで全てが終わったのだと思うと、どっと疲れが押し寄せてきた。俺たちもさっさと宿に……と帰蝶に視線を送り、縁石から降りる。
「さて」
しかし、家康が完全に姿を消したくらいのタイミングで、ソフィアが笑顔で、けれど少しばかり強く声を発する。
俺と帰蝶が思わずそちらを振り向くと、とても優しげな微笑みを浮かべているソフィアがいた。
帰蝶は俺の隣に腰かけて、訥々と語る。
「ですから、安土城を旅立たれてからというもの、ずっと心配で気が気ではありませんでした。ですが、プニ長様の決意を秘めた、あるいは覚悟を決めたような瞳を思い出して、追いかけるというようなことはしなかったのです」
「すぅ~……くんかくんか」
ソフィアが帰蝶の周りを飛び、深く息を吸い込みながら鼻を効かせて空気と匂いを堪能していた。久しぶりの生帰蝶だから、いかに神と言えども内から湧き出る欲望を抑えることが出来ないのだろう。
俺としても、こういった光景が見られると日常に戻ってきた感があって安心できる。
「異変は、昨日のお昼ごろでした。私とお市ちゃんが薙刀のお稽古をしている時、急にモフ政様が私たちのところまでやってきて、吠え始めたのです」
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つまりモフ政は俺のピンチではなく、遠く離れた地で行われた浮気に反応していた……? まじか。
「実を言えばモフ政様も、プニ長様が旅立たれてから普段とご様子が違いました。そわそわとして落ち着かず、信ガル様とも積極的にお話しようとしたりなど。子供たちは『いと尊し』と言って喜んでいましたが」
俺はチワワ派だから何とも思わないけど、パグとドーベルマンが仲良くしている様というのは、人によってはかなり尊いのかもな。普段モフ政は信ガルとコミュニケーションを取ろうとしないからなおさらだろう。
いや、今はそれは置いておくとして……旅立つ時、モフ政がどこか悲しそうな、寂しそうな顔をしていたのは記憶に新しい。あいつには何かを予知する能力でも備わっているのかもしれない。
「ですから、モフ政様が私たちに何かを伝えようとしているのを見て、私は『来るべき時が来た』と感じました。やはりプニ長様に何かあったのだと……。お市ちゃんにそれまでの経緯を説明し、すぐに兵を集めましたが、そこで一つ困ったことがあったのです」
「キュウン? (困ったこと?)」
「はぁ~……」
「キュ、キュン(おい、仕事しろ)」
ソフィアのやつ、帰蝶の周りの空気を肴にして酒を飲んでやがる。どこから取り出したのか、左手にはとっくり、右手にはおちょこ。一杯飲んで、恍惚の表情を浮かべながら大きく息を吐いているところだった。
帰蝶は気付いているのかいないのか、何ら気にするような素振りを見せずに続けていく。
「それは、プニ長様の正確な居場所がわからないことでした。現在京都にいらっしゃるだろう、ということはわかっていても、京都のどこにいるのかまではわかりません。出兵の準備は整えたものの、安土城から動けず困り果てていた私たちの元に現れたのが、服部半蔵殿でした」
ここでもう一つの謎、どうして半蔵があそこにいたのか、が登場する。結局いた意味はなかったけど、助けようとしてくれた気持ちはありがたかったので、あまりそういうことを思ってはいけない。
「半蔵殿は家康殿から私に宛てられた書簡を持っておられました。曰く、私が困っている時は半蔵殿がお力になってくださる、と。半蔵殿は家康殿の命でプニ長様の側に忍びの者を置き、常に居場所を把握してくださっていたそうです。本来なら護衛まで出来れば良かったのですが、家康殿も堺にて供回りの少ない状態でおられたので、人員をほとんど割けなかったのだとか」
堺か……結構近くにいたんだな。供回りが少ないとなると、本能寺の変で俺が倒れていて、かつ明智が本当に謀反を起こしていた場合、家康も危なかったのかもしれない。
俺を倒せば、織田の強力な同盟者である徳川はまず敵対するはず。その当主が近くにいて、しかも護衛がほとんどいないとなれば、まず討ちにいくだろう。
それにしても、どうして家康は今回に限って俺の側に半蔵の部下を置いてくれていたのだろうか。今まで、安土や美濃にいる時はともかく、旅先ではそんなことはなかったはずだ。
俺の疑問を察したのか、ソフィアが代わりに尋ねてくれた。
「プニ長様は、何故、旅先にまで半蔵様が部下をつけてくださったのか、疑問に思われているようですよ?」
「それは……」
「私がお話しましょう」
帰蝶の言葉を遮ったのは、爽やかで涼し気な、夏に吹く一陣の風のような声。
振り返ればそこには、カツラを被ったジャ〇ーズ風イケメンこと、徳川家康その人がいた。正門からゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「家康殿」
「本当はもっと早く参上できれば良かったのですが。面目ない」
後頭部に手を当てて、少年のように笑う。
「近場と言えど供回りも少なく、状況が把握出来ていないのでは、行ったところで足手まといどころか、共に討ち死にかと」
明智がもし謀反を起こしていたのなら、家康だってやつの敵だ。その判断は間違っていない。
恐らくは、俺についていたという半蔵の部下伝いに、酔っ払いの謀略だということを知ってこちらに向かったのだろう。
部下がそんなに近くにいたなら助けてくれればよかったんじゃね? とも思うけど実際に火矢を放ったのは正門で明智兵に紛れていた酔っ払いの仲間だ。明智の謀反にしか見えず、酔っ払いたちの仕業などと知る由もない初期の状況では、いくら忍びの者と言えどもそれを察するのは難しいだろう。
家康の弁明を聞いた帰蝶は「いいえ」と、首を横に振った。
「それよりも、半蔵殿に言伝をしていただいて、ありがとうございました。おかげでプニ長様の危機に馳せ参じることが出来ました。とはいっても、私もソフィア様に助けていただかなければ、共に心中するところだったのですが」
「実は駿河にいらした際、プニ長様のご様子と顔色から、何者かが謀反を企てていて、それをプニ長様がご存知なのでは、と考えました。あの時から、半蔵にはプニ長様に対して部下をつけるよう指示を出しています」
「なるほど。家康殿があの場で、プニ長様の言葉が理解できないと仰ったのは演技だったのですね」
「はい。流石にご様子と顔色だけでは、どなたが裏切ろうとしているのかまではわかりません。ですからあの場では何もわからないふりをして、半蔵に様子を見てもらうのがいいと判断しました」
徳川からすれば、確たる証拠を掴まない限り、織田の家臣がいる場で「裏切り者がいるのですか」とか「誰が謀反を起こすのですか」などとは外交上、口が裂けても聞けないだろう。とっさの判断にしては素晴らしい対応だと思う。
家康は、困った様に笑いながら口を開いた。
「ですが結局、最後の最後でお力になれませんでした。半蔵が火を消す忍術でも修得してくれていれば良かったのですが」
「いえ。あの状況では、人の力ではどうにもならないでしょう」
「何はともあれ、お二人が無事で本当に良かった」
視線を合わせ、微笑み合う帰蝶と家康。おい、帰蝶は俺の嫁だぞコラ。とみっともなく嫉妬なんてしてみる。
ややあって、家康が不思議そうな顔をしながら問い掛ける。
「時に、お二人が出てくる頃にはもう酔っ払いの仲間は取り押さえられていたと聞いていますが、如何にして明智兵に紛れた彼らを判別したのですか?」
本能寺に到着したばかりの帰蝶たちは、そもそも変が酔っ払いの謀略によるものであることすら知らなかったはずだ。
「彼らは私たちが着くころには、すでに。明智軍は武装しておらず火矢など持っておりませんでしたので、何も知らずとも不審者に見えたのでしょう」
「なるほど。それもそうですね」
ふむふむ、と顎を手でさすりながら納得する家康。
つまり、明智兵によって捕らえられたということ。単純な話だ。ほぼ丸腰の明智軍の中にいて火矢を取り出して使えば、「お前何してんの!?」となる。
偶然とはいえ、必然によって彼らは捕まった。まあ、まさか明智軍が丸腰で来るとは思わないからな。酔っ払いの仲間たちがアホだったというわけじゃあない。どちらかと言えばそれは明智の方だ。
炎に包まれた寺の内部でお市と戦っていたのは、やつらの仲間のうち裏口側に潜んでいたやつらかもしれない。
いつの間にか帰蝶の肩に座り込んでいたソフィアが、ふわりと飛び立つ。
「さて、そんなところですかね」
これで全ての謎は解けた。後は日常に戻って、事後処理をして、備中高松城に援軍に向かって、毛利を倒すか仲間にするかして、天下統一への大きな一歩を……。
というのはもう六助に全部任せて、俺は帰蝶と静かな余生を送りたいかな。
「では、私は一足先に宿に戻ります」
そう言って家康は場を去っていく。その背中からは、歴史の転換点に携わったなどという達成感が見えることはなく、いたって平静だ。知らないのだから当然と言えば当然だけど、それが徳川家康という男なのかもしれない。
これで全てが終わったのだと思うと、どっと疲れが押し寄せてきた。俺たちもさっさと宿に……と帰蝶に視線を送り、縁石から降りる。
「さて」
しかし、家康が完全に姿を消したくらいのタイミングで、ソフィアが笑顔で、けれど少しばかり強く声を発する。
俺と帰蝶が思わずそちらを振り向くと、とても優しげな微笑みを浮かべているソフィアがいた。
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