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序章
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その世界には百を超える数の魔王が存在していた。
ある者は最弱の魔物と同様の姿形をして草原に暮らし、またある者は異形の生物の王として森の奥深くに城を構えて悠々と酒をたしなむ。
だが様々な生態を持つ彼らにも二つの共通点があった。
一つは、差はあれどいずれも人類の脅威となり得る程の強大な力を持っているという点。そしてもう一つは、彼らを倒せば必ず「本」を置き土産のように残していくという点だ。
「本」は魔王が持つ力が、倒されて霧散する際に再度空気中で凝縮されて形を成したものであり、相応の力を持つ者が読めば強力無比な魔法を扱えることが出来るようになる。しかし伝承によれば、その中には魔法すらも超越する、神にも匹敵する力を得ることが出来るものもあるとされていた。
未だ目撃者すらもいないその「本」は人々の間でこう呼ばれている。
「魔導書」と――――。
どこまでも晴れ渡る空の下でチャイムが響き渡っていく。敷地外にまで漏れるその音を聞いて、近所を散歩していた一人の老人が足を止めて校舎を見上げた。彼とすれ違う様々な表情の若者たちは、皆同じ制服を着ている。
ここはどこかの高校の、とある教室。
朝の冷涼な空気にも構わず、忙しなくそれぞれの活動に勤しむ生徒たち。友達とお喋りをする者もいれば、スマホでゲームをする者もいる。
そんな中、一人の少年が教室に入って来た。
少し長めの髪は茶色がかっていて、二重瞼に彫りの深い端正な顔立ちは自然と見る者に好印象を与える。制服を適度に着崩しているが、背筋が伸びていて歩き方もしっかりとしているために気だるそうな雰囲気はない。
その少年は友人らの生み出す喧騒をこじ開けるようにくぐりながら、誰にともなく、しかし教室中に届くように明瞭な声を発した。
「おはよう」
「おはよう」「おはよう、鈴木君」
「健司ちっす!」「鈴木おはよ~!」
鈴木、あるいは健司と呼ばれた少年はそのまま自分の席に着く。すると女子数名がいそいそとその席に集まって来た。
「ねえねえ鈴木君、今日放課後カラオケ行かない!?」
「うちらで行こーって話してたんだけど、人数揃わなくってさ!」
鈴木健司はその誘いに微笑を浮かべて答える。
「悪い、今日用事あってさ。また今度行こうよ」
「え~残念!」「じゃあまた誘うね~!」
小さく手を振りながら去っていく女子たちを見送ると微笑をとき、途端に表情を失う鈴木。彼が椅子に背を預けてつまらなそうにしていると、また一人の少年が教室に入って来た。
美容室ではなく、床屋で切った髪をそのまま伸ばしたような黒いヘルメットのような髪型と眼鏡が野暮ったい。制服も校則に違反する箇所が一つも見受けられない程にきっちりと着こなし、シャツはスラックスの中に入っている。
おどおどとしながら周囲を窺う様子はまるで怯えた小動物のようだ。
その少年が誰に何を言うこともなくこそこそと喧騒の下を這うように歩いていると、一人の女子が声をかけた。
「田中君、おはよ~」
「お、おはよう……」
田中と呼ばれた少年は、まるで謝罪をするかのようにぽそりとそうつぶやいてから自分の席についた。クラスの大半はその存在を気にかけることはない。彼に話しかけた女子もすぐに友達とのお喋りに戻ってしまう。
しかしただ一人、隣の席に座る鈴木だけは違う反応を見せた。
椅子に横向きに腰かけて田中の方に顔を向けると、女子と話していた時よりも明るい笑顔で口を開く。
「田中おっす」
「鈴木君、おはよう」
「昨日は微妙な部屋ばかりだったな」
「最近初心者が増えてるみたいだし、しょうがないのかもね」
「今日は兄貴の帰り遅いからSkypo繋いでやるか」
「本当? 楽しみにしてる」
鈴木に応じる田中からも自然と笑みがこぼれる。
その一方で、クラスメイトたちは奇異なものを見る目で二人を眺めていた。
「最近、鈴木と田中君って仲良いよね」「席が隣だから話してるだけだろ?」
「それにしては随分と親し気だけど」「健司さ、女子と話してる時より楽しそうじゃね?」
そんな歓談の最中に再度チャイムが鳴って担任教師が教室に入ってくると、二人のお喋りもそこでお開きとなる。
他のクラスメイトも押し黙り、静かに教壇の方へと視線を向けた。
それを確認した気の強そうな女教師が口を開く。
「よ~し、そんじゃ朝のHR始めるぞ!」
昼休みになると鈴木は移動し、友人たちと昼食を摂り始めた。
一方で田中は自分の席で静かに弁当を広げ、一人で黙々と食べている。時折似たような制服の着こなし方をした同級生に話しかけられることもあったが、またすぐに一人に戻っていく。
やがて昼休みも終了間際になり席に戻った鈴木は、何やらスマホをいじってゲームをやっているらしい田中に声をかける。
「それ、何やってんの?」
「ん、ソシャゲーだよ」
「ああ……」
反応が薄いにも程がある。どうやら鈴木は、ソシャゲーというものには全く興味がないらしい。
ややあって、鈴木が田中に問いかける。
「ソシャゲって何がおもしれえの?」
すると田中はスマホから視線を外して宙にやりながら答えた。
「コレクションを楽しむみたいな感じだよ。本格的にやる人はかなりお金かけてるみたいだけど……無料でもできるし」
「あ~そういや元カノでやってるやついたっけな」
「時間とお金をかければ誰でも強くなれるから、鈴木君には合わないかもね」
「そうか」
それから特に会話が発展することもなく、すぐにチャイムが鳴った。
午後の授業も滞りなく終了して放課後になると、鈴木はサッカー部の活動へと向かうべく席を立つ。そして去り際、田中に声をかけた。
「じゃあ田中、また後でな」
「うん」
互いに片手をあげての挨拶を終えると、鈴木は同じサッカー部のクラスメイトたちと共に部室へと向かう。
それを見て田中もまた席を立ち家路につくのであった。
「またな、健司!」「鈴木先輩お疲れっす!」
「おう」
そして茜色の空に宵闇が浸透しつつある時刻、部活動を終えた鈴木は早々と帰宅の途についた。友人たちから色々と誘いを受けてはいたのだが、うまいこと逃れて田中とのゲーム時間を確保したようである。
人通りもまばらになった校門をくぐり、時には鼻歌などを交えながら通学路を家に向かって歩いていく。春先なので夜になるとまだ若干空気は冷え込んでいるが、部活帰りで身体の温まった鈴木にはそれが心地よい。
しばらく歩き、車が一対すれ違うことができるかどうかという道で、反対側から見慣れた眼鏡の少年がやってくるのが見えた。見た目の雰囲気が野暮ったいのは相変わらずだが、今は犬を連れている。
その姿を認めるなり、鈴木がすぐに片手をあげながら声をかけた。
「田中。モフ太郎の散歩か?」
「う、うん。……あっ、ちょっとモフ太郎!」
連れている犬はどうやらモフ太郎という名前らしい。随分と鈴木に懐いているようで、リードごと飼い主を引っ張る勢いで鈴木に突進をかけてきた。
鈴木も、自分の足元で尻尾を振りながらぴょんぴょん跳ねるモフ太郎に合わせてかがみ込み、頭を撫でてやっている。
「お前はいつも元気だなぁ」
「ごめんね鈴木君」
「謝ることじゃねえだろ、それよりさっさと帰ってやるぞ」
そこで鈴木は立ち上がって歩き始めた。それに応じて、田中も鈴木と同じ方向に歩き出しながら口を開く。
「うん。もうそろそろいいかなって思ってたし」
家が同じ方向にあるらしく、二人と一匹は並んで再度歩き出した。
しばらく歩いて二人の住む住宅街が遠目に見えて来た頃、田中が鈴木の方を見やりながら話を切り出す。
「鈴木君、その、ありがとう」
「あ? 突然何だよ、気持ち悪いな」
「いや、ぼく、こんな風に同じ高校の人と好きなゲームで一緒に遊べるようになるなんて思ってもみなかったから」
「まさかお前があんな殺伐としたゲームやってるなんてなあ」
「ぼくも最初はFPSにそこまで興味なかったんだけど……話を聞いてたら鈴木君に合いそうだなって思って。本格的に始めたのは一緒にやり始めてからだよ」
「そうだったな」
FPSというのは、端的に言えば一人称視点のシューテイングゲームで、軍人になり銃で撃ち合うものが多い。特に鈴木と田中がやっている基本無料のものはグラフィックが美麗で、架空とはいえ現実に存在していそうな軍隊同士が戦う為にかなりリアルで殺伐としていて、ゲームの難易度も高い。
「クラスの人の目とか、気にならない? ほら、ぼくと鈴木君が話してると皆珍しそうにしてるでしょ」
「ん……まあ最初は気になったっちゃなったけど、何つうか、もうめんどくせえ」
「そっか」
奇妙な組み合わせの二人の間には独特な空気が流れていた。親友、とは少し違うが気の置けない仲ではあり。特別な絆で結ばれているわけではないが、かといって薄っぺらい関係でもない。
その後、言葉はなくとも決して居心地の悪くない空気のまま二人は歩く。
そしてもうすぐ互いの家が見えようかという場所で、その異変は起きた。
田中を中心にして突如、いわゆる魔法陣のような奇妙な絵柄が地面に浮かび上がる。最初二人と一匹は固まってしまった。
しかしその絵柄が光を帯びると、鈴木が怪訝な顔をして口を開く。
「何だこれ?」
「えっ」
やや遅れて反応した田中は何が起きているのかわからずに足下を凝視し、モフ太郎は地面にむかってしきりに吠え続けている。
そして絵柄から耳鳴りのような甲高い音が鳴り始めると、それが帯びる光も徐々に強くなり、次第に目も開けていられない程になっていった。
さすがに危機感を募らせた鈴木が目を腕で覆いながら叫ぶ。
「これ、何かやばくねえか!?」
すると何かに気付いた田中が、同じように目を覆いながら叫んだ。
「鈴木君! これ漫画とかアニメでよくあるやつだ!」
いや、だから何だよ……と鈴木が思う中、二人の視界は光に包まれてホワイトアウトしていく。数瞬後にはモフ太郎の鳴き声も消え、鈴木と田中がいた場所には元の静寂が訪れていた。
〇 〇 〇
「ようこそ……って、おろ?」
しゃがれた声で意識を引き戻された鈴木がゆっくりと目を開くと、そこには禿頭で鼻の下と顎にひげを存分に蓄えた老人がいた。弱々しい容姿の割にはしっかりとしたたたずまいをしていて、どこか風格のようなものを感じさせる。
老人は鈴木と他の複数の何かの間で視線を躍らせながら続けた。
「どうやら関係のない者たちまで呼び出してしまったようじゃの」
「? ……は!?」
老人の言葉に鈴木が首を横に回して周囲を確認すると同時に、その瞳は驚愕に見開かれる。何故なら。
「……俺?」
目の前に自分がいたからだ。
「……ぼく?」
しかし、自分の姿をした何者かもこちらを見ながら似たような言葉を漏らしている。わけがわからずに固まっていると足下から生物の荒い息遣いが聞こえてきた。
「ハッハッ」
「モフ太郎じゃねえか!」
モフ太郎は舌を出してぶんぶんと尻尾を振りながら鈴木を見上げている。
「モフ太郎!」
「ワン!」
呼ばれて、次にモフ太郎は鈴木の姿をした何者かの方に身体を向けた。
共通の友人がいることで二人共に何が起きているのか気付いたらしく、鈴木と鈴木の姿をした何者かは互いを指差し合って声をあげる。
「田中!?」「鈴木君!?」
「ワンワン!」
信じられないことではあるが、どうやら田中と中身が入れ替わっているらしい。
奇想天外な出来事に愕然とする二人を余所に、そんなことよりも構ってくれや、と言わんばかりにモフ太郎が二人の間をぴょんぴょんと飛び跳ねている。
そんな二人と一匹の様子を静かに見守っていた老人がすっとぼけた声で言った。
「なんじゃ、お主ら精神が入れ替わっておるのか?」
「あんたの仕業か?」
鈴木が振り向きざまに答える。
「いや、わしにとっても想定外の出来事じゃ……何しろ、異世界のものを召喚すること自体が初めてじゃからの」
「異世界……召喚?」
反応したのは田中だった。鈴木の顔をした田中が顎に手を当てて唸り声をあげながら考え込んでいる。
「ってことは、ここは地球じゃないってことですか?」
老人が首を短く縦に振った。豊かな眉毛と髭に遮られて、その表情は窺い知ることが出来ない。
「チキュウ、というかどうかは知らんがお主らが元いた世界でないことは確かじゃろうの」
「なるほど」
「で、それで何で俺と田中の身体が入れ替わってんだよ」
田中の顔をした鈴木が尋ねると、老人はしれっと答える。
「恐らくはそこのタナカ? をわしが召喚したのじゃが、その際にお主が巻き込まれたのが原因じゃろう。何せわしも初めてのことじゃからようわからん」
「ちゃんと僕の周りを確認してからにしてくださいよ」
「そんなこと言われてもの……わしからは向こうの世界は見えんからの」
「無責任なやつだな」
「ワンワン!」
鈴木に追従して、そうだそうだと言わんばかりにモフ太郎が老人に吠えた。
「すまんかったの。ほれ、これでも食べい」
「いやいや、何でバナナなんだよ」
謝罪の言葉と共にどこからか老人が取り出したのはバナナだった。鈴木は抗議をしつつも露骨に嫌そうな顔をして汚いものを触るようにそっと受け取ると、モフ太郎に匂いを嗅がせる。
すんすん、と鼻をならした後に自身を見上げながら「ワン!」とモフ太郎が吠えたのを確認して、鈴木はバナナをまず一房田中に分け、モフ太郎にもちぎって食べさせた。
モフ太郎が嬉しそうにバナナにありつく様を眺めながら、老人が寂しそうに口を開く。
「そんなに疑わんでもいいじゃろう」
初めて会った、しかも見た目的にどう考えても怪しい老人からバナナを渡されて危険かどうかすらも確認しないというのは無理な話だ。せめてちゃんと食べただけでも感謝して欲しい。
そこで、ようやく落ち着いて思考が出来るようになったことに気付いた鈴木は周囲を見渡した。
木造建築の小屋だ。調度品どころか窓すらもなく、自宅の自室より若干広い程度の狭さも相まって息苦しく殺風景だという印象が強い。とはいえ造られたばかりなのか、使用されている木は新しくシミ一つ見当たらなかった。
鈴木は老人に視線を戻してから話を切り出していく。
「あんたは誰なんだ? 何で田中を?」
「よくぞ聞いてくれた」
老人はそう返事をすると、一つ咳ばらいをして姿勢を改めた。
「わしは神様じゃ」
「あっそ」
「へえ……」
鈴木はつまらない冗談を聞かされたかのような気のない返事をし、田中は無表情に実際にはない眼鏡を掛けなおす仕草をしている。
「いや、もうちょっと何かあるじゃろ。『本当ですか!?』とか、『お目にかかれて光栄です!』とか」
「何言ってんだこのじじい」
「まあまあ、痴呆症なのかもしれないし。もうちょっと様子を見てあげようよ」
苦笑しながら田中になだめられ、ならばと鈴木は思索を巡らせる。
状況から言ってただの人間でないことはわかるが、だからと言ってすぐに信用するわけにもいくまい。そうなれば、自らを神様だなどと口走るくらいだし、それ相応の能力みたいなものを持っていることだろう。
「じゃあさ、すぐに神様ってわかるようなすごいことをしてみてくれよ」
「すごいこと……例えばどんなのじゃ?」
宙に視線を躍らせながら、鈴木が一瞬だけ考え込む。
「ん~そうだな。じゃあ手始めに俺と田中を元の身体に戻してくれよ」
「それは出来ん」
「何でだよ」
「何でと言われても……出来んもんは出来ん」
鈴木が納得のいかない表情を浮かべていると、田中が次の提案をした。
「じゃあ僕たちを元の世界に戻してもらうとか」
「それも出来ん」
神様と名乗る男が首を横に振ったと同時に鈴木が踵を返した。
「全然だめじゃねえか。おい田中、こんなジジイほっといて辺りを探索してみようぜ。モフ太郎もいくぞ」
「あっ、ま、待ってよ」
「ワン!」
「…………」
老人が静かに見守る中、二人と一匹が部屋の出口らしき扉へと向かい、鈴木がそれに手を掛けた。
「そもそも、ここが異世界だなんて保証すら……」
そう言いながら扉を開けたところで鈴木は絶句した。彼の後ろから外を覗き込んだ田中も同様に固まっている。
ただ一匹、モフ太郎だけが事態を把握出来ず、不思議そうに首を傾げて鈴木と田中を見上げていた。
部屋の外には見渡す限りの草原が広がっているのだが、数歩いったところで完全に地面が途切れてしまっている。しかも空が異様なまでに近く、自分たちの立っている場所の標高がかなり高いことがすぐにわかった。
視線を巡らせてみれば、近くに神殿のような石造りの荘厳な建物があるもののそれ以外には何も見当たらず、自分たちが絶海の孤島ならぬ絶空の孤島――つまり空に浮かぶ島にいるであろうことが非現実的にも関わらず容易に察せられる。
扉から入り込む強風にあおられながら二人と一匹が固まっていると、その背後から老人が先程までと変わらぬ調子で声をかける。
「どうした? 何かあったかの」
どう考えても地球ではお目にかかることの出来ない景色だ。いや、もしかすると自分が知らないだけなのかもしれないが、とにかくここから歩いてどこか別の場所へ移動しようとするのは得策ではないし、じいさんと話だけでもしてみるか。
鈴木は扉を閉めて後ろを振り返ってから口を開いた。
「ここはどこだ?」
「わしの家じゃ」
「…………」
値踏みをするかのように、鈴木が鋭く老人を睨みつける。その後ろでは田中も同様に目を光らせていた。
これまでの状況から見て、老人は悪ふざけを言っているわけではなさそうだと踏んだ鈴木は質問を続ける。
「何で田中を召喚しようと思ったんだ?」
「おお、それを言っておらんじゃったの。むしろそちらが本題なのじゃ」
一つ咳ばらいをすると、老人は神妙な面持ちで語り出した。
「現在この世界では、伝説の魔王が復活しようとしておる」
「すごくありがちな話の匂いがぷんぷんしますね……その伝説の魔王っていうのはどんな魔王なんですか?」
田中が即座に反応した。どうやらこういった話には興味があるようだ。
「うむ。現在は海中深くに封印されておる、魔王の中でも最強最悪と謳われた存在……ムンバホッホじゃ」
「ムンバホッホ……」
田中は真面目な表情のまま、急速に込み上げてきた笑いをかみ殺した。彼の頭の中では今ゴリラがムンバホッホと叫びながら暴れ回っている。
一方でムンバホッホに対して無反応な鈴木は黙って老人の話を聞きつつ、「魔王は複数いるのか……」など話の理解に努めていた。
「それで神のわしでも寿命を大幅に縮めるほどの力を注ぐことでようやく使える、『英雄召喚』という魔法を行使したわけじゃ」
「それで呼び出されたのが俺たちってことか」
「うむ。まあ対象はそこのタナカだけだったはずなのじゃがの」
そこにようやく笑いを収めた田中が割り込んでくる。
「あの、そこまでして呼び出したところで、ぼく、そんな魔王を倒せるような力とか持ってないんですけど」
「安心せい。『英雄召喚』によって呼び出された者には膨大な潜在的魔力が付与されるのじゃ。それこそ、世界を救えるほどのな」
話を聞いていて何かに気付いた様子の鈴木が言葉を挟んだ。
「もしかしてその潜在的魔力ってのは俺には……」
「ない。さっきも言ったようにお主は巻き込まれただけで、本来魔法の対象ではなかったからじゃ」
「…………」
鈴木は驚くでも落胆するでもなくただ静かに腕を組み、何事かを思案している。
他に質問がないと悟った老人は一つうなずいて次の話題に移った。
「それでじゃ。世界を救うにはまず……」
「ちょっと待ってください」
そう言って挙手をした田中が口を開く。
「要はぼくにその伝説の魔王を倒せってことですよね?」
「そうじゃ」
「海中深くに封印されてるんでしょ? そもそもどうやってその人のところまで行くんですか?」
「えっ……どうなんじゃろ。泳いで、とか……?」
自信が持てないのか発言をしながら首を傾げている老人に対し、田中は「いやいや」と手を横に振る。
「ぼく泳げないですし、仮に泳げたところでそんなに深いところまで人間がいけるわけないでしょ」
「それに水の中で戦う時点でめちゃくちゃ不利だし、単純にその絵面がだせぇ」
「ワオーーーーン!」
田中の言葉に鈴木とモフ太郎も賛同した。
「そんなことを言われてものう……」
反論できず、困った様子の老人は俯き黙り込んでしまう。
「とにかく申し訳ないですけど他を当たってください。ぼくと鈴木君とモフ太郎はそういうのやらないんで」
「悪いなじいさん」
「ぐぐっ……」
拳を握り、全身をわなわなと震えさせ始めた老人は次の瞬間、まるで子供のように凄まじい勢いですね始めた。
「んもおおおおぉぉぉぉ! せっかく寿命を削ってまで呼び出したのになんじゃ! ちょっとぐらい世界を救ってくれたっていいじゃろ!」
「ちょっとぐらいって。ていうかあなたが救えばいいんじゃないんですか? 神様なんでしょ?」
「それが出来ないから魔法を使ったんじゃろうが!」
興奮した老人は鈴木たちに背中を向ける。
「もういいわい! お前らなんぞどこへでも行ってしまえ!」
しかし鈴木は冷静に応じる。
「それなんだけどよ、適当にどこかに送ってくんない? 俺らじゃここから歩いて地上に降りるのは無理だろ」
「かーーーーーーーっ!」
老人はいきなり二人と一匹に向き直ると、どこからか取り出した杖を振った。するとたちまち鈴木たちの姿が光に包まれて消え去ってしまう。
「ふう、はあ…………」
後には肩で息をする老人だけが取り残され……。
こうして、世界を救う冒険が始まることはなかった。
〇 〇 〇
気付けば鈴木たちは見慣れない村の中にいた。瞳を爛々と輝かせながら一歩を踏み出した田中が誰にともなくつぶやく。
「わぁ、ファンタジーだ……!」
鈴木たちの前には、地球より文明が一歩も二歩も後退したような風景が広がっていた。アスファルトで舗装された道路などあるはずもなく、地面からは咳き込んでしまいそうなほどに遠慮なく土埃が舞っている。建物は大半が木造建築となっていて、どれも小じんまりとした小屋のような作りをしたものばかりだった。
時折馬車なども見られるが、人々は基本的に徒歩で道を行き交い、路上では露店を出して商売をしている者もいる。
「まずは金とか食べ物をどうにかしないとな」
対照的に街並みにあまり関心のなさそうな鈴木がそう言うと、田中はそちらを振り返って感心した表情を見せた。
「鈴木君はさすがだね」
「何がだよ」
「異世界に飛ばされたっぽいのにもう落ち着いてるから」
「今いち現実感がないってだけだ。こんなの夢かもしれないし、現実だとしても何だかんだ元の世界に戻れる気がするしな」
「ああ、確かに。ぼくもそうかも……こういう、地球の人が異世界に迷い込むみたいな話を漫画やアニメで良く観てたからってのもあるけど」
「ワン!」
モフ太郎が、俺も会話に混ぜてくれや! と言わんばかりに尻尾を勢いよく振りながら二人を見上げている。
「お前もいたんだったな」
「この子は僕らが入れ替わってること、わかってるのかな。そんなわけないか」
あはは、と笑いながら屈んで飼い犬の頭を撫でる鈴木顔の田中。そんな触れ合いを眺めた後、田中顔の鈴木が周囲を見渡しながら口を開いた。
「田中、その漫画やアニメだと飲み食いとか寝泊まりはどうしてた?」
田中は立ち上がり、顎に手を当てて考え込む。
「作品にもよるけど……大体はギルドっていうところにいって冒険者として登録して、モンスターとかを倒してお金をもらうってパターンが多かったかな」
「その金で生活するってことか。だったらまずはギルドを探してみるか」
「そうだね」
そうして二人は歩き出したのだが、すぐに鈴木が何かに気付いたようだ。
「俺らめっちゃ見られてね?」
「だね」
通りを行き交う人々が皆鈴木と田中に奇異な視線を送って来ている。何事かと自分たちを互いに確認し合うと、すぐにその原因は判明した。
鈴木が自身の服の裾を引っ張りながら口を開く。
「この格好、めっちゃ浮いてるな」
「そういえば着替えてなかったね……どこかに服が落ちてたりしないかな」
二人は高校の制服を着たままだった。みすぼらしいどころか周りの人間と比べれば品の良い格好には違いないが、珍しい為に注目を集めているらしい。
そんなもの都合よく落ちてるわけないだろ、と田中に言いながら鈴木がきょろきょろとしていると、少し離れたところでモフ太郎が吠えた。
「ワン!」
「おっ」
そちらを見れば、モフ太郎がごみ捨て場のようなところでローブのようなものを咥えている。鈴木は歩み寄ってそれを手に取り、頭を撫でてやった。
「でかしたぞモフ太郎」
深緑色とでも言おうか、とても地味な上にあちこちが擦り切れて薄汚れたローブでフードがついている。
田中も同じくローブを手に取ると、鼻をつまんで顔をしかめた。
「うっ……結構におうねこれ」
「捨ててあったくらいだからな」
ごみ捨て場から拾ってきたこともそうだが、そのローブが薄汚れてにおいを発していることでまたしても周囲の注目を集めている。とはいえ仕方がない、今後のことを考えれば今ここでこれを着た方がいいという判断を二人は下す。
制服の上からローブを羽織って互いに姿を見比べ、田中が苦笑を漏らした。
「ひどい格好だね」
「まあしょうがねえ。制服よりは変な目で見られることもないだろ」
鈴木の言葉通りそれからは視線を無駄に浴びることもなく、二人は再びギルドを目指してのんびりと歩いていく。しかしどこにあるのか知るはずもなく、不意に鈴木が足を止めて振り返った。
「一通り周れば見つかるかと思ったけど……この村、思ったよりも広そうだな」
「うん。人に道を聞いた方が良さそうだね」
「つってもな」
周囲を眺めてみる。今の薄汚い二人の格好では明らかに怪しいし、声をかけても不審がられるだけかもしれない。
それは田中も同様らしいがなだめるように提案する。
「とりあえず聞くだけ聞いてみようよ」
「だな」
こうして二人は道行く人に声をかけてみたのだが、どうにも上手くいかない。というのも、田中顔の鈴木は大人しそうな見た目の割に堂々ハキハキとした物言いなので逆に妙な迫力があり、不審者然とした今の格好では不気味なのである。
大して鈴木顔の田中は端正な顔立ちなので最初こそ印象がいいものの、おどおどとして言葉にも詰まってしまうので話かけた相手が徐々に怖がり、最終的に立ち去ってしまう。
去る人の背中を見送りながら、鈴木が腰に両手を当ててため息をついた。
「どうしたもんかねえ」
「当たり前だけど、今の僕たちってすごくアンバランスだよね」
どうしようもないので二人は再び適当にほっつき歩くことにした。
恐らくは昼下がりであろう今の時間帯、人通りはそこそこといった感じだ。歩くのに不自由しない程度に賑わう通りには、よく見れば尖った耳を持っていたり、犬のような尻尾を持った者がいたりと、亜人種と思われる人々もいる。
田中がお気に入りのおもちゃを見つけた子供のような目で周囲を見渡しながら、鈴木に声をかけた。
「すごいね! エルフとか獣人族もいるよ!」
「お前ほんっとそういうの好きなのな」
呆れ顔でそう返す鈴木は、ここに来て異世界に来たということを確定事項として扱うことに決めるのであった。
そのまましばらくギルドを見つけることも出来ずに村を徘徊していると、ある建物を通り過ぎる際に目立つ会話が二人の耳に飛び込んでくる。
「姉ちゃ~ん、俺らと一緒に肉食べようぜ肉ぅ」
「仕事帰りの香草焼きなんだ、付き合ってくれるよなぁ!」
「あの、えっと……」
体格がよく、顔に傷もあってわかりやすく「荒くれ者」をしているような三人組が一人の女の子を囲っていた。女の子は怯えていて上手く言葉を紡げていない。
その様子を目撃した田中と鈴木が思い思いに感想を述べる。
「わぁ、本当にいるんだね、ああいうの」
「初めて見るやつらなのにどこかで見たことある感半端ないな」
なおも三人組の脅迫まがいの勧誘は続いていく。
「ああ、もう我慢出来ねえよぉ! 俺ここで肉食っちまうぜぇ!」
「おい早すぎるだろぉ! ていうか何で肉持ってきてんだよぉ!」
「俺も我慢出来ねええええ!」
三人組のうち二人がどこからか生肉を取り出して口に入れる。正気とは思えない行動に女の子はますます怯えてしまう。
無表情にそれを見つめる田中が鈴木に話しかけた。
「ていうかあの『美味しいもの食べてストレス発散』みたいな文化って何なんだろうね?」
「そんなの今はどうでもいいだろ……てかお前、漫画やアニメみたいにあの女の子助けたりしねえの?」
口角を吊り上げ、からかうような笑みを浮かべての鈴木の問いかけに、田中はあくまで冷静に応じる。
「そうしたいところだけど怖いし、何よりまだこの世界のことをよくわかっていない今、戦闘をするのは危険かなって」
「どういうことだ?」
「こういう異世界に飛ばされる物語ってね、大体『ステータス』があるんだよ。RPGみたいに」
「なるほどな。それで今俺たちがいる世界にも『ステータス』なんてのがあったらレベル一の俺らはぼこぼこにされちまうってわけか」
「そういうこと。かわいそうだけど、関わらない方が……」
「ワンワン! ワン!」
田中が言った矢先から、モフ太郎が三人組に向かって吠え始めた。
「ちょっと、どうしたのさ」
「ワオ~ン!」
慌てた様子の飼い主の声にも止まる気配はない。どうしたものかと男たちの方をよく見てみれば、何と女の子も犬を連れていた。
もしかしなくてもあの犬はメス、ということなのだろう。モフ太郎は今も「今俺が助けてやるからな! おいお前ら、その子に手を出すんじゃねえ!」という雰囲気で吠え続けている。
それらを察した田中が鈴木に声をかけた。
「鈴木君。これ、ちょっとぼくには止められないかも」
「みたいだな」
鈴木も薄々は察していたようで、そんな反応をする。
そうこうしているうちに、三人組の中の一人がモフ太郎に気付き睨みつけながら
数歩分歩み寄ってきた。
「なんだぁこの犬! 肉が欲しいのかぁ!? ほれぇ!」
あろうことかその男はまた新たな肉を取り出すと、モフ太郎の前でぶらぶらさせ始める。
メス犬、ひいては飼い主たる女の子を救出しようとしているはずのモフ太郎だが好物なのか肉に反応してしまう。眼前で右へ左へと揺れるそれに視線を顔ごと向けて追随させていた。しかし。
「やらねえよぉ! ひゃはははぁ!」
男はそのままその肉を自分の口の中へと放り込んでしまう。
「肉うめええええぇぇぇぇ!」
両拳を握って身体をのけ反らせ、天に向かって男が咆哮する。だが肉が食えなかった怒りなのか、その拳にムフ太郎が噛みついた。
「ワウッ!」
「いってええええぇぇぇぇ! 何だこいつ!」
男は拳を振り回してモフ太郎をどうにか引き離すと、憤怒に顔を歪めながら腕を振り上げる。
「このクソ犬ぅ! しつけがなってねえなぁ!」
「わああぁぁ!」
「田中!?」
今にもモフ太郎が殴られてしまうというその瞬間、今度は田中が男に、タックルのように胴体にしがみつく形で突っ込んだ。
顔だけで鈴木の方を振り返り、自らトラブルに介入したことを謝罪する。
「ごめん鈴木君!」
「この犬の飼い主かぁ!? おいてめえら、やっちまえ!」
「「肉っ!」」
「ちっ、しょうがねえな!」
奇妙なかけ声と共に三人組が一斉に田中に襲いかかっていく。それを見た鈴木も舌打ちをしながら駆け出した。
「……えっと……」
女の子はただおろおろするばかりだ。震えあがっているのと、急転する事態についていけないというのもあるのだろう。連れている犬は何がなにやらという様子できょとんとしている。
「肉パンチ!」
「肉キック!」
「うぐっ!」
「田中っ! この野郎!」
「何だお前も仲間かぁ!」
田中に続いて鈴木も三人の内一人に絡み、戦闘が開始されたものの早々に鈴木たちの敗色は濃厚になっていた。
仮にステータスなるのものが存在したところでそちらの方での差、つまり身体能力などにそこまでの差は見られないのだが、田中はもちろんのこと鈴木もあまり喧嘩慣れをしていない上に人数差がある。はたから見ても厳しい戦いであることは明らかだった。
現在田中は二人から一方的に攻撃を受けていて、鈴木は一人を相手にほぼ互角の戦いをしている。鈴木が田中を手助け出来ればいいのだが、とてもそんな状況ではない。
「ぐっ! がっ!」
「何だこいつ肉食ってねえのかよぉ!」
「後で肉おごってやるよぉ!」
最初のうちは攻撃を腕で防御していた田中だが、一発いいのを腹にもらってしまったのを契機に、迫り来る拳や蹴りをどうにも出来ずまともにもらい続けている。
攻防の合間にどうにか視線をそちらへ寄越しながら鈴木が叫んだ。
「田中っ! お前潜在的な魔力があるとか言われてたろ! よくわかんねえけど、魔法とか試してみるしかないんじゃないのか!?」
「洗剤が何だってぇ!?」
「……っ!」
田中は悶えて喋ることすら出来ないが、代わりに鈴木の言葉に必死で思考を働かせていた。
(魔法……そうだ、あの変なおじいさんの言うことが本当なら、魔法さえ使えれば多分……でもそんなの使えるわけないし)
その時だった。突如として田中の脳裏に直接何者かの声が響いてくる。
(目覚めよ……)
「えっ、何!? ていうかどういうタイミング!?」
脳に直接声が届いているということがわからず、思わずそう口に出してしまった田中。
「田中、どうした!?」
(力が欲しいか?)
気付けばそれはどこかで聞いたような声だった。ようやく田中も状況を理解したところで、二人は脳内で会話を交わしていく。
(欲しいです。めちゃめちゃ欲しい。本当やばいからくれるならさっさとしてください)
(何じゃその態度……べっ、別にお主が心配で様子を見とったとかじゃないんじゃからなっ)
(うざっ。いいから早くしてくださいよ。ていうかあなた、さっきの怪しいおじいさんですよね?)
(ち、違うわいっ。とにかくお主にはたった今魔法を授けておいた。ただし態度が悪いからちょー地味なパワーライズという魔法にしておいたぞい。いいか、今からわしの言うことをよく聞き)
「……『パワーライズ』」
地面に転がりながらつぶやかれた田中の一言を聞き取れず、三人組のうちの一人が眉根を寄せた。
「あん? 『甘いお肉』ぅ?」
その瞬間、田中は全身に力がみなぎってくるのを感じた。
「俺が好きなのはなぁ、辛いお肉なんだよぉ!」
言葉と共に突き出された敵の拳を受け止める。先ほどまでなら手のひらが爆発したような痛みを感じたのかもしれないが、今の田中にそんなものはなく。
拳は、田中の前でぴたりと止まっていた。
それを見てわずかに動揺する男。
「な、何だお前。実はすげえ肉でも食ってたのか?」
田中は膝を伸ばすと同時に地を蹴り、敵との距離を一気に詰める。
「ぼくはベジタリアンだっ!」
拳を受け止めたのとは逆の腕で放たれた素人の拳は、無駄の多い動作で無様に敵の元へと到達する。が、しかし。
それは相手を、まるで石ころのように視界の彼方まで吹き飛ばしてしまった。
「「「「ええええええぇぇぇぇぇぇっ!!!!????」」」」
「……」
その場に居合わせた者全員が思わず叫び声をあげ、当の田中すらも拳を放った体勢のままで唖然としてしまっている。
ただ一人、いや一匹。モフ太郎だけがワオワオワオーンと、勝利だか喜びだかの咆哮をあげているのであった。
「ちっくしょう、覚えてろよぉ!」
吹き飛ばされて失神した一人を拾って、残りの男二人も早々に去っていく。それらの背中を見送りながら、鈴木が呆れ顔でつぶやいた。
「ああいうこと言うやつ、本当にいるんだな」
「結構強烈なやつらだったし、忘れることはないかもね」
苦笑する田中に鈴木が微笑で応えると、二人は同時に振り返る。
「さて、と」
鈴木の視線の先には女の子と飼い犬、そしてその飼い犬の近くで尻尾をぶんぶんと振るモフ太郎の姿があった。
「ふふっ。君、お名前は? ……あっ……」
屈んで微笑みを浮かべながらモフ太郎に話しかけていた女の子は視線に気付いたらしく、立ち上がって二人と目を合わせた。
鈴木や田中と同じ、日本で言えば高校生くらいの年頃だろうか。赤い髪は後ろの方で結われていて、眦が少しばかり吊り上がった大きな瞳は勝気な印象を与える。白いシャツとブラウンのスカートという質素な衣服から、全体的に「家事の合間に犬の散歩をしていた村娘」という雰囲気が窺えた。
女の子は勢いよく腰を折って感謝の言葉を口にする。
「あのっ、ありがとうございました! えっと、お礼は……その」
こういった事態に慣れていないらしく、鈴木と田中に交互に視線をさまよわせながらしどろもどろする女の子。当然お礼目的ではない田中は、片手で制して断りを入れようとする。
「いえいえ、お礼なんて要らな……」
「待て待て」
鈴木が割って入り、腕を田中の肩にぐいと回して無理やり女の子に背中を向けるよう方向転換させた。身長差があるのでちょっと足が浮いてしまっている。
女の子が不思議そうに首を傾げているのを背景に、鈴木は声を潜めて秘密の話でもするような雰囲気を出す。
「ここでさよならしてどうすんだよ。せっかくだからこの子に色々と教えてもらっといた方がいいだろ」
「あっ」
素で気付かなかった様子の田中。鈴木は無邪気な笑みを浮かべる。
「それに結構可愛いしな。俺は今彼女とかいらないからあれだけど、お前はとりあえず連絡先くらい聞いとけ」
「れ、連絡先って……この世界には携帯とかないと思うよ?」
女慣れしていない田中は顔を赤くしてしまう。
「あっ、そうか。まあいいや、とにかく色々と聞き込みだ」
話が決まると振り返り、今度は鈴木から声をかけた。
「ごめんな。ちょっと怪我の確認とかしててさ。君は怪我とかなかった?」
「はい、大丈夫です」
いかつい男たちに絡まれていたところを助けたとはいえ、鈴木たちも知り合いではない複数の男でしかも格好が怪しい。そういったこともあって、女の子はまだどこか不安げな様子を見せている。
しかし鈴木は構わずに堂々とした物言いで続けた。
「俺らこの村に来たばっかなのと、ちょっと世間知らずでさ。色々と聞かせて欲しいことがあるんだけど、いいかな?」
「えと……」
「ぼくらこんな格好だからまともに取り合ってくれる人がいなくて。少しだけでもいいから、時間をもらえると嬉しいです」
横から柔らかい笑みと共に田中がサポートに入った。元の世界ではうまく異性と会話が出来なかった彼だが、鈴木と一緒ならそうでもないようだ。ここが異世界だということも手伝っているのかもしれない。
女の子は、鈴木の顔をした田中を見た瞬間に頬をほんのりと赤らめ、慌てながらもはっきりと返事をした。
「は、はいっ。あの、私にわかることならっ」
「よし、それじゃあ適当にどこか座れるとこに行こうか」
「ワンワンッ」
女の子の足下から、よくやった、お前ら! とばかりに吠えるモフ太郎。うまくメスと触れ合うことが出来そうで満足といった感じだ。
女の子はそんなモフ太郎を見て楽しそうに微笑む。
「この子、お二人が飼ってるんですか?」
「ええ。やんちゃですけど、とってもいい子なんです」
飼い主である田中が応じた。女の子はそれを聞いて「そうなんですね……」と言いながら屈んでモフ太郎の頭を撫でると、立ち上がって自身の連れている犬と一緒に歩き出す。
「私の家、すぐ近くなのでご案内します」
モフ太郎は既に尻尾を振りながらメス犬の横を歩いていて、もはや誰が飼い主なのかわからなくなってしまっている。
「悪いな……田中、行こうぜ」
「うん」
二人もつられて歩き出したのだが、ふと鈴木が何かを思い出したように足を止めて先を行く背中に声をかけた。
「そういえば君、名前は?」
女の子は自然な笑みを浮かべたまま振り返って、名乗る。
「マリーって言います」
「そっか。よろしくな、マリー」
「よろしくお願いします」
鈴木、田中がそう返すと、今度は三人揃って歩き出したのであった。
ある者は最弱の魔物と同様の姿形をして草原に暮らし、またある者は異形の生物の王として森の奥深くに城を構えて悠々と酒をたしなむ。
だが様々な生態を持つ彼らにも二つの共通点があった。
一つは、差はあれどいずれも人類の脅威となり得る程の強大な力を持っているという点。そしてもう一つは、彼らを倒せば必ず「本」を置き土産のように残していくという点だ。
「本」は魔王が持つ力が、倒されて霧散する際に再度空気中で凝縮されて形を成したものであり、相応の力を持つ者が読めば強力無比な魔法を扱えることが出来るようになる。しかし伝承によれば、その中には魔法すらも超越する、神にも匹敵する力を得ることが出来るものもあるとされていた。
未だ目撃者すらもいないその「本」は人々の間でこう呼ばれている。
「魔導書」と――――。
どこまでも晴れ渡る空の下でチャイムが響き渡っていく。敷地外にまで漏れるその音を聞いて、近所を散歩していた一人の老人が足を止めて校舎を見上げた。彼とすれ違う様々な表情の若者たちは、皆同じ制服を着ている。
ここはどこかの高校の、とある教室。
朝の冷涼な空気にも構わず、忙しなくそれぞれの活動に勤しむ生徒たち。友達とお喋りをする者もいれば、スマホでゲームをする者もいる。
そんな中、一人の少年が教室に入って来た。
少し長めの髪は茶色がかっていて、二重瞼に彫りの深い端正な顔立ちは自然と見る者に好印象を与える。制服を適度に着崩しているが、背筋が伸びていて歩き方もしっかりとしているために気だるそうな雰囲気はない。
その少年は友人らの生み出す喧騒をこじ開けるようにくぐりながら、誰にともなく、しかし教室中に届くように明瞭な声を発した。
「おはよう」
「おはよう」「おはよう、鈴木君」
「健司ちっす!」「鈴木おはよ~!」
鈴木、あるいは健司と呼ばれた少年はそのまま自分の席に着く。すると女子数名がいそいそとその席に集まって来た。
「ねえねえ鈴木君、今日放課後カラオケ行かない!?」
「うちらで行こーって話してたんだけど、人数揃わなくってさ!」
鈴木健司はその誘いに微笑を浮かべて答える。
「悪い、今日用事あってさ。また今度行こうよ」
「え~残念!」「じゃあまた誘うね~!」
小さく手を振りながら去っていく女子たちを見送ると微笑をとき、途端に表情を失う鈴木。彼が椅子に背を預けてつまらなそうにしていると、また一人の少年が教室に入って来た。
美容室ではなく、床屋で切った髪をそのまま伸ばしたような黒いヘルメットのような髪型と眼鏡が野暮ったい。制服も校則に違反する箇所が一つも見受けられない程にきっちりと着こなし、シャツはスラックスの中に入っている。
おどおどとしながら周囲を窺う様子はまるで怯えた小動物のようだ。
その少年が誰に何を言うこともなくこそこそと喧騒の下を這うように歩いていると、一人の女子が声をかけた。
「田中君、おはよ~」
「お、おはよう……」
田中と呼ばれた少年は、まるで謝罪をするかのようにぽそりとそうつぶやいてから自分の席についた。クラスの大半はその存在を気にかけることはない。彼に話しかけた女子もすぐに友達とのお喋りに戻ってしまう。
しかしただ一人、隣の席に座る鈴木だけは違う反応を見せた。
椅子に横向きに腰かけて田中の方に顔を向けると、女子と話していた時よりも明るい笑顔で口を開く。
「田中おっす」
「鈴木君、おはよう」
「昨日は微妙な部屋ばかりだったな」
「最近初心者が増えてるみたいだし、しょうがないのかもね」
「今日は兄貴の帰り遅いからSkypo繋いでやるか」
「本当? 楽しみにしてる」
鈴木に応じる田中からも自然と笑みがこぼれる。
その一方で、クラスメイトたちは奇異なものを見る目で二人を眺めていた。
「最近、鈴木と田中君って仲良いよね」「席が隣だから話してるだけだろ?」
「それにしては随分と親し気だけど」「健司さ、女子と話してる時より楽しそうじゃね?」
そんな歓談の最中に再度チャイムが鳴って担任教師が教室に入ってくると、二人のお喋りもそこでお開きとなる。
他のクラスメイトも押し黙り、静かに教壇の方へと視線を向けた。
それを確認した気の強そうな女教師が口を開く。
「よ~し、そんじゃ朝のHR始めるぞ!」
昼休みになると鈴木は移動し、友人たちと昼食を摂り始めた。
一方で田中は自分の席で静かに弁当を広げ、一人で黙々と食べている。時折似たような制服の着こなし方をした同級生に話しかけられることもあったが、またすぐに一人に戻っていく。
やがて昼休みも終了間際になり席に戻った鈴木は、何やらスマホをいじってゲームをやっているらしい田中に声をかける。
「それ、何やってんの?」
「ん、ソシャゲーだよ」
「ああ……」
反応が薄いにも程がある。どうやら鈴木は、ソシャゲーというものには全く興味がないらしい。
ややあって、鈴木が田中に問いかける。
「ソシャゲって何がおもしれえの?」
すると田中はスマホから視線を外して宙にやりながら答えた。
「コレクションを楽しむみたいな感じだよ。本格的にやる人はかなりお金かけてるみたいだけど……無料でもできるし」
「あ~そういや元カノでやってるやついたっけな」
「時間とお金をかければ誰でも強くなれるから、鈴木君には合わないかもね」
「そうか」
それから特に会話が発展することもなく、すぐにチャイムが鳴った。
午後の授業も滞りなく終了して放課後になると、鈴木はサッカー部の活動へと向かうべく席を立つ。そして去り際、田中に声をかけた。
「じゃあ田中、また後でな」
「うん」
互いに片手をあげての挨拶を終えると、鈴木は同じサッカー部のクラスメイトたちと共に部室へと向かう。
それを見て田中もまた席を立ち家路につくのであった。
「またな、健司!」「鈴木先輩お疲れっす!」
「おう」
そして茜色の空に宵闇が浸透しつつある時刻、部活動を終えた鈴木は早々と帰宅の途についた。友人たちから色々と誘いを受けてはいたのだが、うまいこと逃れて田中とのゲーム時間を確保したようである。
人通りもまばらになった校門をくぐり、時には鼻歌などを交えながら通学路を家に向かって歩いていく。春先なので夜になるとまだ若干空気は冷え込んでいるが、部活帰りで身体の温まった鈴木にはそれが心地よい。
しばらく歩き、車が一対すれ違うことができるかどうかという道で、反対側から見慣れた眼鏡の少年がやってくるのが見えた。見た目の雰囲気が野暮ったいのは相変わらずだが、今は犬を連れている。
その姿を認めるなり、鈴木がすぐに片手をあげながら声をかけた。
「田中。モフ太郎の散歩か?」
「う、うん。……あっ、ちょっとモフ太郎!」
連れている犬はどうやらモフ太郎という名前らしい。随分と鈴木に懐いているようで、リードごと飼い主を引っ張る勢いで鈴木に突進をかけてきた。
鈴木も、自分の足元で尻尾を振りながらぴょんぴょん跳ねるモフ太郎に合わせてかがみ込み、頭を撫でてやっている。
「お前はいつも元気だなぁ」
「ごめんね鈴木君」
「謝ることじゃねえだろ、それよりさっさと帰ってやるぞ」
そこで鈴木は立ち上がって歩き始めた。それに応じて、田中も鈴木と同じ方向に歩き出しながら口を開く。
「うん。もうそろそろいいかなって思ってたし」
家が同じ方向にあるらしく、二人と一匹は並んで再度歩き出した。
しばらく歩いて二人の住む住宅街が遠目に見えて来た頃、田中が鈴木の方を見やりながら話を切り出す。
「鈴木君、その、ありがとう」
「あ? 突然何だよ、気持ち悪いな」
「いや、ぼく、こんな風に同じ高校の人と好きなゲームで一緒に遊べるようになるなんて思ってもみなかったから」
「まさかお前があんな殺伐としたゲームやってるなんてなあ」
「ぼくも最初はFPSにそこまで興味なかったんだけど……話を聞いてたら鈴木君に合いそうだなって思って。本格的に始めたのは一緒にやり始めてからだよ」
「そうだったな」
FPSというのは、端的に言えば一人称視点のシューテイングゲームで、軍人になり銃で撃ち合うものが多い。特に鈴木と田中がやっている基本無料のものはグラフィックが美麗で、架空とはいえ現実に存在していそうな軍隊同士が戦う為にかなりリアルで殺伐としていて、ゲームの難易度も高い。
「クラスの人の目とか、気にならない? ほら、ぼくと鈴木君が話してると皆珍しそうにしてるでしょ」
「ん……まあ最初は気になったっちゃなったけど、何つうか、もうめんどくせえ」
「そっか」
奇妙な組み合わせの二人の間には独特な空気が流れていた。親友、とは少し違うが気の置けない仲ではあり。特別な絆で結ばれているわけではないが、かといって薄っぺらい関係でもない。
その後、言葉はなくとも決して居心地の悪くない空気のまま二人は歩く。
そしてもうすぐ互いの家が見えようかという場所で、その異変は起きた。
田中を中心にして突如、いわゆる魔法陣のような奇妙な絵柄が地面に浮かび上がる。最初二人と一匹は固まってしまった。
しかしその絵柄が光を帯びると、鈴木が怪訝な顔をして口を開く。
「何だこれ?」
「えっ」
やや遅れて反応した田中は何が起きているのかわからずに足下を凝視し、モフ太郎は地面にむかってしきりに吠え続けている。
そして絵柄から耳鳴りのような甲高い音が鳴り始めると、それが帯びる光も徐々に強くなり、次第に目も開けていられない程になっていった。
さすがに危機感を募らせた鈴木が目を腕で覆いながら叫ぶ。
「これ、何かやばくねえか!?」
すると何かに気付いた田中が、同じように目を覆いながら叫んだ。
「鈴木君! これ漫画とかアニメでよくあるやつだ!」
いや、だから何だよ……と鈴木が思う中、二人の視界は光に包まれてホワイトアウトしていく。数瞬後にはモフ太郎の鳴き声も消え、鈴木と田中がいた場所には元の静寂が訪れていた。
〇 〇 〇
「ようこそ……って、おろ?」
しゃがれた声で意識を引き戻された鈴木がゆっくりと目を開くと、そこには禿頭で鼻の下と顎にひげを存分に蓄えた老人がいた。弱々しい容姿の割にはしっかりとしたたたずまいをしていて、どこか風格のようなものを感じさせる。
老人は鈴木と他の複数の何かの間で視線を躍らせながら続けた。
「どうやら関係のない者たちまで呼び出してしまったようじゃの」
「? ……は!?」
老人の言葉に鈴木が首を横に回して周囲を確認すると同時に、その瞳は驚愕に見開かれる。何故なら。
「……俺?」
目の前に自分がいたからだ。
「……ぼく?」
しかし、自分の姿をした何者かもこちらを見ながら似たような言葉を漏らしている。わけがわからずに固まっていると足下から生物の荒い息遣いが聞こえてきた。
「ハッハッ」
「モフ太郎じゃねえか!」
モフ太郎は舌を出してぶんぶんと尻尾を振りながら鈴木を見上げている。
「モフ太郎!」
「ワン!」
呼ばれて、次にモフ太郎は鈴木の姿をした何者かの方に身体を向けた。
共通の友人がいることで二人共に何が起きているのか気付いたらしく、鈴木と鈴木の姿をした何者かは互いを指差し合って声をあげる。
「田中!?」「鈴木君!?」
「ワンワン!」
信じられないことではあるが、どうやら田中と中身が入れ替わっているらしい。
奇想天外な出来事に愕然とする二人を余所に、そんなことよりも構ってくれや、と言わんばかりにモフ太郎が二人の間をぴょんぴょんと飛び跳ねている。
そんな二人と一匹の様子を静かに見守っていた老人がすっとぼけた声で言った。
「なんじゃ、お主ら精神が入れ替わっておるのか?」
「あんたの仕業か?」
鈴木が振り向きざまに答える。
「いや、わしにとっても想定外の出来事じゃ……何しろ、異世界のものを召喚すること自体が初めてじゃからの」
「異世界……召喚?」
反応したのは田中だった。鈴木の顔をした田中が顎に手を当てて唸り声をあげながら考え込んでいる。
「ってことは、ここは地球じゃないってことですか?」
老人が首を短く縦に振った。豊かな眉毛と髭に遮られて、その表情は窺い知ることが出来ない。
「チキュウ、というかどうかは知らんがお主らが元いた世界でないことは確かじゃろうの」
「なるほど」
「で、それで何で俺と田中の身体が入れ替わってんだよ」
田中の顔をした鈴木が尋ねると、老人はしれっと答える。
「恐らくはそこのタナカ? をわしが召喚したのじゃが、その際にお主が巻き込まれたのが原因じゃろう。何せわしも初めてのことじゃからようわからん」
「ちゃんと僕の周りを確認してからにしてくださいよ」
「そんなこと言われてもの……わしからは向こうの世界は見えんからの」
「無責任なやつだな」
「ワンワン!」
鈴木に追従して、そうだそうだと言わんばかりにモフ太郎が老人に吠えた。
「すまんかったの。ほれ、これでも食べい」
「いやいや、何でバナナなんだよ」
謝罪の言葉と共にどこからか老人が取り出したのはバナナだった。鈴木は抗議をしつつも露骨に嫌そうな顔をして汚いものを触るようにそっと受け取ると、モフ太郎に匂いを嗅がせる。
すんすん、と鼻をならした後に自身を見上げながら「ワン!」とモフ太郎が吠えたのを確認して、鈴木はバナナをまず一房田中に分け、モフ太郎にもちぎって食べさせた。
モフ太郎が嬉しそうにバナナにありつく様を眺めながら、老人が寂しそうに口を開く。
「そんなに疑わんでもいいじゃろう」
初めて会った、しかも見た目的にどう考えても怪しい老人からバナナを渡されて危険かどうかすらも確認しないというのは無理な話だ。せめてちゃんと食べただけでも感謝して欲しい。
そこで、ようやく落ち着いて思考が出来るようになったことに気付いた鈴木は周囲を見渡した。
木造建築の小屋だ。調度品どころか窓すらもなく、自宅の自室より若干広い程度の狭さも相まって息苦しく殺風景だという印象が強い。とはいえ造られたばかりなのか、使用されている木は新しくシミ一つ見当たらなかった。
鈴木は老人に視線を戻してから話を切り出していく。
「あんたは誰なんだ? 何で田中を?」
「よくぞ聞いてくれた」
老人はそう返事をすると、一つ咳ばらいをして姿勢を改めた。
「わしは神様じゃ」
「あっそ」
「へえ……」
鈴木はつまらない冗談を聞かされたかのような気のない返事をし、田中は無表情に実際にはない眼鏡を掛けなおす仕草をしている。
「いや、もうちょっと何かあるじゃろ。『本当ですか!?』とか、『お目にかかれて光栄です!』とか」
「何言ってんだこのじじい」
「まあまあ、痴呆症なのかもしれないし。もうちょっと様子を見てあげようよ」
苦笑しながら田中になだめられ、ならばと鈴木は思索を巡らせる。
状況から言ってただの人間でないことはわかるが、だからと言ってすぐに信用するわけにもいくまい。そうなれば、自らを神様だなどと口走るくらいだし、それ相応の能力みたいなものを持っていることだろう。
「じゃあさ、すぐに神様ってわかるようなすごいことをしてみてくれよ」
「すごいこと……例えばどんなのじゃ?」
宙に視線を躍らせながら、鈴木が一瞬だけ考え込む。
「ん~そうだな。じゃあ手始めに俺と田中を元の身体に戻してくれよ」
「それは出来ん」
「何でだよ」
「何でと言われても……出来んもんは出来ん」
鈴木が納得のいかない表情を浮かべていると、田中が次の提案をした。
「じゃあ僕たちを元の世界に戻してもらうとか」
「それも出来ん」
神様と名乗る男が首を横に振ったと同時に鈴木が踵を返した。
「全然だめじゃねえか。おい田中、こんなジジイほっといて辺りを探索してみようぜ。モフ太郎もいくぞ」
「あっ、ま、待ってよ」
「ワン!」
「…………」
老人が静かに見守る中、二人と一匹が部屋の出口らしき扉へと向かい、鈴木がそれに手を掛けた。
「そもそも、ここが異世界だなんて保証すら……」
そう言いながら扉を開けたところで鈴木は絶句した。彼の後ろから外を覗き込んだ田中も同様に固まっている。
ただ一匹、モフ太郎だけが事態を把握出来ず、不思議そうに首を傾げて鈴木と田中を見上げていた。
部屋の外には見渡す限りの草原が広がっているのだが、数歩いったところで完全に地面が途切れてしまっている。しかも空が異様なまでに近く、自分たちの立っている場所の標高がかなり高いことがすぐにわかった。
視線を巡らせてみれば、近くに神殿のような石造りの荘厳な建物があるもののそれ以外には何も見当たらず、自分たちが絶海の孤島ならぬ絶空の孤島――つまり空に浮かぶ島にいるであろうことが非現実的にも関わらず容易に察せられる。
扉から入り込む強風にあおられながら二人と一匹が固まっていると、その背後から老人が先程までと変わらぬ調子で声をかける。
「どうした? 何かあったかの」
どう考えても地球ではお目にかかることの出来ない景色だ。いや、もしかすると自分が知らないだけなのかもしれないが、とにかくここから歩いてどこか別の場所へ移動しようとするのは得策ではないし、じいさんと話だけでもしてみるか。
鈴木は扉を閉めて後ろを振り返ってから口を開いた。
「ここはどこだ?」
「わしの家じゃ」
「…………」
値踏みをするかのように、鈴木が鋭く老人を睨みつける。その後ろでは田中も同様に目を光らせていた。
これまでの状況から見て、老人は悪ふざけを言っているわけではなさそうだと踏んだ鈴木は質問を続ける。
「何で田中を召喚しようと思ったんだ?」
「おお、それを言っておらんじゃったの。むしろそちらが本題なのじゃ」
一つ咳ばらいをすると、老人は神妙な面持ちで語り出した。
「現在この世界では、伝説の魔王が復活しようとしておる」
「すごくありがちな話の匂いがぷんぷんしますね……その伝説の魔王っていうのはどんな魔王なんですか?」
田中が即座に反応した。どうやらこういった話には興味があるようだ。
「うむ。現在は海中深くに封印されておる、魔王の中でも最強最悪と謳われた存在……ムンバホッホじゃ」
「ムンバホッホ……」
田中は真面目な表情のまま、急速に込み上げてきた笑いをかみ殺した。彼の頭の中では今ゴリラがムンバホッホと叫びながら暴れ回っている。
一方でムンバホッホに対して無反応な鈴木は黙って老人の話を聞きつつ、「魔王は複数いるのか……」など話の理解に努めていた。
「それで神のわしでも寿命を大幅に縮めるほどの力を注ぐことでようやく使える、『英雄召喚』という魔法を行使したわけじゃ」
「それで呼び出されたのが俺たちってことか」
「うむ。まあ対象はそこのタナカだけだったはずなのじゃがの」
そこにようやく笑いを収めた田中が割り込んでくる。
「あの、そこまでして呼び出したところで、ぼく、そんな魔王を倒せるような力とか持ってないんですけど」
「安心せい。『英雄召喚』によって呼び出された者には膨大な潜在的魔力が付与されるのじゃ。それこそ、世界を救えるほどのな」
話を聞いていて何かに気付いた様子の鈴木が言葉を挟んだ。
「もしかしてその潜在的魔力ってのは俺には……」
「ない。さっきも言ったようにお主は巻き込まれただけで、本来魔法の対象ではなかったからじゃ」
「…………」
鈴木は驚くでも落胆するでもなくただ静かに腕を組み、何事かを思案している。
他に質問がないと悟った老人は一つうなずいて次の話題に移った。
「それでじゃ。世界を救うにはまず……」
「ちょっと待ってください」
そう言って挙手をした田中が口を開く。
「要はぼくにその伝説の魔王を倒せってことですよね?」
「そうじゃ」
「海中深くに封印されてるんでしょ? そもそもどうやってその人のところまで行くんですか?」
「えっ……どうなんじゃろ。泳いで、とか……?」
自信が持てないのか発言をしながら首を傾げている老人に対し、田中は「いやいや」と手を横に振る。
「ぼく泳げないですし、仮に泳げたところでそんなに深いところまで人間がいけるわけないでしょ」
「それに水の中で戦う時点でめちゃくちゃ不利だし、単純にその絵面がだせぇ」
「ワオーーーーン!」
田中の言葉に鈴木とモフ太郎も賛同した。
「そんなことを言われてものう……」
反論できず、困った様子の老人は俯き黙り込んでしまう。
「とにかく申し訳ないですけど他を当たってください。ぼくと鈴木君とモフ太郎はそういうのやらないんで」
「悪いなじいさん」
「ぐぐっ……」
拳を握り、全身をわなわなと震えさせ始めた老人は次の瞬間、まるで子供のように凄まじい勢いですね始めた。
「んもおおおおぉぉぉぉ! せっかく寿命を削ってまで呼び出したのになんじゃ! ちょっとぐらい世界を救ってくれたっていいじゃろ!」
「ちょっとぐらいって。ていうかあなたが救えばいいんじゃないんですか? 神様なんでしょ?」
「それが出来ないから魔法を使ったんじゃろうが!」
興奮した老人は鈴木たちに背中を向ける。
「もういいわい! お前らなんぞどこへでも行ってしまえ!」
しかし鈴木は冷静に応じる。
「それなんだけどよ、適当にどこかに送ってくんない? 俺らじゃここから歩いて地上に降りるのは無理だろ」
「かーーーーーーーっ!」
老人はいきなり二人と一匹に向き直ると、どこからか取り出した杖を振った。するとたちまち鈴木たちの姿が光に包まれて消え去ってしまう。
「ふう、はあ…………」
後には肩で息をする老人だけが取り残され……。
こうして、世界を救う冒険が始まることはなかった。
〇 〇 〇
気付けば鈴木たちは見慣れない村の中にいた。瞳を爛々と輝かせながら一歩を踏み出した田中が誰にともなくつぶやく。
「わぁ、ファンタジーだ……!」
鈴木たちの前には、地球より文明が一歩も二歩も後退したような風景が広がっていた。アスファルトで舗装された道路などあるはずもなく、地面からは咳き込んでしまいそうなほどに遠慮なく土埃が舞っている。建物は大半が木造建築となっていて、どれも小じんまりとした小屋のような作りをしたものばかりだった。
時折馬車なども見られるが、人々は基本的に徒歩で道を行き交い、路上では露店を出して商売をしている者もいる。
「まずは金とか食べ物をどうにかしないとな」
対照的に街並みにあまり関心のなさそうな鈴木がそう言うと、田中はそちらを振り返って感心した表情を見せた。
「鈴木君はさすがだね」
「何がだよ」
「異世界に飛ばされたっぽいのにもう落ち着いてるから」
「今いち現実感がないってだけだ。こんなの夢かもしれないし、現実だとしても何だかんだ元の世界に戻れる気がするしな」
「ああ、確かに。ぼくもそうかも……こういう、地球の人が異世界に迷い込むみたいな話を漫画やアニメで良く観てたからってのもあるけど」
「ワン!」
モフ太郎が、俺も会話に混ぜてくれや! と言わんばかりに尻尾を勢いよく振りながら二人を見上げている。
「お前もいたんだったな」
「この子は僕らが入れ替わってること、わかってるのかな。そんなわけないか」
あはは、と笑いながら屈んで飼い犬の頭を撫でる鈴木顔の田中。そんな触れ合いを眺めた後、田中顔の鈴木が周囲を見渡しながら口を開いた。
「田中、その漫画やアニメだと飲み食いとか寝泊まりはどうしてた?」
田中は立ち上がり、顎に手を当てて考え込む。
「作品にもよるけど……大体はギルドっていうところにいって冒険者として登録して、モンスターとかを倒してお金をもらうってパターンが多かったかな」
「その金で生活するってことか。だったらまずはギルドを探してみるか」
「そうだね」
そうして二人は歩き出したのだが、すぐに鈴木が何かに気付いたようだ。
「俺らめっちゃ見られてね?」
「だね」
通りを行き交う人々が皆鈴木と田中に奇異な視線を送って来ている。何事かと自分たちを互いに確認し合うと、すぐにその原因は判明した。
鈴木が自身の服の裾を引っ張りながら口を開く。
「この格好、めっちゃ浮いてるな」
「そういえば着替えてなかったね……どこかに服が落ちてたりしないかな」
二人は高校の制服を着たままだった。みすぼらしいどころか周りの人間と比べれば品の良い格好には違いないが、珍しい為に注目を集めているらしい。
そんなもの都合よく落ちてるわけないだろ、と田中に言いながら鈴木がきょろきょろとしていると、少し離れたところでモフ太郎が吠えた。
「ワン!」
「おっ」
そちらを見れば、モフ太郎がごみ捨て場のようなところでローブのようなものを咥えている。鈴木は歩み寄ってそれを手に取り、頭を撫でてやった。
「でかしたぞモフ太郎」
深緑色とでも言おうか、とても地味な上にあちこちが擦り切れて薄汚れたローブでフードがついている。
田中も同じくローブを手に取ると、鼻をつまんで顔をしかめた。
「うっ……結構におうねこれ」
「捨ててあったくらいだからな」
ごみ捨て場から拾ってきたこともそうだが、そのローブが薄汚れてにおいを発していることでまたしても周囲の注目を集めている。とはいえ仕方がない、今後のことを考えれば今ここでこれを着た方がいいという判断を二人は下す。
制服の上からローブを羽織って互いに姿を見比べ、田中が苦笑を漏らした。
「ひどい格好だね」
「まあしょうがねえ。制服よりは変な目で見られることもないだろ」
鈴木の言葉通りそれからは視線を無駄に浴びることもなく、二人は再びギルドを目指してのんびりと歩いていく。しかしどこにあるのか知るはずもなく、不意に鈴木が足を止めて振り返った。
「一通り周れば見つかるかと思ったけど……この村、思ったよりも広そうだな」
「うん。人に道を聞いた方が良さそうだね」
「つってもな」
周囲を眺めてみる。今の薄汚い二人の格好では明らかに怪しいし、声をかけても不審がられるだけかもしれない。
それは田中も同様らしいがなだめるように提案する。
「とりあえず聞くだけ聞いてみようよ」
「だな」
こうして二人は道行く人に声をかけてみたのだが、どうにも上手くいかない。というのも、田中顔の鈴木は大人しそうな見た目の割に堂々ハキハキとした物言いなので逆に妙な迫力があり、不審者然とした今の格好では不気味なのである。
大して鈴木顔の田中は端正な顔立ちなので最初こそ印象がいいものの、おどおどとして言葉にも詰まってしまうので話かけた相手が徐々に怖がり、最終的に立ち去ってしまう。
去る人の背中を見送りながら、鈴木が腰に両手を当ててため息をついた。
「どうしたもんかねえ」
「当たり前だけど、今の僕たちってすごくアンバランスだよね」
どうしようもないので二人は再び適当にほっつき歩くことにした。
恐らくは昼下がりであろう今の時間帯、人通りはそこそこといった感じだ。歩くのに不自由しない程度に賑わう通りには、よく見れば尖った耳を持っていたり、犬のような尻尾を持った者がいたりと、亜人種と思われる人々もいる。
田中がお気に入りのおもちゃを見つけた子供のような目で周囲を見渡しながら、鈴木に声をかけた。
「すごいね! エルフとか獣人族もいるよ!」
「お前ほんっとそういうの好きなのな」
呆れ顔でそう返す鈴木は、ここに来て異世界に来たということを確定事項として扱うことに決めるのであった。
そのまましばらくギルドを見つけることも出来ずに村を徘徊していると、ある建物を通り過ぎる際に目立つ会話が二人の耳に飛び込んでくる。
「姉ちゃ~ん、俺らと一緒に肉食べようぜ肉ぅ」
「仕事帰りの香草焼きなんだ、付き合ってくれるよなぁ!」
「あの、えっと……」
体格がよく、顔に傷もあってわかりやすく「荒くれ者」をしているような三人組が一人の女の子を囲っていた。女の子は怯えていて上手く言葉を紡げていない。
その様子を目撃した田中と鈴木が思い思いに感想を述べる。
「わぁ、本当にいるんだね、ああいうの」
「初めて見るやつらなのにどこかで見たことある感半端ないな」
なおも三人組の脅迫まがいの勧誘は続いていく。
「ああ、もう我慢出来ねえよぉ! 俺ここで肉食っちまうぜぇ!」
「おい早すぎるだろぉ! ていうか何で肉持ってきてんだよぉ!」
「俺も我慢出来ねええええ!」
三人組のうち二人がどこからか生肉を取り出して口に入れる。正気とは思えない行動に女の子はますます怯えてしまう。
無表情にそれを見つめる田中が鈴木に話しかけた。
「ていうかあの『美味しいもの食べてストレス発散』みたいな文化って何なんだろうね?」
「そんなの今はどうでもいいだろ……てかお前、漫画やアニメみたいにあの女の子助けたりしねえの?」
口角を吊り上げ、からかうような笑みを浮かべての鈴木の問いかけに、田中はあくまで冷静に応じる。
「そうしたいところだけど怖いし、何よりまだこの世界のことをよくわかっていない今、戦闘をするのは危険かなって」
「どういうことだ?」
「こういう異世界に飛ばされる物語ってね、大体『ステータス』があるんだよ。RPGみたいに」
「なるほどな。それで今俺たちがいる世界にも『ステータス』なんてのがあったらレベル一の俺らはぼこぼこにされちまうってわけか」
「そういうこと。かわいそうだけど、関わらない方が……」
「ワンワン! ワン!」
田中が言った矢先から、モフ太郎が三人組に向かって吠え始めた。
「ちょっと、どうしたのさ」
「ワオ~ン!」
慌てた様子の飼い主の声にも止まる気配はない。どうしたものかと男たちの方をよく見てみれば、何と女の子も犬を連れていた。
もしかしなくてもあの犬はメス、ということなのだろう。モフ太郎は今も「今俺が助けてやるからな! おいお前ら、その子に手を出すんじゃねえ!」という雰囲気で吠え続けている。
それらを察した田中が鈴木に声をかけた。
「鈴木君。これ、ちょっとぼくには止められないかも」
「みたいだな」
鈴木も薄々は察していたようで、そんな反応をする。
そうこうしているうちに、三人組の中の一人がモフ太郎に気付き睨みつけながら
数歩分歩み寄ってきた。
「なんだぁこの犬! 肉が欲しいのかぁ!? ほれぇ!」
あろうことかその男はまた新たな肉を取り出すと、モフ太郎の前でぶらぶらさせ始める。
メス犬、ひいては飼い主たる女の子を救出しようとしているはずのモフ太郎だが好物なのか肉に反応してしまう。眼前で右へ左へと揺れるそれに視線を顔ごと向けて追随させていた。しかし。
「やらねえよぉ! ひゃはははぁ!」
男はそのままその肉を自分の口の中へと放り込んでしまう。
「肉うめええええぇぇぇぇ!」
両拳を握って身体をのけ反らせ、天に向かって男が咆哮する。だが肉が食えなかった怒りなのか、その拳にムフ太郎が噛みついた。
「ワウッ!」
「いってええええぇぇぇぇ! 何だこいつ!」
男は拳を振り回してモフ太郎をどうにか引き離すと、憤怒に顔を歪めながら腕を振り上げる。
「このクソ犬ぅ! しつけがなってねえなぁ!」
「わああぁぁ!」
「田中!?」
今にもモフ太郎が殴られてしまうというその瞬間、今度は田中が男に、タックルのように胴体にしがみつく形で突っ込んだ。
顔だけで鈴木の方を振り返り、自らトラブルに介入したことを謝罪する。
「ごめん鈴木君!」
「この犬の飼い主かぁ!? おいてめえら、やっちまえ!」
「「肉っ!」」
「ちっ、しょうがねえな!」
奇妙なかけ声と共に三人組が一斉に田中に襲いかかっていく。それを見た鈴木も舌打ちをしながら駆け出した。
「……えっと……」
女の子はただおろおろするばかりだ。震えあがっているのと、急転する事態についていけないというのもあるのだろう。連れている犬は何がなにやらという様子できょとんとしている。
「肉パンチ!」
「肉キック!」
「うぐっ!」
「田中っ! この野郎!」
「何だお前も仲間かぁ!」
田中に続いて鈴木も三人の内一人に絡み、戦闘が開始されたものの早々に鈴木たちの敗色は濃厚になっていた。
仮にステータスなるのものが存在したところでそちらの方での差、つまり身体能力などにそこまでの差は見られないのだが、田中はもちろんのこと鈴木もあまり喧嘩慣れをしていない上に人数差がある。はたから見ても厳しい戦いであることは明らかだった。
現在田中は二人から一方的に攻撃を受けていて、鈴木は一人を相手にほぼ互角の戦いをしている。鈴木が田中を手助け出来ればいいのだが、とてもそんな状況ではない。
「ぐっ! がっ!」
「何だこいつ肉食ってねえのかよぉ!」
「後で肉おごってやるよぉ!」
最初のうちは攻撃を腕で防御していた田中だが、一発いいのを腹にもらってしまったのを契機に、迫り来る拳や蹴りをどうにも出来ずまともにもらい続けている。
攻防の合間にどうにか視線をそちらへ寄越しながら鈴木が叫んだ。
「田中っ! お前潜在的な魔力があるとか言われてたろ! よくわかんねえけど、魔法とか試してみるしかないんじゃないのか!?」
「洗剤が何だってぇ!?」
「……っ!」
田中は悶えて喋ることすら出来ないが、代わりに鈴木の言葉に必死で思考を働かせていた。
(魔法……そうだ、あの変なおじいさんの言うことが本当なら、魔法さえ使えれば多分……でもそんなの使えるわけないし)
その時だった。突如として田中の脳裏に直接何者かの声が響いてくる。
(目覚めよ……)
「えっ、何!? ていうかどういうタイミング!?」
脳に直接声が届いているということがわからず、思わずそう口に出してしまった田中。
「田中、どうした!?」
(力が欲しいか?)
気付けばそれはどこかで聞いたような声だった。ようやく田中も状況を理解したところで、二人は脳内で会話を交わしていく。
(欲しいです。めちゃめちゃ欲しい。本当やばいからくれるならさっさとしてください)
(何じゃその態度……べっ、別にお主が心配で様子を見とったとかじゃないんじゃからなっ)
(うざっ。いいから早くしてくださいよ。ていうかあなた、さっきの怪しいおじいさんですよね?)
(ち、違うわいっ。とにかくお主にはたった今魔法を授けておいた。ただし態度が悪いからちょー地味なパワーライズという魔法にしておいたぞい。いいか、今からわしの言うことをよく聞き)
「……『パワーライズ』」
地面に転がりながらつぶやかれた田中の一言を聞き取れず、三人組のうちの一人が眉根を寄せた。
「あん? 『甘いお肉』ぅ?」
その瞬間、田中は全身に力がみなぎってくるのを感じた。
「俺が好きなのはなぁ、辛いお肉なんだよぉ!」
言葉と共に突き出された敵の拳を受け止める。先ほどまでなら手のひらが爆発したような痛みを感じたのかもしれないが、今の田中にそんなものはなく。
拳は、田中の前でぴたりと止まっていた。
それを見てわずかに動揺する男。
「な、何だお前。実はすげえ肉でも食ってたのか?」
田中は膝を伸ばすと同時に地を蹴り、敵との距離を一気に詰める。
「ぼくはベジタリアンだっ!」
拳を受け止めたのとは逆の腕で放たれた素人の拳は、無駄の多い動作で無様に敵の元へと到達する。が、しかし。
それは相手を、まるで石ころのように視界の彼方まで吹き飛ばしてしまった。
「「「「ええええええぇぇぇぇぇぇっ!!!!????」」」」
「……」
その場に居合わせた者全員が思わず叫び声をあげ、当の田中すらも拳を放った体勢のままで唖然としてしまっている。
ただ一人、いや一匹。モフ太郎だけがワオワオワオーンと、勝利だか喜びだかの咆哮をあげているのであった。
「ちっくしょう、覚えてろよぉ!」
吹き飛ばされて失神した一人を拾って、残りの男二人も早々に去っていく。それらの背中を見送りながら、鈴木が呆れ顔でつぶやいた。
「ああいうこと言うやつ、本当にいるんだな」
「結構強烈なやつらだったし、忘れることはないかもね」
苦笑する田中に鈴木が微笑で応えると、二人は同時に振り返る。
「さて、と」
鈴木の視線の先には女の子と飼い犬、そしてその飼い犬の近くで尻尾をぶんぶんと振るモフ太郎の姿があった。
「ふふっ。君、お名前は? ……あっ……」
屈んで微笑みを浮かべながらモフ太郎に話しかけていた女の子は視線に気付いたらしく、立ち上がって二人と目を合わせた。
鈴木や田中と同じ、日本で言えば高校生くらいの年頃だろうか。赤い髪は後ろの方で結われていて、眦が少しばかり吊り上がった大きな瞳は勝気な印象を与える。白いシャツとブラウンのスカートという質素な衣服から、全体的に「家事の合間に犬の散歩をしていた村娘」という雰囲気が窺えた。
女の子は勢いよく腰を折って感謝の言葉を口にする。
「あのっ、ありがとうございました! えっと、お礼は……その」
こういった事態に慣れていないらしく、鈴木と田中に交互に視線をさまよわせながらしどろもどろする女の子。当然お礼目的ではない田中は、片手で制して断りを入れようとする。
「いえいえ、お礼なんて要らな……」
「待て待て」
鈴木が割って入り、腕を田中の肩にぐいと回して無理やり女の子に背中を向けるよう方向転換させた。身長差があるのでちょっと足が浮いてしまっている。
女の子が不思議そうに首を傾げているのを背景に、鈴木は声を潜めて秘密の話でもするような雰囲気を出す。
「ここでさよならしてどうすんだよ。せっかくだからこの子に色々と教えてもらっといた方がいいだろ」
「あっ」
素で気付かなかった様子の田中。鈴木は無邪気な笑みを浮かべる。
「それに結構可愛いしな。俺は今彼女とかいらないからあれだけど、お前はとりあえず連絡先くらい聞いとけ」
「れ、連絡先って……この世界には携帯とかないと思うよ?」
女慣れしていない田中は顔を赤くしてしまう。
「あっ、そうか。まあいいや、とにかく色々と聞き込みだ」
話が決まると振り返り、今度は鈴木から声をかけた。
「ごめんな。ちょっと怪我の確認とかしててさ。君は怪我とかなかった?」
「はい、大丈夫です」
いかつい男たちに絡まれていたところを助けたとはいえ、鈴木たちも知り合いではない複数の男でしかも格好が怪しい。そういったこともあって、女の子はまだどこか不安げな様子を見せている。
しかし鈴木は構わずに堂々とした物言いで続けた。
「俺らこの村に来たばっかなのと、ちょっと世間知らずでさ。色々と聞かせて欲しいことがあるんだけど、いいかな?」
「えと……」
「ぼくらこんな格好だからまともに取り合ってくれる人がいなくて。少しだけでもいいから、時間をもらえると嬉しいです」
横から柔らかい笑みと共に田中がサポートに入った。元の世界ではうまく異性と会話が出来なかった彼だが、鈴木と一緒ならそうでもないようだ。ここが異世界だということも手伝っているのかもしれない。
女の子は、鈴木の顔をした田中を見た瞬間に頬をほんのりと赤らめ、慌てながらもはっきりと返事をした。
「は、はいっ。あの、私にわかることならっ」
「よし、それじゃあ適当にどこか座れるとこに行こうか」
「ワンワンッ」
女の子の足下から、よくやった、お前ら! とばかりに吠えるモフ太郎。うまくメスと触れ合うことが出来そうで満足といった感じだ。
女の子はそんなモフ太郎を見て楽しそうに微笑む。
「この子、お二人が飼ってるんですか?」
「ええ。やんちゃですけど、とってもいい子なんです」
飼い主である田中が応じた。女の子はそれを聞いて「そうなんですね……」と言いながら屈んでモフ太郎の頭を撫でると、立ち上がって自身の連れている犬と一緒に歩き出す。
「私の家、すぐ近くなのでご案内します」
モフ太郎は既に尻尾を振りながらメス犬の横を歩いていて、もはや誰が飼い主なのかわからなくなってしまっている。
「悪いな……田中、行こうぜ」
「うん」
二人もつられて歩き出したのだが、ふと鈴木が何かを思い出したように足を止めて先を行く背中に声をかけた。
「そういえば君、名前は?」
女の子は自然な笑みを浮かべたまま振り返って、名乗る。
「マリーって言います」
「そっか。よろしくな、マリー」
「よろしくお願いします」
鈴木、田中がそう返すと、今度は三人揃って歩き出したのであった。
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