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プロローグ

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 きっかけは、幼い恋心からだった。

「精霊さん精霊さん。あの人に、好きな人はいますか?」

 小さな泉の前に一人の年端もいかぬ少女がぽつりと座り込んでいる。
 周囲は鬱蒼と生い茂る樹々に囲まれ、梢の隙間を縫うように入り込んだ陽光がわずかに森の中を照らし出す。そして、泉と少女の周辺を舞うように漂う不思議な光がそれらの風景を幻想的に彩っていた。
 不思議な光は球の形をしていて、どこか暖かさを感じさせるようにぼんやりと、絶えることなく明滅し続けている。

 「精霊さん」からの返事はないようだったが、少女はそれを気に留めることもなく、不思議な光を眺めながら花の咲くような笑顔を見せた。

「ふふ、そうだよね。いつもお話を聞いてくれてありがとう」

 気が済んだのか少女はそう言って立ち上がる。しかしその時、まるで生きているかのように無造作に舞っていた光が、少女の目の前に収束し始めた。

「えっ?」

 気付けば、不思議な光たちは「×」という記号のようなものを完成させている。それを見た少女は、驚き見開いていた瞳を期待に輝かせながら尋ねた。

「ばつ……あの人に、好きな人はいないってこと?」

 すると「×」は「〇」に変化する。

「へえ、そうなんだ。えへへ……」

 目を伏せて顔を赤らめながら、嬉しさを噛みしめるように、少女はしばらくの間その場に佇んでいた。

 ☆ ☆ ☆

 夜の帳が下りた閑静な住宅街。月光と散在する窓の灯りだけが光源となった闇の中を、音も立てずに蠢く二つの影があった。
 黒いローブを身に纏った二人の人間がそれぞれに袋を抱えて歩いている。その内の一人が、声を潜めて喋り出した。

「しかしこうも上手くいくとは。この街の連中はバカばかりっすねぇ」

 隣にいる人物よりも一回り大きい体躯が、ローブで隠されていてもなお浮き彫りになっている。頬の傷が堅気の人間ではないことを予感させるその人物は、そう言って下卑た笑いを浮かべた。
 するともう一人が、痩せこけた顔に埋め込まれた切れ長の双眸をぎらりと光らせながら返事をする。

「そう言ってやるな。まさかこの私がバナナの皮だけを大量に盗もうなどとは誰も思わんだろう」
「しかし何でまたバナナの皮を……これ、旦那の注文通りに綺麗にむくのって結構大変なんですぜ」
「バナナの中身だけが置き去りにされているさまを眺めて唖然とするやつらの顔など、想像するだけでたまらんだろ。しかも、盗んだ皮はその辺に置いたりしていたずらにも使えるしな。くっくっく……」

 痩せこけた男が口の端を吊り上げて不気味に笑うと、いかつい男も呼応するように再び笑い出す。

「皮を踏んで足を滑らせるやつ、めっちゃ滑稽ですよね。なんせ俺も間違って踏んで転びましたから! がっはっは!」
「おい、あまり声を大きくするな」

 男が顔から笑みを消して注意したのも束の間。

「随分と楽しそうだなぁ?」

 二人の先にある建物の影から一人の少年が歩み出た。
 青髪に、美しく整然とした目鼻立ち。強い意志を灯して輝く瞳が、その童顔に似つかわしくない程に厳しくローブの男たちを射抜いている。
 更に反対の建物の脇からも、もう一人の少年が姿を現した。

「まさかあの高名な魔法使い様が盗みを働くなんてな……」

 細長の輪郭がやや長めの黒髪を纏っている。眼鏡越しの双眸はただ何を訴えるでもなく、無機質に捉えたものを映し出していた。
 少年たちを見て、痩せこけた男が顔をひきつらせながら声を荒げる。

「アルフ、クリス……『何でも屋』かっ!」

 アルフと呼ばれた青髪の少年は挑発的な笑みを浮かべつつ、男たちが担いでいる袋を顎で示した。

「その中身、見せてくれよ」
「…………」

 しかし男たちは応えない。口を固く引き結んだまま、静かに相対した少年たちを見据えている。
 やがていかつい男が痩せた男に尋ねた。

「先生、こいつら何なんです? 知り合いですか?」
「先生と呼ぶな。全く……衛兵の真似事をやっている、やんちゃな子供たちだよ」

 「先生」の言葉を聞いてアルフが肩をすくめる。

「俺たち、これでも一応成人してるんだけどな」
「ふん、十六歳など私からすれば子供と変わらんわ」
「で、その子供に悪事を暴かれた気分はどうだ?」

 問われ、痩せた男は袋を担ぎなおして体勢を整えた。

「まだこの袋の中身を見られたわけではない。ここでお前たちに捕まらなければ、後はどうにでもなる」
「ふ~ん。じゃ、実力行使しかないってことだな」

 待ってましたと言わんばかりに不敵に笑いながら、アルフは腰に帯びた黒い長剣を鞘から引き抜いて構える。しゃらん、という剣と鞘の擦れる音が響いて、場の緊張感をより一層高めた。
 ローブの男たちも袋をその場においてそれぞれに戦闘態勢をとると、クリスと呼ばれた少年が眼鏡を押し上げながら口を開く。

「どうした? 来ないならこちらから行くぞ?」
「おい、それ言うのまだ早いから」

 呆れたような表情でアルフが指摘した。すると彼がクリスに気を取られた瞬間を隙ありと見たのか、「先生」が突然に叫んだ。

「『雷光よ収束せよ』!」

 アルフに向けられた手のひらから一筋の雷光がほとばしる。だがアルフもほぼ同時に敵と類似した文言を口にしていた。

「『精霊よ我に力を』」

 穏やかな優しい光に包まれながら地を蹴り駆け出すと、青髪の少年の身体は驚異的な速度で疾走する。稲光が自身の側を通過していくのを眺めながら、一気に敵との距離を詰めていった。
 ところが、今にも少年が痩せた男に斬りかかろうという瞬間、二人の間にいかつい男が立ちはだかる。

「ふんっ!」

 金属と金属の衝突音。ローブから出された男の太い腕には、肘の辺りから手の甲にかけて金属製の籠手が装備されていた。
 長剣と籠手の鍔迫り合いになりながら、いかつい男が忌々し気に文句を飛ばす。

「『精霊使い』なんて生意気なガキだ」
「おっさんこそ、そのなりで『白魔法使い』なんて言わないよな?」
「…………っ!」

 どうやら図星だったらしく、敵は返事をすることなく空いた腕を引いたのちに拳を突き出した。少年は剣を引き、ふわりと宙に舞い上がってそれを避けると、身体を捻って回し蹴りを繰り出す。
 蹴りは男の頭部に命中し、その巨体が華麗に吹き飛んでいった。
 
 満足気にその様子を眺めていたアルフの元に舌打ちが漏れ聞こえた。

「くそっ、『氷槍よ我が敵を滅せよ』!」

 痩せた男の手のひらの前で巨大な氷のつららが生成され、アルフを目掛けて飛んでいく。気付いた時にはそれがもう眼前に迫っていたアルフには避ける術もなく、ただそれを眺めることしか出来なかった。

「『大地よ生成せよ』」

 だが氷の槍はアルフの元に到達することはなく、彼の前に突如出現した土の壁によって行く手を阻まれて消滅する。
 後方にいたクリスが無表情のままで言った。

「戦っている最中に油断をするな。この貸しは今回のお前の分の報酬全てで勘弁してやろう」
「それ、勘弁されてねえな!」

 言葉と共に再びアルフが駆け出す。元よりそこまで離れていなかったこともあって、一瞬で痩せた男との距離はゼロになった。
 「先生」が慌てて短剣を取り出すが、間もなくアルフの剣によって弾かれてそれは宙を舞う。そして。

「おらっ!」

 少年の見事な蹴りが腹部に命中し、痩せた男の身体は後方へと舞ったのちに動かなくなってしまう。
 それを確認した少年たちは互いに歩み寄り、月下の街中で高く掲げた手を叩きあうのであった。

 ☆ ☆ ☆

 多くの冒険者や商人が行き交う街、ハルバート。
 他の街に比べて富裕層の人口が少なく、大半が庶民で構成されるこの街は少しばかり下品な代わりに、いつも人々の笑顔と活気で溢れている。ちょっとうるさすぎる、なんて思う時もあるにはあるけど、俺はそんな生まれ故郷が大好きだ。

 さて、文字通り街の中心にある中央広場は、ハルバートの中にあって特に賑やかな場所になっている。でも、今日の騒がしさはいつもと一味違っていた。

「バナナの皮盗みの犯人が捕まったんだって?」
「ほら、あそこに縄で縛られて猿ぐつわを噛まされたまま晒されているだろう」
「まさかあの先生がねえ、それも盗賊なんかと」
「捕まえたのは『また』アルフとクリスらしいぞ」「誰だっけ、それ」
「そこの大通りにある鍛冶屋の息子だよ」「ああ、『何でも屋』だっけ?」

 へへっ、噂してる噂してる。
 バナナの皮を盗んだ犯人を捕まえた俺たちは、おっさんたちを縛り上げて中央広場で晒しものにしてから、こうして少し離れたところからそれを見た人々の様子を観察している。
 隣にいる、相も変わらず無表情なクリスに話しかけた。

「これで俺もまた一歩、『勇者』に近付いちまったな!」
「ああ。俺も『伝説の元素使い』に近付いた」

 そう言って不気味に口角を吊り上げるクリス。こいつが爽やかに笑うところなんてほとんど見たことがない。
 相棒はすぐに真顔に戻ると、眼鏡を押し上げながら口を開いた。

「ところで」
「ん?」
「お前の分の報酬を貰う話、忘れてないだろうな?」

 俺は露骨に呆れた顔を作る。

「あれ本気だったのかよ……報酬なんてあるわけないだろ。俺たちが勝手にやっただけなんだから」
「そんなことはわかっている」
「じゃあ言うなよ」
「今月はもう金を使い果たしてしまってな。少し貸してくれ」
「お前、それうちの『最強の杖』を買ったからだろ」
「ああ。名前は少々頭が悪そうだが、見た目は最高にかっこよかったからな」
「親父は名前をつける感性が無さ過ぎるんだよ」

 いつも通りに親に対する不満をぶちまけていると、背後から声をかけられた。

「やっぱりここにいた」
「ルナ」

 こちらを心配そうに見つめる瞳は全てを吸い込んでしまいそうな、不思議な輝きを放っている。亜麻色の髪が背中までさらりと流れ、それに付けたように、左右両側にわずかに髪をくくって垂らしていた。
 振り返ると幼馴染のルナがいた。白のシャツにブラウンのスカートという、実家の宿屋の制服を着ているから、わざわざ休憩中に来たんだろうか。
 俺はバナナの皮窃盗犯たちを親指で示しながら言った。

「見ろよあれ」
「知ってる。だから来たんじゃない」
「何だよ、またいつものお説教か?」
「そうだよ。もう、危ないことはしないでって言ってるじゃない」

 泣きそうな表情で言われ、思わず視線を逸らして頬を指でかく。
 他の奴なら「お前には関係ないだろ」とか言って突っ返すんだけど、こいつ相手にはどうにもそういうことはしづらい。本気で俺たちのことを心配してくれているのはわかるし、こんな顔をさせてしまっているのも気分が良くないからだ。
 その時、横からクリスが口を挟んで来た。

「俺は止めたんだがな……本当にしょうがないやつだ」
「お前、下手したら俺よりノリ気だっただろうが」

 なんてやり取りをしてみてもルナの表情には変化がない。どうにか安心させようと言葉を紡いでいく。

「別に怪我とかしてないし、結果的には捕まえたんだし……そうだ、お前の『アドバイス』、今回も役に立ったぜ。ありがとな」

 するとルナは眉根を寄せて語気を荒げた。

「『アドバイス』なんてしてないっ」
「いや、いつもお前がここにいくと危ない、とかあの人には気を付けた方がいいとかいうの、逆に事件解決の糸口になるじゃん。今回もそれだったんだよ」

 ルナは妙に勘の鋭いところがある。今も言った通り、こいつが危険だの気を付けた方がいいだの言った場所やものには、直接的ではないにしろ、高い確率で事件解決のきっかけになるものが潜んでいた。
 今回も最初はひたすらバナナの置いてある場所に夜中張り込んでいたりするだけだったけど、この広い街でそんなやり方をして捕まえられるわけがない。そこで、ルナの「アドバイス」を逆手に取って事件を追っていくと、徐々にあの犯人たちの顔が見えてきたというわけだ。
 犯人が街に馴染みのある人物だったこともあり、そこからは一瞬。行動パターンや範囲を予測して、ようやく昨日の夜に現場を差し押さえることが出来た。

「そんなつもりで言ってるんじゃないのに……でも、二人に怪我とかないなら良かった」

 ほっと安堵の息をつくルナに、クリスが眼を光らせながら口を開く。

「二人に、ではなくアルフに、ではないのか?」
「っ!」
「おい」

 俺がアホなクリスを制そうとするのよりも早く、ルナは顔を真っ赤にして抗議をし始めた。

「なんでそうなるの!? もう知らない! 二人とも死んじゃえ!」

 踵を返してずんずんと歩き去っていくルナ。俺はその背中を見送ってからクリスを睨みつけた。

「なんであいつを怒らせるようなこと言うんだよ。あとで面倒くさいのは俺なんだぞ?」
「俺は事実を指摘したまでだが?」

 なおもからかおうとする態度に苛立ちを覚え、俺は愛剣と一緒に腰に帯びている木製の剣に手をかける。

「やんのかコラ」
「ふっ、たまにはお前と手合わせをするというのも悪くないな」

 この後、俺とクリスの勝負によって中央広場は更に沸き立つことになった。

 ☆ ☆ ☆

 中央広場から自宅の宿屋兼酒場へと戻って来たルナは、扉から中に入って早々にカウンターへと歩み寄っていく。昼のピークを過ぎて混雑する時間帯でもない現在は客の姿はまばらといったところだ。
 年季を感じさせる古びた木造りの内装に、酒と葉巻と、香草焼きの香り。この大人しい少女にはおおよそ似つかわしくない風景も、生まれついてこの方、すっかり馴染みのものになってしまっている。
 ルナはカウンターにいる、白髪交じりの女性に声をかけた。

「ただいま、お母さん」
「おかえり。アルフ君には会えたの?」
「会えたけど……もう知らない」
「あら」

 仏頂面なままカウンター席に座ったルナを、母は穏やかな微笑と共に見守っている。やがてその視線に後押しされたかのように少女は語り出した。

「ただ危ないことをして欲しくないだけなのに、全然わかってくれないの」
「あの年頃の男の子なんてのはそういうものよ。それにほら、アルフ君には夢があるじゃない?」
「勇者様に憧れるのはしょうがないのかもしれないけど、だからって……」
「あの方が魔王を倒してくださったからこそ、憧れていられるのよ。救いを求めるのではなくてね。平和でいいことじゃない、あの子ももう少し歳を取れば色々とわかるようになるわ」
「…………」

 返事はない。表情にうれいの色をにじませる愛娘に、母はなおも優し気に語りかけていく。

「ほら、お散歩でも行ってきなさい。今日は他の従業員もいるし、まだ忙しくなるまでは時間があるから」
「うん、そうする。ありがとう」

 少し表情の明るくなったルナを、母は柔和な笑みと共に見送っていた。



 店の裏にある倉庫から持って来たローブをフードまで完全に被ったルナは、人目を気にしながら慎重に街を出ていく。そして現在は、ハルバートの郊外にある森の中を歩いていた。
 森の中でも未だ慎重に周囲を確認しながら進んでいく。まるで何か人に見られたくない事情でもあるかのようだ。
 そしてようやく少女が足を止めるとその眼前には小さな泉があり、その周囲をいくつかの不思議な光が漂っている。フードを取り笑顔になったルナは、光たちに向けて挨拶をした。

「こんにちは、精霊さん」

 すると「精霊さん」と呼ばれた光たちは、まるで生きているかのようにルナの周囲に集まり始める。
 ルナはゆっくりとその場に座ると、それらを眺めながら口を開いた。

「この前はありがとう。みんながくれた情報のおかげで、またアルフが事件を解決出来たみたい」

 光たちはぼんやりと明滅しながらふわふわとルナの周囲を舞っていたが、彼女の表情に陰りが見え始めると、感情を察したかのようにぴたりと止まった。人間ならば「どうしたの?」といったところだろうか。

「私、バカみたい。いつも危険な目に遭わないようにってみんながくれた情報を伝えてるのに、結果的にアルフはそれで余計に事件に首を突っ込んじゃってる。もう何も言わない方がいいのかな……」

 今度は慌てたように、忙しなく動く光たち。ルナを慰めようとしているのかもしれない。

「でも、街の人たちが困ってることを解決するのはいいことだし、どっちにしろアルフは首を突っ込もうとするもんね」

 ゆっくりと宙で上下する「精霊さん」たちを見て、ルナはまた笑顔を見せた。

「精霊さんもそう思う? ふふっ、そっか」

 するとルナは目を伏せ、穏やかな表情でつぶやく。

「きっといつかは、アルフもわかってくれるよね」

 不思議な光たちだけでなく、鬱蒼と生い茂った樹々も、そこに住まう生命たちですらも彼女を見守っているかのように、泉は静寂に包まれていた。
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