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フィオナも目を見開く。まさかこんな偶然があるというのだろうか。二人の様子にアルテリアが不思議そうに首を傾げる。アルテリアの記憶では二人が会ったことはないはずだった。しかしこの様子を見るに、顔見知りのようだ。
「知り合いかい?」
「いや、知り合いというか、その……」
「……図書館で、少しお顔を合わせただけよ」
嫌な沈黙が流れた。テオドールもフィオナも気まずそうな顔をしている。中々見ない二人の表情にアルテリアは興味深げに二人を交互に見た。フィオナだけでなくテオドールもまた、夜会に顔を出さない。理由はその端正な顔立ちと筆頭公爵家という家柄のせいだ。未だ未婚で婚約者も居ないということから、その正妻におさまろうとする貴族令嬢は後を絶たない。
それからしばらく誰も言葉を発さなかった。そろそろ助け舟を出そうかとアルテリアが口を開きかけた時だった。ぱちり、とフィオナが瞬きをひとつした。
「そちら、『リジエット』の希少本ではないですか?」
「え? あ、ああ、祖父の書斎で見つけて……」
「凄い! おじい様ということは前ラングレー公爵様ですわね! 『リジエット』の希少本は王立図書館にもないんです、初めて見ました……」
感動したようにきらきらと瞳を輝かせるフィオナに、今度はテオドールがぱちりと瞬きをする番だった。『リジエット』とは古典の詩集だった。後世に残っているものは原本から書き起こされた複製がほとんどで、その原本自体は確認されているだけで三冊しか見つかっていない。テーブルに置かれた本の表紙を見ただけでその原本だと気付いたフィオナに、テオドールは驚いていた。
図書館で会ったとき、すぐにテオドールの求めている本を言い当てたことにも驚いていたけれど、フィオナは間違いなくそこら辺の貴族令息よりも本に対する知識がある。つまり、賢いということだろう。
「我が家にも『リジエット』はありますが、当然複製版です。 すごい、本物だわ……」
ほう、と息を吐き、本を見つめるその瞳にはテオドールは映っていなかった。ほとんど出ない夜会でもテオドールが現れるだけでどんな令嬢、夫人だってテオドールに熱い視線を送っていた。その反応がひどく新鮮に見えて、フィオナをじっと見つめる。
本にくぎ付けになってはいるけれど、「触らせろ」だとか「読ませてほしい」だとかそういうことは言ってこない。テオドールにとって女性とは厚かましくわがままなものだった。
「……! 申し訳ありません、わたくしはこれで失礼いたします」
はっとしたようにフィオナが顔をあげた。貴族令嬢としてはしたないと思ったのか、少しだけ頬を赤らめて慌てたように頭を下げる。図書館で見たようなきっちりとした礼だった。応接室を出る前に、フィオナはアルテリアを振り返り「失礼のないようにね」と言い残して去っていった。
ぱたん、とドアが閉まり、小さな足音はすぐに聞こえなくなった。テーブルに置かれたグラスを取り、アルテリアが「あれが姉さん」とだけ告げた。
「……アルテリア」
「何だい?」
「お前の姉は浪費家か?」
「はあ? 違うよ」
「ではガサツなのか?」
「まさか、見ただろう」
「口さがない噂話が好きなのか、それとも入れ込んでいる俳優がいるとか」
「それも違うな、どうしたんだテオ」
フィオナが出ていったドアを見ながら、テオドールはアルテリアに問いかけた。そのどれもフィオナの印象や性格を問うものだったけれど、当てはまらない。何故そんな質問をするのかとテーブルにグラスを置いて、訝し気に眉を顰めた。何か姉の態度に気に入らないところでもあったのかと思ったが、くるりと振り向いたテオドールの表情を見るに、どうやら違うらしかった。
「ならば何故彼女は結婚していないんだ」
「……はあ?」
「彼女は聡明に見えるし、実に頭がいい。 礼儀正しいし出しゃばらず、見目だってお前の姉と言うこともあり悪くない、結婚をしていない理由が分からない」
まくし立てるように並べられた言葉はどれもフィオナを褒める言葉だったけれど、テオドールはそれに気づいているのだろうか。まさか友人がそんなことを言い出すなんて思ってもおらず、アルテリアは、これはもしやと身を乗り出した。
「君が女性を褒めるなんて珍しいな」
「褒める? ……事実を述べただけだ」
「僕の姉をそこまで評価してくれて嬉しいよ。 でもこればっかりはね、仕方ないんだ。 うちは両親の方針で恋愛結婚が勧められていてね、……運命の相手なんて、そう簡単には見つからないものなんだ」
カラン、とグラスの氷が音を立てて崩れた。いつもは飄々として軽薄に見えるアルテリアのその言葉と表情は、まるで見たことがないものだった。そもそもテオドールは、アルテリアに姉が居ることは知っていたけれどそれがどんな人物かは全く知らなかった。アルテリアと知り合ってもうしばらく経ち、互いの家を行き来する仲であるというのに、まったく。
結婚をしていないことを知ったのだって、図書館でテオドールがフィオナを間違えて「ミセス」と呼び、訂正されたからだ。
「お前はいつも運命だ何だと言ってるじゃないか」
「それはそうさ、僕にとって女性との出会いはすべて運命だからね」
軽薄でありながらも義理堅く、不誠実なことはしない。頭もよく気が利き、華やかな見た目から社交界の令嬢からの人気も高い。それでいて交友関係が広く、学園の頃から男性の友人も多かった。そんな彼だからこそ、正反対のテオドールとも仲が良かった。言葉の足りないテオドールを慮り、それを怒りもせずに冗談に変えられる。アルテリアは社交界をいつも明るくしていた。そんな彼の姉が、所謂「行き遅れ」の年齢になるまで結婚をしていないのは不思議に思えた。
フィオナが出ていったドアをもう一度見つめながら、テオドールは希少本を見つめるきらきらと光るその瞳を思い出していた。何故こんなにも彼女が気になるのか、テオドールにはそれがわからなかった。
「知り合いかい?」
「いや、知り合いというか、その……」
「……図書館で、少しお顔を合わせただけよ」
嫌な沈黙が流れた。テオドールもフィオナも気まずそうな顔をしている。中々見ない二人の表情にアルテリアは興味深げに二人を交互に見た。フィオナだけでなくテオドールもまた、夜会に顔を出さない。理由はその端正な顔立ちと筆頭公爵家という家柄のせいだ。未だ未婚で婚約者も居ないということから、その正妻におさまろうとする貴族令嬢は後を絶たない。
それからしばらく誰も言葉を発さなかった。そろそろ助け舟を出そうかとアルテリアが口を開きかけた時だった。ぱちり、とフィオナが瞬きをひとつした。
「そちら、『リジエット』の希少本ではないですか?」
「え? あ、ああ、祖父の書斎で見つけて……」
「凄い! おじい様ということは前ラングレー公爵様ですわね! 『リジエット』の希少本は王立図書館にもないんです、初めて見ました……」
感動したようにきらきらと瞳を輝かせるフィオナに、今度はテオドールがぱちりと瞬きをする番だった。『リジエット』とは古典の詩集だった。後世に残っているものは原本から書き起こされた複製がほとんどで、その原本自体は確認されているだけで三冊しか見つかっていない。テーブルに置かれた本の表紙を見ただけでその原本だと気付いたフィオナに、テオドールは驚いていた。
図書館で会ったとき、すぐにテオドールの求めている本を言い当てたことにも驚いていたけれど、フィオナは間違いなくそこら辺の貴族令息よりも本に対する知識がある。つまり、賢いということだろう。
「我が家にも『リジエット』はありますが、当然複製版です。 すごい、本物だわ……」
ほう、と息を吐き、本を見つめるその瞳にはテオドールは映っていなかった。ほとんど出ない夜会でもテオドールが現れるだけでどんな令嬢、夫人だってテオドールに熱い視線を送っていた。その反応がひどく新鮮に見えて、フィオナをじっと見つめる。
本にくぎ付けになってはいるけれど、「触らせろ」だとか「読ませてほしい」だとかそういうことは言ってこない。テオドールにとって女性とは厚かましくわがままなものだった。
「……! 申し訳ありません、わたくしはこれで失礼いたします」
はっとしたようにフィオナが顔をあげた。貴族令嬢としてはしたないと思ったのか、少しだけ頬を赤らめて慌てたように頭を下げる。図書館で見たようなきっちりとした礼だった。応接室を出る前に、フィオナはアルテリアを振り返り「失礼のないようにね」と言い残して去っていった。
ぱたん、とドアが閉まり、小さな足音はすぐに聞こえなくなった。テーブルに置かれたグラスを取り、アルテリアが「あれが姉さん」とだけ告げた。
「……アルテリア」
「何だい?」
「お前の姉は浪費家か?」
「はあ? 違うよ」
「ではガサツなのか?」
「まさか、見ただろう」
「口さがない噂話が好きなのか、それとも入れ込んでいる俳優がいるとか」
「それも違うな、どうしたんだテオ」
フィオナが出ていったドアを見ながら、テオドールはアルテリアに問いかけた。そのどれもフィオナの印象や性格を問うものだったけれど、当てはまらない。何故そんな質問をするのかとテーブルにグラスを置いて、訝し気に眉を顰めた。何か姉の態度に気に入らないところでもあったのかと思ったが、くるりと振り向いたテオドールの表情を見るに、どうやら違うらしかった。
「ならば何故彼女は結婚していないんだ」
「……はあ?」
「彼女は聡明に見えるし、実に頭がいい。 礼儀正しいし出しゃばらず、見目だってお前の姉と言うこともあり悪くない、結婚をしていない理由が分からない」
まくし立てるように並べられた言葉はどれもフィオナを褒める言葉だったけれど、テオドールはそれに気づいているのだろうか。まさか友人がそんなことを言い出すなんて思ってもおらず、アルテリアは、これはもしやと身を乗り出した。
「君が女性を褒めるなんて珍しいな」
「褒める? ……事実を述べただけだ」
「僕の姉をそこまで評価してくれて嬉しいよ。 でもこればっかりはね、仕方ないんだ。 うちは両親の方針で恋愛結婚が勧められていてね、……運命の相手なんて、そう簡単には見つからないものなんだ」
カラン、とグラスの氷が音を立てて崩れた。いつもは飄々として軽薄に見えるアルテリアのその言葉と表情は、まるで見たことがないものだった。そもそもテオドールは、アルテリアに姉が居ることは知っていたけれどそれがどんな人物かは全く知らなかった。アルテリアと知り合ってもうしばらく経ち、互いの家を行き来する仲であるというのに、まったく。
結婚をしていないことを知ったのだって、図書館でテオドールがフィオナを間違えて「ミセス」と呼び、訂正されたからだ。
「お前はいつも運命だ何だと言ってるじゃないか」
「それはそうさ、僕にとって女性との出会いはすべて運命だからね」
軽薄でありながらも義理堅く、不誠実なことはしない。頭もよく気が利き、華やかな見た目から社交界の令嬢からの人気も高い。それでいて交友関係が広く、学園の頃から男性の友人も多かった。そんな彼だからこそ、正反対のテオドールとも仲が良かった。言葉の足りないテオドールを慮り、それを怒りもせずに冗談に変えられる。アルテリアは社交界をいつも明るくしていた。そんな彼の姉が、所謂「行き遅れ」の年齢になるまで結婚をしていないのは不思議に思えた。
フィオナが出ていったドアをもう一度見つめながら、テオドールは希少本を見つめるきらきらと光るその瞳を思い出していた。何故こんなにも彼女が気になるのか、テオドールにはそれがわからなかった。
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