求婚してくれたのは、最愛の人の弟でした~兄の執着、弟の純情~

かべうち右近

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6.ジェレミオの純情

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 もう十年以上前のことだろうか。ジェレミオがその少女を見つけたのは、あるお茶会の日のことだった。 

 カタラーニ夫人は頻繁にお茶会を開く。そのたびに招かれた家門の夫人たちは、年近い子供達を連れてきて、屋敷が騒がしくなった。ジェレミオにはそれが煩わしくて仕方がない。兄は聡明だが、他の子供達はうるさくて敵わないのだ。もっとも、あんまりにもジェレミオが言葉が少なく無表情だから、他の子どもたちは近頃あまり話しかけてこなかった。たまに話しても、すぐに「怒ってるの?」と聞かれるのが鬱陶しい。だからその日のお茶会も、遊ぼうと声をかけられる前に、庭園の奥のほうに入りこんで隠れていたのだ。そうして庭園の奥で本を読むのにも飽きてそろそろ屋敷に戻ろうとしたとき、彼女を見つけた。 

 ふわふわの栗毛が、うずくまっている。日陰に入ればいいのに、日差しを浴びて一部金色に透けた髪が綺麗で、まず驚いた。しかもよくよくみれば、それは女の子だ。加えて、どうやら小刻みに震えながら泣いているらしい。 

 きっといつもだったら放っておいた。なのに、そのふわふわの栗毛が気になって落ち着かなかった。もしかしたら群れている子供たちとは違って、小動物のように震えて一人でいる彼女がほおっておけなかったのかもしれない。なぜだか、いつの間にか話しかけていたのだ。 

「どうしたの? だいじょうぶ?」 

 この優しい声かけもいつものジェレミオらしくない。けれど、震えている彼女があんまりにも可哀想で、そんな言葉を選んでいた。 

「……っ」 

 弾かれたように顔をあげた女の子は、大きな緑の瞳いっぱいに涙をためて、潤んだ瞳でジェレミオを見つめてきた。きゅっと唇を引き結んで、困ったように眉尻を下げた彼女は、頬を涙で濡らしている。その顔に目を奪われた。 

 ジェレミオはきっとこの瞬間、恋に落ちたのだろう。 

 だから柄にもなく、辛抱強く頭を撫で続けた。喋るのが得意ではないから、うまい慰めの言葉をかけることができなかった。それでも彼女が泣き止むまでただただ隣に寄り添って付き合ったのは、可愛い彼女のことがもう好きだったからに違いない。 

 ジェレミオはまだわずか七歳だ。可愛い女の子に一目惚れしても仕方なかろう。

 彼女の名前は、アンナ・チェッリというらしい。後からそれを親に聞いて、ジェレミオはその名前を心の中でくりかえしなぞり、どきどきするのを感じた。 

 でもどうやらその可愛い女の子は、兄のロメオのほうが好きだったらしい。親の付き合いでたびたび遊ぶようになったが、彼女がうっとりと見つめるその視線の先には、いつもロメオがいた。遊ぶときはいつも三人一緒だったが、自分のほうに彼女の綺麗な瞳が向かないのがいやだった。だから、ある日三人で肩を並べて本を読んでいるときに、ジェレミオはこう言ってみたのだ。 

「……俺、ちょっと外で遊んでくる」 

 部屋の中で本を読んでいるほうが好きだった。けれど、ロメオを見つめるアンナを見ているのが辛かったのもあるし、単純に他のことをたまにはしようかと思ったのもある。けれど。 

「そうなの……?」 

 残念そうな顔をしたアンナの目線に、ほんの少しだけ、喜びの色が混ざっている。それはきっと、好きな男の子とふたりきりになれることと、友達がどこかへ行ってしまうことへの寂しさ両方がないまぜになった顔なのだろう。 

「ちょっとだけ」 

 そう言って、ジェレミオはアンナたちの傍を離れる。

(やっぱりアンナは、俺がいないほうがいいんだ)

 沈んだ気持ちで部屋を離れ、鬱憤を晴らすように一人でボール遊びをした。けれど、アンナが帰るときには見送りたい。そう思って部屋に戻ったジェレミオを迎えたのは、アンナだった。

「おかえり!」

 きらきらと輝く緑の瞳が、まっすぐにジェレミオに向いている。花が咲いたような明るい笑顔でアンナは迎えてくれた。

(こうするとアンナは、笑ってくれるんだ) 

 自分に向けた笑顔見たさに、ジェレミオはそれからもたびたびアンナとロメオをふたりきりにして席を外すようになった。元々誰かと遊ぶのは得意じゃないから、問題なかったのかもしれない。アンナたちと過ごす時間だけは好きだったけれど。 

 そうして時を過ごすうちに、いつものように外へ行こうとしたら、アンナがついてきたことがある。 

「……ねえ、ジェレミオはどうしていつも、外に行っちゃうの……? ジェレミオも、本が好きでしょう? もしかして、私の……ために?」 

 ジェレミオは首を振って、無表情のまま「そんなことはない」と言う。もちろん、アンナのためだ。けれどそれ以上に喜んでいるアンナを見るのが好きだというジェレミオのわがままなのだ。自分がそばにいない間に、ロメオと仲良くしていると思うと焦れる。それでも戻ってきた時に『おかえり』と言ってくれる彼女の笑顔が好きだった。だからこれは自分のためにしていることだ。 

「でも、もっと一緒に遊びたいんじゃ……」 

「アンナは、兄さんと二人でいるのはいやなのか?」 

「違うわ! でも……」 

 言下に叫んだアンナは、続けざまに言い募ろうとして、その先に詰まる。じわじわと涙を溜めて緑の瞳を潤ませた。そんな彼女の頭を柔らかく撫でる。 

「アンナがいいなら、それでいい」 

 静かに言えば、アンナはまだ困ったような顔をしつつも眉尻を下げてほんのりと笑った。 

「ジェレミオは優しいのに、損をしてると思う」 

「優しい……」 

 そんな言葉は兄のロメオに対して使われる賛辞だ。胸がきゅうっと詰まるのを感じる。けれどもその想いを口にできるほどジェレミオは器用ではなかった。 

「……そんなことはない。それより、戻らなくていいのか?」 

「うん。今日は一緒に遊ぶでしょう?」 

 突き放したとも思えるセリフに、アンナは朗らかに答え、その日は二人で楽しく過ごしたのだった。 

 ジェレミオが注ぐ優しさを、アンナは誤解することなく受け止めてくれる。ジェレミオがどんなに黙っていても、無表情でも、眉間に皺を寄せていても、アンナは「怒っているの?」だなんて聞いてこないのだ。顔をこわばらせていれば、何か困っているのだろうと心配して「大丈夫?」とまで聞いてくれる。ジェレミオに言わせればアンナこそが優しい少女だった。そんな彼女に恋情をさらに募らせるには充分な理由だったろう。 

 アンナにはいつでも笑っていてほしいと願ったし、辛い時には笑顔にしてやりたいと思った。 

 だから、彼女が習いごとで追い詰められているときには、家から抜け出して花を届け、ときにはささやかではあったがアクセサリーの贈り物もした。チェッリ家とカタラーニ家は近いとは言っても、短時間ではあるものの馬で移動する距離だ。だから厩にこっそり入って馬を駆り、アンナにプレゼントを届けに行っていた。

 とはいえ、夜中に家を長く出ることはできないから、いつも届けるだけでトンボ帰りをしてアンナには会えなかったのだが。それに面と向かって渡すのは照れるからどうしてもできなかったものの、アンナにはジェレミオの気持ちはしっかり伝わっているだろうと思っていた。メモ書きの手紙には返事が返ってくることもあったし、何より贈ったペンダントは毎日身につけてくれているのだ。花のチャームのペンダントは後から考えれば子供っぽいデザインだった。それでもアンナは大事にしてくれたのだから、ジェレミオは嬉しかった。 

 窓際でのやり取りのことは彼女も照れくさいからなのだろう、決してあのやりとりのことをジェレミオに話すことはなかったが、心は通じ合っているものだと思っていた。 

 だからこそ、少しは彼女の気持ちをロメオから自分に向けられただろう。ジェレミオは一年ほど前までは確かにそう感じていた。けれどそれは思い上がりに過ぎなかったのだということを、思い知らされた。 


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