転生脇役令嬢は原作に抗えない

かべうち右近

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転生脇役令嬢は原作にあらがえない

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 結局原作に抗うなんて、無理だったんだわ。

 わたくしがそう思わざるを得ないのは、今直面している現実のせい。

 季節外れの花が満開に咲いた木の下で、わたくしの執事であるクレイヴは微笑んだ。この花を咲かせたのはクレイヴだった。彼は子爵家の三男だけれど、家督を継げないために伯爵家であるわたくしの執事として幼いころから仕えさせられていた。でも、彼の兄たちは二人とも魔力に恵まれず、クレイヴにはその魔力があった。つまり、爵位軽症のお鉢がクレイヴにまわってきたの。

 今咲かせた花は、その魔力の証明であり、彼を迎えに来た男たちは満足そうにしている。

 花を手折ったクレイヴはわたくしにその花を差し出しながら、お辞儀をした。

「申し訳ございませんが、ポーラお嬢様。私はあなたの執事を辞めさせて頂きます」

「ずっと一緒にいるって、言ったじゃない……」

 わたくしの言葉に、クレイヴは首を振る。

「仕方のないことです」

「……そう」

 それは原作通りの台詞だった。彼がここを去るのは、原作通り。だから、仕方がないんだわ。
 わたくしはそうやって、わたくしが一番愛した人を見送ったのだ。


***


 この世界が、前世で読んだ小説の世界だと気づいたのは、わたくしが五歳の時。ちょうど、クレイヴが初めてわたくしの侍従になるために挨拶に来た時のことだった。

 産まれた頃からぼんやりと、違う世界で生きてきた記憶があったわたくしは、前世から言えば異世界とも言えるこの世界を楽しんでいたわ。小さな子どもの身体には前世の記憶は膨大過ぎたのでしょうね、記憶は少しずつ蘇る感じで、忘れた所も多く、十七歳になった今でも前世の全てを思い出したわけではないの。

 クレイヴと初めて会った日は、今でも忘れられない。

 わたくしが庭で乳母のパティと花を見ている時に、彼は連れてこられたの。前日が土砂降りだったにも関わらず、その日はよく晴れていて、暖かい日差しがまだ濡れている花壇の花をきらきらと輝かせていた。家令に声をかけられて振り返ると、少し暗い顔をした少年が立っていたわ。

 はちみつ色の髪が日差しを受けて透けていて綺麗で、まずそこに目を奪われた。わたくしと目を合わせようとしない伏し目がちの目にも同じはちみつ色のまつげがあって、まつげに隠れて瞳の色がよく見えなかったけれど、不安そうに揺れているのは判ったわ。今考えれば無理もないことよね。それまで住み慣れた家を離れて、いきなり使用人として暮らせだなんて、同じ立場だったらきっとわたくしも不安になったわ。クレイヴはわたくしの二歳上だから、この時のクレイヴは七歳だったの。

「誰?」

 わたくしが当然の疑問を投げかけると、彼はわたくしに目を合わせないまま、お辞儀をした。

「クレイヴです。今日から、ポーラお嬢様の執事見習いとして、こちらでお世話になります」

「そうなの?」

 クレイヴを連れてきた家令に目を向けると、家令は頷いた。

「ずっとお嬢様のお傍に仕えさせます」

「まあ! ならずっと、ずっと一緒なのね。嬉しいわ! 仲良くしてくれるかしら。よろしくね、クレイヴ!」

 その時のわたくしは純粋に嬉しくてそう言ったの。だって、その時のわたくしにはきょうだいもお友達もいなくて、周りは大人ばかりで、気の許せる近しい人がいなかったから。年がほとんど変わらないクレイヴが一緒に居てくれると聞いて、とても嬉しかったのよ。

 わたくしの言葉を聞いた彼はぴくりと震えてから、ゆっくりとこちらに目を向けた。伏し目がちだった目がしっかりと開いて、わたくしの目を見たのよ。その目は、ブルーサファイアよりも澄んだ青色で、きらきらの宝石みたいだったの。

 あんまりにも綺麗で、わたくし頬が熱くなってしまったわ。

 でも同時に、わたくしの脳裏には、とあるシーンがフラッシュバックしたの。それは、文字でしか追ったことのなかった台詞と全く同じだった。

「……精一杯、務めさせていただきますお嬢様」

 もう一度お辞儀をして、顔をあげたクレイヴは微笑んでいた。はちみつ色の髪にブルーサファイアのように澄んだ青の瞳。そして、『ポーラお嬢様の執事』。

 それらは、わたくしが前世で読んだ小説の脇役たちだった。わたくしは、小説の脇役に転生していたのだわ。


***


 わたくしが転生したのは、小説『堕ちゆく花たち』の世界。よくある逆ハーレムの小説で、主人公であるヒロインの少女をめぐって、次々と男性キャラが現れてはアプローチをしていくというお話だった。

 わたくしはその中でも脇役中の脇役で、メインヒーローに対抗する当て馬キャラの元主人という設定。そう、クレイヴはヒロインに恋する当て馬だったの。

 わたくしが登場するのは、クレイヴの過去回想のシーンでほんの少しだけ。昔、わがままなお嬢様に一生仕えろと言われてコキを使われていたことがあったというくだり。

 小説の中でも、クレイヴはわたくしの家に執事として入り、わたくしにそばにいて、一生わたくしに仕えてくれると約束していたわ。けれど、子爵家の跡取りになれるという話で、彼は「仕方ないんです」と言って『ポーラお嬢様』の元を去り、その後に出会ったヒロインを慕うようになるのよ。

 別にそれだけなら、問題なかった。クレイヴは当て馬になっても、きっとまた新しい恋はできるし、いつか幸せになれる。でも、原作どおりの展開はどうしても避けなければならなかったの。

 ここが『堕ちゆく花たち』の世界だと気付いたから、わたくしとクレイヴは、主従と言うよりも親しい友人のように暮らしたわ。もちろん、執事見習いとして屋敷に来ているのだから、人前ではきっちり主従の態度だったけれど、クレイヴとふたりきりの時は、わたくしがお願いして普通に接してもらっていたの。だってそれなら『わがままなお嬢様に振り回される可哀想な執事のクレイヴ』は存在しないでしょう?

 最初は、単純に原作の展開を避けるためだけの行動だった。だって、彼は原作通りなら悲惨な最期を迎えてしまうから。わたくしが辛い目に遭うわけじゃなくても、黙って見過ごすなんてできなかったもの。だから、原作通りにならないように、クレイヴがヒロインと出会うことがないようにと思って、接していたの。でもいつしか、彼がわたくしにとって、一番大切な人になってしまった。

「だいすきよ、クレイヴ」

 わたくしがそう言うと、決まってクレイヴは「私もお慕いしております」と答えてくれていたけれど、いつも彼は困ったような顔をしていた。そうして年月が過ぎて、わたくしの親愛の言葉が、恋心からくる台詞だとわたくし自身が気づいた後は、わたくしは彼に「大好き」と告げるのはやめてしまった。だって、どんなに好きでも彼は爵位を持たない執事で、わたくしは伯爵令嬢。言えば辛くなるだけだもの。永遠に結ばれることはないわ。それでも、彼はわたくしの傍にいてくれるからそれで良かったの。

 クレイヴの魔力が目覚めたのは、わたくしが十二歳の時だった。部屋に飾っていた花が枯れた時、わたくしが惜しんでいたらクレイヴが花瓶を手に取ったのよ。その瞬間に、花が蘇ったの。

「クレイヴ……その力……」

「驚きました、私には魔力があったのですね」

 そう言う割りには落ち着いた風なそぶりで、「また咲いてよかったですね」と花瓶をクレイヴは元の位置に戻してくれた。

 彼の魔力の目覚めは、小説の中にも描かれていた。その原作通りに進んでいる未来に、わたくしは胸が苦しくなった。原作通りなら、クレイヴはわたくしが十七歳の時に、わたくしの元を去ってしまうから。

 だからつい、こんなことを聞いてしまったの。

「クレイヴはわたくしとずっと一緒に居てくれるわよね? ずっと、離れないわよね?」

「魔力に目覚めたからそんな心配をしているんですか?」

 驚いたような顔のクレイヴはすぐに笑顔になる。

「私がお嬢様の傍を離れるわけないじゃないですか。一生、お傍に居ますよ」

 何を当たり前のことを、とクレイヴが言ったけれど、わたくしは逆に落ち着かなかった。その台詞も、原作小説の通りだったから。

 原作通りにならないように、一生懸命過ごしてきたはずだった。けれど、原作通りにクレイヴはわたくしの元を去ってしまった。きっと、この先も原作通りに動いていくんだわ。クレイヴは原作のヒロインに惹かれるのよ。『ポーラお嬢様』なんか忘れて……。

 わたくしの元を、クレイヴが去って、もう二年は経つ。わたくしは、ただ伯爵令嬢として生きていくしかない。

 脇役も脇役のしがない伯爵令嬢には、前世の記憶チートなんて出来ない。わたくしには魔力もなければ、特殊能力もない。前世の記憶で技術改革なんて狙おうと思っても、そもそもこの世界は魔法の力が便利だから、技術開発なんて必要がないもの。

 そうね、あえてわたくしがしたことをあげるとすれば、花の品種改良には手を出したわ。遺伝子というものを知らず、メンデルの法則をこの世の人たちは知らないから、狙った改良を行えるのは斬新だったみたい。でもそれもクレイヴみたいな能力の魔法の前では無力なのだわ。なんでも魔法でできるから、わたくしの知識なんてあまり意味がないのよね。

 魔法は、本当に便利。クレイヴは、わたくしのお部屋の花に、最後に魔法をかけて出ていったみたい。初めて魔力を花開かせたあの時の花は、今も枯れずにわたくしの部屋に飾られている。その脇には、クレイヴが最後に差し出した花も一緒に飾られている。いつまでも色褪せない薄紅の綺麗な花がいっそ憎らしいのに、彼の居た証はあの花しかなくて、わたくしは未練がましくその花を捨てられない。

 クレイヴのいない時間は過ぎていき、本当に、ただただ、平凡な令嬢が生きていくだけ。

 そして平凡な伯爵令嬢には、平凡な政略結婚が待ち受けているのよ。明日は、顔も知らない婚約者と結婚式を挙げるの。今日はやっとその顔合わせ。

 クレイヴのことをどんなに好きでも、身分社会のこの世界では、執事と令嬢が結ばれるなんて無理だった。それは判っていても、ずっと一緒にいたかった。例えこの先、貴族としての義務を果たすために見知らぬ誰かと結婚しようとも、傍にクレイヴさえいれば耐えられると思っていたのに。

「……クレイヴの、嘘つき」

 ずっと一緒にいるって言った彼は、もういない。


***


 わたくしに伯爵位の婚約者ができたと知ったのは、一カ月前のこと。

 お父様の執務室に呼び出されたわたくしは、婚約者とその後の婚礼の予定を知らされたの。クレイヴがわたくしの傍に来てすぐに、弟ができ、後継者の座は弟に移ったわ。だからわたくしは、どこかの家門に嫁いで、慣れ親しんだこの領地から出て行かなければならない。

 早ければ十五か十六で嫁ぐ令嬢も少なくはないから、十九にもなって婚約者すらいなかったわたくしの方が珍しいのだわ。

「気に入らないという顔だね、ポーラ」

 お父様は困ったようにそう言ったけれど、戸惑うなという方が無理な話よ。けれど、わたくしの答えは決まっているの。

「どなたと結婚しても同じですわ。お父様のお好きなようになさって」

「ポーラ、そんな言い方」

「事実ですもの……わたくしは、わたくしの義務を果たしますわ」

 にこりと笑って答えて、わたくしはそのままお父様のお部屋を辞したから、お相手が伯爵であるということ以外、婚約者様の名前すら知らないの。失礼な話だとは思うわ。けれど、突然婚約を申し込んで式の前日まで顔を見せない婚約者様だって相当だと思うの。義務は果たすし、そのうち……子どもも設けることになるでしょうね。けれど、あちらが礼儀をわきまえないのであれば、わたくしがお行儀よくする必要もないもの。

 明日が結婚式だというのに、今日が顔合わせだからと言って、メイドたちはわたくしの身なりをとても綺麗に整えてくれた。

 そんな必要ないのに。

 わたくしは今、庭に出されたテーブルセットに座って、婚約者様を待っているの。くしくもその場所は、クレイヴがわたくしに別れを告げた場所。あの時クレイヴが庭で咲かせた花はとっくに散ってしまったけれど、本来咲く季節に近づいたからか、しなだれた枝先には小さなつぼみがいくつもついている。前世のしだれ桜と同じこの花は、春先にほんの一瞬だけ咲いて、すぐに散ってしまう。

 そんな枝先を見ていられなくて、わたくしは俯いた。

 わたくしが失恋した場所で婚約者様と顔合わせさせるだなんて、酷い話だわ。こんな仕打ちを受けて、貴族令嬢の義務を果たすべきかしら? どうせわたくしはしがない伯爵令嬢ですもの、わたくし一人くらい、貴族の義務を果たさなくたって、許されるのではないかしら。クレイヴと一緒に居られないのなら、修道院で暮らすというのでもいいかもしれないわ。だってそうすれば、意に染まぬ方と結婚する必要もないでしょう?

「もう、逃げちゃおうかしら……」

「それは困りましたね」

 ぼやきを聞き咎めた声に、わたくしは驚いてしまった。

 はっとして顔をあげたわたくしの目の前に、薄紅色の花びらがふわりと舞う。さっきまでつぼみだったはずの枝先に、たくさんの花が開いて咲き誇っている。それに目を奪われたのは一瞬のことで、わたくしはしなだれた花の影から現れた人に言葉を失った。

「ポーラお嬢様」

 優美な笑顔を浮かべて、わたくしの前に現れたのは、クレイヴだった。

「うそ……どうして、あなたが……」

「私が、ポーラお嬢様の婚約者だからですね」

「でも、あなたは子爵令息、でしょう……?」

 わたくしの婚約者は、伯爵だったはずよ。

「そうでしたね。二年前までは。あなたに縁談を申し込むために、死に物狂いで功績をあげて、爵位をあげたんですよ」

「だって、クレイヴは、わたくしとの約束を破って、わたくしの元から去っていったじゃない。どうして今……」

 どうして、伯爵位の婚約者様との顔合わせの場に、彼が居るの。

「……そうですね。あの時は、ああするしかありませんでした。執事は、伯爵令嬢と添い遂げることはできませんから」

 添い遂げる、という言葉に、わたくしの胸が鳴った。

 一歩近づいたクレイヴは、私に手を差し出す。その手を取ってもいいものかどうか、わたくしは悩む。だって、こんな都合のいい夢みたいなことあるはずがない。これは、花が見せた夢なのかしら?

「これでずっと、あなたのそばに居られる。私をお嬢様のそばに置いてくださいますか?」

 ひざまずいたクレイヴが、わたくしを見上げる。溢れそうになった涙を、わたくしはこらえて彼に抱き着いた。

「今度こそ、そばを離れたら許さないんだから」

「はい、私のお嬢様」

 クレイヴの腕が、わたくしの背中に回されて抱きしめ返される。その腕の強さが、これが夢ではないとわたくしに告げる。

 これは、原作小説になかった展開で、そばで咲く花は夢のように美しいけれど、紛れもない現実。わたくしは原作通りにならなかった世界をクレイヴと歩き始めるのよ。
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