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身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
三話『夕食作り』
時東邸に来たその日から、花はさっそく家事を受け持たせてほしいと頼んだ。
家の事は義孝も手伝ってはいるが、基本的には千代がやっているのだという。その仕事をできるだけ早く引き継げれば、と花は考えた。
そうすれば、嫁として役に立つ事が出来るかも知れない。貴子や聡美に罵られたのと同じように、「役立たず」と言われずに済むかもしれない。
もう、実家には帰れない。
「来たばかりなのだから、お疲れでは」
「そうそう、疲れているでしょ」
千代も義孝も、気遣うように言ってくれる。だが、花は自らやらせてほしいと申し出たのだ。
お客様扱いされることは性に合わない、仕事をしている方が安心する・・・そういう風に、この十年は育てられてきた。
実家では働いてないと、すぐに貴子や聡美に叱られた。何より、時東家の嫁として、何かの役に立たねばという意識があったのだ。
自分に令嬢らしさはない。
家柄も、実家を頼れぬ身である以上、あってないようなものだ。華族の娘としての価値が、何一つ見当たらないのである。
ならば、他の部分で役に立たねば・・・そう考えて、真っ先に考えたのが家事だった。
(追い出されないように、頑張らなくては)
ここにしか、居場所はないのだ。花は家の間取りや、どこに何があるかを大まかに聞いた、あと、夕食を作る千代の手伝いから始めることにした。
「まあ、花さんは手際がいいですね」
台所で立つ花の様子を見て、千代が驚いたように言った。
「あ、ありがとうございます」
葉切り包丁を握っていた花は、まな板に載せたネギを刻みながら答える。
着物の上には、千代が貸してくれた割烹着を身に着けていた。
実家で叱られることばかりだった花に、褒められることに慣れていない。そのために釜戸の前でもないのにほんのりと、頬が紅くなる。
「お若いのに、きっとお母様のご教育がよかったんでしょう」
そう感心した千代の言葉に、思わず花は手を止める。あの継母が評価されている、すんなり想定出来なかったからだ。
しかし、花はすぐにまた手を動かした。たん、と大根を切り、否定しても仕方がないと気持ちを切り替える。
「よく・・・台所で、手伝いをしていたので」
花は何事もなかったように答える。嘘ではない、台所で鹿江の手伝いをしていたのは、本当である。
毎朝、毎晩、食事を作るために台所に立った。暑さに茹だる夏の日も、凍てつくような冬の日も、毎日欠かさず、そうしてきた。
それが、花の当たり前の日常だった。
「そうだったのですね、偉いです」
千代がしみじみと言った、心からの感心しているというように。その瞬間に、花の目が熱くなる。
じわりと、視界が涙で緩む。
(私、何で急に)
泣きそうになっている。それがなぜか、自分のことなのに理解出来ず、花は困惑していた。
慌てて包丁をまな板の上に置き、腕を目に押し当てて、零れそうになる涙を拭き取る。
「花さん、どうしたの?大丈夫」
「すみません、ちょっと刻んだネギが目に染みて」
「そう?それなら、いいのだけれど。無理はしないでくださいね」
「はい、すみません」
ぐす、と鼻をすすり、花は頭を下げる。謝罪を重ねる花に、千代は心配そうな眼差しを向ける。だが、しばらくすると、また笑顔に戻る。そして、穏やかに優しく、語り始める。
「花さん、そんなに謝ることはありませんよ。悪いことはしていないんだもの。ね?」
「は、はい。すみませ・・・」
言いかけて、花は言葉を飲み込む。謝罪がクセになっているのだと、その時に気付いた。
今言うべき言葉は、口にすべき言葉はそれではないと気づいたのだ。
「――――ありがとうございます」
「ええ、さて・・・じゃあ、我が家の味付けを教えますね」
そう話を切り替えて、千代は花に時東家の味付けを教えてくれた。
もし、母が生きていたならば、こんな時に迷わず想定出来た。千代のような、優しい人ならばと。
料理を始める前に、「同じでなくともいいのですよ」と言う千代に、花の方から頼んだのだ。
千代の教えてくれた味付けは、花の実家よりも少し濃い目で、ハッキリとしていた。
使っている食材も多く、何よりも野菜が何種類もふんだんに使われている。
「義孝さんの好きな食べ物や苦手な食べ物を教えていただけますか」
「そうね、義孝は・・・あの子は出した物は残さず食べるから。特には―――ただ、海では新鮮な野菜は食べられないから、野菜サラダは必ず作るようにはしていますね」
「野菜――――脚気の予防になりますよね」
「あら、花さんは脚気の予防にも、詳しいの?そういえば、お父様はお医者様だったわね」
千代は義孝がいる時は、毎朝買い出しに出かけるのだという。
「栄養について詳しいのですね。やはり、お父様の影響かしら?」
「私はあまり、詳しくはありません。ただ、父が元気な頃はよく話を聞いていました。その頃、海軍で脚気が流行っているという話も聞きました。まあ、今は海軍も、対策されているとか」
花は好奇心旺盛な子供で、その好奇心に浩一郎はいつも答えてくれていた。
医学、薬学の知識に長けているだけでなく、博識だった。花は論文や文献、新聞などを読む浩一郎をよく見かけたが、常に新しい知識を得ようとしていたのだろう。花の好奇心は浩一郎譲りだと、鹿江たちに言われた。
「お父様の知識を引き継いでいるのね、頼もしいわ」
先ほどまでより饒舌に話す花の様子に、千代は気づいたらしい。
父娘の仲の良さを微笑ましく思ったようで、穏やかに目を細めている。
「い、いえ。そんな・・・父が亡くなったのだって十年も前のことですし、お役に立てるほどの知識はないかと」
「三つ子の魂百まで、と言います。お父様が教えてくださった物の見方や考え方は、お父様が亡くなったあとも、きっとあなたを育ててきたはずですよ」
にこり、と千代が笑った。
その笑顔に、花は喉から出かかった言葉を飲み込む。謙遜も、しすぎれば卑屈になってしまう。
こう考えるのも、きっと父の影響だ。花は曖昧にうなずいて、不慣れながら千代の好意的な言葉を受け止めた。
また、褒められた。花は赤くなった。
家の事は義孝も手伝ってはいるが、基本的には千代がやっているのだという。その仕事をできるだけ早く引き継げれば、と花は考えた。
そうすれば、嫁として役に立つ事が出来るかも知れない。貴子や聡美に罵られたのと同じように、「役立たず」と言われずに済むかもしれない。
もう、実家には帰れない。
「来たばかりなのだから、お疲れでは」
「そうそう、疲れているでしょ」
千代も義孝も、気遣うように言ってくれる。だが、花は自らやらせてほしいと申し出たのだ。
お客様扱いされることは性に合わない、仕事をしている方が安心する・・・そういう風に、この十年は育てられてきた。
実家では働いてないと、すぐに貴子や聡美に叱られた。何より、時東家の嫁として、何かの役に立たねばという意識があったのだ。
自分に令嬢らしさはない。
家柄も、実家を頼れぬ身である以上、あってないようなものだ。華族の娘としての価値が、何一つ見当たらないのである。
ならば、他の部分で役に立たねば・・・そう考えて、真っ先に考えたのが家事だった。
(追い出されないように、頑張らなくては)
ここにしか、居場所はないのだ。花は家の間取りや、どこに何があるかを大まかに聞いた、あと、夕食を作る千代の手伝いから始めることにした。
「まあ、花さんは手際がいいですね」
台所で立つ花の様子を見て、千代が驚いたように言った。
「あ、ありがとうございます」
葉切り包丁を握っていた花は、まな板に載せたネギを刻みながら答える。
着物の上には、千代が貸してくれた割烹着を身に着けていた。
実家で叱られることばかりだった花に、褒められることに慣れていない。そのために釜戸の前でもないのにほんのりと、頬が紅くなる。
「お若いのに、きっとお母様のご教育がよかったんでしょう」
そう感心した千代の言葉に、思わず花は手を止める。あの継母が評価されている、すんなり想定出来なかったからだ。
しかし、花はすぐにまた手を動かした。たん、と大根を切り、否定しても仕方がないと気持ちを切り替える。
「よく・・・台所で、手伝いをしていたので」
花は何事もなかったように答える。嘘ではない、台所で鹿江の手伝いをしていたのは、本当である。
毎朝、毎晩、食事を作るために台所に立った。暑さに茹だる夏の日も、凍てつくような冬の日も、毎日欠かさず、そうしてきた。
それが、花の当たり前の日常だった。
「そうだったのですね、偉いです」
千代がしみじみと言った、心からの感心しているというように。その瞬間に、花の目が熱くなる。
じわりと、視界が涙で緩む。
(私、何で急に)
泣きそうになっている。それがなぜか、自分のことなのに理解出来ず、花は困惑していた。
慌てて包丁をまな板の上に置き、腕を目に押し当てて、零れそうになる涙を拭き取る。
「花さん、どうしたの?大丈夫」
「すみません、ちょっと刻んだネギが目に染みて」
「そう?それなら、いいのだけれど。無理はしないでくださいね」
「はい、すみません」
ぐす、と鼻をすすり、花は頭を下げる。謝罪を重ねる花に、千代は心配そうな眼差しを向ける。だが、しばらくすると、また笑顔に戻る。そして、穏やかに優しく、語り始める。
「花さん、そんなに謝ることはありませんよ。悪いことはしていないんだもの。ね?」
「は、はい。すみませ・・・」
言いかけて、花は言葉を飲み込む。謝罪がクセになっているのだと、その時に気付いた。
今言うべき言葉は、口にすべき言葉はそれではないと気づいたのだ。
「――――ありがとうございます」
「ええ、さて・・・じゃあ、我が家の味付けを教えますね」
そう話を切り替えて、千代は花に時東家の味付けを教えてくれた。
もし、母が生きていたならば、こんな時に迷わず想定出来た。千代のような、優しい人ならばと。
料理を始める前に、「同じでなくともいいのですよ」と言う千代に、花の方から頼んだのだ。
千代の教えてくれた味付けは、花の実家よりも少し濃い目で、ハッキリとしていた。
使っている食材も多く、何よりも野菜が何種類もふんだんに使われている。
「義孝さんの好きな食べ物や苦手な食べ物を教えていただけますか」
「そうね、義孝は・・・あの子は出した物は残さず食べるから。特には―――ただ、海では新鮮な野菜は食べられないから、野菜サラダは必ず作るようにはしていますね」
「野菜――――脚気の予防になりますよね」
「あら、花さんは脚気の予防にも、詳しいの?そういえば、お父様はお医者様だったわね」
千代は義孝がいる時は、毎朝買い出しに出かけるのだという。
「栄養について詳しいのですね。やはり、お父様の影響かしら?」
「私はあまり、詳しくはありません。ただ、父が元気な頃はよく話を聞いていました。その頃、海軍で脚気が流行っているという話も聞きました。まあ、今は海軍も、対策されているとか」
花は好奇心旺盛な子供で、その好奇心に浩一郎はいつも答えてくれていた。
医学、薬学の知識に長けているだけでなく、博識だった。花は論文や文献、新聞などを読む浩一郎をよく見かけたが、常に新しい知識を得ようとしていたのだろう。花の好奇心は浩一郎譲りだと、鹿江たちに言われた。
「お父様の知識を引き継いでいるのね、頼もしいわ」
先ほどまでより饒舌に話す花の様子に、千代は気づいたらしい。
父娘の仲の良さを微笑ましく思ったようで、穏やかに目を細めている。
「い、いえ。そんな・・・父が亡くなったのだって十年も前のことですし、お役に立てるほどの知識はないかと」
「三つ子の魂百まで、と言います。お父様が教えてくださった物の見方や考え方は、お父様が亡くなったあとも、きっとあなたを育ててきたはずですよ」
にこり、と千代が笑った。
その笑顔に、花は喉から出かかった言葉を飲み込む。謙遜も、しすぎれば卑屈になってしまう。
こう考えるのも、きっと父の影響だ。花は曖昧にうなずいて、不慣れながら千代の好意的な言葉を受け止めた。
また、褒められた。花は赤くなった。
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