19 / 116
身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
十七話『街歩き―百貨店―』
しおりを挟む
「お義母さん、まだ本調子ではないのですから、家事は私に任せてくださいね」
食器を片付ける手を止めて、花は千代に声をかける。
三日前から、花は千代を『お義母さん』と呼ぶようになった。
気を遣って『お義母様』と呼ぶ花に、千代が頼んだのだ。千代は今、千代の少し向こうに座る。放って置くとすぐに家事をやろうとする千代に、休養するように花が頼んだのだ。
今日は義孝が非番の日なのである、そこで一緒に出掛ける事になっていた。衣服など、花が実家から荷物を殆ど持って来なかった為、義孝が買いに行こうと言ってくれたのだ。
花の荷物が少ないことに、最初に気づいたのは千代だった。
同じ女性なのもあって、何が足りないのかが分かってしまったのだろう。
「すみません、お義母さんにまで、気を遣っていただいて・・」
「こんなの、遣っているうちに入りませんよ。家事なんて二の次、三の次でいいですから。楽しんできてくださいね、留守くらいは私に任せてちょうだい」
「ありがとうございます・・でも、家事は私が戻ってからやりますので」
「ええ、分かっていますよ。私は休んでいるのが仕事」
ふふ、と冗談を言って千代が笑った。その言葉に、花はほっとする。
朝食の片付を手早く終えた花は、部屋に戻って外出の為に身支度を整える。
千代がくれた着物の一枚を、着ていくことにした。花は鹿江が譲ってくれた母の着物の他には、実家で着ていた継ぎ接ぎで何度も直した着物しか持っていなかった。
花に着物の手持ちがなかったことにも、千代は目敏く気づいたのだろう。
「お嫁さんが来たら、着てもらいたいと思っていたんですよ」
と言って、品の良い着物を三枚ほど譲ってくれた。母の着物は、喜び事にはよいが街歩きをするには目立ち過ぎる。
千代のくれた落ち着いた色味の着物が、街歩きにはちょうどよいと花は感じた。
「では、参りましょうか」
玄関先では義孝が、和装の出で立ちで待っていた。薄鼠色に焦げ茶の絣模様が美しい着物と羽織は、上等なことで知られる大島紬だった。
これまた出勤時とは異なるソフト帽を被り、片手にはステッキを持っている。花はため息を吐いた。
「義孝さんは、和装も似合いますね」
「気に入ってくれたなら、良かった」
「ステッキもカッコいいです」
「このステッキはいざとなれば、花さんを守る武器にもなるんですよ。さあ、行きましょう」
千代に留守を任せて、花は義孝と共に玄関を出た。
時東家の門前には、黒塗りのT型フォードが一台停まっていた。義孝が呼んでくれていたらしい、初めての車にドキドキしながら、花は義孝の手を借りて乗り込んだ。
通り過ぎてゆく道々では、桜が満開だ。花は景色に目を輝かせる。
(そうだった、この道はこんなにも美しかった)
昔、浩一郎が生きていた頃に見た帝都の景色を思い出して、花は目を細めた。
浩一郎が亡くなってからは、世界の美しさに目を向ける余裕はなくなった。
(もう、叱られないのね)
この美しい世界に目を向けていても、罵倒されることはない。それが、まだ花には不思議だった。
花はちらと、傍らの義孝を見る。
「どうか、しましたか?」
「い、いえ・・何でもありません」
「具合が悪くなったりしたら、遠慮なく言ってください」
にこり、と義孝が笑う。
もし、継母なら『何を見ているのよ』と不快感もあらわに言われただろう。そういう時は、いつも体が凍てつく様だった。
けれど、ここは温かい。
「・・・大丈夫です」
義孝に応じる様に、花は微笑んだ。二人を乗せた車が向かったのは、一ツ橋にあるある百貨店だった。
その近代的な壮麗さに、花は見惚れてしまった。浩一郎が生きていた頃には、まだなかった建物だ。白煉瓦の眩い、地上五階建ての洋風建築。
「花さん、参りましょうか」
「は・・・・はいっ!」
義孝に声をかけられ、我に返る花は慌てて追いかけた。とはいえ、初めて見る百貨店のキラキラした光景に、花は大いに混乱していた。
動く階段、エスカレーターも、初めてである。
「きゃあ・・・」
エスカレーターに乗った途端に、花は思わず目の前に立った義孝の腕を掴んでしまった。
義孝が振り返る。
「大丈夫ですか、花さん」
「す、すみません」
「そのままで構いませんよ、何なら、しっかり掴まって居てください」
何てこともないというように、義孝は笑いながら言った。
足元が心許なかった花は、顔を赤らめながら、彼のその言葉に甘えることにした。
男女が人前で手を繋ぐことは未だにはしたないこととされているが、義孝は気にしていないようだ。海外で生活した事があるからだろうか。
鍛えられた彼の腕は、花が掴まっていても、びくともしない。その頼もしさは、見知らぬ場所に怯えていた花に安心感をもたらした。周囲を見渡す余裕も生まれる。
(ここでは、何もかもがあるみたい)
百貨店の中の様子に、花は目を輝かせる。この百貨店は元々は老舗の呉服店だった。
それもあって、着物や反物も豊富に取り揃えられていた。
食器を片付ける手を止めて、花は千代に声をかける。
三日前から、花は千代を『お義母さん』と呼ぶようになった。
気を遣って『お義母様』と呼ぶ花に、千代が頼んだのだ。千代は今、千代の少し向こうに座る。放って置くとすぐに家事をやろうとする千代に、休養するように花が頼んだのだ。
今日は義孝が非番の日なのである、そこで一緒に出掛ける事になっていた。衣服など、花が実家から荷物を殆ど持って来なかった為、義孝が買いに行こうと言ってくれたのだ。
花の荷物が少ないことに、最初に気づいたのは千代だった。
同じ女性なのもあって、何が足りないのかが分かってしまったのだろう。
「すみません、お義母さんにまで、気を遣っていただいて・・」
「こんなの、遣っているうちに入りませんよ。家事なんて二の次、三の次でいいですから。楽しんできてくださいね、留守くらいは私に任せてちょうだい」
「ありがとうございます・・でも、家事は私が戻ってからやりますので」
「ええ、分かっていますよ。私は休んでいるのが仕事」
ふふ、と冗談を言って千代が笑った。その言葉に、花はほっとする。
朝食の片付を手早く終えた花は、部屋に戻って外出の為に身支度を整える。
千代がくれた着物の一枚を、着ていくことにした。花は鹿江が譲ってくれた母の着物の他には、実家で着ていた継ぎ接ぎで何度も直した着物しか持っていなかった。
花に着物の手持ちがなかったことにも、千代は目敏く気づいたのだろう。
「お嫁さんが来たら、着てもらいたいと思っていたんですよ」
と言って、品の良い着物を三枚ほど譲ってくれた。母の着物は、喜び事にはよいが街歩きをするには目立ち過ぎる。
千代のくれた落ち着いた色味の着物が、街歩きにはちょうどよいと花は感じた。
「では、参りましょうか」
玄関先では義孝が、和装の出で立ちで待っていた。薄鼠色に焦げ茶の絣模様が美しい着物と羽織は、上等なことで知られる大島紬だった。
これまた出勤時とは異なるソフト帽を被り、片手にはステッキを持っている。花はため息を吐いた。
「義孝さんは、和装も似合いますね」
「気に入ってくれたなら、良かった」
「ステッキもカッコいいです」
「このステッキはいざとなれば、花さんを守る武器にもなるんですよ。さあ、行きましょう」
千代に留守を任せて、花は義孝と共に玄関を出た。
時東家の門前には、黒塗りのT型フォードが一台停まっていた。義孝が呼んでくれていたらしい、初めての車にドキドキしながら、花は義孝の手を借りて乗り込んだ。
通り過ぎてゆく道々では、桜が満開だ。花は景色に目を輝かせる。
(そうだった、この道はこんなにも美しかった)
昔、浩一郎が生きていた頃に見た帝都の景色を思い出して、花は目を細めた。
浩一郎が亡くなってからは、世界の美しさに目を向ける余裕はなくなった。
(もう、叱られないのね)
この美しい世界に目を向けていても、罵倒されることはない。それが、まだ花には不思議だった。
花はちらと、傍らの義孝を見る。
「どうか、しましたか?」
「い、いえ・・何でもありません」
「具合が悪くなったりしたら、遠慮なく言ってください」
にこり、と義孝が笑う。
もし、継母なら『何を見ているのよ』と不快感もあらわに言われただろう。そういう時は、いつも体が凍てつく様だった。
けれど、ここは温かい。
「・・・大丈夫です」
義孝に応じる様に、花は微笑んだ。二人を乗せた車が向かったのは、一ツ橋にあるある百貨店だった。
その近代的な壮麗さに、花は見惚れてしまった。浩一郎が生きていた頃には、まだなかった建物だ。白煉瓦の眩い、地上五階建ての洋風建築。
「花さん、参りましょうか」
「は・・・・はいっ!」
義孝に声をかけられ、我に返る花は慌てて追いかけた。とはいえ、初めて見る百貨店のキラキラした光景に、花は大いに混乱していた。
動く階段、エスカレーターも、初めてである。
「きゃあ・・・」
エスカレーターに乗った途端に、花は思わず目の前に立った義孝の腕を掴んでしまった。
義孝が振り返る。
「大丈夫ですか、花さん」
「す、すみません」
「そのままで構いませんよ、何なら、しっかり掴まって居てください」
何てこともないというように、義孝は笑いながら言った。
足元が心許なかった花は、顔を赤らめながら、彼のその言葉に甘えることにした。
男女が人前で手を繋ぐことは未だにはしたないこととされているが、義孝は気にしていないようだ。海外で生活した事があるからだろうか。
鍛えられた彼の腕は、花が掴まっていても、びくともしない。その頼もしさは、見知らぬ場所に怯えていた花に安心感をもたらした。周囲を見渡す余裕も生まれる。
(ここでは、何もかもがあるみたい)
百貨店の中の様子に、花は目を輝かせる。この百貨店は元々は老舗の呉服店だった。
それもあって、着物や反物も豊富に取り揃えられていた。
198
あなたにおすすめの小説
純愛以上、溺愛以上〜無愛想から始まった社長令息の豹変愛は彼女を甘く包み込む~
芙月みひろ
恋愛
保険会社の事務職として勤務する
早瀬佳奈26才。
友達に頼み込まれて行った飲み会で
腹立たしいほど無愛想な高原宗輔30才と出会う。
あまりの不愉快さに
二度と会いたくないと思っていたにも関わらず
再び仕事で顔を合わせることになる。
上司のパワハラめいた嫌がらせに悩まされていた中
ふと見せる彼の優しい一面に触れて
佳奈は次第に高原に心を傾け出す。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする
葉山あおい
恋愛
王宮で働く勤続八年のメイド、エレナ・フォスター。仕事は完璧だが愛想がない彼女は、いつしか「鉄の女」と呼ばれ恐れられていた。
そんな彼女に下された辞令は、王宮の敷地内にありながら「魔窟」と呼ばれる『北の塔』の専属メイドになること。そこの主である宮廷魔術師団長・シルヴィス・クローデルは、稀代の天才ながら極度の人嫌い&生活能力ゼロの偏屈男だった!
ゴミ屋敷と化した塔をピカピカに掃除し、栄養失調寸前の彼に絶品の手料理を振る舞うエレナ。黄金色のオムレツ、とろける煮込みハンバーグ、特製カツサンド……。美味しいご飯で餌付けされた魔術師様は、次第にエレナへの独占欲を露わにし始めて――?
意地悪な聖女や侯爵夫人のいびりも、完璧なスキルで華麗に返り討ち。平民出身のメイドが、身分差を乗り越えて幸せな花嫁になるまでの、美味しくて甘いシンデレラストーリー。
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
『番外編』イケメン彼氏は警察官!初めてのお酒に私の記憶はどこに!?
すずなり。
恋愛
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の身は持たない!?の番外編です。
ある日、美都の元に届いた『同窓会』のご案内。もう目が治ってる美都は参加することに決めた。
要「これ・・・酒が出ると思うけど飲むなよ?」
そう要に言われてたけど、渡されたグラスに口をつける美都。それが『酒』だと気づいたころにはもうだいぶ廻っていて・・・。
要「今日はやたら素直だな・・・。」
美都「早くっ・・入れて欲しいっ・・!あぁっ・・!」
いつもとは違う、乱れた夜に・・・・・。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんら関係ありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
国宝級イケメンとのキスは、最上級に甘いドルチェみたいに私をとろけさせます♡ 〈Dulcisシリーズ〉
はなたろう
恋愛
人気アイドルとの秘密の恋愛♡コウキは俳優やモデルとしても活躍するアイドル。クールで優しいけど、ベッドでは少し意地悪でやきもちやき。彼女の美咲を溺愛し、他の男に取られないかと不安になることも。出会いから交際を経て、甘いキスで溶ける日々の物語。
★みなさまの心にいる、推しを思いながら読んでください
◆出会い編あらすじ
毎日同じ、変わらない。都会の片隅にある植物園で働く美咲。
そこに毎週やってくる、おしゃれで長身の男性。カメラが趣味らい。この日は初めて会話をしたけど、ちょっと変わった人だなーと思っていた。
まさか、その彼が人気アイドル、dulcis〈ドゥルキス〉のメンバーだとは気づきもしなかった。
毎日同じだと思っていた日常、ついに変わるときがきた。
◆登場人物
佐倉 美咲(25) 公園の管理運営企業に勤める。植物園のスタッフから本社の企画営業部へ異動
天見 光季(27) 人気アイドルグループ、dulcis(ドゥルキス)のメンバー。俳優業で活躍中、自然の写真を撮るのが趣味
お読みいただきありがとうございます!
★番外編はこちらに集約してます。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/693947517
★最年少、甘えん坊ケイタとバツイチ×アラサーの恋愛はじめました。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/408954279
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる