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身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
十七話『街歩き―百貨店―』
「お義母さん、まだ本調子ではないのですから、家事は私に任せてくださいね」
食器を片付ける手を止めて、花は千代に声をかける。
三日前から、花は千代を『お義母さん』と呼ぶようになった。
気を遣って『お義母様』と呼ぶ花に、千代が頼んだのだ。千代は今、花の少し向こうに座る。放って置くとすぐに家事をやろうとする千代に、休養するように花が頼んだのだ。
今日は義孝が非番の日なので、一緒に出掛ける事になっていた。衣服など、花が実家から荷物を殆ど持って来なかった為、義孝が買いに行こうと言ってくれたのだ。
花の荷物が少ないことに、最初に気づいたのは千代だった。
同じ女性なのもあって、何が足りないのかが分かってしまったのだろう。
「すみません、お義母さんにまで、気を遣っていただいて・・」
「こんなの、遣っているうちに入りませんよ。家事なんて二の次、三の次でいいですから。楽しんできてくださいね、留守くらいは私に任せてください」
「ありがとうございます・・でも、家事は私が戻ってからやりますので」
「ええ、分かっていますよ。私は休んでいるのが仕事」
ふふ、と冗談を言って千代が笑った。その言葉に、花はほっとする。
朝食の片付を手早く終えた花は、部屋に戻って外出の為に身支度を整える。
千代がくれた着物の一枚を着ていくことにした。花は鹿江が譲ってくれた母の着物の他には、実家で着ていた継ぎ接ぎで何度も直した着物しか持っていなかった。
花に着物の手持ちがなかったことにも、千代は目敏く気付いたのだろう。
「お嫁さんが来たら、着てもらいたいと思っていたんですよ」
と言って、品の良い着物を三枚ほど譲ってくれた。母の着物は、喜び事にはよいが街歩きをするには目立ち過ぎる。
千代のくれた落ち着いた色味の着物が、街歩きにはちょうどよいと花は感じた。
「では、参りましょうか」
玄関先では義孝が、和装の出で立ちで待っていた。薄鼠色に焦げ茶の絣模様が美しい着物と羽織は、上等なことで知られる大島紬だった。
これまた出勤時とは異なるソフト帽をかぶり、片手にはステッキを持っている。花はため息を吐いた。
「義孝さんは、和装も似合いますね」
「気に入ってくれたなら、良かった」
「ステッキもカッコいいです」
「このステッキはいざとなれば、花さんを守る武器にもなるんですよ。さあ、行きましょう」
千代に留守を任せて、花は義孝と共に玄関を出た。
時東家の門前には、黒塗りのT型フォードが一台停まっていた。義孝が呼んでくれていたらしい、初めての車にドキドキしながら、花は義孝の手を借りて乗り込んだ。
通り過ぎてゆく道々では、桜が満開だ。花は景色に目を輝かせる。
(そうだった、この道はこんなにも美しかった)
昔、浩一郎が生きていた頃に見た帝都の景色を思い出して、花は目を細めた。
浩一郎が亡くなってからは、世界の美しさに目を向ける余裕はなくなった。
(もう、叱られないのね)
この美しい世界に目を向けていても、罵倒されることはない。それが、まだ花には不思議だった。
花はちらと、傍らの義孝を見る。
「どうか、しましたか?」
「い、いえ・・何でもありません」
「具合が悪くなったりしたら、遠慮なく言ってください」
にこり、と義孝が笑う。
もし、継母なら『何を見ているのよ』と不快感もあらわに言われただろう。そういう時は、いつも体が凍てつく様だった。
けれど、ここは温かい。
「・・・大丈夫です」
義孝に応じる様に、花は微笑んだ。二人を乗せた車が向かったのは、一ツ橋にあるある百貨店だった。
その近代的な壮麗さに、花は見惚れてしまった。浩一郎が生きていた頃には、まだなかった建物だ。白煉瓦の眩しい、地上五階建ての洋風建築。
「花さん、参りましょうか」
「は・・・・はいっ!」
義孝に声をかけられ、我に返る花は慌てて追いかけた。とはいえ、初めて見る百貨店のキラキラした光景に、花は大いに戸惑っていた。
動く階段、エスカレーターも、初めてである。
「きゃあ・・・」
エスカレーターに乗った途端に、花は思わず目の前に立った義孝の腕を掴んでしまった。
義孝が振り返る。
「大丈夫ですか、花さん」
「す、すみません」
「そのままで構いませんよ、何なら、しっかり掴まって居てください」
何てこともないというように、義孝は笑いながら言った。
足元が心もとなかった花は、顔を赤らめながら、彼のその言葉に甘えることにした。
男女が人前で手を繋ぐことはいまだにはしたないこととされているが、義孝は気にしていないようだ。海外で生活した事があるからだろうか。
鍛えられた彼の腕は、花が掴まっていても、びくともしない。その頼もしさは、見知らぬ場所に怯えていた花に安心感をもたらした。周囲を見渡す余裕も生まれる。
(ここでは、何もかもがあるみたい)
百貨店の中の様子に、花は目を輝かせる。この百貨店は元々は老舗の呉服店だった。
それもあって、着物や反物も豊富に取り揃えられていた。
食器を片付ける手を止めて、花は千代に声をかける。
三日前から、花は千代を『お義母さん』と呼ぶようになった。
気を遣って『お義母様』と呼ぶ花に、千代が頼んだのだ。千代は今、花の少し向こうに座る。放って置くとすぐに家事をやろうとする千代に、休養するように花が頼んだのだ。
今日は義孝が非番の日なので、一緒に出掛ける事になっていた。衣服など、花が実家から荷物を殆ど持って来なかった為、義孝が買いに行こうと言ってくれたのだ。
花の荷物が少ないことに、最初に気づいたのは千代だった。
同じ女性なのもあって、何が足りないのかが分かってしまったのだろう。
「すみません、お義母さんにまで、気を遣っていただいて・・」
「こんなの、遣っているうちに入りませんよ。家事なんて二の次、三の次でいいですから。楽しんできてくださいね、留守くらいは私に任せてください」
「ありがとうございます・・でも、家事は私が戻ってからやりますので」
「ええ、分かっていますよ。私は休んでいるのが仕事」
ふふ、と冗談を言って千代が笑った。その言葉に、花はほっとする。
朝食の片付を手早く終えた花は、部屋に戻って外出の為に身支度を整える。
千代がくれた着物の一枚を着ていくことにした。花は鹿江が譲ってくれた母の着物の他には、実家で着ていた継ぎ接ぎで何度も直した着物しか持っていなかった。
花に着物の手持ちがなかったことにも、千代は目敏く気付いたのだろう。
「お嫁さんが来たら、着てもらいたいと思っていたんですよ」
と言って、品の良い着物を三枚ほど譲ってくれた。母の着物は、喜び事にはよいが街歩きをするには目立ち過ぎる。
千代のくれた落ち着いた色味の着物が、街歩きにはちょうどよいと花は感じた。
「では、参りましょうか」
玄関先では義孝が、和装の出で立ちで待っていた。薄鼠色に焦げ茶の絣模様が美しい着物と羽織は、上等なことで知られる大島紬だった。
これまた出勤時とは異なるソフト帽をかぶり、片手にはステッキを持っている。花はため息を吐いた。
「義孝さんは、和装も似合いますね」
「気に入ってくれたなら、良かった」
「ステッキもカッコいいです」
「このステッキはいざとなれば、花さんを守る武器にもなるんですよ。さあ、行きましょう」
千代に留守を任せて、花は義孝と共に玄関を出た。
時東家の門前には、黒塗りのT型フォードが一台停まっていた。義孝が呼んでくれていたらしい、初めての車にドキドキしながら、花は義孝の手を借りて乗り込んだ。
通り過ぎてゆく道々では、桜が満開だ。花は景色に目を輝かせる。
(そうだった、この道はこんなにも美しかった)
昔、浩一郎が生きていた頃に見た帝都の景色を思い出して、花は目を細めた。
浩一郎が亡くなってからは、世界の美しさに目を向ける余裕はなくなった。
(もう、叱られないのね)
この美しい世界に目を向けていても、罵倒されることはない。それが、まだ花には不思議だった。
花はちらと、傍らの義孝を見る。
「どうか、しましたか?」
「い、いえ・・何でもありません」
「具合が悪くなったりしたら、遠慮なく言ってください」
にこり、と義孝が笑う。
もし、継母なら『何を見ているのよ』と不快感もあらわに言われただろう。そういう時は、いつも体が凍てつく様だった。
けれど、ここは温かい。
「・・・大丈夫です」
義孝に応じる様に、花は微笑んだ。二人を乗せた車が向かったのは、一ツ橋にあるある百貨店だった。
その近代的な壮麗さに、花は見惚れてしまった。浩一郎が生きていた頃には、まだなかった建物だ。白煉瓦の眩しい、地上五階建ての洋風建築。
「花さん、参りましょうか」
「は・・・・はいっ!」
義孝に声をかけられ、我に返る花は慌てて追いかけた。とはいえ、初めて見る百貨店のキラキラした光景に、花は大いに戸惑っていた。
動く階段、エスカレーターも、初めてである。
「きゃあ・・・」
エスカレーターに乗った途端に、花は思わず目の前に立った義孝の腕を掴んでしまった。
義孝が振り返る。
「大丈夫ですか、花さん」
「す、すみません」
「そのままで構いませんよ、何なら、しっかり掴まって居てください」
何てこともないというように、義孝は笑いながら言った。
足元が心もとなかった花は、顔を赤らめながら、彼のその言葉に甘えることにした。
男女が人前で手を繋ぐことはいまだにはしたないこととされているが、義孝は気にしていないようだ。海外で生活した事があるからだろうか。
鍛えられた彼の腕は、花が掴まっていても、びくともしない。その頼もしさは、見知らぬ場所に怯えていた花に安心感をもたらした。周囲を見渡す余裕も生まれる。
(ここでは、何もかもがあるみたい)
百貨店の中の様子に、花は目を輝かせる。この百貨店は元々は老舗の呉服店だった。
それもあって、着物や反物も豊富に取り揃えられていた。
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