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ベルナルドの焦燥
「エメラルダ、見てくれ。君に似合うと思って、特注させたんだ」
ベルナルドは、目の覚めるようなエメラルドのネックレスを差し出した。かつて、彼が愛人に贈っていたものよりも遥かに高価で、希少な逸品だ。彼は今、財産と時間のすべてを、妻の歓心を買うために注ぎ込んでいた。
エメラルダは、その輝きを一瞥し、上品に微笑んだ。
「まあ、素晴らしい輝きですわ。ありがとうございます、閣下。大切に保管し、次の夜会で披露させていただきます。スタンレー侯爵家の威信を示すに相応しい宝飾品ですわね」
その反応に、ベルナルドの心臓がちくりと痛んだ。
彼女は喜んでいる。しかし、それは「夫からの贈り物」を喜んでいるのではない。「家の資産が増えたこと」や「社交界での体裁が整うこと」を肯定しているだけのように聞こえた。
「……エメラルダ、そうじゃないんだ。私は、君の喜ぶ顔が見たくて……。家のためではなく、私と君、二人のために贈ったんだよ」
ベルナルドは彼女の手をとり、指先に熱い唇を落とした。かつて女性たちを虜にしてきた、彼の一番得意な、情熱的な仕草。
「これからは、もう二度と君を悲しませない。私の心も体も、すべて君だけのものだ。愛している、エメラルダ。心から、君だけを愛しているんだ」
以前の彼女なら、この言葉を聞いただけで、顔を真っ赤にして涙をこぼしただろう。そして、夢心地のような表情で彼に抱きついたはずだ。
しかし、エメラルダは微動だにしなかった。彼女はそっと、優しく彼の手を握り返し、穏やかな声音で答えた。
「ありがとうございます、閣下。そのように仰っていただけて、公爵夫人としてこれ以上の誉れはございません。これからも、閣下を支え、この家を盛り立てる務めを精一杯果たさせていただきますわ」
「……務め?」
ベルナルドの声が、わずかに震えた。
「ええ。それが私の役割ですから。健康を管理し、世継ぎを育て、あなたの隣に相応しい女であること。それが私の存在する理由です。どうぞご安心ください、私はどこへも行きませんわ」
その言葉は、一見すれば理想的な妻の誓いだ。だが、ベルナルドにはそれが、血の通わない「契約書」の朗読のように聞こえた。
「違う……役割とか、務めとか、そんな話をしているんじゃない! 私は、君の『心』が欲しいんだ! 私を愛し、憎み、嫉妬してくれた、あの頃の君に……!」
ベルナルドは思わず彼女の肩を強く掴み、揺さぶった。
しかし、エメラルダの瞳は、揺るがない。
恐怖も、戸惑いも、そして熱情もそこにはない。ただ、鏡のように滑らかな緑の瞳が、焦燥に駆られるベルナルドの姿を、無機質に反射しているだけだった。
「……閣下、少しお声が大きいですわ。使用人たちが驚いてしまいます」
彼女は困ったように、けれど完璧な慈愛を湛えて首を傾げた。
「私はここにいますわ。あなたの妻として、完璧に、永遠に。……それ以上に、何か必要なことがございますか?」
ベルナルドは、弾かれたように彼女から手を離した。全身に鳥肌が立つのを感じた。
救われたはずの命。取り戻したはずの美しい顔。しかし、目の前にいるこの美しい女性は、自分が知っているエメラルダではない。中身が空っぽの、精巧に作られた「侯爵夫人」という名の器だ。
(ああ、まさか……あんなに私を愛していた彼女が、私を見捨てたというのか? 嫌いになったわけではなく、単に……『興味を失った』と?)
ベルナルドは悟った。
カサンドラの呪いは、エメラルダの手によって解かれた。
しかし、その代償として自分は、彼女という人間が持つ唯一無二の「熱」を永遠に失ってしまったのだ。
エメラルダは、動揺する夫を気遣うように、その頬にそっと手を添えた。その掌は、驚くほど冷たく、そして優しかった。
「さあ、閣下。お顔の色が優れませんわ。今夜はゆっくりお休みになってください。明日は、王太子殿下との会食がございますから」
その微笑みは、地獄の底で見たカサンドラの高笑いよりも、ずっと、ずっと残酷だった。
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ベルナルドは、目の覚めるようなエメラルドのネックレスを差し出した。かつて、彼が愛人に贈っていたものよりも遥かに高価で、希少な逸品だ。彼は今、財産と時間のすべてを、妻の歓心を買うために注ぎ込んでいた。
エメラルダは、その輝きを一瞥し、上品に微笑んだ。
「まあ、素晴らしい輝きですわ。ありがとうございます、閣下。大切に保管し、次の夜会で披露させていただきます。スタンレー侯爵家の威信を示すに相応しい宝飾品ですわね」
その反応に、ベルナルドの心臓がちくりと痛んだ。
彼女は喜んでいる。しかし、それは「夫からの贈り物」を喜んでいるのではない。「家の資産が増えたこと」や「社交界での体裁が整うこと」を肯定しているだけのように聞こえた。
「……エメラルダ、そうじゃないんだ。私は、君の喜ぶ顔が見たくて……。家のためではなく、私と君、二人のために贈ったんだよ」
ベルナルドは彼女の手をとり、指先に熱い唇を落とした。かつて女性たちを虜にしてきた、彼の一番得意な、情熱的な仕草。
「これからは、もう二度と君を悲しませない。私の心も体も、すべて君だけのものだ。愛している、エメラルダ。心から、君だけを愛しているんだ」
以前の彼女なら、この言葉を聞いただけで、顔を真っ赤にして涙をこぼしただろう。そして、夢心地のような表情で彼に抱きついたはずだ。
しかし、エメラルダは微動だにしなかった。彼女はそっと、優しく彼の手を握り返し、穏やかな声音で答えた。
「ありがとうございます、閣下。そのように仰っていただけて、公爵夫人としてこれ以上の誉れはございません。これからも、閣下を支え、この家を盛り立てる務めを精一杯果たさせていただきますわ」
「……務め?」
ベルナルドの声が、わずかに震えた。
「ええ。それが私の役割ですから。健康を管理し、世継ぎを育て、あなたの隣に相応しい女であること。それが私の存在する理由です。どうぞご安心ください、私はどこへも行きませんわ」
その言葉は、一見すれば理想的な妻の誓いだ。だが、ベルナルドにはそれが、血の通わない「契約書」の朗読のように聞こえた。
「違う……役割とか、務めとか、そんな話をしているんじゃない! 私は、君の『心』が欲しいんだ! 私を愛し、憎み、嫉妬してくれた、あの頃の君に……!」
ベルナルドは思わず彼女の肩を強く掴み、揺さぶった。
しかし、エメラルダの瞳は、揺るがない。
恐怖も、戸惑いも、そして熱情もそこにはない。ただ、鏡のように滑らかな緑の瞳が、焦燥に駆られるベルナルドの姿を、無機質に反射しているだけだった。
「……閣下、少しお声が大きいですわ。使用人たちが驚いてしまいます」
彼女は困ったように、けれど完璧な慈愛を湛えて首を傾げた。
「私はここにいますわ。あなたの妻として、完璧に、永遠に。……それ以上に、何か必要なことがございますか?」
ベルナルドは、弾かれたように彼女から手を離した。全身に鳥肌が立つのを感じた。
救われたはずの命。取り戻したはずの美しい顔。しかし、目の前にいるこの美しい女性は、自分が知っているエメラルダではない。中身が空っぽの、精巧に作られた「侯爵夫人」という名の器だ。
(ああ、まさか……あんなに私を愛していた彼女が、私を見捨てたというのか? 嫌いになったわけではなく、単に……『興味を失った』と?)
ベルナルドは悟った。
カサンドラの呪いは、エメラルダの手によって解かれた。
しかし、その代償として自分は、彼女という人間が持つ唯一無二の「熱」を永遠に失ってしまったのだ。
エメラルダは、動揺する夫を気遣うように、その頬にそっと手を添えた。その掌は、驚くほど冷たく、そして優しかった。
「さあ、閣下。お顔の色が優れませんわ。今夜はゆっくりお休みになってください。明日は、王太子殿下との会食がございますから」
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