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最初で最後のわがまま
自室に戻ったパトリシアは、クローゼットの奥から一着のドレスを引っ張り出した。
それは昨年の誕生日に、両親が仕立ててくれた淡いアプリコット色のドレスだ。今のローレンス家に、新しい衣装を新調する余裕など一分もない。
(これが、私に残された最後の『武装』ね……)
鏡に映る自分を見る。茶色の髪に茶色の瞳、どこにでもいるような「普通」の娘。そんな自分が今から、社交界の頂点に君臨するような男性に、恥も外聞も捨てて「抱いてほしい」と頼み込もうとしている。
冷静になればなるほど、自分の考えが正気の沙汰ではないことは分かっていた。
ターゲットは、ハワード侯爵家の嫡男、ギルバート・ハワード。
彼はパトリシアの通う学園の三年生の先輩であり、泣く子も黙る名門侯爵家の跡取り息子だ。
燃えるような金の髪、吸い込まれそうなほど澄んだ青い瞳。そして何より、左目の下にポツンとある泣きぼくろが、見る者の理性を狂わせるほどの色気を放っている。
彼は「遊び人」と称されていた。
「来るもの拒まず、去るもの追わず」。夜会へ行けば常に違う淑女をエスコートし、その甘い言葉で数え切れないほどの女性を虜にしているという。
しかし、不思議なことがあった。
それほど浮名を流しているにもかかわらず、彼によって身を持ち崩したとか、泥沼の愛憎劇に発展したといった「悪い噂」を一切聞かないのだ。
彼は徹底して、相手が「遊び」だと理解している女性としか関係を持たない。去り際は鮮やかで、別れた後の女性たちでさえ、彼の悪口を言う者は一人もいなかった。
(……だからこそ、ギルバート様にお願いしたいの!)
ギルバートには、ダイアナ・メック伯爵令嬢という美しい婚約者がいる。
ハワード侯爵家とメック伯爵家。家格も釣り合い、容姿も端麗な二人の婚約は「完璧な政略結婚」として有名だ。
けれど、風の噂では二人の仲は冷え切っているという。ギルバートの奔放な女性関係は婚約者公認であり、ダイアナの方も彼には無関心を貫いている。
そんな「愛のない関係」に慣れている彼ならば。
パトリシアのような端役の令嬢が、人生の最後に一夜限りの思い出を求めて縋り付いたとしても、きっとスマートに、そして完璧に「遊んで」くれるはずだ。
「好色爺に無理やり汚されるくらいなら……私は、初めてはあの方に捧げたい」
それは、パトリシアが生まれて初めて抱いた、あまりにも不遜で、あまりにも切ない「わがまま」だった。
借金取りが提示した三日の猶予。
三日後には、パトリシアの身体は「商品」になる。
ならば、その価値が一番高い「今」のうちに、ずっと心に秘めていた淡い初恋の相手に自分を差し出そう。
責任なんて取らなくていい。ただ、この絶望的な人生の中で、一つだけでいいから「幸せだった」と確信できる記憶が欲しいのだ。
「……待っていてください、ギルバート様! 今夜、必ずあなたを捕まえてみせます!」
パトリシアは震える手でブラシを握り、茶色の髪を丁寧に整え始めた。
学園で彼を見かけるたび、遠くから溜息をついていた地味な令嬢。
そんな自分が、今夜、遊び人の彼を「逆ナン」する。
もし失敗すれば、明日には「ハワード侯爵令息に夜這いをかけた破廉恥な没落令嬢」として、さらに惨めな名声を背負うことになるだろう。
けれど、失うものならもう何もないのだ。
パトリシアはアプリコット色のドレスに身を包み、夜会の招待状――数少ない人脈を辿って手に入れた、最後の一枚――を握りしめて、夜の帳が下りた街へと踏み出した。
___________
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📢新連載🌹【「従妹は病弱なんだ」と私を放置する婿入り婚約者はいりません ~帰国した義兄に、身も心も奪い尽くされる~】
それは昨年の誕生日に、両親が仕立ててくれた淡いアプリコット色のドレスだ。今のローレンス家に、新しい衣装を新調する余裕など一分もない。
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冷静になればなるほど、自分の考えが正気の沙汰ではないことは分かっていた。
ターゲットは、ハワード侯爵家の嫡男、ギルバート・ハワード。
彼はパトリシアの通う学園の三年生の先輩であり、泣く子も黙る名門侯爵家の跡取り息子だ。
燃えるような金の髪、吸い込まれそうなほど澄んだ青い瞳。そして何より、左目の下にポツンとある泣きぼくろが、見る者の理性を狂わせるほどの色気を放っている。
彼は「遊び人」と称されていた。
「来るもの拒まず、去るもの追わず」。夜会へ行けば常に違う淑女をエスコートし、その甘い言葉で数え切れないほどの女性を虜にしているという。
しかし、不思議なことがあった。
それほど浮名を流しているにもかかわらず、彼によって身を持ち崩したとか、泥沼の愛憎劇に発展したといった「悪い噂」を一切聞かないのだ。
彼は徹底して、相手が「遊び」だと理解している女性としか関係を持たない。去り際は鮮やかで、別れた後の女性たちでさえ、彼の悪口を言う者は一人もいなかった。
(……だからこそ、ギルバート様にお願いしたいの!)
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けれど、風の噂では二人の仲は冷え切っているという。ギルバートの奔放な女性関係は婚約者公認であり、ダイアナの方も彼には無関心を貫いている。
そんな「愛のない関係」に慣れている彼ならば。
パトリシアのような端役の令嬢が、人生の最後に一夜限りの思い出を求めて縋り付いたとしても、きっとスマートに、そして完璧に「遊んで」くれるはずだ。
「好色爺に無理やり汚されるくらいなら……私は、初めてはあの方に捧げたい」
それは、パトリシアが生まれて初めて抱いた、あまりにも不遜で、あまりにも切ない「わがまま」だった。
借金取りが提示した三日の猶予。
三日後には、パトリシアの身体は「商品」になる。
ならば、その価値が一番高い「今」のうちに、ずっと心に秘めていた淡い初恋の相手に自分を差し出そう。
責任なんて取らなくていい。ただ、この絶望的な人生の中で、一つだけでいいから「幸せだった」と確信できる記憶が欲しいのだ。
「……待っていてください、ギルバート様! 今夜、必ずあなたを捕まえてみせます!」
パトリシアは震える手でブラシを握り、茶色の髪を丁寧に整え始めた。
学園で彼を見かけるたび、遠くから溜息をついていた地味な令嬢。
そんな自分が、今夜、遊び人の彼を「逆ナン」する。
もし失敗すれば、明日には「ハワード侯爵令息に夜這いをかけた破廉恥な没落令嬢」として、さらに惨めな名声を背負うことになるだろう。
けれど、失うものならもう何もないのだ。
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