身売り覚悟の子爵令嬢、一夜限りの誘惑のつもりが遊び人の侯爵令息に執着されています!

恋せよ恋

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遊び人の真実

  その夜、ギルバートが別邸に帰宅した時、いつもなら玄関まで飛んでくるはずの「おかえりなさいませ!」という元気な声がなかった。
 屋敷の中は静まり返り、パトリシアが丁寧に生けたはずの花瓶の花だけが、心なしか寂しげに揺れている。

「……パトリシアはどこだ?」

 帰宅したギルバートが執事に尋ねると、いつもはにこやかな使用人たちが一様に眉を下げ、気まずそうに顔を伏せた。

「……パトリシア様は、お出かけから戻られて以来、ずっとお部屋に籠もっておいでです。お呼び立てしてもお返事がなく、夕食も手をつけておられません」

 執事の言葉に、ギルバートは微かな胸騒ぎを覚えながら、二階にある彼女の部屋へと向かった。
 ノックをしても返事がない。中からは衣擦れの音一つ聞こえてこない。



 意を決してドアを開けると、そこにはベッドの端で膝を抱え、赤く腫らした目で窓の外を見つめるパトリシアの姿があった。

「どうしたんだい。顔色が悪いよ」

 ギルバートが歩み寄ると、パトリシアは弾かれたように立ち上がり、慌てて目を擦った。

「な、なんでもありません! ギルバート様、お帰りなさいませ。今すぐ、お食事の準備をさせて……っ」

 パトリシアは慌てて立ち上がり、無理に笑顔を作ろうとした。けれど、震える声までは隠しきれない。

「嘘が下手だね。……サロンに来たんだろう? 受付に君からの書類が預けてあった」

 ギルバートの静かな指摘に、パトリシアは弾かれたように肩を震わせ、再び深く俯いた。

(あんなに楽しそうに、他の令嬢方と……。分かっているの。私はただの契約上の居候で、ギルバート様は、『みんなのギルバート様』なんだって。……分かっているのに)

 目の前の少女が、明らかに自分と女性たちの姿を見て傷ついている。その事実は、遊び人として生きてきたギルバートの胸を、かつてないほど鋭く刺した。

 彼は深く、重い溜息をついた。そして窓際の椅子を引き、逃げ場を塞ぐようにパトリシアと向き合って座る。

「はあ……。君とは口約束ではあるが、一応は契約を交わした仲だ。借金を相殺する代わりに、僕のお気に入りとしてここで過ごしてもらっている。……そうだよね?」

 パトリシアは「はい……」と小さく呟き、静かに頷いた。

「僕はね、この見た目だろう? 何しろ、自分で言うのもなんだが酷くモテるんだ。物心ついた頃には、自分の容姿が異性――時には同性もだが、とにかくウケがいいことに気づいていた。十歳の頃には、すでに周囲の令嬢たちの熱い視線に晒される毎日さ。幸いというべきか、僕は女性が嫌いではない。どちらかと言えば誰もが可愛いと思えるから、言い寄られて傷つくこともなかった」

 ギルバートは淡々と、まるで他人の身の上話でもするように続ける。パトリシアはその表情を真っ直ぐに見つめていた。

「君は僕を『初めての相手』に指名してくれたけれど……僕の初めては、年上の侍女なんだ。誘われたから、そのままなし崩しに関係を持った。何の思い入れもない相手さ。ただ、事後になると彼女、何を勘違いしたのか急に馴れ馴れしくなってね。……だから解雇したよ。ハワード家の嫡男をある種『害した』のだから、当然の処置だ」

「…………」

「まあ、そんな感じさ。それ以降も『来るもの拒まず、去るもの追わず』。僕の噂は、君もよく知っているだろう?」

 パトリシアがこくんと頷くのを確認して、ギルバートはさらに言葉を重ねる。その声には、一切の迷いも感傷もなかった。

「僕の両親は、完璧な政略結婚だった。父には生涯をかけて愛した平民の女性がいたけれど、家を継ぐために無理やり引き裂かれ、母と結婚させられたんだ。母もまた、実家の権力のために父に嫁いできた。…… 二人の間に、会話なんて ほとんどなかったよ」

 ギルバートが子供の頃に見てきたのは、冷え切った食卓と、互いを「政略の道具」としてしか見ていない両親の姿だった。
 父は屋敷に寄り付かず、母は自身の不満を埋めるように宝石と権力争いに没頭した。愛という言葉は、彼にとって「呪い」や「欺瞞」と同義だったのだ。

「誰かを本気で愛したところで、家のために切り捨てられる。だったら最初から、誰も愛さなければいい。表面上の甘い言葉を並べて、適当に遊んでいれば、誰も僕の心に踏み込もうとはしないからね」

 ギルバートは自嘲気味に笑い、左目の下の泣きぼくろを指でなぞった。

「婚約者のダイアナとも、完全な政略結婚の予定だ。彼女に不満はない。侯爵家を共に繁栄させる『戦友』のような関係だと思っているよ。後継者を成すのは、当主夫妻としての最低限の責務だからね。……だから、あんな風にサロンで令嬢たちを口説くのは、僕にとってはただの遊び、責任を伴わない楽しい遊びに過ぎないんだ」

 パトリシアは息を呑んだ。
 「婚約者」――その言葉が突きつける圧倒的な現実に、パトリシアの顔からスッと血の気が引いた。

「……寂しくはないのですか?」

 パトリシアの素朴な問いに、ギルバートは一瞬言葉を失った。

「寂しい……? さあ、考えたこともなかったな」

「寂しいですよ。だって、ギルバート様はこんなに優しいのに。本当の貴方を知ろうとする人が誰もいなくて、貴方自身もそれを認めているなんて……そんなの、悲しすぎます」

 パトリシアは、自分でも気づかないうちにギルバートの手を両手で包み込んでいた。
 サロンで見た彼の笑顔が、今はひどく空虚で、痛々しいものに思えた。

「私、単純ですから……政略結婚のことも、貴族の義務もよく分かりません。でも、美味しいものを食べたら笑って、誰かが悲しんでいたら力になりたい。……ギルバート様が私の家を救ってくれたように、私も、貴方の心が少しでも温かくなるようなことをしたいんです」

 パトリシアの茶色の瞳は、涙で濡れながらも、一点の曇りもない真っ直ぐな光を放っていた。
 彼女の掌は、庭仕事や掃除で少しだけ荒れていたけれど、驚くほど温かかった。

「……君は、本当に変わっているね。遊び相手は誰もが僕の財産や容姿を見て寄ってくるのに。君だけが、僕の『心』なんていう、僕自身ですら持て余しているものに触れようとする」

 ギルバートは、初めて仮面を脱いだような、幼い子供のような顔で微笑んだ。
 
 パトリシアが毎日、一生懸命に屋敷を掃除すること。
 使用人たちと笑い合い、自分を「お帰りなさい」と迎えてくれること。
 そのすべてが、冷え切っていたハワード家の別邸に、少しずつ本物の「温度」を吹き込んでいた。

「パトリシア。……もう少しだけ、君のそばにいてもいいかな。遊び相手としてではなく、ただの僕として」

「ええ……もちろんです、ギルバート様」

 パトリシアは、今度は涙を拭って、太陽のような笑顔を見せた。
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