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姉の懐妊と、身を引く女の号泣
「本当ですか!」
シシリー侯爵邸の私室。主治医からの報告を受けたリチャードは、その端正な顔を歓喜に震わせていた。
ローザリアが、ついに懐妊したのだ。
「ああ、間違いありません。奥様のお腹には、新しい命が宿っております」
リチャードは溢れ出す喜びを抑えきれず、まだ膨らみも目立たないローザリアの腹部に、震える手で触れた。
それは、彼が何よりも重んじてきた「シシリーの黄金の血」の結晶。正妻との間にだけ成すと決めていた、誇り高き跡継ぎ。
「ありがとう、ローザリア……! よくやってくれた。君は、我が家の誇りだ」
リチャードの瞳には、妻への純粋な感謝と、未来への希望が満ち溢れていた。
一方、祝福を浴びるローザリアの顔は、死人のように蒼白だった。
その腹の中にいるのが、果たして夫の望む「黄金」なのか。それとも、あの不義の夜に刻まれた「茶色」の毒なのか。彼女だけが、その恐怖に 震え上がっていた。
――リチャードは、喜びの絶頂にありながら、一つの決断を下した。
愛する妻が命を懸けて跡継ぎを産もうとしている今、自分もまた「誠意」を見せねばならない。
彼はその日の夕刻、別宅にいるリリエッタの元を訪れた。
質素ながら手入れの行き届いた屋敷で、リリエッタはいつものように穏やかに彼を迎えた。
だが、リチャードの表情を見た瞬間、彼女はすべてを悟った。
「……リリエッタ。君には、感謝してもしきれない」
リチャードは、胸を締め付けられる思いで切り出した。
ローザリアが懐妊したこと。これからは、彼女と生まれてくる子のために、すべての時間を捧げたいということ。
「……承りましたわ、リチャード様」
リリエッタは、震える唇で微笑んだ。
彼女の瞳には、一筋の涙さえ浮かんでいない。
「困窮する我が男爵家にも、多大なるご支援をいただきました。今日まで、身に余るほどの愛情をかけていただき、私は本当に幸せでした。……どうぞ、奥様と、これからお生まれになる方を、何よりも大切になさってくださいませ」
「……リリエッタ。君は、どこまでも強く、優しい女性だ」
リチャードは彼女の手を取り、最期の惜別として、その甲に口づけをした。
彼は最後まで、リリエッタの微笑みの裏にある絶望に気づかなかった。
リチャードが部屋を去り、馬車の音が遠ざかった瞬間――。
「……っ……あああ……っ!」
それまで保っていた均衡が、音を立てて崩れ去った。
リリエッタは床に崩れ落ち、声を上げて、子供のように激しく泣きじゃくった。
「リチャード様……。リチャード様……! 愛しておりますわ……本当は、行かないでと言いたかった……っ! うあああぁん……!」
彼女の号泣が、静かな部屋に木霊する。
傍らで見守る侍女と、扉の外で控えていた護衛は、沈痛な面持ちで俯くしかなかった。
彼らは知っていた。リリエッタが、どれほど純粋にリチャードを慕い、彼が望む「立派な侯爵」であるために、どれほど自分を殺して身を引いてきたかを。
その残酷な愛の終焉を知る由もなく、学園の温室では、ジェラールがマーガレットと対峙していた。
夕闇が迫る温室。ガラス越しに差し込む紫色の光が、ジェラールの銀髪を妖しく照らし出す。
「……マーガレット。君がフィリップ殿と距離を置いたことは、賢明な判断だ。だが、それでは足りない」
ジェラールは私の手を取り、逃がさないように指を絡めた。
その力の強さに、私の心臓が跳ねる。
「……救済案を提示する。君が卒業すると同時に、トルドー伯爵家との婚約を解消させるための『絶対的な証拠』は、俺がすべて用意する」
「証拠……。でも、ジェラール様、それではお姉様や家の名誉が……」
「名誉など、すでに彼女たちの手で汚されている。……マーガレット、君はもう、泥舟を守る必要はない。君の家族が不義に沈む前に、君を『カーライル公爵家の保護下』に置く。……俺の、婚約者として」
あまりにも大胆で、強引な申し出。けれど、ジェラールの瞳に迷いはなかった。
「俺の妻になれば、誰も君を責めることはできない。トルドー家も、君を繋ぎ止めることは不可能だ。……君はただ、俺の手を握っていればいい。……嫌か?」
彼は私の顎をすくい上げ、顔を近づけた。白檀の香りと、独占欲に満ちた熱い吐息。裏切りの茶色い世界から、私を強引に引き抜こうとする銀色の手。
「……私、のような傷物が、公爵家の……」
「君を傷物だなどと呼ぶ奴は、俺がすべて黙らせる。……俺の手を取ってくれ、マーガレット」
私は、震える唇を噛み締め、彼の胸に顔を埋めた。
リチャードの誠実さがリリエッタを壊し、フィリップの不実が家族を壊す。
そんな狂った連鎖の中で、この冷たくて熱い腕の中だけが、唯一の「真実」に思えたのだ。
「……お願いします。……私を、連れ出してください」
青の瞳が、満足げに細められた。
一方、シシリー邸では、ローザリアが「お祝い」のサファイアをリチャードに贈られ、吐き気を催しながら、偽りの幸福を演じ続けていた。
地獄への幕が、ついに上がり始めた。
__________
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ローザリアが、ついに懐妊したのだ。
「ああ、間違いありません。奥様のお腹には、新しい命が宿っております」
リチャードは溢れ出す喜びを抑えきれず、まだ膨らみも目立たないローザリアの腹部に、震える手で触れた。
それは、彼が何よりも重んじてきた「シシリーの黄金の血」の結晶。正妻との間にだけ成すと決めていた、誇り高き跡継ぎ。
「ありがとう、ローザリア……! よくやってくれた。君は、我が家の誇りだ」
リチャードの瞳には、妻への純粋な感謝と、未来への希望が満ち溢れていた。
一方、祝福を浴びるローザリアの顔は、死人のように蒼白だった。
その腹の中にいるのが、果たして夫の望む「黄金」なのか。それとも、あの不義の夜に刻まれた「茶色」の毒なのか。彼女だけが、その恐怖に 震え上がっていた。
――リチャードは、喜びの絶頂にありながら、一つの決断を下した。
愛する妻が命を懸けて跡継ぎを産もうとしている今、自分もまた「誠意」を見せねばならない。
彼はその日の夕刻、別宅にいるリリエッタの元を訪れた。
質素ながら手入れの行き届いた屋敷で、リリエッタはいつものように穏やかに彼を迎えた。
だが、リチャードの表情を見た瞬間、彼女はすべてを悟った。
「……リリエッタ。君には、感謝してもしきれない」
リチャードは、胸を締め付けられる思いで切り出した。
ローザリアが懐妊したこと。これからは、彼女と生まれてくる子のために、すべての時間を捧げたいということ。
「……承りましたわ、リチャード様」
リリエッタは、震える唇で微笑んだ。
彼女の瞳には、一筋の涙さえ浮かんでいない。
「困窮する我が男爵家にも、多大なるご支援をいただきました。今日まで、身に余るほどの愛情をかけていただき、私は本当に幸せでした。……どうぞ、奥様と、これからお生まれになる方を、何よりも大切になさってくださいませ」
「……リリエッタ。君は、どこまでも強く、優しい女性だ」
リチャードは彼女の手を取り、最期の惜別として、その甲に口づけをした。
彼は最後まで、リリエッタの微笑みの裏にある絶望に気づかなかった。
リチャードが部屋を去り、馬車の音が遠ざかった瞬間――。
「……っ……あああ……っ!」
それまで保っていた均衡が、音を立てて崩れ去った。
リリエッタは床に崩れ落ち、声を上げて、子供のように激しく泣きじゃくった。
「リチャード様……。リチャード様……! 愛しておりますわ……本当は、行かないでと言いたかった……っ! うあああぁん……!」
彼女の号泣が、静かな部屋に木霊する。
傍らで見守る侍女と、扉の外で控えていた護衛は、沈痛な面持ちで俯くしかなかった。
彼らは知っていた。リリエッタが、どれほど純粋にリチャードを慕い、彼が望む「立派な侯爵」であるために、どれほど自分を殺して身を引いてきたかを。
その残酷な愛の終焉を知る由もなく、学園の温室では、ジェラールがマーガレットと対峙していた。
夕闇が迫る温室。ガラス越しに差し込む紫色の光が、ジェラールの銀髪を妖しく照らし出す。
「……マーガレット。君がフィリップ殿と距離を置いたことは、賢明な判断だ。だが、それでは足りない」
ジェラールは私の手を取り、逃がさないように指を絡めた。
その力の強さに、私の心臓が跳ねる。
「……救済案を提示する。君が卒業すると同時に、トルドー伯爵家との婚約を解消させるための『絶対的な証拠』は、俺がすべて用意する」
「証拠……。でも、ジェラール様、それではお姉様や家の名誉が……」
「名誉など、すでに彼女たちの手で汚されている。……マーガレット、君はもう、泥舟を守る必要はない。君の家族が不義に沈む前に、君を『カーライル公爵家の保護下』に置く。……俺の、婚約者として」
あまりにも大胆で、強引な申し出。けれど、ジェラールの瞳に迷いはなかった。
「俺の妻になれば、誰も君を責めることはできない。トルドー家も、君を繋ぎ止めることは不可能だ。……君はただ、俺の手を握っていればいい。……嫌か?」
彼は私の顎をすくい上げ、顔を近づけた。白檀の香りと、独占欲に満ちた熱い吐息。裏切りの茶色い世界から、私を強引に引き抜こうとする銀色の手。
「……私、のような傷物が、公爵家の……」
「君を傷物だなどと呼ぶ奴は、俺がすべて黙らせる。……俺の手を取ってくれ、マーガレット」
私は、震える唇を噛み締め、彼の胸に顔を埋めた。
リチャードの誠実さがリリエッタを壊し、フィリップの不実が家族を壊す。
そんな狂った連鎖の中で、この冷たくて熱い腕の中だけが、唯一の「真実」に思えたのだ。
「……お願いします。……私を、連れ出してください」
青の瞳が、満足げに細められた。
一方、シシリー邸では、ローザリアが「お祝い」のサファイアをリチャードに贈られ、吐き気を催しながら、偽りの幸福を演じ続けていた。
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