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女と、その子の処遇
昨夜の絶望は、一晩経って、鋭利な刃物のような怒りへと変わっていた。
セバスチャンの善性は、自分に都合の悪い事実から目を逸らすための盾でしかない。彼はオードリーを救った「ナイト」でありたかっただけで、その影で踏みにじられる妻の心には、最初から想像力が及んでいなかったのだ。
「お父様。私は、この話をすぐに社交界へ出すつもりはありません。フィオルッチ家の名誉のためにも」
パトリシアは努めて冷静に、父へと向き直った。
「ですが、条件があります。オードリー男爵令嬢とあの子を、この屋敷の別棟に住まわせてください」
「パトリシア!? 何を言っているんだ!」
驚く父を制し、パトリシアは続けた。
「彼らを野放しにすれば、どこから噂が漏れるかわかりません。我が家の監視下に置くのです。そしてセバスチャン、あなたには……この代償を一生かけて払ってもらいます。あなたは私の夫として、これまで以上に完璧に振る舞って下さい。人前では私を愛し、慈しみ、フィオルッチ家の忠実な婿として働いて下さい。……ただし、私の寝室への入室は二度と許しません」
「そんな……それじゃあ、僕たちは仮面夫婦になるというのか」
セバスチャンが絶望に染まった顔で見上げる。
「ええ、そうよ。あなたが選んだ道だわ。慈悲深い夫として、愛人と隠し子を守りたいのでしょう? ならば、そのための『地位』と『資金』を私から買いなさい。あなたの人生の自由を、その支払いに充ててもらうわ」
パトリシアの心は、自分でも驚くほど冷えていた。
信じていた愛は、昨夜の霧と共に消えた。残ったのは、侯爵家を守らねばならないという義務感と、夫への底冷えするような軽蔑だけだ。
ふと、パトリシアは窓の外を見下ろした。
そこには、昨夜連れてこられたオードリーが、息子を抱いて庭の端に立っているのが見えた。彼女は、自分たちの運命が決まるこの部屋を、どのような思いで見上げているのだろうか。
誰が悪いのか。
兄の愛人でありながら、弟をも受け入れた女か。
慈悲の仮面を被った、あまりに幼い夫か。
それとも、この地獄を自らの管理下に置こうと決めた、自分なのか。
「話は終わりです。セバスチャン、顔を上げなさい。……今日から、あなたの地獄が始まるのよ」
パトリシアは、背筋を正して応接室を後にした。
その足取りは、昨日よりもずっと確かなものになっていた。
部屋を後にするパトリシアの背を、セバスチャンはただ見つめることしかできなかった。
やがて侯爵夫妻も何も言わずに去り、取り残された彼は、力を失ったようにソファへ崩れ落ちた。
「……パトリシア」
虚空に妻の名を呼んでみるが、返ってくるのは冷たい夜風の音だけだった。
彼の「善意」という名の独りよがりは、最も守りたかったパトリシアの心を、手の届かない場所まで突き飛ばしてしまった。
セバスチャンにとって、オードリーという女性は、常に「過去の断片」でしかなかった。
それは、十一歳の頃から彼を見守り、病弱な長兄レジナルドの傍らで静かに控えていた、伯爵家の背景の一部。
十七歳で長兄が亡くなり、オードリーがセバスチャンの専属の侍女となってからも、その認識が変わることはなかった。
「セバスチャン様、お召し替えを」
「セバスチャン様、お茶が入りました」
彼女は当たり前のように彼の世話を焼き、彼はそれを当たり前のように受け止めていた。
十五歳の夏、衝動に任せて彼女を抱いたときでさえ、そこに恋心など一欠片も存在しなかった。
ただ、長兄が愛したものを自分も知らねばならないという、妙な焦燥に似た義務感。
あるいは、初めて触れる女性の肌という未知への好奇心が、彼女の差し出す諦念に満ちた身体と、偶然にも合致してしまっただけのことだった。
だから、次兄のルドルフに彼女との関係を糾弾され、彼女が解雇されたときも、セバスチャンはさしたる痛みを感じなかった。
もちろん、解雇されるオードリーに対する申し訳なさはあった。けれど、それは長年使った家具が壊れてしまったときのような、生活の一部が欠けたことへの戸惑いに過ぎなかったのだ。
学園に通い、パトリシアという光に出会い、十六歳で婚約が調ってからは、徐々にオードリーの存在など記憶の隅に追いやられていた。
「パトリシア、今日の講義はどうだった?」
「ええ、とても有意義だったわ、セバスチャン」
聡明で、凛としていて、それでいて自分にだけは人見知りの素顔を見せてくれる婚約者。彼女と過ごす時間は、セバスチャンにとって何物にも代えがたい「輝かしい未来」そのものだった。
その時、夜風が窓枠を強く叩いた。まるで、パトリシアの怒りがセバスチャンの胸を打つかのように。
セバスチャンは、ゆっくりと立ち上がった。――失う前に、まだできることがあるはずだと。
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セバスチャンの善性は、自分に都合の悪い事実から目を逸らすための盾でしかない。彼はオードリーを救った「ナイト」でありたかっただけで、その影で踏みにじられる妻の心には、最初から想像力が及んでいなかったのだ。
「お父様。私は、この話をすぐに社交界へ出すつもりはありません。フィオルッチ家の名誉のためにも」
パトリシアは努めて冷静に、父へと向き直った。
「ですが、条件があります。オードリー男爵令嬢とあの子を、この屋敷の別棟に住まわせてください」
「パトリシア!? 何を言っているんだ!」
驚く父を制し、パトリシアは続けた。
「彼らを野放しにすれば、どこから噂が漏れるかわかりません。我が家の監視下に置くのです。そしてセバスチャン、あなたには……この代償を一生かけて払ってもらいます。あなたは私の夫として、これまで以上に完璧に振る舞って下さい。人前では私を愛し、慈しみ、フィオルッチ家の忠実な婿として働いて下さい。……ただし、私の寝室への入室は二度と許しません」
「そんな……それじゃあ、僕たちは仮面夫婦になるというのか」
セバスチャンが絶望に染まった顔で見上げる。
「ええ、そうよ。あなたが選んだ道だわ。慈悲深い夫として、愛人と隠し子を守りたいのでしょう? ならば、そのための『地位』と『資金』を私から買いなさい。あなたの人生の自由を、その支払いに充ててもらうわ」
パトリシアの心は、自分でも驚くほど冷えていた。
信じていた愛は、昨夜の霧と共に消えた。残ったのは、侯爵家を守らねばならないという義務感と、夫への底冷えするような軽蔑だけだ。
ふと、パトリシアは窓の外を見下ろした。
そこには、昨夜連れてこられたオードリーが、息子を抱いて庭の端に立っているのが見えた。彼女は、自分たちの運命が決まるこの部屋を、どのような思いで見上げているのだろうか。
誰が悪いのか。
兄の愛人でありながら、弟をも受け入れた女か。
慈悲の仮面を被った、あまりに幼い夫か。
それとも、この地獄を自らの管理下に置こうと決めた、自分なのか。
「話は終わりです。セバスチャン、顔を上げなさい。……今日から、あなたの地獄が始まるのよ」
パトリシアは、背筋を正して応接室を後にした。
その足取りは、昨日よりもずっと確かなものになっていた。
部屋を後にするパトリシアの背を、セバスチャンはただ見つめることしかできなかった。
やがて侯爵夫妻も何も言わずに去り、取り残された彼は、力を失ったようにソファへ崩れ落ちた。
「……パトリシア」
虚空に妻の名を呼んでみるが、返ってくるのは冷たい夜風の音だけだった。
彼の「善意」という名の独りよがりは、最も守りたかったパトリシアの心を、手の届かない場所まで突き飛ばしてしまった。
セバスチャンにとって、オードリーという女性は、常に「過去の断片」でしかなかった。
それは、十一歳の頃から彼を見守り、病弱な長兄レジナルドの傍らで静かに控えていた、伯爵家の背景の一部。
十七歳で長兄が亡くなり、オードリーがセバスチャンの専属の侍女となってからも、その認識が変わることはなかった。
「セバスチャン様、お召し替えを」
「セバスチャン様、お茶が入りました」
彼女は当たり前のように彼の世話を焼き、彼はそれを当たり前のように受け止めていた。
十五歳の夏、衝動に任せて彼女を抱いたときでさえ、そこに恋心など一欠片も存在しなかった。
ただ、長兄が愛したものを自分も知らねばならないという、妙な焦燥に似た義務感。
あるいは、初めて触れる女性の肌という未知への好奇心が、彼女の差し出す諦念に満ちた身体と、偶然にも合致してしまっただけのことだった。
だから、次兄のルドルフに彼女との関係を糾弾され、彼女が解雇されたときも、セバスチャンはさしたる痛みを感じなかった。
もちろん、解雇されるオードリーに対する申し訳なさはあった。けれど、それは長年使った家具が壊れてしまったときのような、生活の一部が欠けたことへの戸惑いに過ぎなかったのだ。
学園に通い、パトリシアという光に出会い、十六歳で婚約が調ってからは、徐々にオードリーの存在など記憶の隅に追いやられていた。
「パトリシア、今日の講義はどうだった?」
「ええ、とても有意義だったわ、セバスチャン」
聡明で、凛としていて、それでいて自分にだけは人見知りの素顔を見せてくれる婚約者。彼女と過ごす時間は、セバスチャンにとって何物にも代えがたい「輝かしい未来」そのものだった。
その時、夜風が窓枠を強く叩いた。まるで、パトリシアの怒りがセバスチャンの胸を打つかのように。
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