婿入りした最愛の夫が、隠し子を連れ帰った 〜妻の報復と夫の絶望〜

恋せよ恋

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飼い殺しの庭園

 あれから、五年という歳月が流れた。
 フィオルッチ侯爵邸の庭園は、以前にも増して見事に整えられている。季節ごとに咲き乱れる花々は、一分の隙もなく、当主であるパトリシアの意志を体現しているかのようだった。

 その庭園の片隅で、一人の少年が土を弄っている。
 七歳になったルーカスは、父親であるセバスチャンに生き写しの美貌を持って成長していた。けれど、その身に纏っているのは上質な絹の衣服ではなく、庭師見習いの地味な麻の作業着である。

「ルーカス、そこはもっと深く掘るようにと教えたはずだ」
 背後から声をかけたのは、完璧な正装を纏ったセバスチャンだった。

 かつて婿養子として迎えられた頃の、ふわりとした春の風のような空気は、今の彼には微塵も残っていない。顔立ちは相変わらず美しいが、その表情は常に張り詰めた弦のように硬く、どこか生気を欠いている。

「はい、旦那様」
 ルーカスが立ち上がり、小さな手で泥を払い、深々と頭を下げる。
 実の息子が、自分を「お父様」ではなく「旦那様」と呼び、主人に対する礼節を尽くす。その光景を、セバスチャンは心臓を針で刺されるような思いで見つめることしかできなかった。

「……よろしい。午後は別棟の掃除も手伝いなさい」
 セバスチャンがそう告げたとき、本館の回廊から、凛とした声が響いた。
「セバスチャン、いつまでそこにいるの? 今日は王立学院の視察に同行してもらうと言ったはずよ」

 パトリシアだった。
 二十七歳になった彼女は、熟した果実のような艶やかな美しさを放っていた。けれどその瞳は、一度もセバスチャンと視線を合わせることはない。彼女が見ているのは、常に「侯爵夫人としての公務」か、あるいは「自分に傅く夫という役割」だけだった。

「今、行きます、パトリシア」
 セバスチャンは慌ててルーカスに背を向け、妻の元へと駆け寄る。
 折角、息子と言葉を交わせる僅かな時間さえ、パトリシアは計算されたかのように断ち切っていく。

 二人が馬車に乗り込む際、社交上手なセバスチャンは、跪いてパトリシアの足元を整えた。
「今日は、迎えの時間を少し早めようか。帰りに君の好きな宝石店へ……」
「必要ないわ。貴方の独断で私の時間を消費しないでちょうだい」
 パトリシアは冷たく突き放す。セバスチャンの優しさは、もはや彼女の心に届くことはなかった。

 馬車が屋敷を離れる際、パトリシアは窓の外を見つめた。
 別棟の窓から、洗濯物を干すオードリーの姿が見える。彼女は今や、この屋敷の「影」として、存在を許されているだけの幽霊のような存在だった。

 セバスチャンが夜な夜な、パトリシアの寝室ではなく、暗闇に紛れて別棟の扉を叩いていることを、パトリシアはすべて知っている。それを敢えて咎めないのは、それが彼をより深く沈め、自分への負い目を永遠に消さないための鍵だからだ。

 孤独であればこそ、誰にも裏切られることはない。
 
 社交界では、今やパトリシアの冷徹さは有名になっていた。「フィオルッチ夫人は、夫を完璧に飼い慣らしている」と。
 かつてのクラスメイトたちが、賑やかに子供の自慢話をしている輪の中でも、パトリシアはただ美しく微笑み、沈黙を守り続ける。その神秘性が、彼女の権威をさらに高めていた。

「セバスチャン、今日の夜会では、ルドルフ伯爵との談笑を絶やさないで。我が家がオーチル家を後見している事実を、改めて周囲に認識させる必要があるわ」
「分かっているよ。……君の言う通りにする」
 セバスチャンの返答は、感情を排した木霊のようだった。
 
 パトリシアは、隣に座る夫の手を、そっと自分の手で覆った。
 けれど、それは愛情ゆえの接触ではない。冷え切った硝子同士が触れ合うような、拒絶を含んだ儀式。
 
「ええ、頼んだわ。セバスチャン」
 パトリシアは、壊れた人形を愛でるような薄い笑みを浮かべた。
 
 早々に真実が明かされたあの日から、この屋敷の時計は止まったままだ。黄金色の幸福を夢見た少女の骸の上に、今のパトリシアは立っている。彼女が手に入れたのは、揺るぎない支配と、永遠に癒えることのない、気高い孤独。
 
 夕闇が迫る街並みを眺めながら、パトリシアは思った。
 これでいい。誰一人として幸せにはなれなくとも、フィオルッチの名だけは、誰よりも高く、美しく、冷酷に輝き続けるのだから。
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