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夫への不信感
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待ち合わせ場所に向かったジョシュアは、二人きりで会うのが気詰まりで、今回もローズマリーを連れてきた。
しかし、それが妻フローレンスに対する手酷い裏切りであることには、まったく気づいていなかった。
もともとは学園の同期で、優秀だったカサンドラとの会話は、純粋に楽しいものだった。昔話で笑い合い、自然に距離が縮まる。
フローレンスにも話せないことが、なぜか彼女には言えてしまう。
「僕は、こんなに自然に笑えたの久しぶりだ……」そんな気付きが胸に浮かぶ。
心地よい安心感と懐かしさ、それに少しの切なさ。
一時期、確かに特別な関係にあったが、学園卒業以来、まったく連絡を取っていなかった。忘れていたと言っても差し支えないほど、カサンドラとの関係はすでに終わったものだった。
特に深い会話もなく、それぞれが子供を連れた旧友との再会を楽しむ思い出話で時間は過ぎ、二人は笑顔で別れた。
――だが、噂好きの人々にとっては格好の話題となった。
「ねえ、あれ! 昔、噂になった二人じゃない?」
「あら! 確か、女性の方は隣国に嫁いだはずよ……。」
「なんだか色っぽい方ね……夫には絶対に紹介したくないわ。」
噂は、静かに、しかし着実に人々の口から口へと広まっていった。
フローレンスは、リビングの窓辺に立ち、夜の邸宅を静かに見つめていた。
ローズマリーが眠る寝室の扉をそっと閉めると、そのまま背を伸ばし、深く息を吐く。
あの頃の無邪気な少女だった自分はもういない。
伯爵夫人として邸宅を取り仕切り、母としてローズマリーを育てる中で、細やかな観察力と判断力を身につけていた。
ジョシュアの行動には、ほんのわずかな違和感が伴っていた。
もともと優しい“お兄様”のような夫だったが……小さな贈り物が増えている。
「可愛いキャンドルがあったから、フローラが気に入ると思ってね」
「美味しそうなお茶菓子を見つけたんだ」
「この茶葉が最近の話題だそうだよ」
ジョシュアの表情や声には、どこかぎこちなく不自然さが見える瞬間があった。
もちろん、大好きな夫からの贈り物は嬉しく、感動もする。
しかし同時に、物足りなさも感じてしまう。
(できれば一緒に出かけたかったわ……)
最近増えた短時間の外出の理由も、どこか不自然だ。
わざわざ小さな理由を口にする言葉や態度に、微妙な間や緊張が見える。
「友人が奥様への贈り物を探していて、同伴を頼まれたんだよ。ごめんね」
(“ごめんね”って、何に謝っているの?)
「急に打ち合わせが入ってね。すぐに帰ってくるよ」
(なぜ、打ち合わせの帰りにキャンドルがお土産なの?)
「帰ろうとしていたら仕事の連絡が入ってさ……」
(その時間には、ケーキ屋さんは閉店しているわよ)
ジョシュアの愛情は疑っていない。
彼は、私を愛している。それは絶対に揺るがない自信だ。
(ジョシュ、私はいつまでも、あなたの“可愛い幼いお姫さま”ではないのよ)
あの日、夜会から帰った彼の優しさは、どこか不自然だった。
その表情や声には、落ち着かない色が混じっている。フローレンスの目は、それを見逃さない。
今のわたしは母として、伯爵夫人としての直感が警鐘を鳴らすのだ。
「……ジョシュア」
心の中で呟くと、胸の奥に鋭い痛みが走った。
わたしは、冷静な視線でジョシュアを見つめる大人になっていた。
笑顔の裏に潜む緊張、微妙な挙動、そして言葉の端々に漂う違和感――それらを、フローレンスは静かに、しかし確実に読み取る。
幼馴染としての甘さはもうなく、観察と直感に裏打ちされた警戒心だけが、冷静に彼女の心を支配していた。
◇◇◇
「ええ、ジョシュアの訪問先を……すべて報告してちょうだい。」
フローレンスは穏やかな微笑みを浮かべながら、ジョシュアの侍従たちに告げた。
声は柔らかい。けれど、その奥にある“命令”は誰よりも鋭い。
カサンドラとの再会を巡る噂――。
火種のうちに摘み取らなければ、伯爵家の名誉も、ローズマリーの未来も曇らされてしまう。
「承知いたしました。必ず詳細までご報告いたします。」
深々と頭を下げる侍従を見送りながら、フローレンスはカップにそっと口をつけた。
友人・知人、そして社交場で出会う夫人方には、あえて“相談”という形で噂を上書きしていく。
夫の過去の女性について悩む、健気で献身的な妻――その役を演じるのは造作もなかった。
結婚後ずっと『おしどり夫婦』として知られていたジョシュアに突然降りかかった“昔の恋人との不貞疑惑”。
それも、フローレンスが優雅に編んだ「新しい噂」によって、静かに形を変えつつあった。
彼女は家族やジョシュアの前では、『純粋で可憐なフローラ』。
涙ぐみ、はにかみ、少し頼りなくて守りたくなる妻。
――それが、周囲が望む“完璧なフローラ”だから。
だが、クラリッサたち本当に近しい者だけが知っている。
フローレンスは、冷静で、計算高く、必要とあれば微笑みながら人の手をそっと添えて“正しい方向”へ押す女だということを。
(ローズマリーの将来を曇らせる噂なんて――この私が許すわけないでしょう?
……ジョシュ。あなたが頼りにならないなら、私が全部整えてあげるわ。)
フローレンスは今日も優雅にお茶会へ向かう。
噂を、真実ごと書き換えるために。
そしてその唇には、誰にも気づかれないほど薄く――冷たい微笑みが浮かんでいた。
______________
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しかし、それが妻フローレンスに対する手酷い裏切りであることには、まったく気づいていなかった。
もともとは学園の同期で、優秀だったカサンドラとの会話は、純粋に楽しいものだった。昔話で笑い合い、自然に距離が縮まる。
フローレンスにも話せないことが、なぜか彼女には言えてしまう。
「僕は、こんなに自然に笑えたの久しぶりだ……」そんな気付きが胸に浮かぶ。
心地よい安心感と懐かしさ、それに少しの切なさ。
一時期、確かに特別な関係にあったが、学園卒業以来、まったく連絡を取っていなかった。忘れていたと言っても差し支えないほど、カサンドラとの関係はすでに終わったものだった。
特に深い会話もなく、それぞれが子供を連れた旧友との再会を楽しむ思い出話で時間は過ぎ、二人は笑顔で別れた。
――だが、噂好きの人々にとっては格好の話題となった。
「ねえ、あれ! 昔、噂になった二人じゃない?」
「あら! 確か、女性の方は隣国に嫁いだはずよ……。」
「なんだか色っぽい方ね……夫には絶対に紹介したくないわ。」
噂は、静かに、しかし着実に人々の口から口へと広まっていった。
フローレンスは、リビングの窓辺に立ち、夜の邸宅を静かに見つめていた。
ローズマリーが眠る寝室の扉をそっと閉めると、そのまま背を伸ばし、深く息を吐く。
あの頃の無邪気な少女だった自分はもういない。
伯爵夫人として邸宅を取り仕切り、母としてローズマリーを育てる中で、細やかな観察力と判断力を身につけていた。
ジョシュアの行動には、ほんのわずかな違和感が伴っていた。
もともと優しい“お兄様”のような夫だったが……小さな贈り物が増えている。
「可愛いキャンドルがあったから、フローラが気に入ると思ってね」
「美味しそうなお茶菓子を見つけたんだ」
「この茶葉が最近の話題だそうだよ」
ジョシュアの表情や声には、どこかぎこちなく不自然さが見える瞬間があった。
もちろん、大好きな夫からの贈り物は嬉しく、感動もする。
しかし同時に、物足りなさも感じてしまう。
(できれば一緒に出かけたかったわ……)
最近増えた短時間の外出の理由も、どこか不自然だ。
わざわざ小さな理由を口にする言葉や態度に、微妙な間や緊張が見える。
「友人が奥様への贈り物を探していて、同伴を頼まれたんだよ。ごめんね」
(“ごめんね”って、何に謝っているの?)
「急に打ち合わせが入ってね。すぐに帰ってくるよ」
(なぜ、打ち合わせの帰りにキャンドルがお土産なの?)
「帰ろうとしていたら仕事の連絡が入ってさ……」
(その時間には、ケーキ屋さんは閉店しているわよ)
ジョシュアの愛情は疑っていない。
彼は、私を愛している。それは絶対に揺るがない自信だ。
(ジョシュ、私はいつまでも、あなたの“可愛い幼いお姫さま”ではないのよ)
あの日、夜会から帰った彼の優しさは、どこか不自然だった。
その表情や声には、落ち着かない色が混じっている。フローレンスの目は、それを見逃さない。
今のわたしは母として、伯爵夫人としての直感が警鐘を鳴らすのだ。
「……ジョシュア」
心の中で呟くと、胸の奥に鋭い痛みが走った。
わたしは、冷静な視線でジョシュアを見つめる大人になっていた。
笑顔の裏に潜む緊張、微妙な挙動、そして言葉の端々に漂う違和感――それらを、フローレンスは静かに、しかし確実に読み取る。
幼馴染としての甘さはもうなく、観察と直感に裏打ちされた警戒心だけが、冷静に彼女の心を支配していた。
◇◇◇
「ええ、ジョシュアの訪問先を……すべて報告してちょうだい。」
フローレンスは穏やかな微笑みを浮かべながら、ジョシュアの侍従たちに告げた。
声は柔らかい。けれど、その奥にある“命令”は誰よりも鋭い。
カサンドラとの再会を巡る噂――。
火種のうちに摘み取らなければ、伯爵家の名誉も、ローズマリーの未来も曇らされてしまう。
「承知いたしました。必ず詳細までご報告いたします。」
深々と頭を下げる侍従を見送りながら、フローレンスはカップにそっと口をつけた。
友人・知人、そして社交場で出会う夫人方には、あえて“相談”という形で噂を上書きしていく。
夫の過去の女性について悩む、健気で献身的な妻――その役を演じるのは造作もなかった。
結婚後ずっと『おしどり夫婦』として知られていたジョシュアに突然降りかかった“昔の恋人との不貞疑惑”。
それも、フローレンスが優雅に編んだ「新しい噂」によって、静かに形を変えつつあった。
彼女は家族やジョシュアの前では、『純粋で可憐なフローラ』。
涙ぐみ、はにかみ、少し頼りなくて守りたくなる妻。
――それが、周囲が望む“完璧なフローラ”だから。
だが、クラリッサたち本当に近しい者だけが知っている。
フローレンスは、冷静で、計算高く、必要とあれば微笑みながら人の手をそっと添えて“正しい方向”へ押す女だということを。
(ローズマリーの将来を曇らせる噂なんて――この私が許すわけないでしょう?
……ジョシュ。あなたが頼りにならないなら、私が全部整えてあげるわ。)
フローレンスは今日も優雅にお茶会へ向かう。
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そしてその唇には、誰にも気づかれないほど薄く――冷たい微笑みが浮かんでいた。
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