3 / 3
崩れ去る信頼と兄の変貌
しおりを挟む
学園の放課後、人目を避けるようにしてティファニーの元を訪れたのは、兄ヘンリーの婚約者、エリザベス・ヨーク侯爵令嬢だった。
普段は冷静で凛とした彼女だが、今のその顔は幽霊のように青白く、手元が微かに震えている。
「ティファニー様……。突然押しかけて、ごめんなさい」
「エリザベス様! どうされたのですか、そのお姿……」
ティファニーは慌てて彼女を自室へ招き入れた。エリザベスの着ているドレスの裾は泥で汚れ、結い上げられた髪も乱れていた。
エリザベスは椅子に腰を下ろすと、顔を覆って小さく声を漏らした。
「……ヘンリー様に、会ってきましたわ。フローレンス王女の離宮に、つきっきりだとお聞きして……」
「お兄様に? それで?いったい なにがあったのですか?」
「『君との結婚は、家同士が決めただけの義務だ。今の私には、守るべき真実の愛がある。邪魔をしないでくれ』……と。それだけではありません。私の隣で、フローレンス様が『まあ、お可哀想に。そんなに愛されていないなんて、女として恥ずかしくありませんの?』と、あざ笑われたのです……」
ティファニーは絶句した。
兄ヘンリーは、かつてはエリザベスを尊重し、誕生日には彼女の好きな百合の花を贈るような、誠実な男だったはずだ。それが、留学してきたばかりの王女に、そこまで毒されてしまったというのか。
「お兄様まで……。エリザベス様、あの方は……フローレンス様は恐ろしい方です。私にも、誰にも見えないところで嫌がらせを……」
「ええ、分かっています。わたくしの兄、ダニエルも心配してくれていますが、ヘンリー様は兄の忠告すら『フローレンス王女への不敬だ』と切り捨てたそうですわ」
ティファニーはエリザベスの冷え切った手を握りしめた。
身近な肉親が、他国の王女の甘い言葉ひとつで、まるで別人のように変わってしまう。
その恐怖と孤独を共有できるのは、今はもう、互いしかいなかった。
「……お話ししましょう、エリザベス様。私たちは、負けてはいけません」
二人が手を取り合っていた、その時。
バタン! と乱暴に扉が開かれた。
「何をしている、ティファニー!」
現れたのは、怒りに顔を歪めたヘンリーだった。その後ろには、事もあろうに第一王子エイドリアンも控えている。
「お兄様……。ノックもせずに、何事ですか」
「黙れ! エリザベス、君もだ。君がティファニーに良からぬ知恵を吹き込み、フローレンス王女を陥れようと画策しているという報告を受けたぞ」
エイドリアンが冷ややかな一歩を踏み出す。
「フローレンス王女が泣いていたぞ。自分のせいでロレンタ家の兄妹仲が悪くなったのではないか、自分がいなければ皆が幸せだったのに……と。彼女の純粋な心を傷つけることが、そんなに楽しいのか!」
ティファニーはあまりの理不尽さに、笑い出しそうになった。
泣きたいのはこちらだ。傷ついているのは、ここにいる二人だ。
昨日ティファニーの掌に爪をたて傷つけた張本人であるフローレンス王女は、その事実など意にも留めず、今日もまた「悲劇のヒロイン」として男たちを操っていた。
「エイドリアン様、お兄様。私たちは何も画策などしていません。ただ、あまりに不当な扱いに、互いを慰め合っていただけです」
「慰め合う? 陰口の間違いだろう」
ヘンリーがエリザベスの前に立ち、吐き捨てるように言った。
「エリザベス、君との婚約は、父上に願い出て白紙にしてもらうつもりだ。これ以上、君のような執念深い女と人生を共にするなど耐えられない」
エリザベスの顔から、完全に血の気が引いた。
侯爵家同士の婚約破棄。それがどれほどのスキャンダルになり、女性の人生を破壊するか、ヘンリーが知らないはずがない。
「お兄様! 正気ですか!? エリザベス様に何の非があるというのです!」
「非? フローレンス王女を不快にさせたこと自体が万死に値する罪だ! ティファニー、お前もだ。エイドリアン殿下に感謝しろ。本来なら今すぐ廃嫡して修道院送りになってもおかしくないところを、殿下が慈悲深くもまだ様子を見てくださっているのだからな」
エイドリアンは興味なさげに視線を逸らした。
「フン、慈悲ではない。ただの事務手続きが面倒なだけだ。……行くぞ、ヘンリー。フローレンス王女が馬車で待っている」
嵐のように去っていく二人。
残されたのは、静まり返った部屋と、床に崩れ落ちて震えるエリザベスだった。
「……終わりましたわ。わたくしの人生、すべて……」
「いいえ、エリザベス様。終わらせてたまるものですか」
ティファニーは、怒りで体が震えていた。
自分の愛した婚約者。尊敬していた兄。
彼らは今、異国の王女が振り撒く甘い魅力に酔いしれ、長年支えてきた家族や恋人を、ゴミのように捨てようとしている。
ティファニーは窓の外を見た。
我が家のエントランスに停車する豪奢な馬車の外に立つフローレンスがエイドリアンとヘンリーの両脇に手を添え、こちらを見上げているのが見えた。彼女は、扇で口元を隠しながら、勝ち誇ったように目を細めている。
――その時だった。
部屋の奥、扉の影から、一人の男が静かに姿を現した。チャールズだ。
彼は窓際で王女を見つめるティファニーの横に立ち、低く、力強い声で告げた。
「……ティファニー嬢、大丈夫かい? “アイツ”が本性を見せれば見せるほど、その破滅は早まるはずさ」
「チャールズ様……。こちらに来てくださったのですか?相談に乗っていただけるとは思いませんでした」
「ああ。酷い有様だ。だが、絶望するにはまだ早い。ヨーク侯爵家の嫡男ダニエル殿も、すでに動き始めているのだろう?」
チャールズは、ティファニーの震える肩に、そっと自分の上着をかけた。
「あなたは一人ではない。私とダニエル殿が、必ずあなた方を守ります」
その言葉に、ティファニーは初めて、暗闇の中に一筋の光を見た気がした。
味方は少ない。敵は王太子と兄である次期侯爵、そして隣国の王女。
けれど、真実を隠し通せるほど、この世は甘くはない。
ティファニーは、エリザベスの手を引き、優しく立ち上がらせた。
「エリザベス様、ダニエル様を呼びしましょう。私たちは、ただ泣いて捨てられるだけの令嬢ではありませんわ」
反撃の種火は、この小さな部屋で、静かに、けれど熱く灯ったのである。
_____________________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
普段は冷静で凛とした彼女だが、今のその顔は幽霊のように青白く、手元が微かに震えている。
「ティファニー様……。突然押しかけて、ごめんなさい」
「エリザベス様! どうされたのですか、そのお姿……」
ティファニーは慌てて彼女を自室へ招き入れた。エリザベスの着ているドレスの裾は泥で汚れ、結い上げられた髪も乱れていた。
エリザベスは椅子に腰を下ろすと、顔を覆って小さく声を漏らした。
「……ヘンリー様に、会ってきましたわ。フローレンス王女の離宮に、つきっきりだとお聞きして……」
「お兄様に? それで?いったい なにがあったのですか?」
「『君との結婚は、家同士が決めただけの義務だ。今の私には、守るべき真実の愛がある。邪魔をしないでくれ』……と。それだけではありません。私の隣で、フローレンス様が『まあ、お可哀想に。そんなに愛されていないなんて、女として恥ずかしくありませんの?』と、あざ笑われたのです……」
ティファニーは絶句した。
兄ヘンリーは、かつてはエリザベスを尊重し、誕生日には彼女の好きな百合の花を贈るような、誠実な男だったはずだ。それが、留学してきたばかりの王女に、そこまで毒されてしまったというのか。
「お兄様まで……。エリザベス様、あの方は……フローレンス様は恐ろしい方です。私にも、誰にも見えないところで嫌がらせを……」
「ええ、分かっています。わたくしの兄、ダニエルも心配してくれていますが、ヘンリー様は兄の忠告すら『フローレンス王女への不敬だ』と切り捨てたそうですわ」
ティファニーはエリザベスの冷え切った手を握りしめた。
身近な肉親が、他国の王女の甘い言葉ひとつで、まるで別人のように変わってしまう。
その恐怖と孤独を共有できるのは、今はもう、互いしかいなかった。
「……お話ししましょう、エリザベス様。私たちは、負けてはいけません」
二人が手を取り合っていた、その時。
バタン! と乱暴に扉が開かれた。
「何をしている、ティファニー!」
現れたのは、怒りに顔を歪めたヘンリーだった。その後ろには、事もあろうに第一王子エイドリアンも控えている。
「お兄様……。ノックもせずに、何事ですか」
「黙れ! エリザベス、君もだ。君がティファニーに良からぬ知恵を吹き込み、フローレンス王女を陥れようと画策しているという報告を受けたぞ」
エイドリアンが冷ややかな一歩を踏み出す。
「フローレンス王女が泣いていたぞ。自分のせいでロレンタ家の兄妹仲が悪くなったのではないか、自分がいなければ皆が幸せだったのに……と。彼女の純粋な心を傷つけることが、そんなに楽しいのか!」
ティファニーはあまりの理不尽さに、笑い出しそうになった。
泣きたいのはこちらだ。傷ついているのは、ここにいる二人だ。
昨日ティファニーの掌に爪をたて傷つけた張本人であるフローレンス王女は、その事実など意にも留めず、今日もまた「悲劇のヒロイン」として男たちを操っていた。
「エイドリアン様、お兄様。私たちは何も画策などしていません。ただ、あまりに不当な扱いに、互いを慰め合っていただけです」
「慰め合う? 陰口の間違いだろう」
ヘンリーがエリザベスの前に立ち、吐き捨てるように言った。
「エリザベス、君との婚約は、父上に願い出て白紙にしてもらうつもりだ。これ以上、君のような執念深い女と人生を共にするなど耐えられない」
エリザベスの顔から、完全に血の気が引いた。
侯爵家同士の婚約破棄。それがどれほどのスキャンダルになり、女性の人生を破壊するか、ヘンリーが知らないはずがない。
「お兄様! 正気ですか!? エリザベス様に何の非があるというのです!」
「非? フローレンス王女を不快にさせたこと自体が万死に値する罪だ! ティファニー、お前もだ。エイドリアン殿下に感謝しろ。本来なら今すぐ廃嫡して修道院送りになってもおかしくないところを、殿下が慈悲深くもまだ様子を見てくださっているのだからな」
エイドリアンは興味なさげに視線を逸らした。
「フン、慈悲ではない。ただの事務手続きが面倒なだけだ。……行くぞ、ヘンリー。フローレンス王女が馬車で待っている」
嵐のように去っていく二人。
残されたのは、静まり返った部屋と、床に崩れ落ちて震えるエリザベスだった。
「……終わりましたわ。わたくしの人生、すべて……」
「いいえ、エリザベス様。終わらせてたまるものですか」
ティファニーは、怒りで体が震えていた。
自分の愛した婚約者。尊敬していた兄。
彼らは今、異国の王女が振り撒く甘い魅力に酔いしれ、長年支えてきた家族や恋人を、ゴミのように捨てようとしている。
ティファニーは窓の外を見た。
我が家のエントランスに停車する豪奢な馬車の外に立つフローレンスがエイドリアンとヘンリーの両脇に手を添え、こちらを見上げているのが見えた。彼女は、扇で口元を隠しながら、勝ち誇ったように目を細めている。
――その時だった。
部屋の奥、扉の影から、一人の男が静かに姿を現した。チャールズだ。
彼は窓際で王女を見つめるティファニーの横に立ち、低く、力強い声で告げた。
「……ティファニー嬢、大丈夫かい? “アイツ”が本性を見せれば見せるほど、その破滅は早まるはずさ」
「チャールズ様……。こちらに来てくださったのですか?相談に乗っていただけるとは思いませんでした」
「ああ。酷い有様だ。だが、絶望するにはまだ早い。ヨーク侯爵家の嫡男ダニエル殿も、すでに動き始めているのだろう?」
チャールズは、ティファニーの震える肩に、そっと自分の上着をかけた。
「あなたは一人ではない。私とダニエル殿が、必ずあなた方を守ります」
その言葉に、ティファニーは初めて、暗闇の中に一筋の光を見た気がした。
味方は少ない。敵は王太子と兄である次期侯爵、そして隣国の王女。
けれど、真実を隠し通せるほど、この世は甘くはない。
ティファニーは、エリザベスの手を引き、優しく立ち上がらせた。
「エリザベス様、ダニエル様を呼びしましょう。私たちは、ただ泣いて捨てられるだけの令嬢ではありませんわ」
反撃の種火は、この小さな部屋で、静かに、けれど熱く灯ったのである。
_____________________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
393
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
あの日々に戻りたくない!自称聖女の義妹に夫と娘を奪われた妃は、死に戻り聖女の力で復讐を果たす
青の雀
恋愛
公爵令嬢スカーレット・ロッテンマイヤーには、前世の記憶がある。
幼いときに政略で結ばれたジェミニ王国の第1王子ロベルトと20歳の時に結婚した。
スカーレットには、7歳年下の義妹リリアーヌがいるが、なぜかリリアーヌは、ロッテンマイヤー家に来た時から聖女様を名乗っている。
ロッテンマイヤーは、代々異能を輩出している家柄で、元は王族
物語は、前世、夫に殺されたところから始まる。
今さら救いの手とかいらないのですが……
カレイ
恋愛
侯爵令嬢オデットは学園の嫌われ者である。
それもこれも、子爵令嬢シェリーシアに罪をなすりつけられ、公衆の面前で婚約破棄を突きつけられたせい。
オデットは信じてくれる友人のお陰で、揶揄されながらもそれなりに楽しい生活を送っていたが……
「そろそろ許してあげても良いですっ」
「あ、結構です」
伸ばされた手をオデットは払い除ける。
許さなくて良いので金輪際関わってこないで下さいと付け加えて。
※全19話の短編です。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する
3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
婚約者である王太子からの突然の断罪!
それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。
しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。
味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。
「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」
エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。
そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。
「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」
義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。
可愛らしい人
はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」
「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」
「それにあいつはひとりで生きていけるから」
女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。
けれど、
「エレナ嬢」
「なんでしょうか?」
「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」
その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。
「……いいえ」
当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」
何かと「ひどいわ」とうるさい伯爵令嬢は
だましだまし
ファンタジー
何でもかんでも「ひどいわ」とうるさい伯爵令嬢にその取り巻きの侯爵令息。
私、男爵令嬢ライラの従妹で親友の子爵令嬢ルフィナはそんな二人にしょうちゅう絡まれ楽しい学園生活は段々とつまらなくなっていった。
そのまま卒業と思いきや…?
「ひどいわ」ばっかり言ってるからよ(笑)
全10話+エピローグとなります。
《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃
ぜらちん黒糖
恋愛
「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」
甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。
旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。
「それは本当に私の子供なのか?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる