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晩餐会の沈黙――仮面の下の知性と、爆弾発言
ミッテラン公爵邸の晩餐会は、常に重厚な静寂に包まれている。だが今日の静寂は、いつもとは異質な、困惑を含んだものだった。
私は銀のナイフで器用に鴨のローストを切り分けながら、もっとも基本的な疑問を父ギルバートへと投げかけた。
「お父様。わたくしが王太子殿下の婚約者におさまった経緯は、一体何だったのでしょうか?」
父の動きが止まった。ワイングラスを口に運ぼうとしていた兄リュカも、眉をひそめて私を見る。
「……それは、君の希望だよ。あれほど強く要望したのに、忘れてしまったのかい?」
父が困惑したように答える。すかさず母が、ため息混じりに追撃してきた。
「そうよ、エスメラルダ。あなたが、王太子殿下の婚約者になれなければ修道院へ行くとまで騒ぎ立てたからでしょう。忘れたとは言わせないわよ」
(……なんてこったい!エスメラルダったら、脅迫に近い形で婚約をもぎ取っていたわけね)
前世の教え子にもいた。泣いて喚いて自分の思い通りにしようとする生徒。まさか自分がその「問題児」の成れの果てだったとは。
呆れる私を、リュカが冷ややかな目で見つめる。
「お前、本当に大丈夫か? そう言えば、夏休みに入ってから一度も王城へ通っていないのではないか?」
「ええ、登城しておりませんわね。何か問題でも?」
「……殿下に会いたいのではないのか?」
「いいえ、まったく。これっぽっちも。全然」
家族三人の動きが、今度こそ完全に凍りついた。
かつてのエスメラルダは、一刻も早く殿下の傍にいたいと、公務の邪魔をしてまで城へ押しかけていたはずだ。その執着を知る家族にとって、今の私の淡白な態度は異常事態でしかない。
「エスメラルダ。……まさか、王太子妃教育にも通っていないのかい?」
父の問いに、私は「ええ」と頷く。
「特に先方からの要請もございませんでしたし、今は自分の時間を大切にしたいのです」
「……それは、お前が怠惰で学力が低いからだろう。向こうも匙を投げたに違いない」
吐き捨てるように言ったのはリュカだ。
「こら、リュカ。妹に対して冷たすぎるだろう」
「しかし父上。事実です。エスメラルダを無理やりSクラスに在籍させたせいで、彼女はますます授業についていけなくなっているのですよ。身の丈に合わない特権を与えた結果がこれだ」
「ああ、まあ、それは……。しかし、エスメラルダがどうしてもSクラスに入りたいと泣いて頼むからね……」
家族は私を置き去りに、「エスメラルダは無能である」という共通認識のもとに会話を進めていく。まるで、学業不振児の三者面談を目の前で聞かされている気分だ。
(失礼しちゃうわね。これでも前世では数多の難関校に教え子を送り出したベテランなのよ?)
私はカトラリーを静かに置き、背筋を伸ばした。
「あの、お父様、お兄様。わたくし、勉強は得意ですわよ。先日、クロエ先生からもお墨付きをいただいたはずですわ」
「……ん? ああ、そういえば、そんな報告も受けていたね」
「フン。どうせ、お前が公爵家の権力を笠に着て、ガヴァネスを脅して無理やり書かせたのだろう。お前の成績で、まともな評価が下りるはずがない」
リュカの言葉に、私は心の中で天を仰いだ。
エスメラルダ、あなた、本当にどれだけ信用を積み上げてこなかったのよ! まさにマイナスからのスタート。だが、教師としてはこれほど燃えるシチュエーションもない。
「お言葉ですが、わたくし、本当に優秀らしいですわよ。……お疑いでしたら、今ここで口頭試験でもしてみてはいかがかしら?」
挑発的な私の言葉に、リュカが鼻で笑う。
「いいだろう。では、先週までのSクラスの進度に合わせて、帝国の建国史と大陸の関税同盟における経済的摩擦について答えてみろ。……まあ、お前には単語の意味すら分かるまい」
私は迷わず、澱みなく答えた。
帝国の起源から、隣国とのパワーバランス、そして現在の通商条約が抱える欠陥と、ミッテラン公爵領への影響。歴史学と経済学を織り交ぜ、元教師ならではの論理的な「模範解答」を提示した。
「な……ッ!?」
驚愕に目を見開くリュカに、今度は父が身を乗り出した。父は領地経営に関わる高度な質問をいくつか投げかける。私はそれに対しても、保養地モン・ルージュの再編で得た知見と、前世の社会科教師としての知識をフル活用して余裕で返答した。
最後に、母からは外交の社交場で交わされる「貴族特有のダブルミーニングを含んだ政治的意図」についての問いが投げられた。
「……現在、北方のフォード公爵家が王家に対して提案している『新しい穀物法』の裏にある意図を、あなたならどう読み解く?」
これは、キャサリン・フォードの家門の動向だ。私は迷わず答える。
「表面上は平民への救済ですが、真の狙いは王家直轄領の市場独占と、王妃の座を巡る権力誇示でしょう。非常に浅ましい……失礼、短絡的な策ですわね」
家族三人は、三度、固まった。
そこには、かつての「我儘で勉強嫌いの少女」の影すらなかった。理知的で、冷徹なまでに分析的。それでいて、気品に満ちた圧倒的な知性が、エスメラルダの中から溢れ出していた。
(どういうことだ…… 理想の公爵令嬢ではないか!)
(これは、誰? 本当に、わたくしの娘なの……?)
(あんなに頭が悪かった妹が……なぜ?)
沈黙が広がる中、私は口元をナプキンで拭い、本日の『本題』を告げる。
「ところで、お父様。……王家との婚約は、どうしたら解消できますか?」
ガチャン、とリュカがフォークを落とした。
父は口を半開きにし、母は扇を握りしめたまま硬直している。
「婚……約、解消……?」
「ええ。わたくし、あのような『お子様』の傍にいるのは、時間の無駄だと判断いたしましたの。それよりも、領地の開発や学問の探求に時間を割きたいのですわ」
家族の静止した時間は、今度こそ二度と戻らないかのように長く感じられた。
エスメラルダは、その沈黙を心地よく感じながら、優雅に食後の紅茶に手を伸ばした。
王太子エドワードが「無能のエスメラルダ」と高を括っている間に、盤面はすでにひっくり返っているのである。
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私は銀のナイフで器用に鴨のローストを切り分けながら、もっとも基本的な疑問を父ギルバートへと投げかけた。
「お父様。わたくしが王太子殿下の婚約者におさまった経緯は、一体何だったのでしょうか?」
父の動きが止まった。ワイングラスを口に運ぼうとしていた兄リュカも、眉をひそめて私を見る。
「……それは、君の希望だよ。あれほど強く要望したのに、忘れてしまったのかい?」
父が困惑したように答える。すかさず母が、ため息混じりに追撃してきた。
「そうよ、エスメラルダ。あなたが、王太子殿下の婚約者になれなければ修道院へ行くとまで騒ぎ立てたからでしょう。忘れたとは言わせないわよ」
(……なんてこったい!エスメラルダったら、脅迫に近い形で婚約をもぎ取っていたわけね)
前世の教え子にもいた。泣いて喚いて自分の思い通りにしようとする生徒。まさか自分がその「問題児」の成れの果てだったとは。
呆れる私を、リュカが冷ややかな目で見つめる。
「お前、本当に大丈夫か? そう言えば、夏休みに入ってから一度も王城へ通っていないのではないか?」
「ええ、登城しておりませんわね。何か問題でも?」
「……殿下に会いたいのではないのか?」
「いいえ、まったく。これっぽっちも。全然」
家族三人の動きが、今度こそ完全に凍りついた。
かつてのエスメラルダは、一刻も早く殿下の傍にいたいと、公務の邪魔をしてまで城へ押しかけていたはずだ。その執着を知る家族にとって、今の私の淡白な態度は異常事態でしかない。
「エスメラルダ。……まさか、王太子妃教育にも通っていないのかい?」
父の問いに、私は「ええ」と頷く。
「特に先方からの要請もございませんでしたし、今は自分の時間を大切にしたいのです」
「……それは、お前が怠惰で学力が低いからだろう。向こうも匙を投げたに違いない」
吐き捨てるように言ったのはリュカだ。
「こら、リュカ。妹に対して冷たすぎるだろう」
「しかし父上。事実です。エスメラルダを無理やりSクラスに在籍させたせいで、彼女はますます授業についていけなくなっているのですよ。身の丈に合わない特権を与えた結果がこれだ」
「ああ、まあ、それは……。しかし、エスメラルダがどうしてもSクラスに入りたいと泣いて頼むからね……」
家族は私を置き去りに、「エスメラルダは無能である」という共通認識のもとに会話を進めていく。まるで、学業不振児の三者面談を目の前で聞かされている気分だ。
(失礼しちゃうわね。これでも前世では数多の難関校に教え子を送り出したベテランなのよ?)
私はカトラリーを静かに置き、背筋を伸ばした。
「あの、お父様、お兄様。わたくし、勉強は得意ですわよ。先日、クロエ先生からもお墨付きをいただいたはずですわ」
「……ん? ああ、そういえば、そんな報告も受けていたね」
「フン。どうせ、お前が公爵家の権力を笠に着て、ガヴァネスを脅して無理やり書かせたのだろう。お前の成績で、まともな評価が下りるはずがない」
リュカの言葉に、私は心の中で天を仰いだ。
エスメラルダ、あなた、本当にどれだけ信用を積み上げてこなかったのよ! まさにマイナスからのスタート。だが、教師としてはこれほど燃えるシチュエーションもない。
「お言葉ですが、わたくし、本当に優秀らしいですわよ。……お疑いでしたら、今ここで口頭試験でもしてみてはいかがかしら?」
挑発的な私の言葉に、リュカが鼻で笑う。
「いいだろう。では、先週までのSクラスの進度に合わせて、帝国の建国史と大陸の関税同盟における経済的摩擦について答えてみろ。……まあ、お前には単語の意味すら分かるまい」
私は迷わず、澱みなく答えた。
帝国の起源から、隣国とのパワーバランス、そして現在の通商条約が抱える欠陥と、ミッテラン公爵領への影響。歴史学と経済学を織り交ぜ、元教師ならではの論理的な「模範解答」を提示した。
「な……ッ!?」
驚愕に目を見開くリュカに、今度は父が身を乗り出した。父は領地経営に関わる高度な質問をいくつか投げかける。私はそれに対しても、保養地モン・ルージュの再編で得た知見と、前世の社会科教師としての知識をフル活用して余裕で返答した。
最後に、母からは外交の社交場で交わされる「貴族特有のダブルミーニングを含んだ政治的意図」についての問いが投げられた。
「……現在、北方のフォード公爵家が王家に対して提案している『新しい穀物法』の裏にある意図を、あなたならどう読み解く?」
これは、キャサリン・フォードの家門の動向だ。私は迷わず答える。
「表面上は平民への救済ですが、真の狙いは王家直轄領の市場独占と、王妃の座を巡る権力誇示でしょう。非常に浅ましい……失礼、短絡的な策ですわね」
家族三人は、三度、固まった。
そこには、かつての「我儘で勉強嫌いの少女」の影すらなかった。理知的で、冷徹なまでに分析的。それでいて、気品に満ちた圧倒的な知性が、エスメラルダの中から溢れ出していた。
(どういうことだ…… 理想の公爵令嬢ではないか!)
(これは、誰? 本当に、わたくしの娘なの……?)
(あんなに頭が悪かった妹が……なぜ?)
沈黙が広がる中、私は口元をナプキンで拭い、本日の『本題』を告げる。
「ところで、お父様。……王家との婚約は、どうしたら解消できますか?」
ガチャン、とリュカがフォークを落とした。
父は口を半開きにし、母は扇を握りしめたまま硬直している。
「婚……約、解消……?」
「ええ。わたくし、あのような『お子様』の傍にいるのは、時間の無駄だと判断いたしましたの。それよりも、領地の開発や学問の探求に時間を割きたいのですわ」
家族の静止した時間は、今度こそ二度と戻らないかのように長く感じられた。
エスメラルダは、その沈黙を心地よく感じながら、優雅に食後の紅茶に手を伸ばした。
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