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中庭の違和感と「教育者」の予感
学食の革命が一段落し、学園に「新しい日常」が浸透し始めた頃。私の関心は、学食からSクラスの教室へと続く、美しい中庭の噴水付近に向けられていた。
昼休み。燦々と降り注ぐ陽光の下、白亜の噴水が輝くその場所で、私はある「光景」を幾度となく目にしていた。
「ねえ、ヤスミン。あの子のことなんだけれど」
私は、一緒に歩いていたヤスミン、マイク、ビビアンの三人に、扇の先でさりげなく噴水の側を示した。
そこには、一人の少女が膝をつき、水飛沫で濡れた石畳の上で、バラバラになった紙の束――教科書らしきものを一枚一枚、必死に拾い集めている姿があった。
「あの子、いつも食堂から教室へ戻る途中で目にするのだけれど、何をしているのかしら? いつもあそこで教科書のようなものを拾っているわ。よほど、あわてんぼうさんなのかしら?」
私はあえて無邪気な、世間知らずの令嬢を装って問いかけた。だが、私の「元教師」としての視線は、彼女の強張った肩と、周囲の生徒たちが向ける冷淡な「黙殺」の空気を見逃してはいなかった。
私の問いに、ヤスミンとマイクが顔を見合わせ、それから少し暗い影を瞳に落とした。
「あら……。いつも、あそこにいるの?」
ヤスミンが困惑したように声を潜める。
「ええ。昨日の昼休みも、一昨日もよ。風が強いわけでもないのに、不思議ね」
「……。エスメラルダ、多分だけど、彼女は……『嫌がらせ』を受けているんじゃないかしら?」
ヤスミンの口から漏れた言葉に、私は「えっ?」と驚いたふりをして目を丸くした。
「嫌がらせですって? この学園で? そんな、子供じみたことが行われているというの?」
「エスメラルダは公爵令嬢だから、身近で見ることはなかったかもしれないけど……」
マイクが、周囲に悟られないよう低く言った。
「彼女、たぶん……平民の特待生だよ。この学園には、平民が自分たちと同じ空気を吸っていることさえ許せないっていう、選民思想の塊みたいな連中が一定数いるんだ」
平民。その一言で、私の脳内のパズルが音を立てて繋がった。
学食で代表として参加してくれたアーノルド。彼もまた、あの場所で震えていた一人だったのかもしれない。
「そう……。平民だからという理由で、学ぶために必要な教科書を奪われ、汚されているというのね」
私の声から、温度がすっと引いていくのをマリアが敏感に察し、背後で微かに居住まいを正した。
(なるほど。学食という『環境』を整えた次は、人間関係という『規律』の腐敗の掃除ね)
「ヤスミン。あの子を虐めているのは、どこの誰か、心当たりはあるかしら?」
「え、ええ……。確実な証拠があるわけじゃないけれど、いつもあの場所に立ち寄っているのは、ゲラン伯爵家のミリアン様の一行だわ。彼女の家は確か、王都の繊維・縫製ギルドを牛耳っている有力な商家とも繋がりが深くて、学園の制服や調度品の納入にも口が利ける立場なのよ」
ゲラン伯爵令嬢、ミリアン。
繊維ギルドを後ろ盾に、学園の「制服販売」という付加価値を支配しようとする一族か。
「そう。ゲラン伯爵家……。マリア、後でミッテラン公爵家の取引先リストを確認しておいてちょうだい。我が家の使用人の制服や、領地で使う布製品の調達先をね」
「承知いたしました、お嬢様。……適宜、見直しが必要かもしれませんわね」
マリアが淡々と応える。ヤスミンたちは、私の急な「公爵令嬢」としての冷徹な動きに少し圧倒されたように黙り込んだ。
「エスメラルダ? まさか、何か恐ろしいことを考えているんじゃ……」
「恐ろしいことだなんて失礼ね。わたくしはただ、不適切な行いをしている生徒に、正しい『身分の使い方』を教えてあげようと思っているだけよ」
私の視線の先では、少女がようやく拾い終えた濡れた教科書を抱え、俯いたまま走り去っていくところだった。その背後、柱の影からクスクスという下卑た笑い声が響く。
(教師時代、一番許せなかったのは『学ぶ意志』を踏みにじる行為よ。ミリアン様、あなたはわたくしの逆鱗を、それも一番尖った部分を思い切り踏み抜いたわ)
感情的にその場へ飛び込み、怒鳴りつけるのは素人のすることだ。
相手が「ギルドの権勢」や「身分」を武器にしているのなら、その武器がいかに脆く、上位の権力に容易く砕かれるものであるかを骨の髄まで理解させてやるのが、最も効果的な教育指導である。
「マイク、ビビアン。悪いけれど、明日からの昼休み、少し協力してくれるかしら。ミリアン様たちがどのような『熱心なご指導』をなさっているのか、正確に把握したいの」
「……分かった。エスメラルダが本気なら、俺たちも全力でサポートするよ」
マイクの力強い言葉に頷き、私は一歩、教室へと歩き出した。
心の中では、ミリアンへの「特別指導計画書」の作成が、すでに始まっていた。
「まずは外堀を埋め、逃げ道を塞ぎ……。最後に、彼女が最も誇りにしている『特権』という名の砂の城を、粉々に砕いて差し上げましょう」
独り言のように呟いた私の声は、噴水の音に消されたが、その決意は冷たく、鋭く、中庭の空気を凍らせていた。
____________
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昼休み。燦々と降り注ぐ陽光の下、白亜の噴水が輝くその場所で、私はある「光景」を幾度となく目にしていた。
「ねえ、ヤスミン。あの子のことなんだけれど」
私は、一緒に歩いていたヤスミン、マイク、ビビアンの三人に、扇の先でさりげなく噴水の側を示した。
そこには、一人の少女が膝をつき、水飛沫で濡れた石畳の上で、バラバラになった紙の束――教科書らしきものを一枚一枚、必死に拾い集めている姿があった。
「あの子、いつも食堂から教室へ戻る途中で目にするのだけれど、何をしているのかしら? いつもあそこで教科書のようなものを拾っているわ。よほど、あわてんぼうさんなのかしら?」
私はあえて無邪気な、世間知らずの令嬢を装って問いかけた。だが、私の「元教師」としての視線は、彼女の強張った肩と、周囲の生徒たちが向ける冷淡な「黙殺」の空気を見逃してはいなかった。
私の問いに、ヤスミンとマイクが顔を見合わせ、それから少し暗い影を瞳に落とした。
「あら……。いつも、あそこにいるの?」
ヤスミンが困惑したように声を潜める。
「ええ。昨日の昼休みも、一昨日もよ。風が強いわけでもないのに、不思議ね」
「……。エスメラルダ、多分だけど、彼女は……『嫌がらせ』を受けているんじゃないかしら?」
ヤスミンの口から漏れた言葉に、私は「えっ?」と驚いたふりをして目を丸くした。
「嫌がらせですって? この学園で? そんな、子供じみたことが行われているというの?」
「エスメラルダは公爵令嬢だから、身近で見ることはなかったかもしれないけど……」
マイクが、周囲に悟られないよう低く言った。
「彼女、たぶん……平民の特待生だよ。この学園には、平民が自分たちと同じ空気を吸っていることさえ許せないっていう、選民思想の塊みたいな連中が一定数いるんだ」
平民。その一言で、私の脳内のパズルが音を立てて繋がった。
学食で代表として参加してくれたアーノルド。彼もまた、あの場所で震えていた一人だったのかもしれない。
「そう……。平民だからという理由で、学ぶために必要な教科書を奪われ、汚されているというのね」
私の声から、温度がすっと引いていくのをマリアが敏感に察し、背後で微かに居住まいを正した。
(なるほど。学食という『環境』を整えた次は、人間関係という『規律』の腐敗の掃除ね)
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「え、ええ……。確実な証拠があるわけじゃないけれど、いつもあの場所に立ち寄っているのは、ゲラン伯爵家のミリアン様の一行だわ。彼女の家は確か、王都の繊維・縫製ギルドを牛耳っている有力な商家とも繋がりが深くて、学園の制服や調度品の納入にも口が利ける立場なのよ」
ゲラン伯爵令嬢、ミリアン。
繊維ギルドを後ろ盾に、学園の「制服販売」という付加価値を支配しようとする一族か。
「そう。ゲラン伯爵家……。マリア、後でミッテラン公爵家の取引先リストを確認しておいてちょうだい。我が家の使用人の制服や、領地で使う布製品の調達先をね」
「承知いたしました、お嬢様。……適宜、見直しが必要かもしれませんわね」
マリアが淡々と応える。ヤスミンたちは、私の急な「公爵令嬢」としての冷徹な動きに少し圧倒されたように黙り込んだ。
「エスメラルダ? まさか、何か恐ろしいことを考えているんじゃ……」
「恐ろしいことだなんて失礼ね。わたくしはただ、不適切な行いをしている生徒に、正しい『身分の使い方』を教えてあげようと思っているだけよ」
私の視線の先では、少女がようやく拾い終えた濡れた教科書を抱え、俯いたまま走り去っていくところだった。その背後、柱の影からクスクスという下卑た笑い声が響く。
(教師時代、一番許せなかったのは『学ぶ意志』を踏みにじる行為よ。ミリアン様、あなたはわたくしの逆鱗を、それも一番尖った部分を思い切り踏み抜いたわ)
感情的にその場へ飛び込み、怒鳴りつけるのは素人のすることだ。
相手が「ギルドの権勢」や「身分」を武器にしているのなら、その武器がいかに脆く、上位の権力に容易く砕かれるものであるかを骨の髄まで理解させてやるのが、最も効果的な教育指導である。
「マイク、ビビアン。悪いけれど、明日からの昼休み、少し協力してくれるかしら。ミリアン様たちがどのような『熱心なご指導』をなさっているのか、正確に把握したいの」
「……分かった。エスメラルダが本気なら、俺たちも全力でサポートするよ」
マイクの力強い言葉に頷き、私は一歩、教室へと歩き出した。
心の中では、ミリアンへの「特別指導計画書」の作成が、すでに始まっていた。
「まずは外堀を埋め、逃げ道を塞ぎ……。最後に、彼女が最も誇りにしている『特権』という名の砂の城を、粉々に砕いて差し上げましょう」
独り言のように呟いた私の声は、噴水の音に消されたが、その決意は冷たく、鋭く、中庭の空気を凍らせていた。
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