七年目の裏切り 〜赴任先の夫から届く愛の手紙は、愛人の代筆でした〜

恋せよ恋

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沈黙という裏切り

 隣国の冬は、本国よりも鋭く肌を刺す。

 ジャッカス侯爵家の嫡男チャーチルは、宿舎の窓から見える灰色の空を眺め、深く溜息をついた。その手元には、部下であり親友でもあるジュリアンが提出した報告書――ではなく、彼が最近、宿舎に囲い込んでいる「事務手伝い」のマルタについての苦情が届いていた。

「……ジュリアンのヤツ、少しばかり羽を伸ばしすぎだな」

 チャーチルは、酒の入ったグラスを煽った。

 彼は知っている。ジュリアンが夜な夜なマルタを自室に呼び入れ、何を分かち合っているのかを。最初こそ「慣れない異国での気晴らしだろう」と目をつむっていたが、最近のジュリアンは明らかにその「遊び」にのめり込んでいた。

 チャーチルにとって、ジュリアンは唯一無二の親友だ。

 彼の「明るさ」や「甘さ」を熟知しているからこそ、名門ジャッカス家の嫡男として常に緊張の中に生きる自分にとって、ジュリアンの存在は救いだった。だからこそ、彼はジュリアンを叱責しきれなかった。

(あいつは、メラニア夫人を大切にしすぎていたからな。反動というやつだろう)

 チャーチルは自分勝手な理屈で、親友の不貞を正当化した。

 男には、外でしか発散できない欲がある。家を守る「聖女」のような妻には見せられない顔がある。それを補うのが、マルタのような「身軽な女」だというのなら、それもまた貴族社会の隠れた作法ではないか――。

 チャーチルは、部下たちに口止めを命じた。ジュリアンの醜聞が祖国で待つメラニアや、ましてや自分の妻であるセシリアの耳に入れば、取り返しのつかないことになる。

「ジュリアンの件は、俺が預かる。余計な噂を立てる者は容赦しない」

 彼は「友情」の名の下に、親友の背中を押した。それがメラニアという一人の女性をどれほど無残に殺すことになるか、その時の彼は想像もしていなかった。


 一方で、本国のランバン侯爵邸。

 セシリア・ランバンは、夫チャーチルから届いたばかりの手紙を、不愉快そうに机に放り投げた。

「……またよ。相変わらず、中身のない手紙だこと」

 チャーチルの手紙は、いつも通り簡潔だった。

『公務は順調だ。ジュリアンも真面目にやっている。向こうは冷えるから、お前も風邪を引くな』

 一見、妻を気遣う良き夫の文面だ。しかし、セシリアの鋭い感性は、行間に漂う奇妙な「余白」を逃さなかった。

 セシリアは、ゴードン伯爵家のメラニアとは対照的な性質を持っている。メラニアが深い海なら、セシリアは燃える炎だ。彼女は幼い頃から、他人の嘘や誤魔化しを見抜くことに長けていた。

「ジュリアン様が真面目にやっている? ジュリアン様が?」

 セシリアの脳裏に、かつて夜会で見かけたジュリアンの顔が浮かぶ。

 彼は確かに明るく誠実な男だが、どこか「他人の期待に応えることに疲れやすい」危うさを持っていた。そんな彼が、異国の地で、厳格なチャーチルの下で、一片の綻びもなく二年も過ごせるものだろうか。

 それに、最近のメラニアの様子がおかしい。

 先日お茶をした際、メラニアは嬉しそうにジュリアンの手紙を見せてくれた。そこには、背筋が凍るほど情熱的な愛の言葉が並んでいた。

 メラニアはそれを「離れているからこその情熱」だと信じていたが、セシリアにはそれが、自分たちの知っている「ジュリアン・オッティ」という男の言葉には到底思えなかったのだ。

「まるで……誰か別の人間が、メラニアを喜ばせるために作り上げた『理想のジュリアン』が書いているみたいだわ」

 セシリアは立ち上がり、窓の外を見つめた。

 夫チャーチルは、昔からジュリアンを甘やかしてきた。もしジュリアンが何か過ちを犯していたとしても、あの男は「男同士の義理」などと言って、隠し通すに違いない。

 セシリアの手の中で、チャーチルの手紙がくしゃりと音を立てた。

「隠し事をするなら、もっと完璧にやりなさい、チャーチル。私の目を欺けると思ったら大間違いよ」

 セシリアは決意した。

 もしメラニアが、あの無垢な親友が、自分たちの夫たちの手によって欺かれているのだとしたら。その時は、ジャッカス家であろうとオッティ家であろうと、容赦なく叩き潰してやる。

 彼女の金髪が、冬の午後の光を受けて鋭く輝いた。

 隣国で「男の論理」に守られて遊びに耽る夫たち。

 本国で「女の直感」を研ぎ澄ませ、親友を守ろうとする妻。

 四人の間に流れる空気は、もはや友情や愛情といった言葉では語れないほど、張り詰め、歪み始めていた。

 そしてその頃、隣国の宿舎の暗がりで、一人の少女がペンを握っていた。マルタの茶色の瞳には、これまでにはなかった、暗い嫉妬の火が灯り始めている。
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