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報いの季節、償いの道
奇跡的な目覚めから一週間。メラニアの回復は、医師たちを驚かせるほどに目覚ましいものだった。
精密な検査の結果、懸念されていた脳への致命的なダメージは奇跡的に回避されていた。残ったのは、転落の衝撃から身を護ろうとして折れた左腕の骨折と、全身を覆う打撲の鈍い痛み。昏睡に陥っていた三週間という空白が、皮肉にも全身の激痛を和らげる猶予となっていた。
だが、肉体の快復とは裏腹に、心の深奥には決して癒えることのない巨大な亀裂が刻まれていた。
「……一歩ずつ、歩きましょう。あの子たちのために」
メラニアのリハビリは、壮絶なまでの意志に裏打ちされていた。
日中は、病室を訪れるスティーブとジェニファーの前で、穏やかな「慈愛の母」を演じきった。左腕を吊り、痛みで顔を顰めそうになるのを堪えながら、子供たちに絵本を読み聞かせ、彼らの柔らかな髪を撫でる。その時間は、彼女にとって失われた魂を繋ぎ止めるための聖域だった。
だが、子供たちが宿へと引き上げ、夜の静寂が病室を包むと、メラニアの表情は一変する。
彼女はセシリアに手配させた法律書をベッドサイドに積み上げ、片手でページをめくり続けた。離婚、慰謝料、親権、そして有責配偶者に対する社会的制裁。かつて刺繍や詩集を愛した細い指先は、今や裏切り者を奈落へ突き落とすための「武器」を研ぐように、法典の文字をなぞっていた。
一方で、チャーチル侯爵の宿舎の会議室では、地獄のような「査問」が続いていた。
ジュリアンは、チャーチル侯爵と、本国から急遽召喚された実家の家令、そして弁護士たちに囲まれ、自身の犯した不貞の責任を突きつけられていた。
焦点となるのは、『愛人マルタに対する責任』、そして『マルタがメラニアへ果たすべき償い』である。
現在の法と貴族社会の掟に照らせば、未婚の男爵令嬢であるマルタに手を出したという事実は、決して軽くはない。そこには当然、「庇護」の義務が生じるからだ。ジュリアンは、彼女を後妻として迎え入れるか、あるいは生涯にわたり困らぬだけの補償を与えるか――そのいずれかを選ばねばならなかった。
だが、事態はそれだけでは終わらない。
セシリアが雇った調査員と弁護士は、冷徹にマルタを追い詰めた。
「マルタ・ドールトン男爵令嬢。あなたは不貞行為に留まらず、正妻であるメラニア夫人に対し、精神を摩耗させる内容の手紙を偽造・代筆し、その結果として階段からの転落事故を誘発した。これは重過失、あるいは傷害罪に相当する行為です。夫人への慰謝料、および治療費の請求額は、あなたの実家であるドールトン男爵家を三度売り払っても足りないほどですよ」
貧乏男爵家は、娘の不祥事によって家名が潰れることを恐れ、領地の一部と邸宅を売り払ってでも支払いに応じることを決めた。マルタは文字通り、一晩にして「隣国の優秀な次期子爵の愛人」から「家の破滅の元凶」へと転落したのだ。
「嘘よ……こんなの、信じないわ!」
査問の場に、拘束を解かれたマルタが乱入した。
かつての仔鹿のような愛らしさは微塵もない。髪は乱れ、瞳には狂乱の色が浮かんでいる。彼女は、力なく座り込んでいるジュリアンに掴みかかった。
「ジュリアン様! 愛しているとおっしゃったではないですか! 『君こそが僕の真実だ』と、あんなに熱く私を抱いたではありませんか!」
「やめろ、マルタ……。触るな……」
「嫌ですわ! 休暇中だって、あんなに泣いて縋るご家族よりも、私との一週間を優先してくださったではないですか! 宿のベッドで、奥様のことを『ただの貞淑な妻だ』と笑ったのは、貴方様の方ですのよ!」
その場にいたチャーチルや家令たちが、一斉に眉間に深い皺を寄せた。
吐き気を催すような、爛れた不貞の事実。仕事は優秀で、家庭的だと思われていたジュリアン・オッティの正体が、十九歳の小娘の口から次々と剥がされていく。周囲に向けられるのは、同情ではなく、もはや救いようのない「侮蔑」の眼差しだった。
「それに……! 私のお腹には、貴方様のお子が宿っているかもしれないのですよ! 自分の子供を捨てるおつもり!?」
マルタの最後の叫び。
ジュリアンは、その言葉を聞いても顔を上げることはなかった。
彼の心は、今、二つに裂かれていた。
一つは、目覚めたメラニアに冷たく拒絶され、絶望の底で彼女を希求する「本心」。
もう一つは、マルタとの悦楽の日々が、自分にとってどれほど「心地よい逃げ場」であったかを否定しきれない、愚かな男の「本音」。
彼は確かにメラニアを愛していた。だが、それと同じくらい、自分を全肯定してくれる愛欲の生活に溺れていたのだ。その「どちらも本物だった」という救いようのない中途半端さが、彼という男の輪郭を卑小に描き出していた。
「……マルタ。君への『想い』は……確かにあったのだろう。だが、それは、僕が守るべきだったすべてを焼き尽くす、ただの火遊びだった」
「火遊び!? 冗談じゃありませんわ! 私を、私をどうしてくれるのよ!」
狂乱するマルタを、衛兵たちが引きずっていく。
ジュリアンは、殴られた跡が痛む顔を覆い、呻き声を漏らした。
彼は気づいていない。マルタへの断罪が、自分自身の処刑の「前座」に過ぎないことを。
数日後。リハビリを終え、ようやく少しずつ歩けるようになったメラニアは、セシリアに付き添われ、病室の窓から中庭を見下ろしていた。
そこには、やつれ果て、一目でも妻に会いたいと立ち尽くすジュリアンの姿があった。
「……メラニア。あの方、ずっとあそこにいるわよ。どうする?」
セシリアの問いに、メラニアは表情を変えずに答えた。
「セシリア。……私、あの男の隣に立っていた頃の自分が、もう思い出せないの。……彼が愛した私の『慈悲』は、あの階段の下に置いてきたのかもね」
メラニアの瞳が、冬の星のように冷たく光る。
彼女はゆっくりと、骨折した左腕を庇いながら、背筋を伸ばした。その姿は、かつてのどの時よりも、高潔で、そして恐ろしかった。
「さあ。次は私の番ね」
復讐の幕が、静かに、けれど確実に、上がり始めていた。
__________
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精密な検査の結果、懸念されていた脳への致命的なダメージは奇跡的に回避されていた。残ったのは、転落の衝撃から身を護ろうとして折れた左腕の骨折と、全身を覆う打撲の鈍い痛み。昏睡に陥っていた三週間という空白が、皮肉にも全身の激痛を和らげる猶予となっていた。
だが、肉体の快復とは裏腹に、心の深奥には決して癒えることのない巨大な亀裂が刻まれていた。
「……一歩ずつ、歩きましょう。あの子たちのために」
メラニアのリハビリは、壮絶なまでの意志に裏打ちされていた。
日中は、病室を訪れるスティーブとジェニファーの前で、穏やかな「慈愛の母」を演じきった。左腕を吊り、痛みで顔を顰めそうになるのを堪えながら、子供たちに絵本を読み聞かせ、彼らの柔らかな髪を撫でる。その時間は、彼女にとって失われた魂を繋ぎ止めるための聖域だった。
だが、子供たちが宿へと引き上げ、夜の静寂が病室を包むと、メラニアの表情は一変する。
彼女はセシリアに手配させた法律書をベッドサイドに積み上げ、片手でページをめくり続けた。離婚、慰謝料、親権、そして有責配偶者に対する社会的制裁。かつて刺繍や詩集を愛した細い指先は、今や裏切り者を奈落へ突き落とすための「武器」を研ぐように、法典の文字をなぞっていた。
一方で、チャーチル侯爵の宿舎の会議室では、地獄のような「査問」が続いていた。
ジュリアンは、チャーチル侯爵と、本国から急遽召喚された実家の家令、そして弁護士たちに囲まれ、自身の犯した不貞の責任を突きつけられていた。
焦点となるのは、『愛人マルタに対する責任』、そして『マルタがメラニアへ果たすべき償い』である。
現在の法と貴族社会の掟に照らせば、未婚の男爵令嬢であるマルタに手を出したという事実は、決して軽くはない。そこには当然、「庇護」の義務が生じるからだ。ジュリアンは、彼女を後妻として迎え入れるか、あるいは生涯にわたり困らぬだけの補償を与えるか――そのいずれかを選ばねばならなかった。
だが、事態はそれだけでは終わらない。
セシリアが雇った調査員と弁護士は、冷徹にマルタを追い詰めた。
「マルタ・ドールトン男爵令嬢。あなたは不貞行為に留まらず、正妻であるメラニア夫人に対し、精神を摩耗させる内容の手紙を偽造・代筆し、その結果として階段からの転落事故を誘発した。これは重過失、あるいは傷害罪に相当する行為です。夫人への慰謝料、および治療費の請求額は、あなたの実家であるドールトン男爵家を三度売り払っても足りないほどですよ」
貧乏男爵家は、娘の不祥事によって家名が潰れることを恐れ、領地の一部と邸宅を売り払ってでも支払いに応じることを決めた。マルタは文字通り、一晩にして「隣国の優秀な次期子爵の愛人」から「家の破滅の元凶」へと転落したのだ。
「嘘よ……こんなの、信じないわ!」
査問の場に、拘束を解かれたマルタが乱入した。
かつての仔鹿のような愛らしさは微塵もない。髪は乱れ、瞳には狂乱の色が浮かんでいる。彼女は、力なく座り込んでいるジュリアンに掴みかかった。
「ジュリアン様! 愛しているとおっしゃったではないですか! 『君こそが僕の真実だ』と、あんなに熱く私を抱いたではありませんか!」
「やめろ、マルタ……。触るな……」
「嫌ですわ! 休暇中だって、あんなに泣いて縋るご家族よりも、私との一週間を優先してくださったではないですか! 宿のベッドで、奥様のことを『ただの貞淑な妻だ』と笑ったのは、貴方様の方ですのよ!」
その場にいたチャーチルや家令たちが、一斉に眉間に深い皺を寄せた。
吐き気を催すような、爛れた不貞の事実。仕事は優秀で、家庭的だと思われていたジュリアン・オッティの正体が、十九歳の小娘の口から次々と剥がされていく。周囲に向けられるのは、同情ではなく、もはや救いようのない「侮蔑」の眼差しだった。
「それに……! 私のお腹には、貴方様のお子が宿っているかもしれないのですよ! 自分の子供を捨てるおつもり!?」
マルタの最後の叫び。
ジュリアンは、その言葉を聞いても顔を上げることはなかった。
彼の心は、今、二つに裂かれていた。
一つは、目覚めたメラニアに冷たく拒絶され、絶望の底で彼女を希求する「本心」。
もう一つは、マルタとの悦楽の日々が、自分にとってどれほど「心地よい逃げ場」であったかを否定しきれない、愚かな男の「本音」。
彼は確かにメラニアを愛していた。だが、それと同じくらい、自分を全肯定してくれる愛欲の生活に溺れていたのだ。その「どちらも本物だった」という救いようのない中途半端さが、彼という男の輪郭を卑小に描き出していた。
「……マルタ。君への『想い』は……確かにあったのだろう。だが、それは、僕が守るべきだったすべてを焼き尽くす、ただの火遊びだった」
「火遊び!? 冗談じゃありませんわ! 私を、私をどうしてくれるのよ!」
狂乱するマルタを、衛兵たちが引きずっていく。
ジュリアンは、殴られた跡が痛む顔を覆い、呻き声を漏らした。
彼は気づいていない。マルタへの断罪が、自分自身の処刑の「前座」に過ぎないことを。
数日後。リハビリを終え、ようやく少しずつ歩けるようになったメラニアは、セシリアに付き添われ、病室の窓から中庭を見下ろしていた。
そこには、やつれ果て、一目でも妻に会いたいと立ち尽くすジュリアンの姿があった。
「……メラニア。あの方、ずっとあそこにいるわよ。どうする?」
セシリアの問いに、メラニアは表情を変えずに答えた。
「セシリア。……私、あの男の隣に立っていた頃の自分が、もう思い出せないの。……彼が愛した私の『慈悲』は、あの階段の下に置いてきたのかもね」
メラニアの瞳が、冬の星のように冷たく光る。
彼女はゆっくりと、骨折した左腕を庇いながら、背筋を伸ばした。その姿は、かつてのどの時よりも、高潔で、そして恐ろしかった。
「さあ。次は私の番ね」
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