「君は特別だ」は嘘の告白でした〜二十歳のバレンタインに離縁します〜

恋せよ恋

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「君は特別だ」は嘘の告白でした〜二十歳のバレンタインに離縁します〜

雨の中の土下座

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 空がにわかに掻き曇り、冷たい雨が降り始めた。

 ハーブ園の緑が濡れ、土の香りが立ち込める中、アルベルトは泥に塗れた膝をついたまま、エレナを見上げていた。
「勘違い……? 僕は、君を愛していることに気づいたんだ。これ以上の真実がどこにあるというんだい……!」
 アルベルトの声は、雨音に消されそうなほど震えていた。

 対するエレナは、濡れるのも構わず、氷のような瞳で夫を見つめ返した。
「貴方が今感じているのは『愛』ではありません。……ただの『喪失感』ですわ」

 その一言が、アルベルトの胸を刺した。
「貴方は、手の中にあった便利な道具が急に失くなったから、慌てて探しに来ただけ。貴方の言う『愛』には、私の痛みも、私がこの数年間どんな思いで貴方の背中を見送ってきたかも、一欠片も含まれていない。……自分の生活が不便になり、プライドが傷ついた。それを修復したいだけでしょう?」

「違う! 断じてそんなことは……!」
「いいえ、同じです。貴方は今も、自分のことしか考えていない。私がここで、どれほど穏やかに笑えるようになったか……。貴方が現れた瞬間、私の心にどれほど醜い嫌悪感が走ったか。それすら想像もつかないのでしょう?」
 エレナの言葉は、鋭い剣よりも深くアルベルトの心臓を抉った。

 雨は激しさを増し、アルベルトの金の髪を地面に張り付かせ、その豪華だった体躯を小さく萎ませていく。

「エレナ……僕は、僕はどうすればいい。君が受けた傷を、どうすれば癒せる……? 命を差し出せばいいのか? 騎士の誓いを、君に捧げればいいのか?」
 アルベルトは床に額を擦り付けた。

 次期騎士団長、侯爵家の至宝と呼ばれた男の、無様な土下座だった。かつて彼を「特別」だと崇めていたエレナが見れば、失神せんばかりに嘆いただろう。

 けれど、今のエレナにあるのは、ただの乾いた諦観だった。
「……アルベルト様。貴方は学園時代、『自由なのは今だけだ。君は特別だ』とおっしゃいましたわね」

 エレナはふっと、自嘲気味に微笑んだ。
「あの時、私はその言葉を『責任ある立場になるまでは遊ばせてほしいけれど、最後には君のもとに帰る』という意味だと信じていました。……でも、違った。貴方にとっての『自由』とは、『私を繋ぎ止めたまま、他の女性に心を向ける自由の免罪符』だったのですね」
「……っ」

「私は、貴方の『特別』になりたくて自分を削り続けました。でも、もう疲れ果てて、削る場所も残っていないのです。今の私にあるのは、貴方が名前も知らなかったはずの、あの地味で真面目な『エレナ・ヴィリアーズ』という、ただの一人の人間としての私だけ」
 エレナは、掴まれていたスカートをゆっくりと引き抜いた。

 アルベルトの泥のついた指先が、空を掴んで力なく落ちる。
「貴方を許すことは、今の私にはできません。そして、貴方と共に歩む未来も、一秒たりとも想像できない。……お願いです。私に、私自身の『自由』を返してください」

「エレナ……っ、あああああ!」
 アルベルトは泥水を叩き、獣のような慟哭を上げた。喉が裂けるほどの叫びは、雨の森に吸い込まれていく。

 彼はようやく悟ったのだ。自分が「嘘の告白」で始まった遊戯に終止符を打ったのではない。
エレナが、自分という存在をその人生から完全に「消去」したのだということを。

「……今日のところは、お帰りください。お義母様との約束も、まだ残っているはずです」
 エレナは背を向け、小さな石造りの館へと歩き出した。

 一度も振り返ることなく、その足取りは凛としていた。
 雨の中、一人取り残されたアルベルトは、暗い空を仰いだ。頬を伝うのが雨なのか、それとも初めて流した本物の悔し涙なのか、彼自身にも分からなかった。

 けれど、彼は立ち上がった。エレナに拒絶され、その存在を全否定された今、彼の中に残ったのは、かつてないほど純粋で、そして絶望的なまでの「執着」と、一筋の「誠実さ」への渇望だった。

(……許されなくていい。愛されなくていい。それでも、僕は……)

 彼は、泥まみれの体で馬に跨った。
 このまま王都へ戻り、まずは死に物狂いで「一人でも立てる男」になること。それが、彼に与えられた唯一の、そして最も険しい再出発の道だと知ったから。
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