「姉なんだから妹に従え」と命じる両親。でも、その妹、お父様の子じゃありませんよ?

恋せよ恋

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三年間の自由な楽園

  フローディアが学園に入学してくるまでの三年間。それは、マデリーンの人生において、後にも先ほどにもない「極彩色」の時間だった。

 十五歳でコルディアの屋敷を離れ、学園の寮に入った日。マデリーンは、自室のベッドに座り、窓から差し込む夕日を眺めながら、思わず震えるような吐息を漏らした。
 隣の部屋から「お姉様、あれやって、これやって」と甘える声は聞こえない。階下から「マデリーン、フローディアを優先しなさい」と叱る父の声も聞こえない。

 そこにあったのは、完全なる静寂と、自分だけの時間だった。

「……自由なんだわ」

 その一言が、これほどまでに重く、温かいものだとは知らなかった。

 学園での生活は、マデリーンにとって知的な刺激に満ちたものだった。
 コルディア家では、マデリーンがいくら優秀な成績を収めても、「それよりフローディアの話し相手になりなさい」と一蹴されるのが常だった。しかし、ここでは違う。魔導理論、歴史学、経済学――。提出した論文には教授から熱のこもった添削が入り、努力すればするほど、正当な評価が返ってくる。

「マデリーン嬢、君の昨日の講義での発言は鋭かったね。あの解釈には驚かされたよ」

 そう声をかけてくれたのは、同じクラスで、マデリーンの婚約者となったウェリントン侯爵家の嫡男、クリスチャンだった。
 彼は燃えるような赤い髪に、知的な光を宿した青い瞳を持つ、文武両道の貴公子だ。

「クリスチャン様……。ありがとうございます。私はただ、気になったことを申し上げただけですので」

「それがいいんだ。君はいつも自分を過小評価するけれど、その探求心は素晴らしいと思う。……一人の女性として、僕は君を尊敬しているよ」

 マデリーンは、一瞬呼吸を忘れた。

 生まれた時から、自分のアイデンティティは妹の付随物でしかなかった。けれど、クリスチャンは初めて、マデリーンという個人の魂を見つめてくれたのだ。

 それからの二年間、二人の仲はゆっくりと、着実に深まっていった。
 放課後の図書室は、二人だけの特別な聖域だった。
 窓際の席で、山積みにされた専門書を囲みながら、時には議論を戦わせ、時には静かにペンを走らせる。

「クリスチャン様、この数式ですが……」

「ああ、そこは座標の変換が必要だね。貸してごらん、一緒に解こう」

 クリスチャンの指先がマデリーンの手に触れる。
 フローディアに触れられる時は、いつも何かを奪われる予感に身を固くしていたマデリーンだったが、彼の熱は、凍てついた心を優しく溶かしていくようだった。
 
 マデリーンにとって、クリスチャンは「婚約者」という政略の相手以上の存在になっていた。
 彼は、マデリーンが努力して手に入れた知識を面白がり、彼女が時折見せる年相応の笑顔を「綺麗だ」と言ってくれた。
 茶色の瞳も、飾り気のない振る舞いも、彼という鏡を通せば、確かな価値を持つものに思えたのだ。

「卒業したら、僕の領地に来てほしい。あそこは自然が豊かで、君の好きそうな古い文献もたくさんある。二人で、新しい品種の作物や魔法式の研究をしよう」

「……はい。楽しみにしております、クリスチャン様」

 それは、未来への約束だった。
 「姉なんだから」という呪いから完全に解放され、一人の女性として、愛する人と共に歩む未来。
 コルディアの屋敷へ帰省するたび、フローディアの「神の贈り物」としての輝きに当てられ、両親の偏愛に心を削られても、学園に戻ればクリスチャンがいる。その事実だけが、マデリーンを支える背骨となっていた。

 しかし、幸福というものは、時として残酷なほど脆い。
 学園生活三年目の春。
 マデリーンが卒業を控え、人生で最も充実した時間を過ごしていたその時、学園の門をくぐる一台の馬車があった。

 コルディア家の紋章が刻まれたその馬車から降り立ったのは、春の女神をも嫉妬させるような、黄金の美少女。

「お姉様! 会いたかったわ!」

 再会したフローディアは、学園の生徒たちが息を呑むほどの美貌を振りまきながら、マデリーンのもとへ駆け寄ってきた。
 その瞬間、マデリーンが三年間かけて築き上げた「私の世界」に、ピシリと大きな亀裂が入る音がした。

「フローディア……。今日から、入学なのね」

「ええ! お父様もお母様も、お姉様がいれば安心だって仰っていたわ。今日からまた、ずっと一緒ね、お姉様?」

 無邪気な笑顔の裏側で、フローディアの緑の瞳が、マデリーンの隣に立つクリスチャンを捉えた。
 獲物を品定めするような、冷たく鋭い光。
 クリスチャンは、初めて見るフローディアの圧倒的な容姿に、一瞬だけ呆然と立ち尽くしていた。

「……マデリーン嬢、彼女が君の妹君かい?」

「……はい、クリスチャン様。妹の……フローディアです」

 紹介する声が、自分でも驚くほど震えていた。

 空は青く、風は穏やかだった。けれどマデリーンには、自分の足元から色が抜け、再び「茶色い背景」へと引きずり込まれていく感覚がはっきりと分かった。
 三年間という短い楽園の幕が、今、無慈悲に下ろされたのだ。
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