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向けられた打算的な瞳
学園の女子寮、マデリーンの個室。
深夜、ノックもなしに扉が開いた。入ってきたのは、薄いネグリジェを纏い、黄金の髪を肩に流したフローディアだった。
「あら、お姉様。まだ起きていたの? 相変わらず熱心に……そんな『文字』ばかり追いかけて、退屈じゃないかしら」
フローディアは、マデリーンが広げていた経済学の専門書を、汚らわしいものでも見るかのように指先で弾いた。
廊下や教室で見せる「儚げで守られるべき妹」の面影は、そこには微塵もなかった。
「……何の用かしら、フローディア。明日は一限から講義があるはずよ。もう休みなさい」
マデリーンは感情を押し殺して告げる。だが、フローディアはマデリーンのベッドに勝手に腰を下ろすと、形の良い唇を三日月のように歪めた。
「ふふ、お姉様ったら。クリスチャン様の前で見せる『物分かりの良い婚約者』の仮面が、少しずつ剥がれてきているわよ? 今日、図書室で私を睨んでいた顔、とっても醜かったわ」
「睨んでなどいないわ。ただ、彼の時間を奪うのはやめてほしいと言いたいだけよ。彼は卒業試験を控えているの」
「あら、彼は喜んで私に時間を捧げているわ。お姉様が三年間かけて必死に積み上げた『絆』だか何だか知らないけれど、私がちょっと小首を傾げて、潤んだ目で彼を見つめるだけで、全部崩れちゃう程度のものだったのね」
フローディアの声には、氷のような冷酷さが宿っていた。
マデリーンは筆を置き、妹を真っ直ぐに見据えた。
「フローディア。あなたは、クリスチャン様のことが好きなの? それとも、ただ私から奪いたいだけ?」
「やだ、ふふふ……」
その問いに、フローディアは声を立てて笑った。
鈴を転がすような愛らしい笑い声。だが、その瞳だけは一切笑っていない。
「好き? そんな低俗な感情、私には必要ないわ。私はね、お姉様。自分がどれだけの価値を持っているか、試すのが好きなの。お父様もお母様も、そしてあのクリスチャン様も……。私が少し『可哀想な女の子』を演じれば、みんな私の足元に跪く。操るのなんて、赤子の手をひねるより簡単だわ」
「……両親まで、そんな風に思っているの?」
「当然でしょう? あの人たちは、私のこの髪と瞳を拝んでいるだけ。中身なんて見ていないわ。特にお父様……あの人の私を見る目は、時々気持ち悪いけれど、それを利用すれば何だって手に入るもの」
フローディアは、自身の輝く金髪を指に巻き付け、うっとりと眺めた。
「お姉様は、勉強が得意で、真面目で、コルディア家の誇りになろうと必死だったわね。でも、残念だったわ。この世界は『正しい人』ではなく、『美しい人』に都合よくできているのよ」
「……いつか、その化けの皮が剥がれるわよ」
マデリーンが絞り出すように言うと、フローディアはベッドから立ち上がり、マデリーンの耳元に顔を寄せた。
「剥がれないわ。だって、誰も剥がそうなんて思わないもの。みんな、私の見せる夢の中にいたいだけ。……そうそう、お父様からお手紙が届いたわ。『卒業パーティーでは、お姉様ではなく私の隣にクリスチャン様を立たせるように調整する』って。楽しみね、お姉様?」
ゾッとするような冷たい感触を残して、フローディアは部屋を出て行った。
一人残された部屋で、マデリーンは自分の手が激しく震えていることに気づいた。
フローディアの二面性。それは、単なる我が儘な子供の変貌ではない。
周囲の人間を駒として扱い、自分を「神の贈り物」という偶像に仕立て上げる、徹底した打算。そして何より恐ろしいのは、父がフローディアに向ける「気持ち悪い目」の正体。
フローディア自身もそれを感じ取り、利用しているという事実だった。
「……操るのが、簡単……」
マデリーンは、先ほどフローディアが弾いた本を強く抱きしめた。
今まで自分が信じてきた努力や誠実さが、妹の歪んだ微笑み一つで無に帰していく。
マデリーンがこれまで『姉なんだから』と耐えてきたすべては、この冷酷な怪物を育てるための肥やしに過ぎなかったのか。
暗闇の中で、マデリーンは悟った。
もはや、言葉で訴えても誰も信じない。この学園さえも、すでに妹の魔手にかかっている。
(……それでも、私は。あなたの思い通りには壊されない)
マデリーンの茶色の瞳に、これまでにない決意の火が灯った。
妹が「打算」で世界を動かすというのなら、自分は「真実」を掘り起こすしかない。
なぜ、茶色の家族の中に、この黄金の怪物が生まれたのか。
その根源に触れなければ、この呪いからは逃れられない。
夜が明けるまで、マデリーンは震えを抑えながら、今後の計画を練り始めた。
もはや彼女は、ただ耐えるだけの「盾」ではなかった。
深夜、ノックもなしに扉が開いた。入ってきたのは、薄いネグリジェを纏い、黄金の髪を肩に流したフローディアだった。
「あら、お姉様。まだ起きていたの? 相変わらず熱心に……そんな『文字』ばかり追いかけて、退屈じゃないかしら」
フローディアは、マデリーンが広げていた経済学の専門書を、汚らわしいものでも見るかのように指先で弾いた。
廊下や教室で見せる「儚げで守られるべき妹」の面影は、そこには微塵もなかった。
「……何の用かしら、フローディア。明日は一限から講義があるはずよ。もう休みなさい」
マデリーンは感情を押し殺して告げる。だが、フローディアはマデリーンのベッドに勝手に腰を下ろすと、形の良い唇を三日月のように歪めた。
「ふふ、お姉様ったら。クリスチャン様の前で見せる『物分かりの良い婚約者』の仮面が、少しずつ剥がれてきているわよ? 今日、図書室で私を睨んでいた顔、とっても醜かったわ」
「睨んでなどいないわ。ただ、彼の時間を奪うのはやめてほしいと言いたいだけよ。彼は卒業試験を控えているの」
「あら、彼は喜んで私に時間を捧げているわ。お姉様が三年間かけて必死に積み上げた『絆』だか何だか知らないけれど、私がちょっと小首を傾げて、潤んだ目で彼を見つめるだけで、全部崩れちゃう程度のものだったのね」
フローディアの声には、氷のような冷酷さが宿っていた。
マデリーンは筆を置き、妹を真っ直ぐに見据えた。
「フローディア。あなたは、クリスチャン様のことが好きなの? それとも、ただ私から奪いたいだけ?」
「やだ、ふふふ……」
その問いに、フローディアは声を立てて笑った。
鈴を転がすような愛らしい笑い声。だが、その瞳だけは一切笑っていない。
「好き? そんな低俗な感情、私には必要ないわ。私はね、お姉様。自分がどれだけの価値を持っているか、試すのが好きなの。お父様もお母様も、そしてあのクリスチャン様も……。私が少し『可哀想な女の子』を演じれば、みんな私の足元に跪く。操るのなんて、赤子の手をひねるより簡単だわ」
「……両親まで、そんな風に思っているの?」
「当然でしょう? あの人たちは、私のこの髪と瞳を拝んでいるだけ。中身なんて見ていないわ。特にお父様……あの人の私を見る目は、時々気持ち悪いけれど、それを利用すれば何だって手に入るもの」
フローディアは、自身の輝く金髪を指に巻き付け、うっとりと眺めた。
「お姉様は、勉強が得意で、真面目で、コルディア家の誇りになろうと必死だったわね。でも、残念だったわ。この世界は『正しい人』ではなく、『美しい人』に都合よくできているのよ」
「……いつか、その化けの皮が剥がれるわよ」
マデリーンが絞り出すように言うと、フローディアはベッドから立ち上がり、マデリーンの耳元に顔を寄せた。
「剥がれないわ。だって、誰も剥がそうなんて思わないもの。みんな、私の見せる夢の中にいたいだけ。……そうそう、お父様からお手紙が届いたわ。『卒業パーティーでは、お姉様ではなく私の隣にクリスチャン様を立たせるように調整する』って。楽しみね、お姉様?」
ゾッとするような冷たい感触を残して、フローディアは部屋を出て行った。
一人残された部屋で、マデリーンは自分の手が激しく震えていることに気づいた。
フローディアの二面性。それは、単なる我が儘な子供の変貌ではない。
周囲の人間を駒として扱い、自分を「神の贈り物」という偶像に仕立て上げる、徹底した打算。そして何より恐ろしいのは、父がフローディアに向ける「気持ち悪い目」の正体。
フローディア自身もそれを感じ取り、利用しているという事実だった。
「……操るのが、簡単……」
マデリーンは、先ほどフローディアが弾いた本を強く抱きしめた。
今まで自分が信じてきた努力や誠実さが、妹の歪んだ微笑み一つで無に帰していく。
マデリーンがこれまで『姉なんだから』と耐えてきたすべては、この冷酷な怪物を育てるための肥やしに過ぎなかったのか。
暗闇の中で、マデリーンは悟った。
もはや、言葉で訴えても誰も信じない。この学園さえも、すでに妹の魔手にかかっている。
(……それでも、私は。あなたの思い通りには壊されない)
マデリーンの茶色の瞳に、これまでにない決意の火が灯った。
妹が「打算」で世界を動かすというのなら、自分は「真実」を掘り起こすしかない。
なぜ、茶色の家族の中に、この黄金の怪物が生まれたのか。
その根源に触れなければ、この呪いからは逃れられない。
夜が明けるまで、マデリーンは震えを抑えながら、今後の計画を練り始めた。
もはや彼女は、ただ耐えるだけの「盾」ではなかった。
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