「姉なんだから妹に従え」と命じる両親。でも、その妹、お父様の子じゃありませんよ?

恋せよ恋

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婚約者への魔の手

  学園の放課後、オレンジ色の夕陽が長く伸びる図書室。
 そこはかつて、マデリーンとクリスチャンが、ただの「婚約者」という枠を超えて心を通わせ合った場所だった。

 だが、今のその席には、招かれざる「妖精」が居座っている。

「……クリスチャン様、本当にすごいですわ。こんなに難しい法学の解釈を、私にも分かるように教えてくださるなんて」

 フローディアの、甘く、とろけるような声が静寂を乱す。
 彼女は机の下で、わざとらしくクリスチャンの脚に自分の膝を寄せている。さらに、説明を聞くふりをして、彼の肩に顔を近づけていた。

 マデリーンは少し離れた棚の陰で、資料を探す手を止めた。
 視線の先では、クリスチャンが耳を赤くし、困惑と高揚の混ざった表情で妹を見つめている。

「いや、フローディア嬢が熱心に聞いてくれるからだよ。マデリーン嬢は……その、彼女は最初から何でも一人で理解してしまうから。教え甲斐があるというのは、新鮮な感覚だ」

 クリスチャンの言葉は、マデリーンの胸に鋭い棘となって刺さった。

 「一人でできる」ことが、これほどまでに裏目に出るとは。
 マデリーンは、彼と対等でありたいと願い、隣に並ぶために必死に努力してきた。一方のフローディアは、無知なふりをして彼を「頼りがいのある男」という壇上に押し上げ、優越感という名の毒を注ぎ込んでいる。

「お姉様は、私と違ってとっても優秀ですもの。きっと、クリスチャン様がいなくても大丈夫なんですわ。……でも、私は。私には、クリスチャン様しかいないのに」

 フローディアが、エメラルドの瞳を潤ませて彼を見上げる。
 その潤みは、昨日マデリーンの部屋で見せた冷酷な瞳と同一人物のものとは思えないほど、完璧な「儚げな」輝きだった。

「そんなことはない。マデリーン嬢だって君を心配して……」

「いいえ、お姉様は最近、私に冷たいんです。お父様たちにも『お姉様が怖い』なんて、言えなくて……。ねえ、クリスチャン様、私、どうしたらいいの?」

 フローディアの指先が、クリスチャンの手の甲に重ねられた。
 マデリーンはたまらず、棚の陰から姿を現した。

「フローディア。勉強の邪魔をしてはいけないと言ったはずよ」

 冷たい声が響くと、二人は弾かれたように離れた。
 クリスチャンは一瞬、後ろめたい顔をしたが、フローディアが怯えたように彼の背後に隠れると、すぐにその表情は険しいものに変わった。

「マデリーン嬢、あまり彼女を責めないであげてくれ。彼女はただ、学びたいという向上心を持っているだけだ」

「……向上心、ですか。クリスチャン様、彼女の課題の進捗をご覧になりましたか? 妹は貴方に答えを書かせているだけです」

「言い方が酷いよ、マデリーン! 君はいつも正論ばかりで、相手の感情を置き去りにする。彼女は君のように強くないんだ。少しは姉として、寄り添う心を持てないのか?」

 クリスチャンの叫びは、図書室の空気を凍りつかせた。
 かつて「君の知性が好きだ」と言った男の口から、知性を否定するような言葉が投げつけられる。

 マデリーンは目眩を覚えた。

「……寄り添う、ですか。私の婚約者である貴方が、私の目の前で妹の手を握っていることについて、私はどう寄り添えばいいのですか?」

 マデリーンの静かな問いに、クリスチャンは言葉を詰まらせた。
 しかし、そこでフローディアが追い打ちをかけるように、声を震わせて泣き出した。

「ごめんなさい……私のせいだわ。お姉様とクリスチャン様が喧嘩しちゃうなんて。私、どこかへ行くわ。……うっ、ううっ……」

「フローディア嬢! 待ちなさい!」

 駆け出そうとしたフローディアを、クリスチャンが抱きとめるようにして止める。
 その腕の中には、もうマデリーンの入る隙間はなかった。
 クリスチャンは、腕の中のフローディアを守るように抱えたまま、冷ややかな視線をマデリーンに向けた。

「……今日のところは、僕が彼女を寮まで送っていく。マデリーン嬢、君は一度、冷静になった方がいい」

 二人の足音が遠ざかっていく。
 一人残された図書室で、マデリーンは力なく椅子に座り込んだ。

 クリスチャンの心が、マデリーンの手から砂のように零れ落ちていく。
 それは、フローディアの美貌のせいだけではない。

 「自分を必要としてくれる、か弱い存在」という甘い蜜に、彼の自尊心が溺れてしまったのだ。
マデリーンは、クリスチャンが忘れていったノートを開いた。そこには、マデリーンには見せたこともないような、彼の丁寧で熱い筆跡の解説が並んでいた。

(……ああ、そう。私がいなくても、あなたは平気なのね)

 マデリーンは、泣かなかった。
 悲しみよりも先に、得体の知れない怒りと、そして「疑問」が湧き上がってきたからだ。
 これほどまでに容易く人を狂わせ、思考を停止させるフローディアの「色彩」。ただの先祖返りで、これほどまでの魔力が宿るものだろうか。

 父がフローディアに投影している「オーレリア」という女性。
 そして、母が隠している「秘密」。

「……クリスチャン様。貴方を奪った代償は、高くつくわよ」

 マデリーンは立ち上がり、棚の奥へと向かった。
 彼女の頭脳は、今や怒りを燃料にして、恐ろしいほどの速さで回転していた。
 
 そもそも、おかしいのだ。
 確かにフローディアは美しい。けれど、学園で二年間共に過ごしたクリスチャンが、わずか数週間で婚約者の自分をこれほどまでに拒絶し、妹を盲信するようになるものだろうか。まるで、思考を霧に包まれているような、そんな不自然な心変わり。

(……ただの『先祖返り』なんて、絶対に嘘よ!)

 もし、この「黄金の色彩」そのものに、人の理性を狂わせるような……それこそ高位貴族の血筋特有の、魔力に近い性質が備わっているとしたら?

 そこでマデリーンの脳裏に、一つの名前が浮かんだ。『オーレリア』。
 昔、父が酔い潰れた夜に、フローディアの髪を撫でながらうっとりと呼んでいた名前。
 当時はただの古い恋人の名かと思っていた。けれど、この学園で最高位貴族について学んだ今のマデリーンには、別の可能性が見えていた。

(金髪碧眼が象徴とされる、雲の上の高位貴族。……カークランド公爵家)
 
 マデリーンは、学園が所蔵する貴族の系譜図が並ぶ一角へ迷わず足を進めた。埃を被った『現存貴族血統録』を手に取る。

 父の歪んだ執着。母が隠し通しているフローディアの本当の父親。
 そして、なぜ平凡な茶色の伯爵家に、公爵家の象徴である黄金の娘が生まれたのか。

 もう、盾として耐える時間は終わった。
 これからは、コルディア伯爵家という名の腐った箱庭に、隠された毒を暴き出す番だ。
 マデリーンの茶色の瞳は、夕闇の中で鋭く研ぎ澄まされていた。
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