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兄の冷徹な予言
私の父、デビット・トルモン侯爵は、バレリーの父、シモンおじ様のことを本当の兄弟のように信頼していた。それもそのはず、シモンおじ様の母……つまり先代の子爵夫人が、父の乳母を務めていたからだ。同じ女性の乳で育った「乳兄弟」という絆は、この国の貴族社会では血縁以上に尊ばれることもある。
父はよく、目を細めて語っていた。
「私はシモンがいなければ今の自分はないと思っている。彼の母上には、我が家は一生かかっても返しきれない恩があるのだよ」
だからこそ、シモンおじ様の娘であるバレリーが私と親しくすることを、父は誰よりも喜んでいた。シシリア家への経済的な支援も、父にとっては「大切な乳兄弟」への当然の配慮だったのだろう。
けれど。
そんな大人たちの美しい友情の陰で、一人だけ冷ややかに鼻を鳴らす人物がいた。
「グレース。またその『寄生虫』に、商会の新作を貢いだのか?」
背後からかけられた冷徹な声に、私は振り返った。
そこに立っていたのは、私の二歳上の兄、パトリックだ。トルモン侯爵家の次期当主として厳格に育てられている彼は、幼い頃から恐ろしいほどに勘の鋭い少年だった。
「パトリック兄様。貢いだなんて、人聞きの悪いことを言わないで。バレリーは私の大切なお友達よ。それに、これは私のお小遣いから出しているんだもの、文句はないでしょう?」
「お前の小遣いの出所は侯爵家だ。使い道は自由だが、使い先は選べと言っているんだ」
パトリックは、庭のガゼボで新しい刺繍入りのハンカチを嬉しそうに眺めているバレリーを一瞥した。バレリーがこちらに気づき、「パトリック様!」と可憐な笑顔で手を振ったが、兄は会釈一つせず、冷たい視線を私に戻した。
「いいか、グレース。分をわきまえぬ者に、分不相応な夢を見せるのは慈悲ではない。それは毒だ」
「毒だなんて、大げさだわ。バレリーはただ、私とお揃いのものを喜んでくれているだけよ」
「『お揃い』か……。あいつの目を見ろ。あれは友を慕う目じゃない。お前が持つすべてを『自分のものにして当然だ』と喉を鳴らしている、奪う者の目だ」
当時の私は、兄の言葉をただの「偏屈な選民思想」だと思い込んでいた。
高位貴族としてのプライドが高すぎる兄は、格下の家柄であるバレリーが、自分たちと同じような身なりで平然としているのが気に食わないだけなのだと。
「お兄様は、バレリーに厳しすぎるわ。あの子はあんなに素直で、私のセンスを世界一だって言ってくれるのに」
「……ふん。お前のセンスを褒めているんじゃない。お前の持つ『財布の紐』を撫でているだけだ」
パトリックはそれ以上何も言わず、踵を返した。
去り際に彼が残した言葉を、私は今でも鮮明に覚えている。
「グレース。飼い犬に手を噛まれるのは勝手だが、その犬が狂犬にならないうちに、鎖に繋ぐなり追い出すなりしておけ。……手遅れになってから、僕に泣きつくなよ」
その日の午後、バレリーは私の部屋で、私が新しく購入したばかりの香水を物欲しそうに眺めていた。
「これ、素敵な香りね、グレース。私には、こんな高価な香水、一生買えないわ……」
「いいのよ、バレリー。これ、あなたにあげるわ。私には少し大人っぽすぎる気がしていたの」
「本当!? 嬉しい! やっぱり、グレースは私のことを一番分かってくれるわね。……ねえ、グレース。この香水をつけて、今度の夜会に行ってもいいかしら? まるで、私があなたの身代わりになったみたいで、ワクワクするわ」
バレリーは、香水の瓶を愛おしそうに抱きしめ、鏡の中の自分を見つめていた。
その瞳は、兄が言ったような「狂犬」には到底見えなかった。ただ、あまりにも無邪気に、高価な品々に酔いしれているだけの少女に思えた。
「ええ、もちろんよ。バレリー、あなたに似合うはずだわ」
私は、あの子を飾っているつもりで、自分を飲み込む怪物を自らの手で育てていたのだ。『お揃い』という言葉で、あの子に私の居場所を譲り渡していたことにも気づかずに。
___________
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父はよく、目を細めて語っていた。
「私はシモンがいなければ今の自分はないと思っている。彼の母上には、我が家は一生かかっても返しきれない恩があるのだよ」
だからこそ、シモンおじ様の娘であるバレリーが私と親しくすることを、父は誰よりも喜んでいた。シシリア家への経済的な支援も、父にとっては「大切な乳兄弟」への当然の配慮だったのだろう。
けれど。
そんな大人たちの美しい友情の陰で、一人だけ冷ややかに鼻を鳴らす人物がいた。
「グレース。またその『寄生虫』に、商会の新作を貢いだのか?」
背後からかけられた冷徹な声に、私は振り返った。
そこに立っていたのは、私の二歳上の兄、パトリックだ。トルモン侯爵家の次期当主として厳格に育てられている彼は、幼い頃から恐ろしいほどに勘の鋭い少年だった。
「パトリック兄様。貢いだなんて、人聞きの悪いことを言わないで。バレリーは私の大切なお友達よ。それに、これは私のお小遣いから出しているんだもの、文句はないでしょう?」
「お前の小遣いの出所は侯爵家だ。使い道は自由だが、使い先は選べと言っているんだ」
パトリックは、庭のガゼボで新しい刺繍入りのハンカチを嬉しそうに眺めているバレリーを一瞥した。バレリーがこちらに気づき、「パトリック様!」と可憐な笑顔で手を振ったが、兄は会釈一つせず、冷たい視線を私に戻した。
「いいか、グレース。分をわきまえぬ者に、分不相応な夢を見せるのは慈悲ではない。それは毒だ」
「毒だなんて、大げさだわ。バレリーはただ、私とお揃いのものを喜んでくれているだけよ」
「『お揃い』か……。あいつの目を見ろ。あれは友を慕う目じゃない。お前が持つすべてを『自分のものにして当然だ』と喉を鳴らしている、奪う者の目だ」
当時の私は、兄の言葉をただの「偏屈な選民思想」だと思い込んでいた。
高位貴族としてのプライドが高すぎる兄は、格下の家柄であるバレリーが、自分たちと同じような身なりで平然としているのが気に食わないだけなのだと。
「お兄様は、バレリーに厳しすぎるわ。あの子はあんなに素直で、私のセンスを世界一だって言ってくれるのに」
「……ふん。お前のセンスを褒めているんじゃない。お前の持つ『財布の紐』を撫でているだけだ」
パトリックはそれ以上何も言わず、踵を返した。
去り際に彼が残した言葉を、私は今でも鮮明に覚えている。
「グレース。飼い犬に手を噛まれるのは勝手だが、その犬が狂犬にならないうちに、鎖に繋ぐなり追い出すなりしておけ。……手遅れになってから、僕に泣きつくなよ」
その日の午後、バレリーは私の部屋で、私が新しく購入したばかりの香水を物欲しそうに眺めていた。
「これ、素敵な香りね、グレース。私には、こんな高価な香水、一生買えないわ……」
「いいのよ、バレリー。これ、あなたにあげるわ。私には少し大人っぽすぎる気がしていたの」
「本当!? 嬉しい! やっぱり、グレースは私のことを一番分かってくれるわね。……ねえ、グレース。この香水をつけて、今度の夜会に行ってもいいかしら? まるで、私があなたの身代わりになったみたいで、ワクワクするわ」
バレリーは、香水の瓶を愛おしそうに抱きしめ、鏡の中の自分を見つめていた。
その瞳は、兄が言ったような「狂犬」には到底見えなかった。ただ、あまりにも無邪気に、高価な品々に酔いしれているだけの少女に思えた。
「ええ、もちろんよ。バレリー、あなたに似合うはずだわ」
私は、あの子を飾っているつもりで、自分を飲み込む怪物を自らの手で育てていたのだ。『お揃い』という言葉で、あの子に私の居場所を譲り渡していたことにも気づかずに。
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