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バレリーの二面性
学園という戦場で、バレリーは「悲劇の子爵令嬢」を演じきっている。
ならば、家という安息の地ではどう振る舞うのか。私は、自室のソファに深く腰掛け、手にした帳簿を眺めながら彼女の訪問を待っていた。
コンコン、と控えめだが親しげなノックの音が響く。
「グレース、入ってもいいかしら?」
返事をする前に扉が開いた。かつては「親しき仲」の証として許していた無作法だが、今の私にはそれが、私の領域を侵食することに慣れきった者の傲慢さにしか見えない。
部屋に入ってきたバレリーは、学園で見せていた悲痛な面持ちを綺麗さっぱり消し去っていた。それどころか、まるで何事もなかったかのように、私の隣に滑り込んできて、私の腕に自分の腕を絡めた。
「ねえグレース。今日の学園でのこと、怒っていないわよね? 私、本当にあなたのことが心配で。あなたが周囲から誤解されないように、私なりに必死にフォローしたつもりなのよ」
絡みつく細い腕。甘い香水の香り。
これまでは「可愛い従姉妹の甘え」だと思っていたこの感触が、今はひどく粘ついていて、不快だった。
「あら。私を『悪気のないわがままな女』として紹介することが、あなたの言うフォローなのね?」
私が冷淡に問い返すと、バレリーは一瞬だけ表情を強張らせた。だが、すぐに小首を傾げて、屈託のない笑みを浮かべる。
「嫌だわ、言葉の綾よ。そう言っておかないと、周りの子たちが納得してくれないんだもの。ねえ、それより見て。明日、スティーブ様と観劇に行くことになったの。……それで、グレースにお願いがあるの」
彼女は、私の返事も待たずにクローゼットの方へ視線を向けた。
「あの、先週届いた新作のシルクのドレス。あれ、私に貸して……いいえ、プレゼントしてくれないかしら? スティーブ様、青い色が好きなんでしょう? 私の持っているドレスじゃ、彼にふさわしい装いができないわ」
当然のように、彼女は「おねだり」を口にした。
学園で私の評判を地に落とし、婚約者を寝取ろうとしているその口で、私に「もっと自分を飾るための資金を出せ」と言ってきたのだ。
この神経の太さは、もはや一種の才能だ。
私は、絡みついた彼女の手をゆっくりと、しかし確実に振り払った。
「残念だけど、あのドレスはもう他の人に譲ることに決めたわ」
「えっ? 嘘でしょう? 私に似合うからって、お揃いで注文してくれたじゃない」
「ええ。でも、あなたは学園で言っていたでしょう? 『グレースに無理やり押し付けられて、断れなくて困っている』と。だから、これからはあなたの負担にならないよう、無理にプレゼントするのはやめようと思ったのよ」
バレリーの顔から、みるみるうちに余裕が消えていった。
彼女は唇を噛み、縋るような目で私を見つめる。
「そ、れは……建前よ! あそこでそう言っておかないと、私があなたの腰巾着みたいに思われちゃうから……。グレース、あなたは侯爵令嬢なんだから、少しくらい悪役になっても平気でしょう? でも私は、立場が弱いの。少しくらい嘘をつかないと、生きていけないのよ」
「……あなたの保身のために、私が泥を被るのが当然だと言うのね」
「そうじゃないわ! 私たちは『双子のように仲良し』の親友でしょう? あなたが持っているものは、私のものも同然だって……昔、そう言ってくれたじゃない」
昔の私の「純粋な友情」という名の言葉を、彼女は自分にとって都合のいい「終身契約」に書き換えていた。
私が彼女を飾り立てていたのは、彼女が私のそばで輝くことが、私自身の喜びだったからだ。だが、彼女はその「輝き」という武器を使い、私自身を刺しに来た。
バレリーは、私の冷ややかな沈黙に焦りを感じたのか、今度は怒りを滲ませ始めた。
「……いいわよ。ドレスくらい、自分でなんとかするわ。でも、後悔しないでね? スティーブ様は、あなたのそういう『冷たさ』に愛想を尽かしているんだから」
彼女は捨て台詞を吐いて、部屋を飛び出していった。
バタン、と乱暴に閉められた扉の音が、静かな部屋に響く。
私は深呼吸を一つし、机の上に戻った。
帳簿を開き、先ほどの会話の内容をメモに残す。
『王暦百二十三年六月十日。新作ドレスの譲渡を要求。拒絶された際、逆上。自身の嘘を「保身のための正当な手段」と主張。共同資産の認識を盾に寄生を継続する意思あり』
このメモは、後に父や兄、そしてシシリア家へ突きつけるための「証拠」となる。
彼女が部屋を出ていった数分後、兄パトリックがひょっこりと顔を出した。
彼は扉に寄りかかり、やれやれと首を振る。
「……またあの寄生虫が、何か盗もうとしていたのか?」
「いいえ。盗もうとしていたのではなく、私が差し出すのが当然だと思っていたみたい」
「だろうな。あいつは、お前の優しさを『権利』だと勘違いしている。お前が蛇口を閉めれば、あいつは喉が渇いて狂うだろう。……だが、気をつけろよ、グレース。飢えた獣は、最後に何を食うか分かったもんじゃない」
「分かっているわ、お兄様。……私は、あの子を飢えさせるつもりはないの」
私は、帳簿に記された巨額の数字を指でなぞった。
「ただ、これまで食べた分の『お代』を、きっちり請求するだけよ。……たとえそれが、彼女の家を潰すことになったとしてもね」
パトリックは一瞬、目を見開いた後、満足そうに口角を上げた。
「……ようやく、侯爵家の娘らしい目になったな。いいだろう、お前の『取り立て』、僕も手伝ってやる」
バレリー、あなたは知らない。
あなたが明日、スティーブと行く観劇。
そのチケット代も、あなたが乗る馬車の維持費も、本当はどこから出ているのか。
二面性を使い分け、私を欺いているつもりのあなた。
けれど、あなたの土台を支えている柱は、もうすでに私が一本ずつ、静かに取り去っている。
次にあなたが崩れ落ちる時。
そこには、私という「パトロン」はもう、存在しない。
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📢新連載🌹【王太子の賭けに負けた氷の貴公子。クジで選ばれた私への態度は、義務ですか?それとも本気ですか?】
ならば、家という安息の地ではどう振る舞うのか。私は、自室のソファに深く腰掛け、手にした帳簿を眺めながら彼女の訪問を待っていた。
コンコン、と控えめだが親しげなノックの音が響く。
「グレース、入ってもいいかしら?」
返事をする前に扉が開いた。かつては「親しき仲」の証として許していた無作法だが、今の私にはそれが、私の領域を侵食することに慣れきった者の傲慢さにしか見えない。
部屋に入ってきたバレリーは、学園で見せていた悲痛な面持ちを綺麗さっぱり消し去っていた。それどころか、まるで何事もなかったかのように、私の隣に滑り込んできて、私の腕に自分の腕を絡めた。
「ねえグレース。今日の学園でのこと、怒っていないわよね? 私、本当にあなたのことが心配で。あなたが周囲から誤解されないように、私なりに必死にフォローしたつもりなのよ」
絡みつく細い腕。甘い香水の香り。
これまでは「可愛い従姉妹の甘え」だと思っていたこの感触が、今はひどく粘ついていて、不快だった。
「あら。私を『悪気のないわがままな女』として紹介することが、あなたの言うフォローなのね?」
私が冷淡に問い返すと、バレリーは一瞬だけ表情を強張らせた。だが、すぐに小首を傾げて、屈託のない笑みを浮かべる。
「嫌だわ、言葉の綾よ。そう言っておかないと、周りの子たちが納得してくれないんだもの。ねえ、それより見て。明日、スティーブ様と観劇に行くことになったの。……それで、グレースにお願いがあるの」
彼女は、私の返事も待たずにクローゼットの方へ視線を向けた。
「あの、先週届いた新作のシルクのドレス。あれ、私に貸して……いいえ、プレゼントしてくれないかしら? スティーブ様、青い色が好きなんでしょう? 私の持っているドレスじゃ、彼にふさわしい装いができないわ」
当然のように、彼女は「おねだり」を口にした。
学園で私の評判を地に落とし、婚約者を寝取ろうとしているその口で、私に「もっと自分を飾るための資金を出せ」と言ってきたのだ。
この神経の太さは、もはや一種の才能だ。
私は、絡みついた彼女の手をゆっくりと、しかし確実に振り払った。
「残念だけど、あのドレスはもう他の人に譲ることに決めたわ」
「えっ? 嘘でしょう? 私に似合うからって、お揃いで注文してくれたじゃない」
「ええ。でも、あなたは学園で言っていたでしょう? 『グレースに無理やり押し付けられて、断れなくて困っている』と。だから、これからはあなたの負担にならないよう、無理にプレゼントするのはやめようと思ったのよ」
バレリーの顔から、みるみるうちに余裕が消えていった。
彼女は唇を噛み、縋るような目で私を見つめる。
「そ、れは……建前よ! あそこでそう言っておかないと、私があなたの腰巾着みたいに思われちゃうから……。グレース、あなたは侯爵令嬢なんだから、少しくらい悪役になっても平気でしょう? でも私は、立場が弱いの。少しくらい嘘をつかないと、生きていけないのよ」
「……あなたの保身のために、私が泥を被るのが当然だと言うのね」
「そうじゃないわ! 私たちは『双子のように仲良し』の親友でしょう? あなたが持っているものは、私のものも同然だって……昔、そう言ってくれたじゃない」
昔の私の「純粋な友情」という名の言葉を、彼女は自分にとって都合のいい「終身契約」に書き換えていた。
私が彼女を飾り立てていたのは、彼女が私のそばで輝くことが、私自身の喜びだったからだ。だが、彼女はその「輝き」という武器を使い、私自身を刺しに来た。
バレリーは、私の冷ややかな沈黙に焦りを感じたのか、今度は怒りを滲ませ始めた。
「……いいわよ。ドレスくらい、自分でなんとかするわ。でも、後悔しないでね? スティーブ様は、あなたのそういう『冷たさ』に愛想を尽かしているんだから」
彼女は捨て台詞を吐いて、部屋を飛び出していった。
バタン、と乱暴に閉められた扉の音が、静かな部屋に響く。
私は深呼吸を一つし、机の上に戻った。
帳簿を開き、先ほどの会話の内容をメモに残す。
『王暦百二十三年六月十日。新作ドレスの譲渡を要求。拒絶された際、逆上。自身の嘘を「保身のための正当な手段」と主張。共同資産の認識を盾に寄生を継続する意思あり』
このメモは、後に父や兄、そしてシシリア家へ突きつけるための「証拠」となる。
彼女が部屋を出ていった数分後、兄パトリックがひょっこりと顔を出した。
彼は扉に寄りかかり、やれやれと首を振る。
「……またあの寄生虫が、何か盗もうとしていたのか?」
「いいえ。盗もうとしていたのではなく、私が差し出すのが当然だと思っていたみたい」
「だろうな。あいつは、お前の優しさを『権利』だと勘違いしている。お前が蛇口を閉めれば、あいつは喉が渇いて狂うだろう。……だが、気をつけろよ、グレース。飢えた獣は、最後に何を食うか分かったもんじゃない」
「分かっているわ、お兄様。……私は、あの子を飢えさせるつもりはないの」
私は、帳簿に記された巨額の数字を指でなぞった。
「ただ、これまで食べた分の『お代』を、きっちり請求するだけよ。……たとえそれが、彼女の家を潰すことになったとしてもね」
パトリックは一瞬、目を見開いた後、満足そうに口角を上げた。
「……ようやく、侯爵家の娘らしい目になったな。いいだろう、お前の『取り立て』、僕も手伝ってやる」
バレリー、あなたは知らない。
あなたが明日、スティーブと行く観劇。
そのチケット代も、あなたが乗る馬車の維持費も、本当はどこから出ているのか。
二面性を使い分け、私を欺いているつもりのあなた。
けれど、あなたの土台を支えている柱は、もうすでに私が一本ずつ、静かに取り去っている。
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