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公爵令息の、静かなる眼差し
お姉様は、ウィリアム様の姿を認めるなり、パッと顔を輝かせた。
先ほどまでの、どこか余裕たっぷりの表情とは違う。憧れの男性を前にした、完璧な「恋する乙女」の顔だ。
「ウィリアム様! まあ、お会いできて光栄ですわ」
カサンドラがしなやかに歩み寄り、彼に最高の笑みを向ける。
ウィリアム様は公爵家の次男。本来ならスワロフ侯爵家よりも格上の相手だ。周囲の令嬢たちが羨望の眼差しを向ける中、姉は優越感に浸りながら会話を始めた。
「先ほどの、リチャード次期公爵との会話も拝見しましたよ。実に見事な知識量だった」
ウィリアム様の声は低く、心地よい。
カサンドラは扇子で頬を隠し、「お恥ずかしいですわ。わたくし、少しでも皆様のお役に立ちたくて」と、謙虚さを装う。
私は、そのやり取りを姉の二歩後ろで、石像のように固まって見つめていた。
まただ。私の知識が、私の時間が、ウィリアム様の称賛へと変換されて、姉の懐に消えていく。
「……ところで、ジェニファー嬢」
不意に名前を呼ばれ、心臓が跳ね上がった。
ウィリアム様の青い瞳が、まっすぐに私を捉えている。
「君は『早く帰りたくて姉を急かしていた』そうじゃないか」
お姉様が、わざとらしく悲しげな溜息をついた。
「ええ、そうなのですわ。ジェニファーは昔から勉強も社交も苦手で……。わたくしがこうしてウィリアム様とお話ししている間も、彼女にとっては退屈なだけなのでしょう。本当に、妹が至らないばかりに申し訳ございません」
ウィリアム様の瞳に、僅かな険しさが混じったように見えた。
私は、弁解することも許されず、ただ黙って俯く。
(……いいえ。違うのです、ウィリアム様。私はただ、お姉様が失敗しないように、必死に情報を伝えていただけなのです……!)
叫びたかった。けれど、ここで真実を言えば、姉を公衆の面前で辱めることになる。それは貴族の令嬢として、そして何よりスワロフ家の人間として、あってはならないことだった。
「――ふむ。そうか。カサンドラ嬢、少し喉が渇いたな。飲み物をもらってきてくれないか。君が選ぶワインは、いつも私の好みに合うからね」
「まあ! 喜んで、ウィリアム様。すぐに用意してまいりますわ」
お姉様は、自分への信頼に有頂天になりながら、鼻歌でも歌い出しそうな足取りで給仕の方へと歩いていった。
あのお馬鹿な姉は気づいていない。ウィリアム様の好みの銘柄も、産地も、ヴィンテージも。
今まで彼へ贈ったすべての贈り物を、私の助言をもとに選んでいたという事実に。
姉が去り、喧騒の中に二人きりの沈黙が流れる。
私は彼と視線を合わせることができず、じっと自分の靴先を見つめていた。
「……顔を上げなさい、ジェニファー嬢」
その声は、驚くほど優しかった。
恐る恐る顔を上げると、そこには先ほどまでの「冷徹な公爵令息」の仮面を脱いだ、一人の青年がいた。
「君は……今夜、何回その小さな唇を動かした? カサンドラ嬢の背後で、彼女の『知識』を形作るために」
「っ……!」
息が止まる。
バレていた。ウィリアム様には、すべてが見えていたのだ。
「リチャード卿は騙せても、私の目は誤魔化せない。……君が囁くたびに、カサンドラの言葉に重みが増し、君が黙るたびに、彼女の返答は空虚になった。……君こそが、今夜の社交の『主役』だったはずだ」
ウィリアム様は一歩、私との距離を詰める。
その体温が伝わってくるほどの近さに、私の心臓は壊れたような音を立て始めた。
「なぜ、そこまでして自分を殺す。君の瞳は、嘘をつくことを潔しとするようには見えないのだが」
「……私は、影ですから」
絞り出すような声で、私は答えた。
「お姉様を輝かせ、家族の誇りを守るのが、私の役目なのです。私に、それ以外の価値はありません……」
言い終える前に、視界が滲んだ。
今までずっと、心に鍵をかけて閉じ込めていた感情が、彼の優しさに触れて決壊しそうになる。
両親からの冷遇、姉からの搾取、婚約者の裏切り。
そのすべてに耐えてきた心の糸が、プツンと音を立てて切れた。
「価値がないだと? ……馬鹿なことを言うな」
ウィリアム様は、周囲に悟られないような自然な動きで、私の震える指先をそっと包み込んだ。
「これほどまでに聡明で、健気で……そして、誰よりも私を気遣ってくれる女性を、私は他に知らない」
「ウィリアム、様……?」
「君がカサンドラ嬢のために書いたレポートも、君が私のために刺した刺繍も。私はすべて、君の『心』として受け取ってきたつもりだ」
彼の言葉が、冷え切った私の身体を、激しい熱で包み込んでいく。
誰にも気づかれないと思っていた。一生、この暗闇の中で消えていくのだと思っていた。
けれど、世界でたった一人、私が一番見て欲しかった人だけが、私の本当の姿を、その汚れた指先までも愛おしそうに見つめてくれている。
「……ジェニファー。もう、影でいる必要はない」
ウィリアム様の青い瞳に、強い光が宿る。
「君を道具としてしか扱わない連中に、君の輝きを独占させるつもりはない。……近いうちに、私は行動を起こす。その時、君は私の手を取ってくれるだろうか?」
私は、返事ができなかった。
ただ、溢れそうになる涙を堪えながら、彼の手に力を込めるのが精一杯だった。
その時、遠くから「ウィリアム様! お待たせいたしましたわ!」とはしゃぐ姉の声が聞こえてきた。
私は慌てて手を離し、また「平凡な妹」の顔を作る。
けれど、私の心の中には、これまでとは違う感情が芽生えていた。絶望ではない。それは、静かに、けれど確実に姉の足元を崩し始める、反撃の意思だった。
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先ほどまでの、どこか余裕たっぷりの表情とは違う。憧れの男性を前にした、完璧な「恋する乙女」の顔だ。
「ウィリアム様! まあ、お会いできて光栄ですわ」
カサンドラがしなやかに歩み寄り、彼に最高の笑みを向ける。
ウィリアム様は公爵家の次男。本来ならスワロフ侯爵家よりも格上の相手だ。周囲の令嬢たちが羨望の眼差しを向ける中、姉は優越感に浸りながら会話を始めた。
「先ほどの、リチャード次期公爵との会話も拝見しましたよ。実に見事な知識量だった」
ウィリアム様の声は低く、心地よい。
カサンドラは扇子で頬を隠し、「お恥ずかしいですわ。わたくし、少しでも皆様のお役に立ちたくて」と、謙虚さを装う。
私は、そのやり取りを姉の二歩後ろで、石像のように固まって見つめていた。
まただ。私の知識が、私の時間が、ウィリアム様の称賛へと変換されて、姉の懐に消えていく。
「……ところで、ジェニファー嬢」
不意に名前を呼ばれ、心臓が跳ね上がった。
ウィリアム様の青い瞳が、まっすぐに私を捉えている。
「君は『早く帰りたくて姉を急かしていた』そうじゃないか」
お姉様が、わざとらしく悲しげな溜息をついた。
「ええ、そうなのですわ。ジェニファーは昔から勉強も社交も苦手で……。わたくしがこうしてウィリアム様とお話ししている間も、彼女にとっては退屈なだけなのでしょう。本当に、妹が至らないばかりに申し訳ございません」
ウィリアム様の瞳に、僅かな険しさが混じったように見えた。
私は、弁解することも許されず、ただ黙って俯く。
(……いいえ。違うのです、ウィリアム様。私はただ、お姉様が失敗しないように、必死に情報を伝えていただけなのです……!)
叫びたかった。けれど、ここで真実を言えば、姉を公衆の面前で辱めることになる。それは貴族の令嬢として、そして何よりスワロフ家の人間として、あってはならないことだった。
「――ふむ。そうか。カサンドラ嬢、少し喉が渇いたな。飲み物をもらってきてくれないか。君が選ぶワインは、いつも私の好みに合うからね」
「まあ! 喜んで、ウィリアム様。すぐに用意してまいりますわ」
お姉様は、自分への信頼に有頂天になりながら、鼻歌でも歌い出しそうな足取りで給仕の方へと歩いていった。
あのお馬鹿な姉は気づいていない。ウィリアム様の好みの銘柄も、産地も、ヴィンテージも。
今まで彼へ贈ったすべての贈り物を、私の助言をもとに選んでいたという事実に。
姉が去り、喧騒の中に二人きりの沈黙が流れる。
私は彼と視線を合わせることができず、じっと自分の靴先を見つめていた。
「……顔を上げなさい、ジェニファー嬢」
その声は、驚くほど優しかった。
恐る恐る顔を上げると、そこには先ほどまでの「冷徹な公爵令息」の仮面を脱いだ、一人の青年がいた。
「君は……今夜、何回その小さな唇を動かした? カサンドラ嬢の背後で、彼女の『知識』を形作るために」
「っ……!」
息が止まる。
バレていた。ウィリアム様には、すべてが見えていたのだ。
「リチャード卿は騙せても、私の目は誤魔化せない。……君が囁くたびに、カサンドラの言葉に重みが増し、君が黙るたびに、彼女の返答は空虚になった。……君こそが、今夜の社交の『主役』だったはずだ」
ウィリアム様は一歩、私との距離を詰める。
その体温が伝わってくるほどの近さに、私の心臓は壊れたような音を立て始めた。
「なぜ、そこまでして自分を殺す。君の瞳は、嘘をつくことを潔しとするようには見えないのだが」
「……私は、影ですから」
絞り出すような声で、私は答えた。
「お姉様を輝かせ、家族の誇りを守るのが、私の役目なのです。私に、それ以外の価値はありません……」
言い終える前に、視界が滲んだ。
今までずっと、心に鍵をかけて閉じ込めていた感情が、彼の優しさに触れて決壊しそうになる。
両親からの冷遇、姉からの搾取、婚約者の裏切り。
そのすべてに耐えてきた心の糸が、プツンと音を立てて切れた。
「価値がないだと? ……馬鹿なことを言うな」
ウィリアム様は、周囲に悟られないような自然な動きで、私の震える指先をそっと包み込んだ。
「これほどまでに聡明で、健気で……そして、誰よりも私を気遣ってくれる女性を、私は他に知らない」
「ウィリアム、様……?」
「君がカサンドラ嬢のために書いたレポートも、君が私のために刺した刺繍も。私はすべて、君の『心』として受け取ってきたつもりだ」
彼の言葉が、冷え切った私の身体を、激しい熱で包み込んでいく。
誰にも気づかれないと思っていた。一生、この暗闇の中で消えていくのだと思っていた。
けれど、世界でたった一人、私が一番見て欲しかった人だけが、私の本当の姿を、その汚れた指先までも愛おしそうに見つめてくれている。
「……ジェニファー。もう、影でいる必要はない」
ウィリアム様の青い瞳に、強い光が宿る。
「君を道具としてしか扱わない連中に、君の輝きを独占させるつもりはない。……近いうちに、私は行動を起こす。その時、君は私の手を取ってくれるだろうか?」
私は、返事ができなかった。
ただ、溢れそうになる涙を堪えながら、彼の手に力を込めるのが精一杯だった。
その時、遠くから「ウィリアム様! お待たせいたしましたわ!」とはしゃぐ姉の声が聞こえてきた。
私は慌てて手を離し、また「平凡な妹」の顔を作る。
けれど、私の心の中には、これまでとは違う感情が芽生えていた。絶望ではない。それは、静かに、けれど確実に姉の足元を崩し始める、反撃の意思だった。
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