【完結】エリザベス公爵令嬢は微笑む――背中が血で濡れても、助けは来ないから

恋せよ恋

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断罪の審判

  ハワード公爵邸の正面玄関。馬車から降り立ったカトリーヌ・シシリーは、夜の静寂に包まれた屋敷を見上げ、満足げな笑みを浮かべていた。今日のお茶会で公爵夫人の「信頼」を勝ち取ったという確信が、彼女の足を軽くさせていた。

「さあ、明日の『教育』の準備をしなければ。あのお人形さんも、少し甘やかすとすぐに弛んでしまいますからね」

 カトリーヌが意気揚々とホールへ足を踏み入れた、その瞬間だった。

「遅かったではないか、シシリー夫人」

 冷酷な、氷の刃のような声が広間に響き渡った。
 ホールの正面、大階段の下に立っていたのは、ハワード公爵とその嫡男リチャード。そして、彼らの背後には家令と侍女、抜き身の剣を帯びた私兵たちが、逃げ場を塞ぐように立ち並んでいた。

「閣下……? お戻りでしたの。お出迎えもせず、失礼いたしましたわ」

 カトリーヌはいつものように優雅な一礼を試みた。しかし、公爵の瞳に宿る、見たこともない漆黒の殺意に気づき、その動きが凍りついた。

「……何かございましたか? 私は、公爵夫人のお供を……」

「黙れ、卑賤な女狐が」

 リチャードが一歩前に踏み出す。その顔は怒りで歪み、握り締められた拳からは血が滲んでいた。

「今しがた、ベスの診察を終えた主治医から報告を受けた。……七年だ。貴様、七年もの間、我が妹の背中を、ハワードの誇りを、鞭で刻み続けていたそうだな!」

 カトリーヌの心臓が跳ねた。だが、彼女はまだ、自分が築き上げた「完璧な隠蔽」が崩れたとは信じたくなかった。

「……何のことでしょう。あれはすべて、お嬢様を立派な淑女に育てるための『愛の鞭』……公爵家からも一任されていたはずですわ」

「愛の鞭だと?」

 公爵が低く、獣のような唸り声を上げた。

「化膿し、衣類に張り付き、ケロイドとなって重なる傷跡のどこに愛がある! 貴様は教育を隠れ蓑に、我が娘の精神を粉砕し、この屋敷を乗っ取ろうとした。……その野望のすべて、すでに吐かせているぞ」

 公爵が合図を送ると、家令が二人の人物を突き出した。
 一人は、母のもとを訪れた娘、ジュリエット。彼女はすでに拘束され、恐怖に顔を歪めて泣き叫んでいる。もう一人は、カトリーヌの私室から押収された秘密の手記と、口封じのために彼女が買収していた末端の侍女たちだ。

「お、お母様! 助けて! この人たち、急に部屋に入ってきて……!」

「ジュリエット!」

 カトリーヌは絶叫した。しかし、リチャードの冷徹な声がそれを遮る。

「安心しろ。貴様ら親子は、離れ離れにはさせない。……ベスは、貴様を『先生』と呼び、貴様に叱られることを死ぬよりも恐れていた。その健気な心を、貴様は『教育』という卑劣な脅しで縛り付けたのだ。……その報い、今ここで受けてもらう」

「待ってください! 私は、私は公爵家の名誉のために……!」

「どの口が名誉を語るのか!」

 公爵が叫ぶと同時に、兵たちがカトリーヌを組み伏せた。地面に顔を押し付けられ、泣き喚くカトリーヌ。先程までの高慢な姿はどこにもない。

「貴様の爵位は剥奪。シシリー子爵家は本日をもって取り潰す。実家のハミル男爵家も同様だ。全財産は没収し、一族郎党すべてを、王国最北の極寒の鉱山へと送る。……だが、その前にな」

 公爵夫人が、階段の上からゆっくりと降りてきた。その手には、カトリーヌがエリザベスを打つために使い慣らした、あの細い革の鞭が握られていた。

「夫、夫人……! お助けください、わたくしは貴女様のために……!」

「私のために、娘を壊したというの? ……笑わせないで」

 公爵夫人の瞳に、燃えるような憎悪が宿る。

「貴女がベスに教えた『淑女の嗜み』……今度は貴女の娘、ジュリエットに、私が直々に教えてあげましょう。貴女の目の前で、貴女がベスに刻んだ傷の一つひとつを、この娘の背中に正確に写して差し上げるわ」

「やめて! ジュリエットは関係ないわ! お願い、やめて!!傷が残ったら、嫁ぐこともできなくなってしまいます!やめて!」

 カトリーヌが狂ったように叫ぶが、誰も耳を貸さない。
 
「関係ないはずがないだろう。この娘もまた、ベスの不幸を嘲笑い、その座を奪おうと画策していた共犯者だ」

 リチャードがジュリエットの襟首を掴み、カトリーヌの目前に突き出す。

「見ていろ、女狐。これがお前の望んだ『結果』だ。お前がベスに与えた七年分の地獄……死ぬまで終わらせはしない。鉱山へ行っても、毎日毎日、今日のこの光景を思い出して、己の愚かさを呪いながら生きるがいい」

「あああああ!!」

 カトリーヌとジュリエットの絶望の悲鳴が、夜のハワード邸に響き渡った。
 
 審判は下された。
 カトリーヌ親子は、その夜のうちに家畜用の荷馬車に押し込まれ、王都から追放された。彼女たちが行き着く先は、太陽の光も届かない、ただ死を待つだけの暗い穴底。そこでは、彼女たちがエリザベスに強いた「沈黙」と「絶望」が、永遠に彼女たちを鞭打ち続けることになるだろう。


 翌朝。
 騒乱が去った屋敷の寝室で、エリザベスは微かな陽光を感じて目を覚ました。
 背中にはまだ鋭い痛みがある。だが、いつも彼女を縛っていたあの冷たく、粘りつくような恐怖の気配が、どこにもないことに気づいた。

「……お嬢様。おはようございます」

 枕元には、目を腫らしたメアリーが、温かい粥を持って微笑んでいた。
 そしてその隣には、父と兄、そして母が、今まで見たこともないような慈愛に満ちた、そして申し訳なさそうに湿った瞳で彼女を見つめていた。

「ベス。……もう、大丈夫だ。あの女、ガヴァネスは、二度と現れない」

 父が彼女の細い手を、壊れ物を扱うようにそっと握りしめた。
 エリザベスは、何が起きたのかを完全には理解していなかったが、父の手の温かさを感じた瞬間、せき止めていた涙が溢れ出した。

「お父様……。わたくし……わたくし……」

「いいんだ、ベス。何も言わなくていい。……お前は、世界で一番立派なハワードの娘だ。……すまなかった。本当に、すまなかった……」

 公爵家当主が、娘の前で声を震わせて謝罪する。
 ハワード家の本当の再生は、この涙の朝から始まった。


 一方その頃、学園では。
 エドワードの元に、「ハワード公爵家からの婚約破棄、全面的な絶縁状」が届こうとしていた。
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