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解消へのカウントダウン
オーチャード伯爵邸の書斎。
主であるオーチャード伯爵は、愛娘スーザンのやつれ果てた姿を思い返し、深い溜息をついた。
かつてはパトリスの話をするだけで頬をバラ色に染めていた娘が、今では食事も喉を通らず、ただ静かに窓の外を見つめるだけの日々を送っている。その瞳からは完全に生気が失われていた。
「……もう、見ていられん」
伯爵は、震える手で重厚な万年筆を握った。
相手は名門ロイド侯爵家。本来であれば、伯爵家から婚約解消を切り出すなど、家門の破滅を招きかねない愚行である。だが、嫡男トーマスが提出した『冷遇の記録』――日付、場所、そしてパトリスが放った暴言の数々――を目にした時、父親としての怒りが、貴族としての保身を上回った。
「パトリス卿には、我が娘を大切にする意思も、婚約者としての誠実さも皆無であると判断せざるを得ない」
伯爵は一気に書き上げた。それは、ロイド侯爵家へ宛てた「婚約継続の再考」――事実上の、婚約解消の申し入れであった。
その翌日。
ロイド侯爵邸の朝食会は、当主であるロイド侯爵の咆哮によって中断された。
「これはどういうことだ、パトリス!!」
突きつけられたオーチャード伯爵からの書状を読み、パトリスは頭を殴られたような衝撃を受けた。
「……婚約継続の、再考……? 嘘だ、そんなはずはない。僕たちの仲は、これからもっと深まっていくはずだったのに……!」
「馬鹿者が! 先方は『精神的苦痛により、娘はこれ以上の義務遂行が不可能である』と言ってきているのだぞ! 貴様、一体スーザン嬢に何を……」
「ち、違うんです父上! 僕はただ、彼女が僕に夢中になるように、少しばかり駆け引きを……」
パトリスの弁明は、侯爵の冷ややかな一瞥によって遮られた。
「駆け引きだと? 相手を病ませるほど追い詰めるのが、侯爵家の次期当主のやることか。オーチャード伯爵は、我が家からの報復を覚悟の上でこれを送ってきた。それほどまでに、娘を救いたいと願っているということだ」
パトリスは血の気が引くのを感じた。
(病ませる……? 僕が? スーザンを?)
ようやく、パトリスの厚い「勘違いの壁」に亀裂が入った。
彼は慌てて学園へ向かい、ジェシカを探し出した。
「ジェシカ! 大変なんだ、スーザンの家から婚約解消の書状が届いた! 君の言った通りにしたのに、彼女、照れるどころか逃げ出そうとしているじゃないか!」
詰め寄るパトリスに対し、ジェシカは内心で「ついに来たわ!」と喝采を上げていた。だが、表面的には困ったような、慈悲深い聖女のような顔を作って見せる。
「まあ、パトリス様……。それは、スーザン様がそれほどまでに『弱い女性』だったということですわ。貴方の高貴な愛を受け止める器がなかったのでしょうね。……いいではありませんか、そんな卑屈な女性など。これからは、もっと貴方を理解できる女性がそばにいれば……」
ジェシカがパトリスの腕に手を添えようとした、その時。
「お前は、黙っていろ」
パトリスの口から漏れたのは、今まで聞いたこともないような、地を這う低い声だった。
自分の腕に触れようとするジェシカの手を、彼は力なく、しかし明確に振り払った。
(何かが……何かが決定的に間違っている)
パトリスは、初めてジェシカの笑顔に、ゾッとするような薄気味悪さを感じた。
だが、事態はすでに、彼の手に負える範囲を遥かに超えて動き出していた。
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主であるオーチャード伯爵は、愛娘スーザンのやつれ果てた姿を思い返し、深い溜息をついた。
かつてはパトリスの話をするだけで頬をバラ色に染めていた娘が、今では食事も喉を通らず、ただ静かに窓の外を見つめるだけの日々を送っている。その瞳からは完全に生気が失われていた。
「……もう、見ていられん」
伯爵は、震える手で重厚な万年筆を握った。
相手は名門ロイド侯爵家。本来であれば、伯爵家から婚約解消を切り出すなど、家門の破滅を招きかねない愚行である。だが、嫡男トーマスが提出した『冷遇の記録』――日付、場所、そしてパトリスが放った暴言の数々――を目にした時、父親としての怒りが、貴族としての保身を上回った。
「パトリス卿には、我が娘を大切にする意思も、婚約者としての誠実さも皆無であると判断せざるを得ない」
伯爵は一気に書き上げた。それは、ロイド侯爵家へ宛てた「婚約継続の再考」――事実上の、婚約解消の申し入れであった。
その翌日。
ロイド侯爵邸の朝食会は、当主であるロイド侯爵の咆哮によって中断された。
「これはどういうことだ、パトリス!!」
突きつけられたオーチャード伯爵からの書状を読み、パトリスは頭を殴られたような衝撃を受けた。
「……婚約継続の、再考……? 嘘だ、そんなはずはない。僕たちの仲は、これからもっと深まっていくはずだったのに……!」
「馬鹿者が! 先方は『精神的苦痛により、娘はこれ以上の義務遂行が不可能である』と言ってきているのだぞ! 貴様、一体スーザン嬢に何を……」
「ち、違うんです父上! 僕はただ、彼女が僕に夢中になるように、少しばかり駆け引きを……」
パトリスの弁明は、侯爵の冷ややかな一瞥によって遮られた。
「駆け引きだと? 相手を病ませるほど追い詰めるのが、侯爵家の次期当主のやることか。オーチャード伯爵は、我が家からの報復を覚悟の上でこれを送ってきた。それほどまでに、娘を救いたいと願っているということだ」
パトリスは血の気が引くのを感じた。
(病ませる……? 僕が? スーザンを?)
ようやく、パトリスの厚い「勘違いの壁」に亀裂が入った。
彼は慌てて学園へ向かい、ジェシカを探し出した。
「ジェシカ! 大変なんだ、スーザンの家から婚約解消の書状が届いた! 君の言った通りにしたのに、彼女、照れるどころか逃げ出そうとしているじゃないか!」
詰め寄るパトリスに対し、ジェシカは内心で「ついに来たわ!」と喝采を上げていた。だが、表面的には困ったような、慈悲深い聖女のような顔を作って見せる。
「まあ、パトリス様……。それは、スーザン様がそれほどまでに『弱い女性』だったということですわ。貴方の高貴な愛を受け止める器がなかったのでしょうね。……いいではありませんか、そんな卑屈な女性など。これからは、もっと貴方を理解できる女性がそばにいれば……」
ジェシカがパトリスの腕に手を添えようとした、その時。
「お前は、黙っていろ」
パトリスの口から漏れたのは、今まで聞いたこともないような、地を這う低い声だった。
自分の腕に触れようとするジェシカの手を、彼は力なく、しかし明確に振り払った。
(何かが……何かが決定的に間違っている)
パトリスは、初めてジェシカの笑顔に、ゾッとするような薄気味悪さを感じた。
だが、事態はすでに、彼の手に負える範囲を遥かに超えて動き出していた。
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