氷の令嬢は愛を請わない - 捨て子の『義妹』に愛も家族も奪われたマリーローズの逆襲

恋せよ恋

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帝国の歓迎と、ハンプトン家の崩壊

 国境を越え、レヴォルタ帝国の地を踏んだ瞬間、マリーローズを包んでいた空気は一変した。
 
 王国での湿り気を帯びた排他的な空気とは違う、乾燥しているが力強く、どこか開放的な風。リュシアン大公の用意した帝国の王族専用の魔導馬車は、揺れを感じさせることなく、帝都グラードへとひた走る。

「マリーローズ嬢、顔色が良くなったな」

 対面に座るリュシアンが、氷青色の瞳を和らげて声をかけた。

「……ええ。自分でも驚いていますわ。あんなに大切にしていたはずの家を捨てて、これほど清々しい気持ちになれるなんて」

「それは君が、その場所で十分に尽くした証拠だ。尽くして、傷つき、それでも尚、気高さを失わなかった。……これからは、その力を自分のために、そして君を真に必要とする者のために使ってほしい」

 帝都に入ると、沿道には溢れんばかりの市民が集まっていた。彼らは「銀氷の賢者」の到着を歓迎していた。マリーローズが王国で密かに解読し、エドワード殿下を通じて帝国へ送っていた古文書の成果――失われた灌漑技術の復活――が、帝国の北部地方を飢饉から救っていたことを、マリーローズ自身はまだ知らなかった。


 一方その頃。マリーローズという至宝を失ったハンプトン侯爵家には、文字通り破滅の足音が忍び寄っていた。

「……どういうことだ、フレデリック! 帝国からの通商停止要請だと!?」

 侯爵邸の書斎で、父ダニエルが悲鳴に近い声を上げた。

 マリーローズが去った翌日から、ハンプトン家が管轄していた外交ルートが次々と遮断された。さらに、彼女が個人名義で管理していた「外交機密の暗号鍵」が、彼女の出国と共にすべて無効化されたのである。

「父上、マリーの奴……あいつが、これほどまでの実務を一人で回していたなんて……」

 兄フレデリックは、机の上に山積みにされた書類を前に呆然としていた。

 ハンプトン家が代々優秀だと称えられていたのは、ダニエルやフレデリックの表舞台での活躍だけではない。マリーローズが夜通し行っていた、膨大な翻訳作業、各国の情勢分析、そして複雑な契約書の精査があったからこそ成立していたのだ。

「そんなの、あの子が勝手にやっていたことでしょう!? 誰か代わりを雇えば済む話じゃない!」

 母エリザベスがヒステリックに叫ぶが、ダニエルは激昂して机を叩いた。

「代わりなどいるか! 帝国の古語と隣国の暗号を同時に操れる者など、この国にはあの子一人しかいなかったんだ! お前が……お前があの子を犯罪者扱いして追い出したりしなければ!」

「私のせいだと言うの!?私はただ……自分に似たジュリエットが、不憫で……」

 感情に押し出されるように叫んだエリザベスに、ダニエルは一歩踏み出した。

「――そのジュリエットは、今どこにいる?」

 鋭い問いだった。エリザベスは言葉を失い、唇を噛みしめたまま俯く。否定も、弁解もできない沈黙が、すべてを物語っていた。

 事態がここまで悪化した発端は、マリーローズの暴露だった。

 かつて門前に捨てられていた孤児――ジュリエット。ハンプトン侯爵家は彼女を憐れみ、我が子同然に育て上げた。陽だまりのような笑顔を絶やさぬ、優しい少女に。そう信じていた。

 だが、その平穏は唐突に破られる。

 没落寸前の貴族、エーデル伯爵が、突如として名乗り出たのだ。『ジュリエットは自分の実の娘だ』、と。
 借金に追われ、資産をマリーローズによって凍結された伯爵は、父としての責任を果たすどころか、その事実を武器に変えた。

「育てたのは、あんたたちだろう?」

 彼は平然と言い放った。

「貴族令嬢として育てた以上、責任がある。この娘の持参金は、ハンプトン侯爵家が用意しろ。さもなければ――」

 口元に、下卑た笑みが浮かぶ。

「この『不義の子』の醜聞を、王宮中にばら撒いてやる」

 そこに、父としての情は一片もなかった。血を与えただけの男が、育てた家に責任と金を押しつける。それが、エーデル伯爵の論理だった。正義感などではない、ただの、卑劣な強請り。

 かつて“陽だまり”と称されたジュリエットは、今や邸の隅に追いやられ、怯えた瞳で大人たちの顔色をうかがうばかりだった。

 誰の罪でもないはずの出生が、彼女のすべてを縛りつけている――その現実だけが、冷たくそこにあった。

 アレックスもまた、公爵家から「犯罪者疑惑のある家の、さらに出自不明の女と睦み合った」ことを厳しく叱責され、ハンプトン家との関わりを断つべく奔走していた。彼にとってジュリエットは「気楽な遊び相手」であり、自分の地位を脅かす重荷になった途端、その愛は冷酷な無関心へと変わった。

「ジュリエット、あなた、何とか言いなさいよ! アレックス様を繋ぎ止めるくらいできないの!?」

 エリザベスがジュリエットの肩を掴んで揺さぶる。

「……無理よ。お母様、私……何も持っていないもの。マリーローズ様の知識も、財産も、気品も……私は全部、フリをしていただけだもの」

 ジュリエットの瞳から、初めて本物の絶望の涙が溢れた。だが、それを拭う手は、この邸にはもうどこにもなかった。



 その頃、帝国の宮殿。マリーローズは、皇帝陛下から「帝国特別顧問」の称号と、一つの独立した公爵領を授与されていた。
 それは「ハンプトンの娘」としてではなく、「マリーローズ」という一人の女性としての実力を讃える儀式だった。

「マリーローズ。君は今日から、この国の希望だ」

 皇帝の隣で、リュシアンが誇らしげに彼女を見つめる。

 マリーローズは、最高級のシルクで仕立てられた、帝国の色である「深紅」のドレスを纏い、深々と一礼した。銀の髪に、紫の瞳。その色彩は、もはや孤独の象徴ではなく、誰の手も届かない高貴な太陽のように輝いていた。

「……謹んで、お受けいたします」

 彼女の脳裏に、遠い王国の、自分が捨てた侯爵邸の記憶が浮かぶ。けれど、それはもう、遠い前世の出来事のように感じられた。

 マリーローズの新しい人生が、今、圧倒的な祝福と共に幕を開けた。
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