10 / 24
捨てられた者たちの再会
帝都グラードの冬は厳しいが、マリーローズに与えられた公爵邸の中は、最新の魔導暖房によって春のような暖かさに保たれていた。
帝国特別顧問としての日々は多忙を極めた。各国の古文書の精査、帝立アカデミーでの講義、そしてリュシアン大公と共に進める外交戦略の立案。王国では可愛げがないと切り捨てられた彼女の資質は、ここでは比類なき国益として崇められていた。
そんなある日、公爵邸の執事が困惑した面持ちで、マリーローズの執務室を訪れた。
「……マリーローズ様。王国からの面会希望者が参っております。ハンプトン侯爵家の令息フレデリック様と、ゴードン公爵家の嫡男アレックス様、それから……ジュリエットと名乗る女性です」
ペンを動かしていたマリーローズの手が、ぴたりと止まった。
紫の瞳に冷徹な光が宿る。
「……通してください。ただし、応接室ではなく、エントランスホールの吹き抜けの下で」
それは、身分の低い者が上位者に謁見する際に使われる場所だった。
一階のホールに降りていくと、そこにはかつての家族と婚約者が立っていた。
だが、その姿に、かつての栄華の欠片もない。
フレデリックの銀髪は手入れを怠ったのか艶を失い、アレックスの金髪は乱れ、瞳には焦燥の色が張り付いている。そしてジュリエットは、母エリザベスのお下がりであろう、サイズの合わないくたびれたドレスを纏い、マリーローズの姿を見た瞬間にその場に泣き崩れた。
「マリー……! やっと会えた……!」
フレデリックが駆け寄ろうとするが、リュシアン大公の配下の騎士たちが、鋭い剣鳴を響かせてそれを制した。
「控えよ。帝国特別顧問、マリーローズ公爵閣下の御前である」
公爵閣下、その言葉に、三人は雷に打たれたように硬直した。自分たちが『泥棒』と偽って追い出した妹が、この大国で自分たちよりも遥かに高い地位に就いているという現実を、突きつけられたのだ。
「お久しぶりですわ、皆様。……いえ、許可なく入国されたのですから、不法侵入者とお呼びすべきかしら?」
マリーローズは階段の途中で足を止め、見下ろすように告げた。
「マリー、頼む! 謝りに来たんだ!」
アレックスが、必死な形相で叫んだ。
「僕が悪かった! 君があんなに優秀で、僕の資産を支えてくれていたなんて知らなかったんだ。ジュリエットに唆されていただけなんだよ。婚約破棄は取り消そう。さあ、一緒に王国へ帰るんだ。君がいなくては、ゴードン公爵家も、僕の将来もめちゃくちゃだ!」
あまりに身勝手な言葉に、傍らで控えていたリュシアンが鼻で笑った。
マリーローズもまた、扇を口元に当てて、鈴を転がすような声で笑った。
「アレックス様、お顔を上げてくださいませ。……あなたの将来がどうなろうと、私には何の関係もございませんわ。それに、婚約破棄を『取り消す』? 滑稽なことをおっしゃるのね。私は既に、帝国にてリュシアン大公殿下と正式な婚約を交わしておりますのに」
「な……大公殿下と……!?」
アレックスの顔が土色に変わる。
「マリーローズ様……マリーローズ様、お願いです!」
ジュリエットが這い寄るようにして声を上げた。
「私、エーデル伯爵のところに連れて行かれそうなの! あの人、私を借金のカタに売ろうとしているの。マリーローズ様なら、帝国のお金で私を買い取って、また侍女として置いてくださるでしょう!? 私たち、双子のように育った仲じゃない!」
マリーローズはジュリエットを見つめた。かつて、この少女の涙に、自分は何百回と胸を痛めたことだろう。
だが、今のマリーローズの心に去来するのは、底冷えのするような虚無感だけだった。
「ジュリエット。あなたは、自分の罪をまだ理解していないのね」
マリーローズはゆっくりと階段を降り、ジュリエットの前で立ち止まった。
「私からすべてを奪うために、あなたは私の大切な家族を嘘で騙した。お母様を狂わせ、お兄様を盲目にさせ、お父様の信頼を壊した。……あなたが今、実の父親に売られようとしているのは、あなたが撒いた種が芽吹いただけのこと。私に助ける義理はないわ」
「そんな……冷たい……冷たいわ、マリーローズ様!」
「ええ、私は可愛げのない、氷の令嬢ですもの。……お兄様も、何かおっしゃりたいことが?」
フレデリックは、拳を握りしめ、震える声で絞り出した。
「……マリー。ハンプトン侯爵家は……もう、終わりだ。父上は汚職の嫌疑をかけられ(実際は実務ミスによる損失の穴埋めだったが)、母上は精神を病んで離宮に幽閉された。俺は、お前に謝れば、またあの日々に戻れると思っていたんだ。……お前が夜遅くまで、俺たちのために資料を作ってくれていた、あの静かな日々に……」
「あの日々は、私が一人で作り上げていた幻想ですわ、お兄様」
マリーローズは断言した。
「あなた方が、私の努力を当然の権利として貪り、私の尊厳を踏みにじった瞬間に、あの邸は私にとってただの地獄に変わりました。……騎士の方々、この方々を門の外へ。二度と、私の視界に入れないでくださいませ」
「マリー! マリーローズ!!」「マリーローズ様!」
叫ぶ三人を、騎士たちが容赦なく引き摺っていく。
アレックスは往生際悪く縋ろうとし、ジュリエットは金切り声を上げて呪詛を吐き、フレデリックはただ、絶望に項垂れて運ばれていった。
静寂が戻ったホールで、リュシアンがマリーローズの肩にそっと手を置いた。
「……良かったのか? 帝国なら、彼らを完全に消すことも容易だが」
「いいえ。彼らには、生きて見届けていただかなくては。……愛したはずのジュリエットに食い荒らされ、かつて捨てた私が、どれほどの高みに昇るのかを。それが、彼らへの一番の報いですわ」
マリーローズは、窓の外に広がる帝都の夜景を見つめた。
王国という過去は、今、完全に決別した。
物語はここから、一人の女性の真実の幸せへと加速していく。
彼女を失った者たちが、自業自得の地獄を彷徨うのを尻目に。
______________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
帝国特別顧問としての日々は多忙を極めた。各国の古文書の精査、帝立アカデミーでの講義、そしてリュシアン大公と共に進める外交戦略の立案。王国では可愛げがないと切り捨てられた彼女の資質は、ここでは比類なき国益として崇められていた。
そんなある日、公爵邸の執事が困惑した面持ちで、マリーローズの執務室を訪れた。
「……マリーローズ様。王国からの面会希望者が参っております。ハンプトン侯爵家の令息フレデリック様と、ゴードン公爵家の嫡男アレックス様、それから……ジュリエットと名乗る女性です」
ペンを動かしていたマリーローズの手が、ぴたりと止まった。
紫の瞳に冷徹な光が宿る。
「……通してください。ただし、応接室ではなく、エントランスホールの吹き抜けの下で」
それは、身分の低い者が上位者に謁見する際に使われる場所だった。
一階のホールに降りていくと、そこにはかつての家族と婚約者が立っていた。
だが、その姿に、かつての栄華の欠片もない。
フレデリックの銀髪は手入れを怠ったのか艶を失い、アレックスの金髪は乱れ、瞳には焦燥の色が張り付いている。そしてジュリエットは、母エリザベスのお下がりであろう、サイズの合わないくたびれたドレスを纏い、マリーローズの姿を見た瞬間にその場に泣き崩れた。
「マリー……! やっと会えた……!」
フレデリックが駆け寄ろうとするが、リュシアン大公の配下の騎士たちが、鋭い剣鳴を響かせてそれを制した。
「控えよ。帝国特別顧問、マリーローズ公爵閣下の御前である」
公爵閣下、その言葉に、三人は雷に打たれたように硬直した。自分たちが『泥棒』と偽って追い出した妹が、この大国で自分たちよりも遥かに高い地位に就いているという現実を、突きつけられたのだ。
「お久しぶりですわ、皆様。……いえ、許可なく入国されたのですから、不法侵入者とお呼びすべきかしら?」
マリーローズは階段の途中で足を止め、見下ろすように告げた。
「マリー、頼む! 謝りに来たんだ!」
アレックスが、必死な形相で叫んだ。
「僕が悪かった! 君があんなに優秀で、僕の資産を支えてくれていたなんて知らなかったんだ。ジュリエットに唆されていただけなんだよ。婚約破棄は取り消そう。さあ、一緒に王国へ帰るんだ。君がいなくては、ゴードン公爵家も、僕の将来もめちゃくちゃだ!」
あまりに身勝手な言葉に、傍らで控えていたリュシアンが鼻で笑った。
マリーローズもまた、扇を口元に当てて、鈴を転がすような声で笑った。
「アレックス様、お顔を上げてくださいませ。……あなたの将来がどうなろうと、私には何の関係もございませんわ。それに、婚約破棄を『取り消す』? 滑稽なことをおっしゃるのね。私は既に、帝国にてリュシアン大公殿下と正式な婚約を交わしておりますのに」
「な……大公殿下と……!?」
アレックスの顔が土色に変わる。
「マリーローズ様……マリーローズ様、お願いです!」
ジュリエットが這い寄るようにして声を上げた。
「私、エーデル伯爵のところに連れて行かれそうなの! あの人、私を借金のカタに売ろうとしているの。マリーローズ様なら、帝国のお金で私を買い取って、また侍女として置いてくださるでしょう!? 私たち、双子のように育った仲じゃない!」
マリーローズはジュリエットを見つめた。かつて、この少女の涙に、自分は何百回と胸を痛めたことだろう。
だが、今のマリーローズの心に去来するのは、底冷えのするような虚無感だけだった。
「ジュリエット。あなたは、自分の罪をまだ理解していないのね」
マリーローズはゆっくりと階段を降り、ジュリエットの前で立ち止まった。
「私からすべてを奪うために、あなたは私の大切な家族を嘘で騙した。お母様を狂わせ、お兄様を盲目にさせ、お父様の信頼を壊した。……あなたが今、実の父親に売られようとしているのは、あなたが撒いた種が芽吹いただけのこと。私に助ける義理はないわ」
「そんな……冷たい……冷たいわ、マリーローズ様!」
「ええ、私は可愛げのない、氷の令嬢ですもの。……お兄様も、何かおっしゃりたいことが?」
フレデリックは、拳を握りしめ、震える声で絞り出した。
「……マリー。ハンプトン侯爵家は……もう、終わりだ。父上は汚職の嫌疑をかけられ(実際は実務ミスによる損失の穴埋めだったが)、母上は精神を病んで離宮に幽閉された。俺は、お前に謝れば、またあの日々に戻れると思っていたんだ。……お前が夜遅くまで、俺たちのために資料を作ってくれていた、あの静かな日々に……」
「あの日々は、私が一人で作り上げていた幻想ですわ、お兄様」
マリーローズは断言した。
「あなた方が、私の努力を当然の権利として貪り、私の尊厳を踏みにじった瞬間に、あの邸は私にとってただの地獄に変わりました。……騎士の方々、この方々を門の外へ。二度と、私の視界に入れないでくださいませ」
「マリー! マリーローズ!!」「マリーローズ様!」
叫ぶ三人を、騎士たちが容赦なく引き摺っていく。
アレックスは往生際悪く縋ろうとし、ジュリエットは金切り声を上げて呪詛を吐き、フレデリックはただ、絶望に項垂れて運ばれていった。
静寂が戻ったホールで、リュシアンがマリーローズの肩にそっと手を置いた。
「……良かったのか? 帝国なら、彼らを完全に消すことも容易だが」
「いいえ。彼らには、生きて見届けていただかなくては。……愛したはずのジュリエットに食い荒らされ、かつて捨てた私が、どれほどの高みに昇るのかを。それが、彼らへの一番の報いですわ」
マリーローズは、窓の外に広がる帝都の夜景を見つめた。
王国という過去は、今、完全に決別した。
物語はここから、一人の女性の真実の幸せへと加速していく。
彼女を失った者たちが、自業自得の地獄を彷徨うのを尻目に。
______________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約破棄に祝砲を。あら、殿下ったらもうご結婚なさるのね? では、祝辞代わりに花嫁ごと吹き飛ばしに伺いますわ。
猫屋敷むぎ
恋愛
王都最古の大聖堂。
ついに幸せいっぱいの結婚式を迎えた、公女リシェル・クレイモア。
しかし、一年前。同じ場所での結婚式では――
見知らぬ女を連れて現れたセドリック王子が、高らかに宣言した。
「俺は――愛を選ぶ! お前との婚約は……破棄だ!」
確かに愛のない政略結婚だったけれど。
――やがて、仮面の執事クラウスと共に踏み込む、想像もできなかった真実。
「お嬢様、祝砲は芝居の終幕でと、相場は決まっております――」
仮面が落ちるとき、空を裂いて祝砲が鳴り響く。
シリアスもラブも笑いもまとめて撃ち抜く、“婚約破棄から始まる、公女と執事の逆転ロマンス劇場”、ここに開幕!
――ミステリ仕立ての愛と逆転の物語です。スッキリ逆転、ハピエン保証。
※「小説家になろう」にも掲載。
※ アルファポリス完結恋愛13位。応援ありがとうございます。
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
幼馴染が最優先な婚約者など、私の人生には不要です。
たると
恋愛
シュタイン伯爵家の長女エルゼは、公爵子息フィリップに恋をしていた。
彼の婚約者として選ばれた時は涙を流して喜んだが、その喜びもいまは遠い。
『君は一人でも大丈夫だろう。この埋め合わせは必ずする。愛している』
「……『愛している』、ですか」
いつも幼馴染を優先するアルベルトに、恋心はすっかり冷めてしまった。
【結婚式当日に捨てられました】身代わりの役目は不要だと姉を選んだ王子は、隣国皇帝が私を国ごと奪いに来てから後悔しても手遅れです。
唯崎りいち
恋愛
結婚式当日、私は“替え玉”として捨てられた。
本物の姉が戻ってきたから、もう必要ないのだと。
けれど——
私こそが、誰も知らなかった“本物の価値”を持っていた。
世界でただ一人、すべてを癒す力。
そして、その価値を知るただ一人の人が、皇帝となって私を迎えに来る。
これは、すべてを失った少女が、本当に必要とされる場所へ辿り着く物語。
婚約者は妹のような幼馴染みを何より大切にしているので、お飾り妻予定な令嬢は幸せになることを諦めた……はずでした。
待鳥園子
恋愛
伯爵令嬢アイリーンの婚約者であるセシルの隣には『妹のような幼馴染み』愛らしい容姿のデイジーが居て、身分差で結婚出来ない二人が結ばれるためのお飾り妻にされてしまうことが耐えられなかった。
そして、二人がふざけて婚姻届を書いている光景を見て、アイリーンは自分の我慢が限界に達そうとしているのを感じていた……のだけど!?
夫は私を愛していないそうなので、遠慮なく離婚します。今さら引き止められても遅いです
藤原遊
恋愛
王妃付き護衛騎士である夫に、「お前を愛したことはない」と告げられた。
理由は単純。
愛などなくても、仕事に支障はないからだという。
──そうですか。
それなら、こちらも遠慮する必要はありませんね。
王妃の機嫌、侍女たちとの関係、贈り物の選定。
夫が「当然のように」こなしていたそれらは、すべて私が整えていたもの。
離婚後、少しずつ歯車は狂い始める。
気づいたときにはもう遅い。
積み上げてきた信用は、静かに崩れていく。
一方で私は、王妃のもとへ。
今さら引き止められても、遅いのです。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
妹に一度殺された。明日結婚するはずの死に戻り公爵令嬢は、もう二度と死にたくない。
たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
恋愛
婚約者アルフレッドとの結婚を明日に控えた、公爵令嬢のバレッタ。
しかしその夜、無惨にも殺害されてしまう。
それを指示したのは、妹であるエライザであった。
姉が幸せになることを憎んだのだ。
容姿が整っていることから皆や父に気に入られてきた妹と、
顔が醜いことから蔑まされてきた自分。
やっとそのしがらみから逃れられる、そう思った矢先の突然の死だった。
しかし、バレッタは甦る。死に戻りにより、殺される数時間前へと時間を遡ったのだ。
幸せな結婚式を迎えるため、己のこれまでを精算するため、バレッタは妹、協力者である父を捕まえ処罰するべく動き出す。
もう二度と死なない。
そう、心に決めて。