氷の令嬢は愛を請わない - 捨て子の『義妹』に愛も家族も奪われたマリーローズの逆襲

恋せよ恋

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エーデル伯爵の強請りと、母の最後

 帝都でのマリーローズとの再会という名の、無残な拒絶。

 王国へ強制送還されたフレデリック、アレックス、そしてジュリエットを待っていたのは、さらなる地獄の深淵であった。

 ハンプトン侯爵邸。かつて王国で最も気高く、冷徹なまでの美しさを誇ったその屋敷は、今や借金取りと醜聞を求める記者たちに包囲されていた。

 侯爵邸の居間に踏ん反り返っていたのは、ジュリエットの実父、エーデル伯爵である。彼は酒の臭いを撒き散らしながら、弱りきった当主ダニエルを嘲笑った。

「なあ、ダニエル様。あんたの自慢の娘――本物のマリーローズ嬢は、帝国で公爵になったんだって? 景気のいい話だが、こっちは火の車だ。あんたの奥方が可愛がった私の娘、ジュリエットの『養育費』の残りを早く払ってもらおうか」

「……養育費だと? 我が家は十八年間、あの子を実の娘のように育てた。貴様に支払う道理などない!」

「道理? 道理なら、不倫の末に生まれた娘を、あんたの妻が勝手に拾って『侯爵令嬢』のフリをさせたことの方が問題だろうが。世間はこういう話が大好物なんだよ。ハンプトン侯爵家が、捨て子を使って実の娘を虐げていたとなれば、あんたの外務大臣の椅子も、嫡男フレデリック殿の将来も粉々だ」

 エーデル伯爵は、マリーローズが去り際に残した「ジュリエットの出自」という爆弾を、最大限に利用していた。彼は娘への愛情など欠片も持っていない。ただ、この没落しかけた名門から最後の一滴まで金を絞り取ることしか考えていなかった。

 二階の寝室。そこには、完全に正気を失ったエリザベスの姿があった。
 彼女はマリーローズの髪色と同じ、銀色の絹布を切り刻みながら、虚空に向かって話しかけていた。

「あら、ダニエル様、見て。ジュリエットに新しいドレスを作っているの。……マリーローズ? ああ、あの子はどこかへ行ったわ。可愛げのない子だったもの。私に似た、可愛いジュリエットがいればそれでいいの……」

 彼女の脳内では、現実と妄想の境界が崩壊していた。

 しかし、その可愛いジュリエットは、今やエリザベスを憎悪の対象としてしか見ていなかった。

「お母様のせいよ……!!」

 寝室に乱入したジュリエットが、エリザベスの肩を掴んで激しく揺さぶった。

「お母様が、私に『お嬢様』の夢を見せたから! お母様が、マリーローズ様を追い出したから! ……マリーローズ様がいれば、私はこんな汚い伯爵家に売られずに済んだのに! 私に何をしてくれるの!? 宝石は? お金は!? 何も残っていないじゃない!」

 ジュリエットの叫びは、もはや悲鳴であった。アレックスからも見捨てられ、実父からは「売春宿にでも売るか」と脅されている彼女にとって、唯一の盾であったはずのエリザベスは、今やただの壊れた人形に過ぎない。

「……あら、あなた、誰かしら。私のジュリエットはもっと小さくて、可愛くて……そんな、浅ましい顔はしていないわ……」

 エリザベスのその一言が、ジュリエットの正気を断ち切った。
 ジュリエットはエリザベスの首元に手をかけようとしたが、その時、邸の扉が勢いよく開け放たれた。

「憲兵隊だ! ダニエル・ハンプトン、公金横領および国家機密漏洩の疑いで同行願う!」

 王国政府は、マリーローズがいなくなった後の外交の混乱を、すべてダニエルの「能力不足」ではなく「裏切り」として処理することに決めたのだ。スケープゴートが必要だった王家にとって、帝国の寵愛を受ける娘を持つダニエルは、格好の標的だった。

 ダニエルとフレデリックは、抵抗する間もなく縄をかけられた。
 邸内の動産はすべて差し押さえられ、エーデル伯爵は「ちっ、先を越されたか」と吐き捨ててジュリエットを無理やり引き摺り出した。

「離して! 私は侯爵家の令嬢よ! 助けて、お父様! お兄様!!」

 ジュリエットの悲痛な叫びを、ダニエルもフレデリックも、もはや振り返る余裕はなかった。自分たちの首筋に冷たい刃が当たっていることを理解した彼らは、絶望の中でようやく気づいたのだ。

(ああ……あの子が、マリーが。その身を削って、どれほどの毒から我々を守っていたのか……)

 その夜、幽閉された離宮の自室で、エリザベスは自らその生涯を閉じた。
 彼女の最期の言葉は、マリーローズへの謝罪ではなく、「ダニエル様、また出張? 寂しいわ」という、独りよがりな愛の言葉だったという。

 翌朝、冷たくなったエリザベスの枕元には、かつてマリーローズが幼い頃に贈った、手作りの刺繍入りのハンカチが、引き裂かれた状態で転がっていた。

 一方、帝国のマリーローズの元には、王国の没落を告げる報せが届いていた。

 彼女は、リュシアンが淹れてくれた紅茶を一口飲み、静かに目を伏せた。

「……お母様が亡くなったそうですわ。自ら」

「悲しいか?」

 リュシアンの問いに、マリーローズは窓の外、帝国に降り始めた白銀の雪を見つめた。

「いいえ。……ただ、あの銀糸のハンカチを、彼女が最期まで持っていたことだけが、不思議でなりませんの。……けれど、それだけです。私の涙は、もうあの邸で使い果たしましたもの」

 マリーローズの紫の瞳には、湿った感情は一切なかった。
 あるのは、帝国の未来を見据える、揺るぎない覚悟だけだった。

 王国ハンプトン家、事実上の消滅。
 かつて、自分だけが幸福になろうとした母親と捨て子の共依存は、最悪の結末を以て終焉を迎えた。
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