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王国の最後と、聖女の伝説
かつて大陸随一の歴史を誇った王国は、今や地図からその名を消そうとしていた。
外務大臣ハンプトン侯爵が失脚し、後を追うように各省の要職者が芋づる式に汚職や無能を露呈した。かつての優秀な王太子ヴィクトールは、国力の衰退を食い止めることができず、精神の均衡を崩して王宮の奥深くに引きこもっていた。
「……これを。これだけは、彼女に届けねばならない」
蝋燭の火が消えかけた薄暗い部屋で、ヴィクトールは震える手で一つの古びた木箱を抱えていた。それは、王家の秘蔵庫のさらに奥、歴代の王妃のみが知る隠し棚から見つけ出したものだった。
彼は最後の力を振り絞り、帝国のマリーローズへと特使を放った。それは外交的な要請ではなく、一人の男としての懺悔であり、かつて自分が踏みにじった至宝への、遅すぎた献上品であった。
帝都グラード。新緑が芽吹く大公邸のテラスで、マリーローズはその木箱を受け取った。
リュシアンが傍らで見守る中、彼女が慎重に蓋を開けると、中には一束の手紙と、銀色の髪を編み込んだペンダントが入っていた。
「……これは、お母様の?」
マリーローズの手が止まった。手紙の筆跡は、母エリザベスのものではない。それは、エリザベスがかつて親友と呼び、そしてジュリエットの実母であったカレント伯爵家の先代令嬢、ロザリンのものだった。
手紙を読み進めるうちに、マリーローズの紫の瞳に衝撃が走った。
そこには、十八年前の残酷な真実が記されていた。
エリザベスとロザリンは、共にダニエルを愛していた。だが、ダニエルが選んだのはエリザベスだった。ロザリンは絶望し、エーデル伯爵との不義の子(ジュリエット)を身籠った後、狂気に取り憑かれた。彼女はエリザベスへの復讐として、彼女に似た子をエリザベスの門前に捨て、同時にエリザベスの実の娘――マリーローズを、ハンプトン家の誇りである「銀髪紫眼」の呪縛の中に突き落とす呪詛をかけたのだ。
『エリザベス、あなたは自分に似ていないその娘を見るたび、夫・ダニエルへの執着に駆られるでしょう。そして私に似た我が子を見れば、鏡を見るように愛さずにはいられないはずよ』
エリザベスがマリーローズを疎み、ジュリエットを溺愛したのは、単なる性格の不一致ではなかった。ロザリンが仕掛けた「精神の毒」による誘導だったのだ。エリザベスもまた、親友の怨念に操られた犠牲者の一人だったのである。
「……そう、だったのね」
マリーローズは手紙を閉じ、静かにため息をついた。
自分が愛されなかった理由。母が狂った理由。すべては、過去の女たちの醜い情念が引き起こした悲劇だった。
「マリーローズ。……大丈夫か?」
リュシアンが彼女の肩を抱く。
マリーローズは首を振り、テラスから見える帝都の活気ある街並みを見つめた。
「いいえ。むしろ、救われましたわ。私に可愛げがなかったからではない。私がハンプトンの娘として完璧すぎたからでもない。……ただ、悲しいすれ違いがあっただけなのだと、ようやく自分を許せそうです」
彼女はペンダントを手に取り、日光に透かした。
銀色の髪は、かつて自分が「呪い」だと思っていた自らの色。けれど今、それは帝国の太陽を浴びて、何よりも気高く輝いている。
ヴィクトールからの贈り物は、もう一つあった。
それは王国の「解体宣言」の写しだった。王国は周辺諸国による共同統治を受け入れ、その主権を放棄するという。事実上の滅亡。そして、その統治を監督する最高顧問として、諸外国は満場一致でマリーローズ・グラードを指名していた。
「捨てられた故郷の、再生を託されるか」
リュシアンが面白そうに目を細める。
「皮肉なものですわね。あの方々が守ろうとした『王国の形』は壊れましたが、私が新しい『秩序』としてあの大地を塗り替えることになるなんて」
マリーローズは、手紙を暖炉の火へと投じた。過去の怨念は、これで灰になった。彼女を縛るものは、もう何一つない。
その頃、王国の民衆の間では、一つの伝説が広まっていた。ーー『銀氷の聖女が、我々を救いに戻ってくる』
かつて冷酷と蔑まれたマリーローズは、今や絶望に喘ぐ国民にとって唯一の希望として語り継がれる存在となっていた。
マリーローズは立ち上がり、リュシアンの手を取った。
「行きましょう、リュシアン様。私の人生は、まだ始まったばかりですもの」
理不尽な悲劇から始まった彼女の物語は、今や一国の、そして大陸の救済へと繋がる壮大な叙事詩へと昇華しようとしていた。
一方、監獄のダニエルとフレデリックは、王国の滅亡を知り、自分たちが守ろうとしていたものの虚しさに慟哭した。彼らは、マリーローズが最高顧問として戻ってくることを聞き、それが彼女の慈悲ではなく、最大の罰であることを悟った。
彼女がかつての自分たちを見下ろす時、そこにはもはや家族としての情は一滴も残っていないということを。
マリーローズの瞳は、未来だけを見つめていた。銀氷の美貌は、今や慈愛の光を宿し、世界を癒やすための力を蓄えていた。
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外務大臣ハンプトン侯爵が失脚し、後を追うように各省の要職者が芋づる式に汚職や無能を露呈した。かつての優秀な王太子ヴィクトールは、国力の衰退を食い止めることができず、精神の均衡を崩して王宮の奥深くに引きこもっていた。
「……これを。これだけは、彼女に届けねばならない」
蝋燭の火が消えかけた薄暗い部屋で、ヴィクトールは震える手で一つの古びた木箱を抱えていた。それは、王家の秘蔵庫のさらに奥、歴代の王妃のみが知る隠し棚から見つけ出したものだった。
彼は最後の力を振り絞り、帝国のマリーローズへと特使を放った。それは外交的な要請ではなく、一人の男としての懺悔であり、かつて自分が踏みにじった至宝への、遅すぎた献上品であった。
帝都グラード。新緑が芽吹く大公邸のテラスで、マリーローズはその木箱を受け取った。
リュシアンが傍らで見守る中、彼女が慎重に蓋を開けると、中には一束の手紙と、銀色の髪を編み込んだペンダントが入っていた。
「……これは、お母様の?」
マリーローズの手が止まった。手紙の筆跡は、母エリザベスのものではない。それは、エリザベスがかつて親友と呼び、そしてジュリエットの実母であったカレント伯爵家の先代令嬢、ロザリンのものだった。
手紙を読み進めるうちに、マリーローズの紫の瞳に衝撃が走った。
そこには、十八年前の残酷な真実が記されていた。
エリザベスとロザリンは、共にダニエルを愛していた。だが、ダニエルが選んだのはエリザベスだった。ロザリンは絶望し、エーデル伯爵との不義の子(ジュリエット)を身籠った後、狂気に取り憑かれた。彼女はエリザベスへの復讐として、彼女に似た子をエリザベスの門前に捨て、同時にエリザベスの実の娘――マリーローズを、ハンプトン家の誇りである「銀髪紫眼」の呪縛の中に突き落とす呪詛をかけたのだ。
『エリザベス、あなたは自分に似ていないその娘を見るたび、夫・ダニエルへの執着に駆られるでしょう。そして私に似た我が子を見れば、鏡を見るように愛さずにはいられないはずよ』
エリザベスがマリーローズを疎み、ジュリエットを溺愛したのは、単なる性格の不一致ではなかった。ロザリンが仕掛けた「精神の毒」による誘導だったのだ。エリザベスもまた、親友の怨念に操られた犠牲者の一人だったのである。
「……そう、だったのね」
マリーローズは手紙を閉じ、静かにため息をついた。
自分が愛されなかった理由。母が狂った理由。すべては、過去の女たちの醜い情念が引き起こした悲劇だった。
「マリーローズ。……大丈夫か?」
リュシアンが彼女の肩を抱く。
マリーローズは首を振り、テラスから見える帝都の活気ある街並みを見つめた。
「いいえ。むしろ、救われましたわ。私に可愛げがなかったからではない。私がハンプトンの娘として完璧すぎたからでもない。……ただ、悲しいすれ違いがあっただけなのだと、ようやく自分を許せそうです」
彼女はペンダントを手に取り、日光に透かした。
銀色の髪は、かつて自分が「呪い」だと思っていた自らの色。けれど今、それは帝国の太陽を浴びて、何よりも気高く輝いている。
ヴィクトールからの贈り物は、もう一つあった。
それは王国の「解体宣言」の写しだった。王国は周辺諸国による共同統治を受け入れ、その主権を放棄するという。事実上の滅亡。そして、その統治を監督する最高顧問として、諸外国は満場一致でマリーローズ・グラードを指名していた。
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リュシアンが面白そうに目を細める。
「皮肉なものですわね。あの方々が守ろうとした『王国の形』は壊れましたが、私が新しい『秩序』としてあの大地を塗り替えることになるなんて」
マリーローズは、手紙を暖炉の火へと投じた。過去の怨念は、これで灰になった。彼女を縛るものは、もう何一つない。
その頃、王国の民衆の間では、一つの伝説が広まっていた。ーー『銀氷の聖女が、我々を救いに戻ってくる』
かつて冷酷と蔑まれたマリーローズは、今や絶望に喘ぐ国民にとって唯一の希望として語り継がれる存在となっていた。
マリーローズは立ち上がり、リュシアンの手を取った。
「行きましょう、リュシアン様。私の人生は、まだ始まったばかりですもの」
理不尽な悲劇から始まった彼女の物語は、今や一国の、そして大陸の救済へと繋がる壮大な叙事詩へと昇華しようとしていた。
一方、監獄のダニエルとフレデリックは、王国の滅亡を知り、自分たちが守ろうとしていたものの虚しさに慟哭した。彼らは、マリーローズが最高顧問として戻ってくることを聞き、それが彼女の慈悲ではなく、最大の罰であることを悟った。
彼女がかつての自分たちを見下ろす時、そこにはもはや家族としての情は一滴も残っていないということを。
マリーローズの瞳は、未来だけを見つめていた。銀氷の美貌は、今や慈愛の光を宿し、世界を癒やすための力を蓄えていた。
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