氷の令嬢は愛を請わない - 捨て子の『義妹』に愛も家族も奪われたマリーローズの逆襲

恋せよ恋

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ハンプトン侯爵家の最期と、新しい芽吹き

 王国全土の掃除を終えたマリーローズが、最後に向かった場所がある。
 かつて自分が生まれ育ち、そしてあらゆる絶望を味わった場所――ハンプトン侯爵邸の跡地である。

 差し押さえられ、家具一つ残っていない屋敷は、幽霊屋敷のように静まり返っていた。壁にはエリザベスが発狂した際に引き裂いたカーテンの残骸がぶら下がり、床には割れた陶器の破片が散らばっている。

 マリーローズは、リュシアンの同伴を断り、一人でその静寂の中に足を踏み入れた。

「……ひどい有様ですわね」

 かつて完璧に整えられていた庭園も、今は雑草が背丈ほどに伸びている。彼女は二階、母エリザベスの寝室へと向かった。そこには、憲兵隊も見逃したであろう、床板の隙間に隠された小さな木箱があった。

 マリーローズがかつて、母の異常な行動を観察する中で見つけていた「秘密の隠し場所」だ。

 箱の中には、一通の手紙と、色褪せた押し花が入っていた。
 手紙の筆跡は、紛れもなく母エリザベスのもの。しかし、それはマリーローズが知る「狂った母」のものではなく、かつて知性と慈愛に満ちていた頃の、凛とした文字だった。

 最初の一行を見た瞬間、マリーローズの心臓が大きく跳ねた。

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親愛なる、私の誇り高きマリーローズへ

 あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はもう、私ではなくなっているのでしょう。カレント伯爵夫人の呪いか、あるいは私自身の心の弱さか、私の意識は日に日に霧に覆われていきます。ジュリエットという娘を、どうしても拒絶できない。あの子を愛さなければならないという強迫観念が、私を内側から食い破っています。

 マリーローズ、私を許さないで。私から離れなさい。あなたが冷酷と言われようと、可愛げがないと言われようと、その気高さを守り抜きなさい。……あなたを抱きしめたい衝動に駆られるたび、私はジュリエットという「偽物」を抱くことで、本物であるあなたを遠ざけ、守った。……これは、卑怯な母親の、最後で唯一の愛の形なのです。

 あなたを愛しているわ。私の、自慢の娘、マリー。

愚かで弱い母 エリザベス より

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 手紙には、エリザベスが自らの理性が保たれている間に、必死で書き留めた「告白」が綴られていた。彼女は、マリーローズが自分に似ていないことを不安に思ったのではない。むしろ、自分に似て気高く、強すぎるマリーローズを見て、自分が壊れていく過程で娘まで壊してしまうことを恐れたのだ。

 マリーローズの指が、紙面を強く握りしめた。
 母は、壊れていく自らの手から娘を救い出すために、あえて娘を拒絶し、孤独の中に突き放したというのか。ジュリエットを溺愛したのは、マリーローズに「ここはあなたの居場所ではない」と悟らせるための、残酷な仕掛けだったのか。

「……お母様。なんて、独りよがりで、愚かなことを……」

 マリーローズの瞳から、一筋の涙が零れ落ち、床の埃を濡らした。
 母を憎み、決別することで強くなれた。その背景に、これほどまでに歪で、献身的な、そして悲しいがあったことを知ってしまった。

 けれど、マリーローズはすぐにその涙を拭った。

「それでも、私はお母様を赦しませんわ。……私は、あなたに愛されなくても、独りで立ってみせると決めたのですから」

 彼女は手紙を木箱に戻すと、邸の窓を大きく開け放った。湿ったカビの臭いが消え、帝国の爽やかな風が吹き込んでくる。
 
 マリーローズは邸を後にし、門の外で待っていたリュシアンの元へ歩み寄った。

「マリーローズ、顔色が白い。何があった?」

「いいえ、何も。ただ、過去の亡霊に別れを告げてきましたの」

 マリーローズは、ハンプトン侯爵邸の解体を命じた。
 この場所を廃墟のままにするのではなく、新しい教育施設、そして身寄りのない子供たちが「偽物の愛」に惑わされずに自立できるための学び舎へと建て替えることを決めたのだ。

 数ヶ月後、ハンプトン邸の跡地には、新しい建物の基礎が築かれ、そこには、かつて母・エリザベスが好んだ色鮮やかな花々が植えられた。

 監獄のダニエルとフレデリックは、自分たちの生家が壊され、新しい命が芽吹く様子を遠くから伝え聞き、自分たちが守ろうとしていた家門という名の虚像が、マリーローズの手によってようやく浄化されたことを悟った。

 マリーローズは、帝都へと戻る馬車の中で、リュシアンの肩に頭を預けた。

「リュシアン様。私、この国を……いえ、世界を、誰もが自分を誇れる場所にしたい。お母様のように、愛し方を間違える人がいなくなるように」

「ああ。君となら、それができる」

 かつて「捨て子にすべてを奪われた」と言った令嬢は、今、自らの手ですべてを創り出す、新しい世界の創造主となっていた。

 彼女の紫の瞳は、もう二度と曇ることはない。理不尽な悲恋、略奪、そして家族の崩壊。そのすべてが、彼女という至宝を磨き上げるための砥石でしかなかった。

 マリーローズ・グラード。彼女の伝説は、ここから何世代にもわたって、語り継がれていくことになる。
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