氷の令嬢は愛を請わない - 捨て子の『義妹』に愛も家族も奪われたマリーローズの逆襲

恋せよ恋

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番外編

銀の騎士の孤独と、新たな主

 帝国での再会、そしてマリーローズによる慈悲深き拒絶。

 かつて王国騎士団の若き獅子と謳われたレオナードは、重い足取りで帝都を後にした。彼は騎士の身分も、名誉も、そして守るべきだった女性さえも失い、ただ腰の剣一本だけを携えた放浪の剣士となっていた。

(「あなたの剣は必要ありません」……か)

 彼女のあの言葉が、呪文のように頭を離れない。

 かつて幼いマリーローズが自分に向ける視線には、淡い期待と信頼があった。それを無残に踏みにじったのは自分だ。ジュリエットの涙に溺れ、「完璧すぎるマリーローズには俺がいなくても大丈夫だ」という傲慢な思い込みに逃げた代償は、あまりにも重かった。

 レオナードは北方の山脈を越え、帝国の辺境にある「風の谷」と呼ばれる小さな村に辿り着いた。そこは帝国の一部ではあるが、公用語とは異なる古語を話す民が住む、忘れ去られたような土地だった。

 村の入り口で、彼は一人の少女に出会った。
 少女は十歳ほど。汚れた服を着ていたが、その瞳だけは驚くほど鋭く、知的な輝きを放っている。彼女は村の広場に座り込み、地面に木の枝で複雑な幾何学模様と、見たこともない文字を書き込んでいた。

「……何をしているんだ?」

 レオナードが声をかけると、少女は顔を上げずに答えた。

「風の動きを読んでいるの。もうすぐ、この山から大きな土砂崩れが来る。村の人に言っても、子供のたわ言だって信じてもらえないけど」

 少女が話しているのは、帝国の標準語ではない。王国でも帝国でも失われたとされる「精霊古語」の断片だった。

 レオナードは息を呑んだ。かつて、マリーローズが夜遅くまで書斎で解読していた古文書の中に、これと似た文字があったことを思い出したからだ。

「お前……その言葉をどこで?」

「教わったんじゃない、知っているの。風がそう言っているから」

 少女の名はアリアといった。彼女は「不吉な子」として村から疎まれていた。あまりに聡明すぎて、大人たちの嘘や世界の歪みを指摘してしまうため、かつてのマリーローズが「可愛げがない」と家族に疎まれたのと、全く同じ構図がそこにあった。

 数日後、アリアの予言通り、山で大規模な地鳴りが起きた。

 村人たちがパニックに陥る中、レオナードはアリアの指示に従い、村を守るための古い防壁を起動させることに成功した。アリアが古語で詠唱し、レオナードが剣士としての膂力で古い仕掛けを動かしたのだ。

 村は救われた。土砂が止まった静寂の中で、アリアは小さく震えていた。

「……怖かった。また、おかしなことをしたって、追い出されるかと思って」

 レオナードは、その小さな肩を包み込むように抱きしめた。
 あの日、マリーローズが一人で冷たい視線に耐えていた時、自分はこうして寄り添うことをしなかった。その痛切な後悔が、今、アリアを守るという強い意志に変わっていた。

「アリア、お前は何も悪くない。その力は、お前が賢く、高潔である証拠だ」

 レオナードは決意した。自分はもう、マリーローズの騎士にはなれない。彼女にはリュシアンという最高の守護者がいる。

 ならば、自分はこの「新たな至宝」を守るための盾になろう。マリーローズがかつて辿った孤独な道を、この少女に歩ませてはならない。

「アリア、私と共に来い。帝都へ行くんだ」

「帝都……? 私みたいな変な子が行ってもいいの?」

「ああ。そこには、お前を正当に評価し、お前を『至宝』と呼んでくれる素晴らしい女性がいる。……彼女に、お前を導いてほしいと頼むつもりだ」

 レオナードは、数ヶ月ぶりに清々しい気持ちでいた。

 マリーローズへの謝罪は、言葉で伝えるものではなかった。彼女が創り上げようとしている。
「知性が尊重される世界」のために、自分も一つの力添えをすること。それが自分の、真の贖罪なのだ。

 数週間後、帝都の宮廷。皇后となったマリーローズの元へ、一通の謁見申し入れが届いた。
 かつての騎士レオナードが、一人の少女を連れてきているという。

「……彼が、誰かを守るために戻ってきたのですか」

 マリーローズは、どこか懐かしそうに微笑んだ。

 リュシアンが横から覗き込み、「通すべきか?」と尋ねる。

「ええ。今の彼なら、もう『ジュリエットの幻影』を追ってはいないでしょう。……それに、アリアというその少女、私の新しい『弟子』になるかもしれませんわね」

 かつて孤独の底で引き裂かれた銀の糸は、今、新しい場所で、新しい絆を紡ぎ始めていた。
 レオナードは、アリアの小さな手を握り、堂々と宮殿の門を潜った。

 その背中に、かつての迷いはない。マリーローズの放った気高さという光は、かつて彼女を裏切った男の魂さえも、正しく浄化させていたのである。
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