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トルドー公爵家の裁定
その夜、トルドー公爵邸の書斎には、張り詰めた空気が漂っていた。
ミランダは、ソファに腰を下ろし、淡々と、しかし一切の感情を隠さずに、ことの顛末を語った。
フォール伯爵家の庭園で起きたこと。
リリアーナの不用意な発言。
キンバリー・ラスター侯爵令嬢の名。
そして――アナスタシアが、どんな顔でそれを受け止めていたか。
話を聞き終えた瞬間、ライナスの手が、ぎり、と音を立てて机の縁を掴んだ。
「……母上」
声は低く、抑えられていたが、その奥に燃える怒りは隠しきれていない。
「アナスタシアは?」
「部屋で休んでいるわ。気丈に振る舞っていたけれど……」
ミランダは、そこで一瞬だけ言葉を切った。
「あなたが思っている以上に、あの子は傷ついてきたのよ」
ライナスは、目を伏せた。
胸の奥に、遅れてきた自責が突き刺さる。
(俺は……隣にいながら、守りきれていなかった)
次の瞬間、彼は立ち上がっていた。
「……ヘンリーに会う」
「今夜?」
「今夜だ。友人だからこそ、言うべきことがある」
ミランダは、止めなかった。
それが必要だと、分かっていたからだ。
その夜、ランベルク伯爵邸の客間では、ヘンリーが突然の来訪に目を瞬かせていた。
「ライナス? どうした、こんな時間に――」
最後まで言い終える前に、彼は察した。友の瞳に宿る、冷え切った怒気を。
「単刀直入に言う」
ライナスは一歩踏み出し、低く告げた。
「君の婚約者、リリアーナ・フォール伯爵令嬢の言動について、正式に抗議する」
ヘンリーの顔色が変わる。
「今日のお茶会で、アナスタシアは侮辱された。
善意かどうかなど関係ない。結果として、彼女を公の場で貶めた。それが事実だ」
「……待ってくれ!事情はわからないが、リリアーナにそんなつもりは……」
「つもりの問題じゃない」
ぴしゃり、と空気を断つ声。
「そして――リリアーナ嬢の友人、キンバリー・ラスター侯爵令嬢の件だ」
ライナスの声が、さらに低く沈む。
「これまでも、キンバリー嬢には何度となく警告し、苦情を入れてきた。
だが、今回は違う」
ヘンリーは息を呑んだ。
「次はない。覚えておけ」
その瞳には、一切の迷いがなかった。
「トルドー公爵家として、本気で抗議する。
取引の見直し、後援の打ち切り――必要とあらば、経済制裁も辞さない」
「ライナス……そこまで……」
「そこまで、だ」
友としてではなく。
男としてでもなく。
――アナスタシアを守る者として。
「彼女に、これ以上、指一本触れさせない」
その言葉に、ヘンリーは何も返せなかった。
邸へ戻る馬車の中、ライナスは目を閉じる。
(もう、二度と)
あの少女が、孤独の中で、理不尽に耐えることがないように。
今度こそ、自分が前に立つと、固く誓いながら。
数日後。
トルドー公爵家の応接室には、重く張り詰めた空気が満ちていた。
対面に座るのは、ラスター侯爵夫妻。
特に父であるラスター侯爵は、どこか余裕を装った笑みを浮かべている。
「まあまあ、そう目くじらを立てずとも……」
侯爵は、肩をすくめるようにして言った。
「キンバリーは、根はとてもいい子なのですよ。少々思い込みが強いだけで……」
その瞬間。
――がたん。
低く、鈍い音が応接室に響いた。ライナスが、無言で立ち上がったのだ。
普段の穏やかな彼を知る者なら、誰もが凍りつくほどの冷たい眼差し。
怒声はない。だが、それこそが恐ろしかった。
「……いい子、ですか?」
低く、抑えた声。
だが、その一語一語が、鋭く突き刺さる。
「再三にわたり、正式な婚約の意思はないと伝えた」
一歩、前に出る。
「書面でも、口頭でも、本人にも、家にも、だ」
さらに一歩。
「それでも執拗に釣書を送りつけ、噂を流し、挙げ句の果てに――他家の茶会で、アナスタシアを貶めた」
ラスター侯爵の顔から、余裕の色が消える。
「それを、“いい子”で済ませるのですか?」
ライナスの口元が、かすかに歪んだ。
「冗談も大概にしてください」
「……若気の至りというものが……」
「お黙り下さい」
ぴしゃり、と遮る。
応接室の空気が、完全に凍りついた。
「これは恋でも情でもありません」
ライナスは、はっきりと告げた。
「明確な拒絶を無視し、相手の名誉を損なう行為です。
貴族として、家として、到底看過できない」
彼は、ゆっくりと踵を返し、執事に目配せをした。
「制裁を開始する」
淡々とした宣告だった。
「トルドー公爵家が後援していた、ラスター侯爵家関連の取引を、すべて見直す」
「共同出資している穀物流通網、来期分は白紙だ」
「王都での信用保証も、即刻取り下げる」
ラスター侯爵の顔が、みるみる蒼白になる。
「ま、待ってくれ……! そこまでなさる必要が……」
「あります」
即答だった。
「これは警告ではない」
ライナスの視線が、まっすぐにラスター侯爵を射抜く。
「結果です」
一拍、置いて。
「覚えておいてください」
その声は、冷たく、そして決定的だった。
「次はありません」
沈黙が落ちる。
ラスター侯爵夫妻は、言葉を失ったまま、その場に硬直していた。
ライナスは、それ以上何も言わず、踵を返す。
(――もう、誰にも触れさせない)
胸の奥で、固く誓いながら。
それが、筆頭公爵家トルドーの――本気だった。
______________
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📚新作・短編
【【悲報】地味系令嬢、学園一のモテ男に「嘘の告白」をされる。】
ミランダは、ソファに腰を下ろし、淡々と、しかし一切の感情を隠さずに、ことの顛末を語った。
フォール伯爵家の庭園で起きたこと。
リリアーナの不用意な発言。
キンバリー・ラスター侯爵令嬢の名。
そして――アナスタシアが、どんな顔でそれを受け止めていたか。
話を聞き終えた瞬間、ライナスの手が、ぎり、と音を立てて机の縁を掴んだ。
「……母上」
声は低く、抑えられていたが、その奥に燃える怒りは隠しきれていない。
「アナスタシアは?」
「部屋で休んでいるわ。気丈に振る舞っていたけれど……」
ミランダは、そこで一瞬だけ言葉を切った。
「あなたが思っている以上に、あの子は傷ついてきたのよ」
ライナスは、目を伏せた。
胸の奥に、遅れてきた自責が突き刺さる。
(俺は……隣にいながら、守りきれていなかった)
次の瞬間、彼は立ち上がっていた。
「……ヘンリーに会う」
「今夜?」
「今夜だ。友人だからこそ、言うべきことがある」
ミランダは、止めなかった。
それが必要だと、分かっていたからだ。
その夜、ランベルク伯爵邸の客間では、ヘンリーが突然の来訪に目を瞬かせていた。
「ライナス? どうした、こんな時間に――」
最後まで言い終える前に、彼は察した。友の瞳に宿る、冷え切った怒気を。
「単刀直入に言う」
ライナスは一歩踏み出し、低く告げた。
「君の婚約者、リリアーナ・フォール伯爵令嬢の言動について、正式に抗議する」
ヘンリーの顔色が変わる。
「今日のお茶会で、アナスタシアは侮辱された。
善意かどうかなど関係ない。結果として、彼女を公の場で貶めた。それが事実だ」
「……待ってくれ!事情はわからないが、リリアーナにそんなつもりは……」
「つもりの問題じゃない」
ぴしゃり、と空気を断つ声。
「そして――リリアーナ嬢の友人、キンバリー・ラスター侯爵令嬢の件だ」
ライナスの声が、さらに低く沈む。
「これまでも、キンバリー嬢には何度となく警告し、苦情を入れてきた。
だが、今回は違う」
ヘンリーは息を呑んだ。
「次はない。覚えておけ」
その瞳には、一切の迷いがなかった。
「トルドー公爵家として、本気で抗議する。
取引の見直し、後援の打ち切り――必要とあらば、経済制裁も辞さない」
「ライナス……そこまで……」
「そこまで、だ」
友としてではなく。
男としてでもなく。
――アナスタシアを守る者として。
「彼女に、これ以上、指一本触れさせない」
その言葉に、ヘンリーは何も返せなかった。
邸へ戻る馬車の中、ライナスは目を閉じる。
(もう、二度と)
あの少女が、孤独の中で、理不尽に耐えることがないように。
今度こそ、自分が前に立つと、固く誓いながら。
数日後。
トルドー公爵家の応接室には、重く張り詰めた空気が満ちていた。
対面に座るのは、ラスター侯爵夫妻。
特に父であるラスター侯爵は、どこか余裕を装った笑みを浮かべている。
「まあまあ、そう目くじらを立てずとも……」
侯爵は、肩をすくめるようにして言った。
「キンバリーは、根はとてもいい子なのですよ。少々思い込みが強いだけで……」
その瞬間。
――がたん。
低く、鈍い音が応接室に響いた。ライナスが、無言で立ち上がったのだ。
普段の穏やかな彼を知る者なら、誰もが凍りつくほどの冷たい眼差し。
怒声はない。だが、それこそが恐ろしかった。
「……いい子、ですか?」
低く、抑えた声。
だが、その一語一語が、鋭く突き刺さる。
「再三にわたり、正式な婚約の意思はないと伝えた」
一歩、前に出る。
「書面でも、口頭でも、本人にも、家にも、だ」
さらに一歩。
「それでも執拗に釣書を送りつけ、噂を流し、挙げ句の果てに――他家の茶会で、アナスタシアを貶めた」
ラスター侯爵の顔から、余裕の色が消える。
「それを、“いい子”で済ませるのですか?」
ライナスの口元が、かすかに歪んだ。
「冗談も大概にしてください」
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「お黙り下さい」
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応接室の空気が、完全に凍りついた。
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ライナスは、はっきりと告げた。
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彼は、ゆっくりと踵を返し、執事に目配せをした。
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淡々とした宣告だった。
「トルドー公爵家が後援していた、ラスター侯爵家関連の取引を、すべて見直す」
「共同出資している穀物流通網、来期分は白紙だ」
「王都での信用保証も、即刻取り下げる」
ラスター侯爵の顔が、みるみる蒼白になる。
「ま、待ってくれ……! そこまでなさる必要が……」
「あります」
即答だった。
「これは警告ではない」
ライナスの視線が、まっすぐにラスター侯爵を射抜く。
「結果です」
一拍、置いて。
「覚えておいてください」
その声は、冷たく、そして決定的だった。
「次はありません」
沈黙が落ちる。
ラスター侯爵夫妻は、言葉を失ったまま、その場に硬直していた。
ライナスは、それ以上何も言わず、踵を返す。
(――もう、誰にも触れさせない)
胸の奥で、固く誓いながら。
それが、筆頭公爵家トルドーの――本気だった。
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