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毒入りのお茶会
約束通り、週に一度の定例のお茶会は続けられた。
場所は学園のサロンだったり、時には見晴らしの良い中庭のテラスだったりした。つい数ヶ月前までは、私にとって世界で一番待ち遠しく、甘やかな時間だったはずのその場所は、今や一滴ずつ毒を盛られるような拷問の場へと変わっていた。
「……それでね、一年生のロレッタ嬢と観劇に行ったんだ。彼女、劇の最中にずっと喋りかけてくるし、笑い声が少しうるさくてね。……やっぱり、隣で静かに微笑んでくれるイザベルの方が、僕は落ち着くよ」
リチャード様は、スコーンにたっぷりのクロテッドクリームを塗りながら、事も無げに言った。
私はティーカップを口に運ぶフリをして、震える指先を隠す。
「そうですか……。それは、災難でしたわね」
私の心は、悲鳴を上げていた。
昨日、私は友人と新作のオペラを観に行った際、ロビーでリチャード様の姿を見かけていたのだ。
彼はロレッタ嬢の腰を優しく抱き、彼女の耳元で何事か囁き、楽しげに笑っていた。その姿が、昨夜の私の枕をどれほど濡らしたか、彼は知る由もない。
けれど、リチャード様が私にその日のことを隠さず「報告」してくれることに、私は卑屈なほどの安堵を感じてもいた。
話してくれるということは、彼の中で私がまだ「一番信頼できるパートナー」である証拠だと思い込もうとしていたのだ。
「そういえば、先日は三年生のエメリア嬢と食事に行ったよ。彼女はマナーがなってなくてね、魚のナイフの使い方が酷かったんだ。……イザベルの完璧な所作を見習ってほしいくらいだよ」
リチャード様は、私の優れている点を挙げては、他の女性を落とす。
それが私への「褒め言葉」だと信じて疑わないその無邪気さが、何よりも残酷だった。
(私は、品定めの基準にするための『物差し』じゃないわ……)
何度そう言いそうになったことだろう。けれど、その言葉を飲み込み、私は今日も「物分かりの良い婚約者」を演じる。
彼が他の女性と過ごし、その「欠点」を見つけるたびに、私は自分の勝利を確信しようと努めていた。
だが、その日のリチャード様の口から出た名前には、思わず顔を上げずにはいられなかった。
「昨日、二年生のパトリシア・ドリオン嬢と植物園へ出かけたんだ。彼女は……今までの誰よりも奔放で、少し驚いたよ」
パトリシア。
その名前に、私は背筋が凍るような感覚を覚えた。
彼女は私と同じ十七歳だが、学年を跨いで有名な、社交界でも浮き名の絶えない令嬢だ。そして何より、彼女は私の義兄であるギルバートの婚約者だった。
「リチャード様……パトリシア様は、ギルバートお兄様の婚約者ですわ。彼女と二人で出かけるなんて、いくら自由な恋愛を楽しむとしても外聞が悪すぎます」
私の必死の忠告にも、リチャード様は首を傾げるだけだった。
「大丈夫だよ、イザベル。彼女の方から誘ってきたんだ。彼女も『結婚前に少し冒険がしたい』と言っていてね、僕たちは気が合ったんだよ。ギルバート殿にも、彼女から上手く話しているんじゃないかな」
リチャードの緑の瞳には、パトリシアという「強い刺激」に対する好奇心の色が、ありありと浮かんでいた。
「彼女は会話が面白いんだ。……今までの誰よりも、胸の奥が騒がしくなるような気がする。これも、ヘンリーが言っていた『恋』の兆候なのかな」
リチャード様が嬉しそうに語るたび、私は足元が崩れていくような恐怖を感じていた。
これまでの相手は、リチャードが「落ち着かない」「マナーが悪い」と切り捨ててきた、いわば私の引き立て役でしかなかった。
けれど、パトリシア様は違う。彼女はリチャードを振り回し、彼が憧れていた「物語のような情熱」を供給できる女性だ。
もし、彼女に彼が奪われたら。
もし、ギルバートお兄様まで巻き込むような醜聞になったら。
「……あ、リチャード様。もうこんな時間ですわ。予習がありますので、今日はこれで」
私は耐えきれなくなり、お茶会を終了した。
背後でリチャード様が「ああ、また来週」と明るい声を上げたが、振り返る余裕はなかった。
サロンを出て、人気のない廊下まで来ると、私は壁に手をついて激しく呼吸を乱した。
『毒』。お茶会で彼が語る一言一言が、私の心臓を蝕む猛毒だ。
報告してくれることに安堵し、その内容に絶望する。
そんな矛盾に引き裂かれながら、私はまだ、彼を信じることしかできなかった。
____________
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📢新連載🌹【「女の子は冷たい男が好き」という幼馴染の嘘を信じた婚約者が、あまりに冷たすぎるので婚約破棄を願い出ます】
場所は学園のサロンだったり、時には見晴らしの良い中庭のテラスだったりした。つい数ヶ月前までは、私にとって世界で一番待ち遠しく、甘やかな時間だったはずのその場所は、今や一滴ずつ毒を盛られるような拷問の場へと変わっていた。
「……それでね、一年生のロレッタ嬢と観劇に行ったんだ。彼女、劇の最中にずっと喋りかけてくるし、笑い声が少しうるさくてね。……やっぱり、隣で静かに微笑んでくれるイザベルの方が、僕は落ち着くよ」
リチャード様は、スコーンにたっぷりのクロテッドクリームを塗りながら、事も無げに言った。
私はティーカップを口に運ぶフリをして、震える指先を隠す。
「そうですか……。それは、災難でしたわね」
私の心は、悲鳴を上げていた。
昨日、私は友人と新作のオペラを観に行った際、ロビーでリチャード様の姿を見かけていたのだ。
彼はロレッタ嬢の腰を優しく抱き、彼女の耳元で何事か囁き、楽しげに笑っていた。その姿が、昨夜の私の枕をどれほど濡らしたか、彼は知る由もない。
けれど、リチャード様が私にその日のことを隠さず「報告」してくれることに、私は卑屈なほどの安堵を感じてもいた。
話してくれるということは、彼の中で私がまだ「一番信頼できるパートナー」である証拠だと思い込もうとしていたのだ。
「そういえば、先日は三年生のエメリア嬢と食事に行ったよ。彼女はマナーがなってなくてね、魚のナイフの使い方が酷かったんだ。……イザベルの完璧な所作を見習ってほしいくらいだよ」
リチャード様は、私の優れている点を挙げては、他の女性を落とす。
それが私への「褒め言葉」だと信じて疑わないその無邪気さが、何よりも残酷だった。
(私は、品定めの基準にするための『物差し』じゃないわ……)
何度そう言いそうになったことだろう。けれど、その言葉を飲み込み、私は今日も「物分かりの良い婚約者」を演じる。
彼が他の女性と過ごし、その「欠点」を見つけるたびに、私は自分の勝利を確信しようと努めていた。
だが、その日のリチャード様の口から出た名前には、思わず顔を上げずにはいられなかった。
「昨日、二年生のパトリシア・ドリオン嬢と植物園へ出かけたんだ。彼女は……今までの誰よりも奔放で、少し驚いたよ」
パトリシア。
その名前に、私は背筋が凍るような感覚を覚えた。
彼女は私と同じ十七歳だが、学年を跨いで有名な、社交界でも浮き名の絶えない令嬢だ。そして何より、彼女は私の義兄であるギルバートの婚約者だった。
「リチャード様……パトリシア様は、ギルバートお兄様の婚約者ですわ。彼女と二人で出かけるなんて、いくら自由な恋愛を楽しむとしても外聞が悪すぎます」
私の必死の忠告にも、リチャード様は首を傾げるだけだった。
「大丈夫だよ、イザベル。彼女の方から誘ってきたんだ。彼女も『結婚前に少し冒険がしたい』と言っていてね、僕たちは気が合ったんだよ。ギルバート殿にも、彼女から上手く話しているんじゃないかな」
リチャードの緑の瞳には、パトリシアという「強い刺激」に対する好奇心の色が、ありありと浮かんでいた。
「彼女は会話が面白いんだ。……今までの誰よりも、胸の奥が騒がしくなるような気がする。これも、ヘンリーが言っていた『恋』の兆候なのかな」
リチャード様が嬉しそうに語るたび、私は足元が崩れていくような恐怖を感じていた。
これまでの相手は、リチャードが「落ち着かない」「マナーが悪い」と切り捨ててきた、いわば私の引き立て役でしかなかった。
けれど、パトリシア様は違う。彼女はリチャードを振り回し、彼が憧れていた「物語のような情熱」を供給できる女性だ。
もし、彼女に彼が奪われたら。
もし、ギルバートお兄様まで巻き込むような醜聞になったら。
「……あ、リチャード様。もうこんな時間ですわ。予習がありますので、今日はこれで」
私は耐えきれなくなり、お茶会を終了した。
背後でリチャード様が「ああ、また来週」と明るい声を上げたが、振り返る余裕はなかった。
サロンを出て、人気のない廊下まで来ると、私は壁に手をついて激しく呼吸を乱した。
『毒』。お茶会で彼が語る一言一言が、私の心臓を蝕む猛毒だ。
報告してくれることに安堵し、その内容に絶望する。
そんな矛盾に引き裂かれながら、私はまだ、彼を信じることしかできなかった。
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