平民の娘と侮ったこと、後悔なさい 〜偽りの姿を捨てた私を、初恋に狂う王太子が逃しません〜

恋せよ恋

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市井で輝きを隠す少女

  ルミナリア王国の王都、その活気溢れる中央広場から少し外れた場所に、王国はおろか周辺諸国にまでその名を轟かせる『アルカディア商会』の本店がある。

 エリックの祖父が一代で興し、父の代で王国随一の富を築き上げたこの商会は、現当主であるエリックの代において、ついに「世界の流通を支配する」と言われるまでの巨大組織へと変貌を遂げた。

 その一人娘、十四歳になったデイジーは、毎朝欠かさない「儀式」を行っていた。
 鏡の中に映るのは、透き通るような白い肌に、吸い込まれるような深い青の瞳。そして、陽光をそのまま紡いだような、まばゆい黄金の髪。
 この美貌こそが、母から受け継いだ最大にして、市井で生きる上では最も「厄介な」贈り物だった。

「デイジー、準備はいいかしら?」

 背後から穏やかな、けれど凛とした声が響く。母、ベアトリスだ。
 かつて王太子妃候補筆頭と謳われたカークランド公爵令嬢。彼女が家を捨て、平民のエリックと結ばれたニュースは、当時の社交界を震撼させた。だが、彼女は決して ただ愛に溺れたわけではない。

 ベアトリスはその卓越した教養と人脈を使い、夫の商売を裏から支え続けた。
 現王妃エリザベート、トッテンハム公爵夫人クリスチーナ、そしてロンデール侯爵夫人バイオレット。
 王国の頂点に君臨する彼女たちは、今なおベアトリスの「親友」であり、アルカディア商会が扱う極上の品々の最大の顧客であり、強力な後ろ盾でもあった。

「はい、お母様。今日も、お願いします」

 デイジーが椅子に深く座り直すと、ベアトリスの細く白い指先が、手慣れた手つきでデイジーの美しい金髪をまとめ上げていく。その上から被せられるのは、野暮ったい茶色の髪のカツラだ。

 仕上げに、度の入っていない黒縁の眼鏡を鼻先に乗せる。

「……はい。これで、市井の『商会の看板娘』の出来上がりね」

 ベアトリスは満足そうに微笑んだ。
 この変装は、デイジーが五歳の頃から続いている。あまりにも突出した美しい容姿は、治安のいいこの街であっても人攫いの標的になりかねない。何より、母は娘が「貴族の血」を感じさせることを極端に危険視していた。

「お母様。私、この眼鏡もカツラも、嫌いじゃありませんわ。これを着けている間は、私はただのデイジーとして、お父様とお母様の娘でいられる気がしますから」

「ふふ、賢い子。……でも、所作だけは忘れてはいけませんよ。たとえボロを纏ったとしてもも、背筋を伸ばし、己の誇りを失わないこと。それが私たちが、この場所で自由に生きるための唯一の武器なのですから」

 母の教えは、時に厳しい。
三歳から始まった淑女教育は、王宮の教育係も驚くほどの密度だった。それもそのはず、母の指導は、「いつか王妃となる」公爵令嬢が修めるべき、最高峰の帝王学に基づいたものだったからだ。

 父エリックが「デイジーは商人の娘なんだから、そんなに厳しくしなくても……」と苦笑いするたび、母は決まってこう返した。

『エリック。知性と教養は、誰にも奪われない財産なの。この子がいつか、自分の足で荒野を歩かなければならなくなったとき、これこそが彼女を救う光になるのよ』

 デイジーは階下へと向かう。
 一階の商会スペースには、朝早くから多くの従業員が忙しなく動き回っていた。アルカディア商会が動けば、王国の物価が変わるとまで言われる。

「お嬢、おはよう! 今日も眼鏡が似合ってるな!」

「おはよう、ハンスさん。東方から届いたばかりの絹織物、クリスチーナ様……トッテンハム公爵夫人への献上品の準備はできているかしら?」

 活気ある声が飛び交う。父エリックは、特待生として学んだ知性と、ベアトリスがもたらす貴族界の情報を見事に融合させ、アルカディア商会を世界的な規模へと成長させた。

 デイジーは、父のデスクの隣に座り、帳簿の一部を預かった。

「デイジー。隣国の港で関税が上がる兆しがある。王妃様を通じて、向こうの王室に少し揺さぶりをかけてもらうべきかな?」

 父が冗談めかして、しかし真剣な目で問いかける。

「……いいえ、お父様。そんな大仰なことをしなくても、あちらの港湾管理官の弱みをエリザベート様にそれとなくお伝えするだけで十分ですわ。商売に王室の威光を使いすぎては、角が立ちますもの」

「ははは! さすが、俺の娘だ。お前の母さんの知性と、俺の商売っ気が混ざると、恐ろしいな」

 父がデイジーの頭を、カツラがずれない程度に優しく撫でる。
 アルカディア商会の活気、最高級の茶葉が香る午後、そして何気ない会話。これこそがデイジーの全てであり、守るべき日常だった。

 ――その時だった。

 街の喧騒が、潮が引くように静まり返った。
 人々が囁き合い、道を開ける。石畳を叩く、不自然なほど整然とした、しかし傲慢なまでに重々しい馬蹄の音。

 デイジーは、ふと手を止めた。
 そこにあったのは、砂埃の舞う市場にはおよそ似つかわしくない、漆黒の塗装に金細工が施された豪奢な馬車。
 そしてその扉には、デイジーが教科書の中でしか見たことのない、しかし母の背中に影を落とし続けていた、あの生家――『カークランド公爵家』の紋章が刻まれていた。

 二階から降りてきた母ベアトリスの顔から、一瞬にして血の気が引くのを、デイジーは見逃さなかった。
__________

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