【完結】平民の娘と侮ったこと、後悔なさい 〜偽りの姿を捨てた私を、初恋に狂う王太子が逃しません〜

恋せよ恋

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月夜の密談と本音

  学園の騒乱も、昼間の熱狂も、夜の静寂には勝てない。
 創立記念パーティーから数日。学園の最上階にあるバルコニーは、茜色の夕日に照らされ、まるで外界から切り離された舞台のようだった。

 デイジーは、風に黄金の髪をなびかせながら、手すりに身を預けていた。バルコニーから見つめる王都の景色は、彼女が算盤で弾き出す数字よりもずっと曖昧で、脆いものに見えた。

「……こんなところで一人、どうかしたのか?」

 背後から響いたのは、聞き慣れた、しかし今は少しだけ温度を含んだアンドリューの声だった。デイジーは振り返らず、夕陽を見つめたまま答える。

「なにも。……すべては順調ですわ、殿下」

 アンドリューは隣に並び、彼女と同じ景色を見つめた。二人の間に流れる時間は、王太子と公爵令嬢という関係を脱ぎ捨て、三年前の下町の空気に返っていく。

「デイジー。……君は、なぜこれほどまでに自分を追い込む? バークレー家を潰し、学園を改革し、今度はカークランド公爵邸の深淵にまで手を伸ばそうとしている。……君が望めば、公爵令嬢という仮面を捨て、アルカディア商会の娘として自由に生きる道など、いくらでも私が用意できるというのに」

 アンドリューの問いは、静かだが鋭かった。彼は知っている。デイジーを突き動かしているのは、単なる金銭欲でも、上昇志向でもないことを。

 デイジーはしばらく沈黙を守っていたが、やがて、絞り出すように口を開いた。

「……殿下は、わたくしの母が、公爵家の身分を捨てて平民の父に嫁いだことはご存知でしょう?」

「ああ。当時の社交界では、スキャンダルとして語り継がれていたと聞いている」

「母は、自由を選びました。ですが、そんな母の我儘をたった一人、心から応援してくれたのが、兄であるフランソワ伯父様でした」

 デイジーの脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。
 下町の家。時折、豪華な馬車を遠くに停め、お土産の菓子を抱えてやってくる、物腰の柔らかい「伯父様」。彼はデイジーを膝に乗せ、『お前の母さんの勇気は、カークランドの誰よりも高貴だ』と笑ってくれた。

「伯父様は、優しすぎたのです。あの奥様に命を奪われるまで、彼は母の幸せを喜び、そして自分一人が背負うことになった『公爵家』という重荷を、必死に守ろうとしていました」

 デイジーの指先が、冷たい手すりを強く握りしめる。

「伯父様は未練を残して世を去りました。愛した妻に殺され、守りたかった家門が、今や欲深い親族たちに食い荒らされる様を見ながら……。わたくしは、それが許せなかった。伯父様が命をかけて守ろうとした場所が、あのような醜い者たちの遊び場になっていることが、耐えられなかったのです」

 彼女の青い瞳から、一筋の涙が零れ落ち、夕陽に光った。

「わたくしは、伯父様が愛した『カークランド公爵家』を、あるべき姿に戻したいだけ。汚れた枝葉を切り落とし、彼が誇りに思えるような、清廉な家門として浄化する。……そのためなら、わたくしは死神にでも、悪女にでもなりますわ」

 初めて見せた、黄金の仮面の裏側。
 そこにあったのは、冷徹な商人としての貌ではなく、一人の優しい伯父を慕う、幼い少女のままの純粋な祈りだった。

 アンドリューは、震える彼女の肩を、背後から静かに抱きしめた。
 厚いマントがデイジーの細い体を包み込み、彼の体温が伝わってくる。

「……一人で背負いすぎるな、デイジー」

「殿下、離してください。わたくしの背中は、貴方のマントほど温かくはありませんわ。復讐の返り血で汚れているのですから」

「構わない。その返り血ごと、私が引き受ける」

 アンドリューは、彼女の首筋に顔を埋めるようにして、深く、重い言葉を重ねた。

「君が背負う復讐も、アルカディア商会の重圧も、カークランドの闇も……すべて私に背負わせろ。私は王になる男だ。君一人の業に押し潰されるほど、私の器は小さくない」

 デイジーの体が、微かに強張る。アンドリューの腕の力は、逃がさないという意志を示すように強まった。

「デイジー。君の算盤は、私の未来をいくらと弾き出した? ……君が望む浄化も、伯父への供養も、私の権力を使えば容易いことだ。だが、その対価として、私が欲しいのは金ではない」

 彼はデイジーの体を自分の方へ向け、その濡れた瞳を真っ向から見つめた。

「君の人生を、私にくれ。あの日、林檎を売ってくれた時から、私の時間は君のものだ。これからは、二人で同じ地獄を歩み、二人で新しい国を作ろう。……これが、王太子としての、いや、一人の男としての、君へのプロポーズだ」

 デイジーは、あまりに法外な、そしてあまりに誠実な要求に、一瞬だけ呼吸を忘れた。
 商売人として考えれば、これほど有利な契約はない。王室という最強の後ろ盾、王太子という無限の資産。だが、彼女の胸の奥で高鳴る鼓動は、損得勘定とは別の場所で激しく打っていた。

「……殿下。貴方は本当に、商売に向いていらっしゃいませんわね。わたくしのような面倒な女に、人生を賭けるなんて」

 デイジーは、自嘲気味に、しかし少しだけ甘えたように微笑んだ。

「いいでしょう。その契約、謹んでお受けいたしますわ。……ただし、わたくしは利子にうるさい女です。一生をかけて、わたくしを飽きさせないだけの輝きを見せてくださること。……それが、わたくしが貴方に求める『対価』です」

 夕方のバルコニーで、二人の魂は一つの契約を結んだ。
 それは、復讐と野心が混ざり合い、初恋という名の熱量で溶かされた、鋼よりも強固な絆。
 抱き合う二人の影が、石畳に長く伸びていた。
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