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家族の心ない処遇
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カトリーヌお姉様の婚約破棄から数日。伯爵邸の空気は、奇妙な熱を帯びていた。
それは悲劇の令嬢となった姉を「救わなければならない」という、両親の歪んだ使命感から来るものだった。
学園から帰宅した私は、お父様の執務室から漏れ聞こえる両親の声に、思わず足を止めた。
「……やはり、カトリーヌをこのままにするわけにはいかない。あの子は我が家の至宝だ。名門侯爵家に望まれたその価値を、無駄にしてはならないと思わないか」
お父様の低く、熱を帯びた声。
「ええ、あなた。あの子は繊細すぎて、外に嫁ぎ直すのは耐えられないわ。いっそ……あの子に家督を戻すべきではないかしら」
「だが、セリーヌには十歳から後継教育をさせてきた。今さら変えるとなると、婚約者のクロード殿が納得するか……」
「あら、クロードさんはカトリーヌにとても同情的よ。昨日もあの子のために、わざわざ隣領から珍しい花を持ってきてくださったわ。あの二人は、もともと一歳差で、雰囲気もよく似ているもの。相性だっていいはずよ」
冷たい汗が、背中を伝った。
両親は、私が五年間積み上げてきた努力を、なかったことにしようとしている。それも、私の婚約者であるクロード様までも巻き込んで。
私は、震える手でドアを叩き、中に入った。
「……お父様、お母様。今のお話は、本気ですか?」
二人は一瞬、気まずそうに顔を見合わせたが、すぐにお母様がいつもの無神経な正論を口にした。
「セリーヌ、聞いていたのね。でも誤解しないで。これは貴女を疎んでいるわけじゃないのよ。ただ、カトリーヌは今、すべてを失って壊れてしまいそうなの。あの子には『将来の家』という居場所が必要なのよ」
「……私には必要ないというのですか? 私がこの五年間、どれほどの思いで領地経営を学んできたか、お忘れですか?」
「お前は強いだろう、セリーヌ」
お父様が、冷徹に言い放った。
「お前はどこへ出しても恥ずかしくない。だが、カトリーヌは違う。あの子には、我々が用意した完璧な舞台が必要なんだ。……クロード殿との婚約の件も、追々話し合うつもりだ。お前なら、姉のために譲るという選択もできるはずだ」
譲る? 私が、彼との穏やかな未来のために、どれほど心を砕いてきたか。
クロード様が子爵家の三男として、私の支えになると言ってくれた温かい言葉。私という存在を肯定してくれたクロード様の献身まで、お姉様の不幸を埋め合わせるための供物として、無慈悲に奪い去るのか
私は、両親に背を向け、逃げるように応接室へ向かった。そこには、カトリーヌお姉様と、彼女に寄り添うクロード様の姿があった。
「……クロード様。先ほど、お父様たちが……」
「セリーヌ。……少し、落ち着いて」
クロード様の声は、以前のような優しさを欠いていた。
彼の視線は、隣で儚げに俯くカトリーヌお姉様に釘付けだった。
「カトリーヌ様は、クレイグ侯爵家にあまりに酷い仕打ちをされた。僕は、同じ貴族として憤りを感じているんだ。……君のように何でも一人でこなせる女性には分からないかもしれないが、彼女には守り手が必要なんだよ」
カトリーヌ姉様が、潤んだ瞳で私を見つめた。
「ごめんなさい、セリーヌ。私、貴女の大切なものを奪うつもりなんてないの。でも、お父様たちが仰るの……。今は何も考えずに、傷ついた心を癒す時間だって。ねえ、セリーヌも……そう思うでしょう?」
悪気のない、純粋な問いかけ。自分の救済が、妹の人生を根底から覆すことになるかもしれないのだと、彼女は本気で理解していない。
私の中で、何かが音を立てて千切れた。――いや、千切れたのではない。家族への、そして婚約者への「信頼」という名の最後の楔が、音もなく外れ、すとんと落ちたのだ。
「……よく、分かりました」
私は、泣くまいと唇を噛み締め、震える両手を握り締めて一礼すると、逃げるように部屋を後にした。
背後から、「セリーヌって本当に物分かりがいいわね。優しい子で助かるわ」というお姉様の無邪気で優しい声が聞こえた。
それを肯定するように、かつての私の味方は優しいトーンでこう言った。
「ええ。セリーヌは強いですから、何も心配はいりません。貴方のように、はかなく美しい方とは違う。……僕がついていなければならないのは、貴方なんです、カトリーヌ様」
突き刺さる言葉の礫を無視して、私は前だけを向いて歩き続けた。
__________
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それは悲劇の令嬢となった姉を「救わなければならない」という、両親の歪んだ使命感から来るものだった。
学園から帰宅した私は、お父様の執務室から漏れ聞こえる両親の声に、思わず足を止めた。
「……やはり、カトリーヌをこのままにするわけにはいかない。あの子は我が家の至宝だ。名門侯爵家に望まれたその価値を、無駄にしてはならないと思わないか」
お父様の低く、熱を帯びた声。
「ええ、あなた。あの子は繊細すぎて、外に嫁ぎ直すのは耐えられないわ。いっそ……あの子に家督を戻すべきではないかしら」
「だが、セリーヌには十歳から後継教育をさせてきた。今さら変えるとなると、婚約者のクロード殿が納得するか……」
「あら、クロードさんはカトリーヌにとても同情的よ。昨日もあの子のために、わざわざ隣領から珍しい花を持ってきてくださったわ。あの二人は、もともと一歳差で、雰囲気もよく似ているもの。相性だっていいはずよ」
冷たい汗が、背中を伝った。
両親は、私が五年間積み上げてきた努力を、なかったことにしようとしている。それも、私の婚約者であるクロード様までも巻き込んで。
私は、震える手でドアを叩き、中に入った。
「……お父様、お母様。今のお話は、本気ですか?」
二人は一瞬、気まずそうに顔を見合わせたが、すぐにお母様がいつもの無神経な正論を口にした。
「セリーヌ、聞いていたのね。でも誤解しないで。これは貴女を疎んでいるわけじゃないのよ。ただ、カトリーヌは今、すべてを失って壊れてしまいそうなの。あの子には『将来の家』という居場所が必要なのよ」
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お父様が、冷徹に言い放った。
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譲る? 私が、彼との穏やかな未来のために、どれほど心を砕いてきたか。
クロード様が子爵家の三男として、私の支えになると言ってくれた温かい言葉。私という存在を肯定してくれたクロード様の献身まで、お姉様の不幸を埋め合わせるための供物として、無慈悲に奪い去るのか
私は、両親に背を向け、逃げるように応接室へ向かった。そこには、カトリーヌお姉様と、彼女に寄り添うクロード様の姿があった。
「……クロード様。先ほど、お父様たちが……」
「セリーヌ。……少し、落ち着いて」
クロード様の声は、以前のような優しさを欠いていた。
彼の視線は、隣で儚げに俯くカトリーヌお姉様に釘付けだった。
「カトリーヌ様は、クレイグ侯爵家にあまりに酷い仕打ちをされた。僕は、同じ貴族として憤りを感じているんだ。……君のように何でも一人でこなせる女性には分からないかもしれないが、彼女には守り手が必要なんだよ」
カトリーヌ姉様が、潤んだ瞳で私を見つめた。
「ごめんなさい、セリーヌ。私、貴女の大切なものを奪うつもりなんてないの。でも、お父様たちが仰るの……。今は何も考えずに、傷ついた心を癒す時間だって。ねえ、セリーヌも……そう思うでしょう?」
悪気のない、純粋な問いかけ。自分の救済が、妹の人生を根底から覆すことになるかもしれないのだと、彼女は本気で理解していない。
私の中で、何かが音を立てて千切れた。――いや、千切れたのではない。家族への、そして婚約者への「信頼」という名の最後の楔が、音もなく外れ、すとんと落ちたのだ。
「……よく、分かりました」
私は、泣くまいと唇を噛み締め、震える両手を握り締めて一礼すると、逃げるように部屋を後にした。
背後から、「セリーヌって本当に物分かりがいいわね。優しい子で助かるわ」というお姉様の無邪気で優しい声が聞こえた。
それを肯定するように、かつての私の味方は優しいトーンでこう言った。
「ええ。セリーヌは強いですから、何も心配はいりません。貴方のように、はかなく美しい方とは違う。……僕がついていなければならないのは、貴方なんです、カトリーヌ様」
突き刺さる言葉の礫を無視して、私は前だけを向いて歩き続けた。
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