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スペアとしての立場
伯爵邸のサロンの空気は、私一人が呼吸を忘れているかのように、穏やかで残酷なまま流れていた。
かつて私が楽しみしていた画集をめくり、クロード様と笑い合うカトリーヌお姉様。その姿を「本来あるべき幸せな光景」として眺める両親。
私は勇気を振り絞り、父に問いかけた。
「お父様。……これからの、私の扱いはどうなるのですか? お姉様が戻り、家督を戻されるというのなら、私のこれまでの五年間は……」
お父様は、手にしていた紅茶のカップをソーサーに戻した。そのわずかな音が、今の私には宣告の合図のように聞こえた。
「セリーヌ。お前は少し、自分の立場を履き違えているのではないか」
お父様の声には、娘を労わる慈愛の欠片もなかった。
「お前が後継教育を受けたのは、あくまでカトリーヌが他家に嫁ぐ予定だったゆえの『代行』に過ぎん。いわば、主が戻るまで椅子を温めておくのが、次女であり、スペアとして生まれたお前の務めだろう。それを、さも自分の手柄のように語るとは、浅ましくも品がないぞ」
「……椅子を温める? 私が領地の赤字を立て直し、新興商会との契約を勝ち取ったことも、すべては一時的な『代行』に過ぎないとおっしゃるのですか?」
「当然だ。すべてはアトリー伯爵家のための仕事であり、お前個人の実績ではない」
隣でお母様が、さも私が我儘を言っているかのように、深いため息をついた。
「セリーヌ、貴女は本当に……可愛げがないわね。カトリーヌを見てごらんなさい。あの子は今、自分の将来が不安でたまらないのよ? だからこそ、私とお父様で決めたの。貴女の今後についてね」
お母様は、微笑みながら地獄のような言葉を口にした。
「貴女には、生涯この屋敷に留まってもらいます。結婚はさせません。……いえ、する必要がないわ。貴女はこれから一生、カトリーヌを陰から支える『実務担当』として生きるのよ」
「……結婚を、させない……?」
「そうよ。貴女は実務に長けている。カトリーヌが婿養子に迎えるクロードさんと幸せな家庭を築く傍らで、貴方がその優秀な頭脳を家のために使い続ければ、アトリー家は安泰でしょう? 貴女のような『強い子』には、誰かに守られる結婚生活より、家のために尽くす隠居生活の方がお似合いだわ。家族五人で協力して、幸せに暮らしましょう。ねえ、素敵でしょう」
全身の血が、逆流するような感覚だった。
私の人生は、姉が優雅に微笑むための道具として利用されるのだ。
私が女性として愛されることも、自分の家庭を持つことも、すべて「お姉様が可哀想だから」という理由で奪い去られようとしている。
「お前は強いから、男の手助けなどいらんだろう」
お父様が、追撃するように言い放つ。
「カトリーヌは、誰かに寄り添われていなければ折れてしまう花だ。だが、お前は違う。お前は一人で立ち、風雨に耐えられる雑草のような強さがある。なら、その強さを姉のため、ひいては伯爵家の繁栄のために捧げるのが、妹としての、そしてスペアとしての唯一の恩返しではないか」
雑草? スペア? その言葉の礫が、私の心を無残に削り取っていく。
その時、カトリーヌお姉様が、申し訳なさそうに、けれど勝ち誇ったような光を瞳の奥に宿して私を見た。
「セリーヌ……。ごめんなさい、私ったらまた貴女を困らせてしまったかしら。でも、私一人じゃ領地のことなんて何も分からないの。貴女がずっと側にいて助けてくれるって聞いて、安心しちゃったわ。これからも、私の代わりに頑張ってね?」
お姉様は、私の「人生」という犠牲の上に成り立つ自分の幸福を、当然の権利として受け取った。そして、私の婚約者だったはずのクロード様までもが、私に冷ややかな視線を向ける。
「セリーヌ。君は優秀だが、その傲慢さが鼻につく。カトリーヌ様のように、自分の弱さを認めて周囲に頼る美徳を、少しは見習ったらどうだ。……君は一生、彼女の影として働くことで、その欠けた品性を補うべきだよ」
――ああ。この人たちは、私が「強い」のではなく、私が「耐えている」だけだということに気づかないのだ。
私が夜通し数字を追いかけ、泥にまみれて領地を歩いたのは、強かったからではない。ただ、家族に認めてほしかった。私を見てほしかった。アトリー伯爵家を建て直し、領民の生活を守り抜けば、いつか自分の居場所ができると……そう、信じていた。
「……よく、分かりました」
私は、本日何度目かになるその言葉を、かつてないほど穏やかに口にした。
そこまで私の「強さ」を信じ、「影」としての役割を強いるのであれば――。
私は、皆様の望む「最強の影」として、この家を根底から終わらせて差し上げましょう。
私が支えなければ立っていられないというのなら、私が手を引いた瞬間に、この屋敷がどう崩れ落ちるのか。
それを思い知らせることが、私の最後で最大の「実務」になるはずだ。
「お父様、お母様。……仰せの通り、私は『強い』ですから。皆様の期待に応えるべく、精一杯務めさせていただきますわ」
私が深々と一礼すると、父は満足げに頷き、再び紅茶を啜った。お姉様とクロード様の、睦まじい話し声が再開される。
心の中には、悲しみも怒りも残っていなかった。ただ、凍てつくような静寂が広がっていた。
__________
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かつて私が楽しみしていた画集をめくり、クロード様と笑い合うカトリーヌお姉様。その姿を「本来あるべき幸せな光景」として眺める両親。
私は勇気を振り絞り、父に問いかけた。
「お父様。……これからの、私の扱いはどうなるのですか? お姉様が戻り、家督を戻されるというのなら、私のこれまでの五年間は……」
お父様は、手にしていた紅茶のカップをソーサーに戻した。そのわずかな音が、今の私には宣告の合図のように聞こえた。
「セリーヌ。お前は少し、自分の立場を履き違えているのではないか」
お父様の声には、娘を労わる慈愛の欠片もなかった。
「お前が後継教育を受けたのは、あくまでカトリーヌが他家に嫁ぐ予定だったゆえの『代行』に過ぎん。いわば、主が戻るまで椅子を温めておくのが、次女であり、スペアとして生まれたお前の務めだろう。それを、さも自分の手柄のように語るとは、浅ましくも品がないぞ」
「……椅子を温める? 私が領地の赤字を立て直し、新興商会との契約を勝ち取ったことも、すべては一時的な『代行』に過ぎないとおっしゃるのですか?」
「当然だ。すべてはアトリー伯爵家のための仕事であり、お前個人の実績ではない」
隣でお母様が、さも私が我儘を言っているかのように、深いため息をついた。
「セリーヌ、貴女は本当に……可愛げがないわね。カトリーヌを見てごらんなさい。あの子は今、自分の将来が不安でたまらないのよ? だからこそ、私とお父様で決めたの。貴女の今後についてね」
お母様は、微笑みながら地獄のような言葉を口にした。
「貴女には、生涯この屋敷に留まってもらいます。結婚はさせません。……いえ、する必要がないわ。貴女はこれから一生、カトリーヌを陰から支える『実務担当』として生きるのよ」
「……結婚を、させない……?」
「そうよ。貴女は実務に長けている。カトリーヌが婿養子に迎えるクロードさんと幸せな家庭を築く傍らで、貴方がその優秀な頭脳を家のために使い続ければ、アトリー家は安泰でしょう? 貴女のような『強い子』には、誰かに守られる結婚生活より、家のために尽くす隠居生活の方がお似合いだわ。家族五人で協力して、幸せに暮らしましょう。ねえ、素敵でしょう」
全身の血が、逆流するような感覚だった。
私の人生は、姉が優雅に微笑むための道具として利用されるのだ。
私が女性として愛されることも、自分の家庭を持つことも、すべて「お姉様が可哀想だから」という理由で奪い去られようとしている。
「お前は強いから、男の手助けなどいらんだろう」
お父様が、追撃するように言い放つ。
「カトリーヌは、誰かに寄り添われていなければ折れてしまう花だ。だが、お前は違う。お前は一人で立ち、風雨に耐えられる雑草のような強さがある。なら、その強さを姉のため、ひいては伯爵家の繁栄のために捧げるのが、妹としての、そしてスペアとしての唯一の恩返しではないか」
雑草? スペア? その言葉の礫が、私の心を無残に削り取っていく。
その時、カトリーヌお姉様が、申し訳なさそうに、けれど勝ち誇ったような光を瞳の奥に宿して私を見た。
「セリーヌ……。ごめんなさい、私ったらまた貴女を困らせてしまったかしら。でも、私一人じゃ領地のことなんて何も分からないの。貴女がずっと側にいて助けてくれるって聞いて、安心しちゃったわ。これからも、私の代わりに頑張ってね?」
お姉様は、私の「人生」という犠牲の上に成り立つ自分の幸福を、当然の権利として受け取った。そして、私の婚約者だったはずのクロード様までもが、私に冷ややかな視線を向ける。
「セリーヌ。君は優秀だが、その傲慢さが鼻につく。カトリーヌ様のように、自分の弱さを認めて周囲に頼る美徳を、少しは見習ったらどうだ。……君は一生、彼女の影として働くことで、その欠けた品性を補うべきだよ」
――ああ。この人たちは、私が「強い」のではなく、私が「耐えている」だけだということに気づかないのだ。
私が夜通し数字を追いかけ、泥にまみれて領地を歩いたのは、強かったからではない。ただ、家族に認めてほしかった。私を見てほしかった。アトリー伯爵家を建て直し、領民の生活を守り抜けば、いつか自分の居場所ができると……そう、信じていた。
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私は、本日何度目かになるその言葉を、かつてないほど穏やかに口にした。
そこまで私の「強さ」を信じ、「影」としての役割を強いるのであれば――。
私は、皆様の望む「最強の影」として、この家を根底から終わらせて差し上げましょう。
私が支えなければ立っていられないというのなら、私が手を引いた瞬間に、この屋敷がどう崩れ落ちるのか。
それを思い知らせることが、私の最後で最大の「実務」になるはずだ。
「お父様、お母様。……仰せの通り、私は『強い』ですから。皆様の期待に応えるべく、精一杯務めさせていただきますわ」
私が深々と一礼すると、父は満足げに頷き、再び紅茶を啜った。お姉様とクロード様の、睦まじい話し声が再開される。
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