10 / 15
トッテンハイム公爵家の夜会
今ごろ、トッテンハイム公爵邸では王都でも指折りの華やかな夜会が開催されているはずだ。かつての私なら、体調が悪かろうと、どれほど忙しかろうと、伯爵家の面目を保つために無理をしてでも出席していただろう。
しかし、今は何者もセリーヌの心を乱すことはなかった。
昼間、アルバート様から注がれた真摯な愛、そして「生涯をかけて幸せにする」という誓い。その温かな記憶が、冷え切っていた彼女の心に灯をともし、孤独という名の呪縛を焼き払っていたからだ。
「……私はもう、一人ではないのだわ」
セリーヌは体調不良を理由に夜会を欠席し、しんと静まり返ったアトリー伯爵邸の自室で、淡々と最後の手続きを進めていた。
家族が着飾って出掛けた後の屋敷は、驚くほど冷え冷えとしている。かつては自分の居場所だと思おうとしていたこの部屋も、今やただの整理すべき事務机に過ぎなかった。
一方、アトリー伯爵夫妻、そしてカトリーヌとクロードの四人は、自分たちが社交界の「見世物」になっていることにも気づかず、意気揚々と公爵邸主催の夜会に乗り込んでいた。
会場に足を踏み入れた瞬間、周囲の空気が一変した。
「見て、あれがアトリー伯爵家の……」
「まあ、婚約解消された姉が、妹の婚約者の腕を引いているわ」
「節操がないこと。セリーヌ嬢はどうしたのかしら?」
突き刺さるような冷ややかな視線と、扇の影で交わされる辛辣な囁き。しかし、カトリーヌとクロードは「悲劇を乗り越えた真実の愛の二人」という自作の物語に酔い痴れており、その異様な空気すら自分たちへの注目だと勘違いしていた。
「クロード様、この曲……素敵ね」
「ええ、カトリーヌ様。君の美しさに、会場中の視線が集まっていますよ」
二人は周囲の失笑を「羨望」と読み替え、熱情を浮かべた瞳で見つめ合いながらダンスに興じる。そのあまりの浮かれぶりに、流石のアトリー伯爵夫妻も、周囲の「奇異の目」が嘲笑であることに気づき始めていた。夫妻は身を小さくし、居心地の悪さに耐えながら、早く時間が過ぎるのを祈るばかりだった。
そこへ、一人の男が歩み寄った。カトリーヌとの婚約を解消した張本人、クレイグ侯爵家の嫡男、ジェラルドである。
「ごきげんよう、アトリー伯爵」
低く落ち着いた声に、伯爵はびくりと肩を揺らした。
「ジェ、ジェラルド様……。その、先日は……」
「ああ、あの件なら申し訳なかった。カトリーヌ嬢が、すっかり元気そうで安心しましたよ」
ジェラルドは、クロードの腕の中で無邪気に笑うカトリーヌを一瞥し、鼻で笑うような冷たい笑みを浮かべた。その視線は、かつての婚約者への未練など微塵もなく、むしろ「清々した」と言わんばかりの軽蔑に満ちている。
「ところで……セリーヌ嬢の姿が見えないようですが。今夜はご一緒ではないのですか?」
「……ええ、セリーヌは、体調がすぐれず欠席しております」
伯爵の答えを聞くと、ジェラルドの瞳に鋭い光が宿った。
「そうですか。……実は、折り入ってお話がありまして。近いうちに時間を取っていただけませんか? 我が家から、正式にお茶会へ招待させていただきます」
「えっ、侯爵家にですか? ……はい……わかりました」
伯爵は、侯爵家からの突然の誘いに動揺しながらも頷いた。
ジェラルドの狙いは明確だった。無能なカトリーヌの代わりに、アトリー家が持て余しているはずの「優秀な実務家」セリーヌを、クレイグ侯爵家の盤石な地盤を支える第二夫人として迎え入れる。彼はすでに、彼女を「手に入れるべき利権」として、そして一人の有能な女性として、本格的に動き出していたのだ。
カトリーヌは、クロードと踊りながらも、父と話し込むジェラルドの姿を盗み見ていた。
(ジェラルド様が、お父様になんのお話かしら? ……もしかしたら、私との婚約を元に戻したいのかもしれないわ。きっと、そうよね。あんな男爵令嬢より、私の方がふさわしいって気づいたのよ)
クロードが贈ってくれた安っぽいサファイアを指に嵌めながらも、彼女の心は、かつてジェラルドに贈られた豪奢なダイヤモンドの輝きを求めていた。クロードの熱い視線を受けながら、「もしかしたら、二人の男性に奪い合われてしまうかも」という歪んだ優越感に浸り、カトリーヌは満足げに瞳を細めた。
しかし、その醜悪な喜劇を、冷徹なまでの冷静さで見つめている瞳があった。
夜会の主催者であり、バルコニーの影から会場を見下ろす、アルバート・トッテンハイム。
彼は、自分の愛する女性がいかに軽視され、いかに勝手な欲望の対象にされているかを完全に把握していた。ジェラルドの野心も、カトリーヌの増長も、クロードの愚かさも、すべては彼の計算の内だ。
「……誰も、セリーヌには指一本触れさせない」
アルバートは、手にしたシャンパングラスを静かに傾けた。
アトリー伯爵家が崩壊するその瞬間に、セリーヌをこの泥沼から掬い上げ、最も安全で、最も高い場所へと連れ去る。その準備は、すでに完了していた。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
しかし、今は何者もセリーヌの心を乱すことはなかった。
昼間、アルバート様から注がれた真摯な愛、そして「生涯をかけて幸せにする」という誓い。その温かな記憶が、冷え切っていた彼女の心に灯をともし、孤独という名の呪縛を焼き払っていたからだ。
「……私はもう、一人ではないのだわ」
セリーヌは体調不良を理由に夜会を欠席し、しんと静まり返ったアトリー伯爵邸の自室で、淡々と最後の手続きを進めていた。
家族が着飾って出掛けた後の屋敷は、驚くほど冷え冷えとしている。かつては自分の居場所だと思おうとしていたこの部屋も、今やただの整理すべき事務机に過ぎなかった。
一方、アトリー伯爵夫妻、そしてカトリーヌとクロードの四人は、自分たちが社交界の「見世物」になっていることにも気づかず、意気揚々と公爵邸主催の夜会に乗り込んでいた。
会場に足を踏み入れた瞬間、周囲の空気が一変した。
「見て、あれがアトリー伯爵家の……」
「まあ、婚約解消された姉が、妹の婚約者の腕を引いているわ」
「節操がないこと。セリーヌ嬢はどうしたのかしら?」
突き刺さるような冷ややかな視線と、扇の影で交わされる辛辣な囁き。しかし、カトリーヌとクロードは「悲劇を乗り越えた真実の愛の二人」という自作の物語に酔い痴れており、その異様な空気すら自分たちへの注目だと勘違いしていた。
「クロード様、この曲……素敵ね」
「ええ、カトリーヌ様。君の美しさに、会場中の視線が集まっていますよ」
二人は周囲の失笑を「羨望」と読み替え、熱情を浮かべた瞳で見つめ合いながらダンスに興じる。そのあまりの浮かれぶりに、流石のアトリー伯爵夫妻も、周囲の「奇異の目」が嘲笑であることに気づき始めていた。夫妻は身を小さくし、居心地の悪さに耐えながら、早く時間が過ぎるのを祈るばかりだった。
そこへ、一人の男が歩み寄った。カトリーヌとの婚約を解消した張本人、クレイグ侯爵家の嫡男、ジェラルドである。
「ごきげんよう、アトリー伯爵」
低く落ち着いた声に、伯爵はびくりと肩を揺らした。
「ジェ、ジェラルド様……。その、先日は……」
「ああ、あの件なら申し訳なかった。カトリーヌ嬢が、すっかり元気そうで安心しましたよ」
ジェラルドは、クロードの腕の中で無邪気に笑うカトリーヌを一瞥し、鼻で笑うような冷たい笑みを浮かべた。その視線は、かつての婚約者への未練など微塵もなく、むしろ「清々した」と言わんばかりの軽蔑に満ちている。
「ところで……セリーヌ嬢の姿が見えないようですが。今夜はご一緒ではないのですか?」
「……ええ、セリーヌは、体調がすぐれず欠席しております」
伯爵の答えを聞くと、ジェラルドの瞳に鋭い光が宿った。
「そうですか。……実は、折り入ってお話がありまして。近いうちに時間を取っていただけませんか? 我が家から、正式にお茶会へ招待させていただきます」
「えっ、侯爵家にですか? ……はい……わかりました」
伯爵は、侯爵家からの突然の誘いに動揺しながらも頷いた。
ジェラルドの狙いは明確だった。無能なカトリーヌの代わりに、アトリー家が持て余しているはずの「優秀な実務家」セリーヌを、クレイグ侯爵家の盤石な地盤を支える第二夫人として迎え入れる。彼はすでに、彼女を「手に入れるべき利権」として、そして一人の有能な女性として、本格的に動き出していたのだ。
カトリーヌは、クロードと踊りながらも、父と話し込むジェラルドの姿を盗み見ていた。
(ジェラルド様が、お父様になんのお話かしら? ……もしかしたら、私との婚約を元に戻したいのかもしれないわ。きっと、そうよね。あんな男爵令嬢より、私の方がふさわしいって気づいたのよ)
クロードが贈ってくれた安っぽいサファイアを指に嵌めながらも、彼女の心は、かつてジェラルドに贈られた豪奢なダイヤモンドの輝きを求めていた。クロードの熱い視線を受けながら、「もしかしたら、二人の男性に奪い合われてしまうかも」という歪んだ優越感に浸り、カトリーヌは満足げに瞳を細めた。
しかし、その醜悪な喜劇を、冷徹なまでの冷静さで見つめている瞳があった。
夜会の主催者であり、バルコニーの影から会場を見下ろす、アルバート・トッテンハイム。
彼は、自分の愛する女性がいかに軽視され、いかに勝手な欲望の対象にされているかを完全に把握していた。ジェラルドの野心も、カトリーヌの増長も、クロードの愚かさも、すべては彼の計算の内だ。
「……誰も、セリーヌには指一本触れさせない」
アルバートは、手にしたシャンパングラスを静かに傾けた。
アトリー伯爵家が崩壊するその瞬間に、セリーヌをこの泥沼から掬い上げ、最も安全で、最も高い場所へと連れ去る。その準備は、すでに完了していた。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
あなたにおすすめの小説
公爵家の次女ですが、静かに学園生活を送るつもりでした
佐伯かなた
恋愛
王国でも屈指の名門、公爵アルヴィス家。
その家には、誰もが称賛する完璧な令嬢がいた。
長女ソフィア。
美貌、知性、礼儀、すべてを備えた理想の公爵令嬢。
そして──もう一人。
妹、レーネ・アルヴィス。
社交界ではほとんど名前も出ない、影の薄い次女。
姉ほど目立つわけでもなく、社交の中心にいるわけでもない。
だが彼女は知っている。
貴族社会では、
誰が本当に優れているのかは、静かな場面でこそ分かるということを。
王立学園に入学したレーネは、
礼儀作法、社交、そして人間関係の中で、静かに周囲を観察していく。
やがて──
軽んじていた者たちは気づく。
「公爵家の妹」が、本当はどんな令嬢だったのかを。
これは、
静かな公爵令嬢が学園と貴族社会で評価を覆していく物語。
文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる──
侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。
だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。
アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。
そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。
「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」
これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。過激ざまぁタグあります。
4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。
図書塔で恋した貴方は、親友の寝室で過ごす 〜留学中に不貞を働いた二人へ。身分目当ての貴方たちは勝手に没落してください〜
恋せよ恋
恋愛
偶然の出会いから親友となったティファニーとマーガレット。
伯爵家嫡子ティファニーは、男爵令嬢マーガレットの紹介で、
彼女の幼馴染のジャスティン子爵家次男と真剣な恋に落ちる。
三歳年上の婚約者のいるマーガレットは、二人を見つめて思う。
「あら、ジャスティンって、カッコ良かったのね。失敗したかも」
そこで、優秀なティファニーが隣国へと留学中の半年間、
ジャスティンを誘惑し、背徳の関係に溺れていく。
そんな親友+婚約者未満の恋人+優秀な伯爵令嬢の物語。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
私を裏切った不倫夫に「どなたですか?」と微笑むまで 〜没落令嬢の復讐劇〜
恋せよ恋
恋愛
「早くあんな女と別れて、可愛い子と一緒になりたいよ」
不倫中の夫が笑う声を聞き、絶望の中で事故に遭うジェシカ。
結婚五年目に授かったお腹の子を失った彼女は、
「記憶を失ったフリ」で夫と地獄の婚家を捨てることを決意。
元男爵令嬢の薄幸ヒロインは、修道院で静かに時を過ごす。
独り身領主の三歳の男の子に懐かれ、なぜか領主まで登場!
無実の罪をなすりつけ、私を使い潰した報いを受けなさい。
記憶喪失を装った没落令嬢による、「ざまぁ」が幕を開ける!
※本作品には、馬車事故による流産の描写が含まれます。
苦手な方はご注意ください。主人公が絶対に幸せになる
物語ですので、安心してお読みいただければ幸いです。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
氷の令嬢は愛を請わない - 捨て子の『義妹』に愛も家族も奪われたマリーローズの逆襲
恋せよ恋
恋愛
銀髪紫眼の美貌の侯爵令嬢、マリーローズ。
完璧な淑女に育った彼女だったが、母は捨て子ジュリエットを寵愛。
婚約者の公爵家嫡男アレックスも、友人も、次々に奪われる――。
家族に裏切られ、すべてを失った彼女が下した決断は、
家族を見かぎり、国を捨て、自らの人生を取り戻すこと。
理不尽な悲恋を力に変え、運命をひっくり返す令嬢の逆転劇!
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
ベールを上げた新郎は『君じゃない』と叫んだ
ハートリオ
恋愛
結婚式で新郎に『君じゃない』と叫ばれたのはウィオラ。
スピーナ子爵家の次女。
どうやら新郎が結婚する積りだったのは姉のリリウム。
ウィオラはいつも『じゃない方』
認められない、
選ばれない…
そんなウィオラは――
中世ヨーロッパ風異世界でのお話です。
よろしくお願いします。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
両親から謝ることもできない娘と思われ、妹の邪魔する存在と決めつけられて養子となりましたが、必要のないもの全てを捨てて幸せになれました
珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれたユルシュル・バシュラールは、妹の言うことばかりを信じる両親と妹のしていることで、最低最悪な婚約者と解消や破棄ができたと言われる日々を送っていた。
一見良いことのように思えることだが、実際は妹がしていることは褒められることではなかった。
更には自己中な幼なじみやその異母妹や王妃や側妃たちによって、ユルシュルは心労の尽きない日々を送っているというのにそれに気づいてくれる人は周りにいなかったことで、ユルシュルはいつ倒れてもおかしくない状態が続いていたのだが……。