私を裏切った不倫夫に「どなたですか?」と微笑むまで 〜没落令嬢の復讐劇〜

恋せよ恋

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再会の涙と静かな嘘

  聖マリアンヌ修道院の午後は、陽だまりのような穏やかさに包まれていた。
 私は庭の木陰で、ルカ様に絵本を読み聞かせていた。隣には、柔らかな眼差しで私たちを見守るセドリック卿。

「アン先生、その次! お城へ行った後はどうなるの?」

「ふふ、焦らないで。騎士様はね、大切な約束を守るために――」

 その時だった。修道院の鉄門が開く鈍い音と共に、ひときわ華やかな、けれど切迫した足音が石畳を叩いた。

「……ジェシカ?」

 震える声が、空気を震わせた。

 本をめくる私の指が、一瞬だけ止まる。心臓が跳ね、耳の奥で激しい鐘の音が鳴り響く。
 ゆっくりと顔を上げると、そこには豪華な旅装束に身を包み、幽霊でも見たかのように青ざめたマーガレットが立っていた。

「ジェシカ……! ああ、神様、本当にジェシカなのね……!」

 彼女はなりふり構わず駆け寄り、私の肩を抱きしめた。
 一年。たった一年会わなかっただけの親友は、修道着姿の私を見て、堰を切ったように泣き崩れた。

「どこにいたの? 探したわ、ずっと探していたのよ! あの最低な男、あなたが置き手紙を残して男と逃げただなんて嘘を……!」

 背中に回された彼女の手の震えが伝わってくる。温かい、本物の友情。
 今すぐにでも彼女の名を呼び、一緒に泣き明かしたい。けれど、私は彼女の肩を優しく押し返した。

「……あ、あの。失礼ですが、どなた様でしょうか?」

 私は、感情を完璧に殺した。
 困惑と、わずかな恐怖を瞳に浮かべ、首を傾げる。

 マーガレットは、目を見開いて私を見つめた。

「何を……言っているの? マーガレットよ。あなたの親友の、マーガレット・シシリーよ!」

「申し訳ありません。私……一年前に事故に遭ってから、以前の記憶が全くないのです。私のことを、ご存じなのですか?」

 残酷な嘘だ。けれど、今の私にはこれが必要だった。
 『ジェシカ』として戻れば、再びあの地獄の婚姻関係に引き戻される可能性がある。完全に「過去」を切り捨て、テリーたちを断罪するためには、私は一度死んだままでなければならない。

「そんな……。ジェシカ、あなた……」

 マーガレットが言葉を失い、再び涙を溢れさせたその時、傍らにいたセドリック卿が静かに一歩前へ出た。

「シシリー伯爵令嬢、落ち着かれよ。彼女……アン殿は、確かに一年前にベルンの街で重傷を負い、身元不明のままここに保護されたのだ。我々も彼女の素性を案じていたが……彼女が、あなたの探していた ご友人なのですか?」

 セドリック卿の落ち着いた声に、マーガレットはハッと顔を上げた。
 彼女の視線が、私とセドリック卿、そして私の膝にしがみついているルカ様の間を行き来する。

 そこにあるのは、王都のギスギスした人間関係とは無縁の、清廉な空気だった。
 身元不明の「アン」を慈しむ貴公子。彼女を実の母のように慕う幼子。そして、かつてのようにパサついた髪ではなく、手入れされた艶を取り戻し、穏やかに微笑むジェシカ。

 マーガレットの瞳に、複雑な色が過った。
 怒りと悲しみの陰に、小さな、けれど確かな確信が芽生えたようだった。

(ああ……ジェシカ。あなたは、あの地獄で磨り減っていた頃より、ずっと美しく、幸せそうな顔をしているのね)

 マーガレットは一度強く目を閉じ、溢れる涙を拭った。

 彼女は、ジェシカの本来の知性を知っている。記憶を失っているという彼女が、これほどまでに気品に溢れ、周囲に愛されている光景を見て、直感したのかもしれない。
 これは、彼女が自分自身を守るために「避難所」なのだと。

「……失礼いたしました、シスター・アン。あまりに私の大切な親友に似ておいででしたので」

 マーガレットは居住まいを正し、淑女の礼を取った。その瞳には、親友としての覚悟が宿っていた。

「私はマーガレット。……あなたの『失われた記憶』にあるかもしれない、ただの古い友人です。これからは、度々お会いしに来てもよろしいかしら?」

「ええ、もちろんですわ。マーガレット……様」
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