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比較される二人
その夜、王宮の大広間は、隣国の使節団を歓迎する華やかな夜会の熱気に包まれていた。
豪奢なシャンデリアの光が降り注ぐ中、キャサリンは淡いブルーのドレスを纏い、ピエールの隣に立っていた。
公爵令息の婚約者として、彼女は非の打ち所のない完璧な淑女として振る舞っていたが、その胸中は数日前のナタリーの暴露によって、冷たい灰が積もったような虚無感に支配されていた。
「――皆様、ご覧ください。これが我が国の誇る新型ボイラーの心臓部です」
突如、会場の中央で堂々たる声が響いた。
人だかりの中心にいたのは、夜会服ではなく、あえて自国の正装である軍服風のドレスを着こなしたナタリーだった。彼女は模型を前に、並み居る貴族や大臣たちを相手に、最新技術の解説を始めていた。
「この圧力弁の制御こそが、従来の三倍の速度を実現する鍵なのです。ピエール、貴方もそう思うでしょう?」
ナタリーに水を向けられ、ピエールの青い瞳が輝いた。彼は吸い寄せられるように、キャサリンの手を離して人だかりへと進み出た。
「ああ、その通りだ。特にこの熱交換効率の計算……ナタリー、君はローゼンタールの理論をさらに進化させたんだね。素晴らしい!」
二人の間で、火花が散るような高度な議論が展開される。
周囲の貴族たちは、その専門的で未来を切り拓くような会話に、感嘆の声を漏らした。
「さすがはピエール様だ」
「そしてあの女性技術者の聡明なこと。あれこそが、新時代を共に歩むパートナーの姿ではないか」
称賛の嵐の中で、キャサリンだけが、光の届かない場所に取り残されていた。
(私は……あの会話に、一言も入ることができない)
学園で首席を取り、歴史や礼法、語学をどれほど修めても、今この国が、そしてピエールが最も必要としている「技術」という言語を、彼女は持っていなかった。
ナタリーが語った、ピエールとの「熱い夜」の記憶。そして今、目の前で見せつけられている、彼と対等に言葉を交わせる「才能」。
ピエールの隣に立つのに相応しいのは、家柄だけで選ばれた自分ではなく、彼の情熱を芯から理解し、共に高みを目指せるナタリーなのではないか。
「……キャサリン? どうしたんだ、顔色が悪いよ」
議論の合間に、ようやくピエールが彼女の異変に気づいて駆け寄った。その瞳には、嘘偽りのない心配の色が浮かんでいる。しかし、その優しささえも、今のキャサリンには「哀れみ」のように感じられた。
「いえ……。少し、中てられたようです。ピエール様、私は少しテラスで風に当たってまいりますわ。ナタリー様との大切なお話の途中ですもの、どうぞお戻りになって」
「だが、一人では……」
「大丈夫です。……本当、に」
キャサリンは、ピエールが何かを言いかける前に、逃げるようにその場を去った。
テラスへ続く廊下を歩きながら、背後から聞こえるナタリーの勝ち誇ったような高笑いと、ピエールの弾んだ声が、彼女の心を容赦なく切り裂いていく。
(私には、彼の隣に立つ価値なんて、最初からなかったのね……)
自分は公爵夫人の「義務」を果たすための人形。
一方、ナタリーは彼の「魂」を震わせる女性。
夜風に打たれながら、キャサリンは暗い夜空を見上げた。
宝石のように瞬く星々が、今の彼女には冷たく突き放すような光に見えた。どれだけ手を伸ばしても届かない、ピエールとナタリーが共有する「知の世界」のように。
「キャサリン、あなた大丈夫? 顔色が悪いわよ」
背後から響いたのは、凛とした、しかし親友を深く案じる声だった。
振り返ると、そこには豪華なドレスの裾を揺らしながら、心配そうに眉を寄せるクラリッサ王女が立っていた。
「クラリッサ殿下。……大丈夫……よ。少し、人に酔っただけよ」
キャサリンは努めて微笑もうとしたが、その唇は小刻みに震えていた。常に完璧であることを己に課してきた彼女の強がりを、親友の鋭い瞳が見逃すはずもなかった。
「嘘をおっしゃい。あなたの目は、今にも零れ落ちそうな悲しみを湛えているわ」
クラリッサはキャサリンの冷え切った手を、自らの掌で包み込んだ。そして、視線を会場の喧騒――ピエールとナタリーが人だかりを作っている中心部へと向けた。
「あの女ね、ナタリー・ジャッカス。……あの振る舞い、単なる技術者の熱意とは思えないわ。公爵令息の婚約者の前で、あのような傲岸不遜な態度。……少し、調べてみる必要がありそうね」
「殿下、そんな……。彼女は、ピエール様の素晴らしい仕事仲間なのです。私が、彼女のような才能を持っていないのが悪いだけで……」
「いいえ、キャサリン。優秀なあなたは、そんな卑屈な考えを持つ人ではなかったはずよ。あの女、あなたに何か吹き込んだのではないかしら?」
クラリッサの燃えるような紅い瞳に、守護者としての強い光が宿る。
「私の親友をここまで追い詰める毒が、どこから湧いているのか。……王室の調査網を甘く見ないことね。もし彼女が、技術協力という名目の裏に不純な意図を隠しているのなら――」
クラリッサは一度言葉を切り、キャサリンの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「私は全力で、あなたを守るわ。ピエール次期公爵がその鈍感さゆえにあなたを傷つけているのなら、彼にもそれ相応の報いを受けてもらうまでよ」
王女の断固たる言葉に、キャサリンの瞳から堪えきれなかった涙がひと筋、頬を伝った。
孤独な暗闇の中で、唯一差し込んだ救いの光。しかし、ナタリーが植え付けた「初めての相手」という残酷な記憶は、依然としてキャサリンの心を深く、重く縛り付けていた。
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豪奢なシャンデリアの光が降り注ぐ中、キャサリンは淡いブルーのドレスを纏い、ピエールの隣に立っていた。
公爵令息の婚約者として、彼女は非の打ち所のない完璧な淑女として振る舞っていたが、その胸中は数日前のナタリーの暴露によって、冷たい灰が積もったような虚無感に支配されていた。
「――皆様、ご覧ください。これが我が国の誇る新型ボイラーの心臓部です」
突如、会場の中央で堂々たる声が響いた。
人だかりの中心にいたのは、夜会服ではなく、あえて自国の正装である軍服風のドレスを着こなしたナタリーだった。彼女は模型を前に、並み居る貴族や大臣たちを相手に、最新技術の解説を始めていた。
「この圧力弁の制御こそが、従来の三倍の速度を実現する鍵なのです。ピエール、貴方もそう思うでしょう?」
ナタリーに水を向けられ、ピエールの青い瞳が輝いた。彼は吸い寄せられるように、キャサリンの手を離して人だかりへと進み出た。
「ああ、その通りだ。特にこの熱交換効率の計算……ナタリー、君はローゼンタールの理論をさらに進化させたんだね。素晴らしい!」
二人の間で、火花が散るような高度な議論が展開される。
周囲の貴族たちは、その専門的で未来を切り拓くような会話に、感嘆の声を漏らした。
「さすがはピエール様だ」
「そしてあの女性技術者の聡明なこと。あれこそが、新時代を共に歩むパートナーの姿ではないか」
称賛の嵐の中で、キャサリンだけが、光の届かない場所に取り残されていた。
(私は……あの会話に、一言も入ることができない)
学園で首席を取り、歴史や礼法、語学をどれほど修めても、今この国が、そしてピエールが最も必要としている「技術」という言語を、彼女は持っていなかった。
ナタリーが語った、ピエールとの「熱い夜」の記憶。そして今、目の前で見せつけられている、彼と対等に言葉を交わせる「才能」。
ピエールの隣に立つのに相応しいのは、家柄だけで選ばれた自分ではなく、彼の情熱を芯から理解し、共に高みを目指せるナタリーなのではないか。
「……キャサリン? どうしたんだ、顔色が悪いよ」
議論の合間に、ようやくピエールが彼女の異変に気づいて駆け寄った。その瞳には、嘘偽りのない心配の色が浮かんでいる。しかし、その優しささえも、今のキャサリンには「哀れみ」のように感じられた。
「いえ……。少し、中てられたようです。ピエール様、私は少しテラスで風に当たってまいりますわ。ナタリー様との大切なお話の途中ですもの、どうぞお戻りになって」
「だが、一人では……」
「大丈夫です。……本当、に」
キャサリンは、ピエールが何かを言いかける前に、逃げるようにその場を去った。
テラスへ続く廊下を歩きながら、背後から聞こえるナタリーの勝ち誇ったような高笑いと、ピエールの弾んだ声が、彼女の心を容赦なく切り裂いていく。
(私には、彼の隣に立つ価値なんて、最初からなかったのね……)
自分は公爵夫人の「義務」を果たすための人形。
一方、ナタリーは彼の「魂」を震わせる女性。
夜風に打たれながら、キャサリンは暗い夜空を見上げた。
宝石のように瞬く星々が、今の彼女には冷たく突き放すような光に見えた。どれだけ手を伸ばしても届かない、ピエールとナタリーが共有する「知の世界」のように。
「キャサリン、あなた大丈夫? 顔色が悪いわよ」
背後から響いたのは、凛とした、しかし親友を深く案じる声だった。
振り返ると、そこには豪華なドレスの裾を揺らしながら、心配そうに眉を寄せるクラリッサ王女が立っていた。
「クラリッサ殿下。……大丈夫……よ。少し、人に酔っただけよ」
キャサリンは努めて微笑もうとしたが、その唇は小刻みに震えていた。常に完璧であることを己に課してきた彼女の強がりを、親友の鋭い瞳が見逃すはずもなかった。
「嘘をおっしゃい。あなたの目は、今にも零れ落ちそうな悲しみを湛えているわ」
クラリッサはキャサリンの冷え切った手を、自らの掌で包み込んだ。そして、視線を会場の喧騒――ピエールとナタリーが人だかりを作っている中心部へと向けた。
「あの女ね、ナタリー・ジャッカス。……あの振る舞い、単なる技術者の熱意とは思えないわ。公爵令息の婚約者の前で、あのような傲岸不遜な態度。……少し、調べてみる必要がありそうね」
「殿下、そんな……。彼女は、ピエール様の素晴らしい仕事仲間なのです。私が、彼女のような才能を持っていないのが悪いだけで……」
「いいえ、キャサリン。優秀なあなたは、そんな卑屈な考えを持つ人ではなかったはずよ。あの女、あなたに何か吹き込んだのではないかしら?」
クラリッサの燃えるような紅い瞳に、守護者としての強い光が宿る。
「私の親友をここまで追い詰める毒が、どこから湧いているのか。……王室の調査網を甘く見ないことね。もし彼女が、技術協力という名目の裏に不純な意図を隠しているのなら――」
クラリッサは一度言葉を切り、キャサリンの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「私は全力で、あなたを守るわ。ピエール次期公爵がその鈍感さゆえにあなたを傷つけているのなら、彼にもそれ相応の報いを受けてもらうまでよ」
王女の断固たる言葉に、キャサリンの瞳から堪えきれなかった涙がひと筋、頬を伝った。
孤独な暗闇の中で、唯一差し込んだ救いの光。しかし、ナタリーが植え付けた「初めての相手」という残酷な記憶は、依然としてキャサリンの心を深く、重く縛り付けていた。
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