【完結】身分違いの婚約、別れを認めない元カノ 〜「君だけだ」と言うけれど、私の知らないあなたの過去が苦しいのです〜

恋せよ恋

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ピエールのパニック

  キャサリンが姿を消してから、三日が経過した。
 ピエールは、まるで見えない霧の中を彷徨っているような心地だった。公爵邸のどこを歩いても、彼女の面影がつきまとう。家政の書類を整理していたサロンの椅子、共に未来を語り合った庭園のベンチ、そして、あの日冷えきった紅茶を残して彼女が立ち去った記憶。

(……そんなはずはない。彼女は、僕を愛していると言ってくれたじゃないか)

 ピエールは王宮の執務室で、震える手で何度もキャサリンからの「置手紙」の写しを読み返していた。書かれているのは、自分を責める言葉ではなく、ピエールの幸福を願う言葉ばかり。それが、今のピエールにはどんな罵倒よりも鋭く、その胸を切り裂いた。

 そこへ、ノックもなしに部屋の扉が開いた。

「ピエール! 良かった、ここにいたのね。新しいエンジンの試運転の許可が下りたわ。今すぐ……」

 ナタリーだった。彼女はいつものように自信に満ちた笑顔で、図面を広げながら歩み寄ってくる。だが、今のピエールにとって、その声は不快な耳鳴りのようにしか響かなかった。

「……ナタリー。悪いが、今すぐ出ていってくれ」

「え? 何を言っているの。あんな嫉妬深い娘のことなら放っておけばいいわ。彼女は貴方の高潔な理想を理解できなかった。ただ、それだけのこと……」

「黙れッ!!」

 ピエールが激しく机を叩き、叫んだ。その剣幕に、ナタリーが弾かれたように後退りする。ピエールの瞳には、これまで向けられてきた熱意や友情の欠片もなく、底冷えするような怒りだけが宿っていた。

「君とのことは、とっくに終わった話だ! 過去の話だと言ったはずだ! それなのに、なぜ君は彼女に……キャサリンに、あんな卑劣な嘘を吹き込んだ!?」

「嘘? 私はただ、事実を……」

「事実だと!? 僕たちが初めてを捧げ合った? 涙で別れを惜しんだ? ふざけるな! 僕がいつ君とそんな関係になった! 君はただの同僚だ。それ以上でも以下でもなかい!」

 ピエールの言葉に、ナタリーの顔が屈辱で赤く染まる。

「君の技術を尊敬していた。だから、キャサリンにも君を理解してほしいと、馬鹿なことを願ってしまった。……だが、君が僕の愛する女性を傷つけ、追い出すための毒を吐いていたというのなら、僕は君を許さない。今すぐ僕の視界から消えろ! 二度と、プロジェクトにも関わるな!」

「ピ、ピエール……! 私がいなくて、このエンジンが動くと思っているの!?」

「動かしてみせる! 彼女を失った僕に、失うものなどもう何もない! 出ていけ!!」

 ピエールの怒気に押され、ナタリーは捨て台詞を吐きながら部屋を飛び出していった。
 一人残されたピエールは、その場に膝をついた。静寂が戻った部屋で、彼はようやく自覚した。

 自分は「仕事」という隠れ蓑を使い、彼女の献身に甘え、あろうことか過去の因縁に彼女を晒してしまった。自分が一番守らなければならなかった人を、自分自身の手で地獄へ突き落としたのだ。


  その日の夕刻、ピエールは公爵邸の書斎に呼び出された。
 そこには、普段は温厚な父・ギルバート公爵が、氷のような冷徹さを湛えて座っていた。

「父上。キャサリンの、彼女の居場所がわかりましたか?」

 ピエールが縋るように問うが、ギルバート公爵は答えず、ただ静かに立ち上がった。そして、迷いのない足取りでピエールに近づくと、その頬を強く、一喝とともに打ち据えた。

 バシッ! 乾いた音が書斎に響く。

「……お前が守らねばならなかったのは、誰だ!」

 ギルバート公爵の震える声が、ピエールの鼓膜を震わせた。

「私がなぜ、フロントナック家の娘を選んだと思っている。彼女の家が裕福だからか? 彼女が首席だからか? ……違う! 彼女が、突然倒れた私を助けようとした、その『魂』の気高さに惚れ込んだからだ!」

 公爵は、ピエールの胸ぐらを掴み、その瞳を至近距離で射抜いた。

「お前は、自分の『夢』を語るのに夢中で、隣で共に歩もうとしていた彼女の歩幅を一度でも見たか! 彼女は、お前という光に焼かれながらも、必死でその隣に立とうとしていたのだ。それを……『がっかりした』だと?」

「父上……僕は……」

「お前に彼女を探す資格はない。彼女は今、お前のいない世界で、ようやく自分を取り戻そうとしている。……お前が今すべきは、無様に彼女を追うことではない。自分が何を壊したのか、その瓦礫の中で一生後悔し続けることだ」

 公爵に突き放され、ピエールは床に崩れ落ちた。
 頬の痛みなど、胸の痛みに比べれば無に等しかった。

 守りたかった未来。その中心にいたはずのキャサリンの笑顔が、今は遠い幻のように霞んでいく。

 ピエールは慟哭した。
 自分が愛していたのは、技術でも未来でもなく、それらを共に見てくれる、世界でたった一人の彼女だったのだと、あまりにも遅すぎる気づきに、彼はパニックに陥りながら叫び続けた。
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