7 / 13
夜会の幕開け
数日後。王都の夜を彩るのは、現王太子妃マグノリアが主催する、華やかな春の夜会だった。
マグノリアは、フレデリックの二歳下の妹だ。ローゼリアの兄ケビン夫妻とは学園時代のクラスメイトであり、ダッケン伯爵家とも縁が深い。
「ローゼリア、準備はいいかい? 具合が悪いなら、無理はしなくていいんだよ」
正装に身を包んだ兄ケビンが、馬車の中で心配そうに声をかける。隣では、妻のスーザンがローゼリアの手を優しく握っていた。
「ええ、お兄様。大丈夫です。今日は……きちんと、けじめをつけに来たのですから」
今日のローゼリアの装いは、いつもの事務官らしい慎ましさとは一線を画していた。
深い夜の色をしたシルクのドレスに、細かな銀糸の刺繍。それは、フレデリックが密かにダッケン邸へ送り届けてきたものだった。
『小娘であっても、美しくないものは私の視界に入れたくない』という、傲慢なメッセージと共に。
会場となる王宮の大広間に足を踏み入れた瞬間、幾千もの蝋燭の光がローゼリアを照らし出した。
「おや……、あちらはダッケン伯爵家の令嬢じゃないか?」
「いつも地味な事務官の制服ばかり着ているから気づかなかったけれど、なんて気品のある……」
ざわめく周囲。だが、その視線の中には、刺すような悪意も混ざっていた。
会場の隅に、ミランダの腰を抱き、勝ち誇ったように笑うギルバートの姿があったからだ。
「あら、ローゼリア。……貴方も来ていたの? 嫉妬で見苦しい騒ぎを起こしたばかりなのに、随分と厚顔無恥なのね」
ミランダが、扇の陰からくすくすと笑い声を上げた。
ギルバートは、ローゼリアのドレスを一瞥すると、鼻で笑って言い放つ。
「無駄な飾りをつけたところで、中身は血の通わない事務官だろうに。……マグノリア妃殿下の御前で、また被害妄想をぶちまけるつもりかな?」
ギルバートの無礼な言葉に、ケビンが怒りで顔を赤くし、一歩前へ出ようとした。
だが、それを制したのはローゼリアだった。
「ギルバート様。私は今日、貴方に謝罪を求めているのではありません。貴方が私を『事務の機械』と呼び、ミランダと不貞を重ねてきたこと。そのすべての証拠を、王太子妃殿下に献上しに来たのです」
「……何だと!?」
ギルバートの顔から血の気が引く。ローゼリアは、懐から一通の封書を取り出した。そこには、彼女が事務官としての知識を総動員して暴いた、ハイム伯爵家の不透明な公金流用の記録と、不貞の証拠となる恋文の数々が記されていた。
「貴方は私を『事務しかできない女』と蔑みましたわね。ええ、その通りです。だからこそ、私は事務の力で、貴方を地獄へ送ることにしたのです」
「貴様……っ! この、可愛げのない女が!」
逆上したギルバートが、ローゼリアの手首を掴み、力任せに振り上げようとした――その時。
「醜いな。王太子妃主催の夜会で、獣のように喚き散らすとは」
低く、耳朶を震わせるような冷徹な声が、会場全体を凍りつかせた。
人混みが割れ、ゆっくりと歩み寄ってきたのは、当代随一の権力者――フレデリック・カーライル公爵だった。
彼はいつものカフェのシャツ姿ではなく、黒と銀を基調とした、息を呑むほど豪奢な公爵の正装に身を包んでいた。その圧倒的な威圧感に、ギルバートは掴んでいたローゼリアの手を思わず離し、後ずさる。
「カ、カーライル閣下……! これは、この女が勝手な妄言を……!」
「黙れ。私の耳は、無能の言い訳を聞くためにあるのではない」
フレデリックはギルバートを一瞥だにせず、ローゼリアの隣に立った。
そして、会場中の貴族たちが見守る中、彼は驚くべき行動に出た。
彼はローゼリアの手をとり、その指先に、恭しく――だがどこか尊大な態度で、唇を落としたのだ。
「……小娘。私の暇つぶしにしては、少々刺激が強すぎたようだ。これ以上、この醜悪な無能を眺めていては、私の目が腐ってしまう」
フレデリックの蒼い瞳が、ギルバートを射抜く。
「ハイム次期伯爵。君たちの犯した公金流用の罪、そしてわが妹――マグノリア主催の夜会を汚した無礼。……明日、私の執務室でたっぷりと精算してもらう。覚悟しておくがいい」
「……っ、あ、ああ……」
ギルバートは崩れ落ちるように膝をつき、ミランダは震えながらその場を逃げ出した。
静まり返る夜会。
フレデリックは、ローゼリアにだけ聞こえる小さな声で、皮肉げに囁いた。
「……完璧な断罪だったぞ、小娘。君の血には、やはり極上のインクが混ざっているらしい」
差し出された公爵の手。
ローゼリアは、震える手をその大きな掌に重ねた。
復讐は果たされた。けれど、本当の意味で彼女の運命が「狂い始めた」のは、この瞬間からだった。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
マグノリアは、フレデリックの二歳下の妹だ。ローゼリアの兄ケビン夫妻とは学園時代のクラスメイトであり、ダッケン伯爵家とも縁が深い。
「ローゼリア、準備はいいかい? 具合が悪いなら、無理はしなくていいんだよ」
正装に身を包んだ兄ケビンが、馬車の中で心配そうに声をかける。隣では、妻のスーザンがローゼリアの手を優しく握っていた。
「ええ、お兄様。大丈夫です。今日は……きちんと、けじめをつけに来たのですから」
今日のローゼリアの装いは、いつもの事務官らしい慎ましさとは一線を画していた。
深い夜の色をしたシルクのドレスに、細かな銀糸の刺繍。それは、フレデリックが密かにダッケン邸へ送り届けてきたものだった。
『小娘であっても、美しくないものは私の視界に入れたくない』という、傲慢なメッセージと共に。
会場となる王宮の大広間に足を踏み入れた瞬間、幾千もの蝋燭の光がローゼリアを照らし出した。
「おや……、あちらはダッケン伯爵家の令嬢じゃないか?」
「いつも地味な事務官の制服ばかり着ているから気づかなかったけれど、なんて気品のある……」
ざわめく周囲。だが、その視線の中には、刺すような悪意も混ざっていた。
会場の隅に、ミランダの腰を抱き、勝ち誇ったように笑うギルバートの姿があったからだ。
「あら、ローゼリア。……貴方も来ていたの? 嫉妬で見苦しい騒ぎを起こしたばかりなのに、随分と厚顔無恥なのね」
ミランダが、扇の陰からくすくすと笑い声を上げた。
ギルバートは、ローゼリアのドレスを一瞥すると、鼻で笑って言い放つ。
「無駄な飾りをつけたところで、中身は血の通わない事務官だろうに。……マグノリア妃殿下の御前で、また被害妄想をぶちまけるつもりかな?」
ギルバートの無礼な言葉に、ケビンが怒りで顔を赤くし、一歩前へ出ようとした。
だが、それを制したのはローゼリアだった。
「ギルバート様。私は今日、貴方に謝罪を求めているのではありません。貴方が私を『事務の機械』と呼び、ミランダと不貞を重ねてきたこと。そのすべての証拠を、王太子妃殿下に献上しに来たのです」
「……何だと!?」
ギルバートの顔から血の気が引く。ローゼリアは、懐から一通の封書を取り出した。そこには、彼女が事務官としての知識を総動員して暴いた、ハイム伯爵家の不透明な公金流用の記録と、不貞の証拠となる恋文の数々が記されていた。
「貴方は私を『事務しかできない女』と蔑みましたわね。ええ、その通りです。だからこそ、私は事務の力で、貴方を地獄へ送ることにしたのです」
「貴様……っ! この、可愛げのない女が!」
逆上したギルバートが、ローゼリアの手首を掴み、力任せに振り上げようとした――その時。
「醜いな。王太子妃主催の夜会で、獣のように喚き散らすとは」
低く、耳朶を震わせるような冷徹な声が、会場全体を凍りつかせた。
人混みが割れ、ゆっくりと歩み寄ってきたのは、当代随一の権力者――フレデリック・カーライル公爵だった。
彼はいつものカフェのシャツ姿ではなく、黒と銀を基調とした、息を呑むほど豪奢な公爵の正装に身を包んでいた。その圧倒的な威圧感に、ギルバートは掴んでいたローゼリアの手を思わず離し、後ずさる。
「カ、カーライル閣下……! これは、この女が勝手な妄言を……!」
「黙れ。私の耳は、無能の言い訳を聞くためにあるのではない」
フレデリックはギルバートを一瞥だにせず、ローゼリアの隣に立った。
そして、会場中の貴族たちが見守る中、彼は驚くべき行動に出た。
彼はローゼリアの手をとり、その指先に、恭しく――だがどこか尊大な態度で、唇を落としたのだ。
「……小娘。私の暇つぶしにしては、少々刺激が強すぎたようだ。これ以上、この醜悪な無能を眺めていては、私の目が腐ってしまう」
フレデリックの蒼い瞳が、ギルバートを射抜く。
「ハイム次期伯爵。君たちの犯した公金流用の罪、そしてわが妹――マグノリア主催の夜会を汚した無礼。……明日、私の執務室でたっぷりと精算してもらう。覚悟しておくがいい」
「……っ、あ、ああ……」
ギルバートは崩れ落ちるように膝をつき、ミランダは震えながらその場を逃げ出した。
静まり返る夜会。
フレデリックは、ローゼリアにだけ聞こえる小さな声で、皮肉げに囁いた。
「……完璧な断罪だったぞ、小娘。君の血には、やはり極上のインクが混ざっているらしい」
差し出された公爵の手。
ローゼリアは、震える手をその大きな掌に重ねた。
復讐は果たされた。けれど、本当の意味で彼女の運命が「狂い始めた」のは、この瞬間からだった。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
あなたにおすすめの小説
片思いの貴方に何度も告白したけど断られ続けてきた
アリス
恋愛
幼馴染で学生の頃から、ずっと好きだった人。
高校生くらいから何十回も告白した。
全て「好きなの」
「ごめん、断る」
その繰り返しだった。
だけど彼は優しいから、時々、ご飯を食べに行ったり、デートはしてくれる。
紛らわしいと思う。
彼に好きな人がいるわけではない。
まだそれなら諦めがつく。
彼はカイル=クレシア23歳
イケメンでモテる。
私はアリア=ナターシャ20歳
普通で人には可愛い方だと言われた。
そんなある日
私が20歳になった時だった。
両親が見合い話を持ってきた。
最後の告白をしようと思った。
ダメなら見合いをすると言った。
その見合い相手に溺愛される。
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
【完結】身代わりに病弱だった令嬢が隣国の冷酷王子と政略結婚したら、薬師の知識が役に立ちました。
朝日みらい
恋愛
リリスは内気な性格の貴族令嬢。幼い頃に患った大病の影響で、薬師顔負けの知識を持ち、自ら薬を調合する日々を送っている。家族の愛情を一身に受ける妹セシリアとは対照的に、彼女は控えめで存在感が薄い。
ある日、リリスは両親から突然「妹の代わりに隣国の王子と政略結婚をするように」と命じられる。結婚相手であるエドアルド王子は、かつて幼馴染でありながら、今では冷たく距離を置かれる存在。リリスは幼い頃から密かにエドアルドに憧れていたが、病弱だった過去もあって自分に自信が持てず、彼の真意がわからないまま結婚の日を迎えてしまい――
婚約破棄された悪役令嬢ですが、面倒なので全部放置します
かきんとう
恋愛
王都の大広間に、どよめきが広がった。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、何百もの蝋燭の光を反射し、きらきらと輝いている。その光の中心に立つ私は、妙に他人事のような気分で、その場の空気を眺めていた。
「エレノア・フォン・リーベルト! 私は貴様との婚約をここに破棄する!」
高らかに宣言したのは、第一王子であり私の婚約者でもあったアルベルト殿下だった。
周囲の貴族たちが一斉に息を呑み、次の瞬間には小声のざわめきが連鎖のように広がっていく。
――ああ、ついに来たのね。
完】異端の治癒能力を持つ令嬢は婚約破棄をされ、王宮の侍女として静かに暮らす事を望んだ。なのに!王子、私は侍女ですよ!言い寄られたら困ります!
仰木 あん
恋愛
マリアはエネローワ王国のライオネル伯爵の長女である。
ある日、婚約者のハルト=リッチに呼び出され、婚約破棄を告げられる。
理由はマリアの義理の妹、ソフィアに心変わりしたからだそうだ。
ハルトとソフィアは互いに惹かれ、『真実の愛』に気付いたとのこと…。
マリアは色々な物を継母の連れ子である、ソフィアに奪われてきたが、今度は婚約者か…と、気落ちをして、実家に帰る。
自室にて、過去の母の言葉を思い出す。
マリアには、王国において、異端とされるドルイダスの異能があり、強力な治癒能力で、人を癒すことが出来る事を…
しかしそれは、この国では迫害される恐れがあるため、内緒にするようにと強く言われていた。
そんな母が亡くなり、継母がソフィアを連れて屋敷に入ると、マリアの生活は一変した。
ハルトという婚約者を得て、家を折角出たのに、この始末……。
マリアは父親に願い出る。
家族に邪魔されず、一人で静かに王宮の侍女として働いて生きるため、再び家を出るのだが………
この話はフィクションです。
名前等は実際のものとなんら関係はありません。
「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした
ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
恋は、母をやめてから始まる――正体を隠したまま、仮の婚約者になりました
あい
恋愛
両親を失ったあの日、
赤子の弟を抱いて家を出た少女がいた。
それが、アリア。
世間からは「若い母」と呼ばれながらも、
彼女は否定しなかった。
十六年間、弟を守るためだけに生きてきたから。
恋も未来も、すべて後回し。
けれど弟は成長し、ついに巣立つ。
「今度は、自分の人生を生きて」
その一言が、
止まっていた時間を動かした。
役目を終えた夜。
アリアは初めて、自分のために扉を開く。
向かった先は、婚姻仲介所。
愛を求めたわけではない。
ただ、このまま立ち止まりたくなかった。
――けれどその名前は、
結婚を急かされていた若き当主のもとへと届く。
これは、
十六年“母”だった女性が、
もう一度“ひとりの女”として歩き出す物語。
大嫌いな従兄と結婚するぐらいなら…
みみぢあん
恋愛
子供の頃、両親を亡くしたベレニスは伯父のロンヴィル侯爵に引き取られた。 隣国の宣戦布告で戦争が始まり、伯父の頼みでベレニスは病弱な従妹のかわりに、側妃候補とは名ばかりの人質として、後宮へ入ることになった。 戦争が終わりベレニスが人質生活から解放されたら、伯父は後継者の従兄ジャコブと結婚させると約束する。 だがベレニスはジャコブが大嫌いなうえ、密かに思いを寄せる騎士フェルナンがいた。