夜の庭園で出会った毒舌暴君は、昼下がりの隠れ家カフェの店主でした

恋せよ恋

文字の大きさ
8 / 13

小娘から、個人へ

  嵐のような夜会が幕を閉じ、王宮のバルコニーには冷ややかな夜風が吹き抜けていた。
 遠くで聞こえる楽団の演奏も、今はどこか遠い世界の出来事のように思える。

 ローゼリアは、隣に立つ長身の男、カーライル公爵に向き直った。彼は手摺りに肘をつき、退屈そうに月を眺めている。その姿は、先ほどまでギルバートを地の底へ叩き落としていた冷酷な守護者とは別人のように静かだった。

「……閣下。今夜は、本当にありがとうございました。貴方のお力添えがなければ、あのように鮮やかな断罪は叶いませんでしたわ」

 ローゼリアが深く頭を下げると、フレデリックは鼻で笑った。

「礼など不要だと言ったはずだ。私はただ、自分の美的感覚に従って『汚物』を掃除したに過ぎない。君は自分の有能さを証明し、私は最高の暇つぶしを楽しんだ。……それだけのことだ」

「それでも、救われたのは事実です。……

 ローゼリアがいつものカフェでの呼び名を口にすると、フレデリックの眉が僅かに動いた。
 彼はゆっくりと視線を落とし、ローゼリアの瞳を真っ直ぐに見つめる。

「……ならば、その礼として一つ、私の疑問に答えろ」

「疑問、ですか?」

「ああ。……なぜ、君は。……君、は……」

 フレデリックが言葉を濁らせた。
 彼は何かを言いかけ、喉の奥で言葉を詰まらせる。眉間に深い皺が寄り、まるで未知の難問に直面した学者のような、ひどく困惑した表情を浮かべた。

「……閣下?」

「……いや。……ロ、ロー……ゼ……」

 彼の唇が、微かに戦慄いた。
 「ローゼリア」という四文字。それを紡ごうとした瞬間、彼の胸の奥で、今まで経験したことのない奇妙な抵抗感が生まれたのだ。

 
 彼にとって、女の名前とは背景のノイズに過ぎない。記号であり、ラベルであり、覚える価値のない文字列だったはずだ。

 それなのに。
 目の前の、真っ直ぐな瞳をした令嬢の名前を呼ぼうとすると、その響きがあまりにも重く、特別で、神聖なもののように感じられて――口にするのを躊躇わせる。

「……妙だな」

 フレデリックは、自嘲するように低く呟いた。

「……女の名など、私にとっては意味の無いものだと思っていたのに。……なぜ、こうも喉に引っかかる」

 彼は苛立ちを隠すように顔を背け、冷たく突き放す。

「やはり君は、質の悪い毒だな、小娘。……私の平穏を乱すな。今夜はもう帰れ」

 突き放されたはずなのに、その声にはいつもの冷徹な響きがなく、どこか動揺の色が混ざっていた。ローゼリアは戸惑いながらも、静かに一礼してその場を後にした。



  ダッケン伯爵邸に戻ったのは、深夜を過ぎた頃だった。

 出迎えたのは、血相を変えた兄のケビンである。

「ローゼリア! 戻ったか!」

 ケビンは妹の肩を掴み、居間へと連れ込んだ。背後では義姉のスーザンが、心配と好奇心が入り混じったような複雑な表情で見守っている。

「お兄様、そんなに慌てて……」

「慌てずにいられるか! 会場中の貴族が、今夜の出来事を語り草にしているんだぞ。あの、氷の心臓を持つと言われるフレデリック・カーライル先輩が、お前の手に口づけをして、公然と守ったんだぞ!」

 ケビンは頭を抱え、部屋の中を右往左往し始めた。

「お前、いつの間にあの方とあんな関係になったんだ!? あの人は……あの方は、学園時代から『怪物』と呼ばれていた人だ。優秀すぎるがゆえに人の心を持たず、関わった女は皆、その虚無感に当てられて身を滅ぼすとまで言われているんだぞ!」

「お兄様、落ち着いてください。私はただ、お気に入りのカフェのオーナーとしてお会いしていただけで……」

「カフェのオーナー!? 公爵閣下が!? 馬鹿な、あの方がそんな庶民じみた真似をするはずがない!」

 ケビンの叫びは止まらない。

「いいか、ローゼリア。あの人は、欲しいものはすべて手に入れ、飽きれば即座に捨てる人だ。お前の事務能力に目をつけたのか、あるいは一時の気まぐれか……。だが、あの人はお前が思っている以上に『恐ろしい先輩』なんだ。お前のような真っ直ぐな奴が、あの方の暇つぶしにされていいはずがない!」

「……暇つぶし、ですか」

 ローゼリアは、今夜のフレデリックの動揺した顔を思い出していた。

( 名前を呼ぼうとして、喉を詰まらせた公爵 )

 兄が恐れる「完璧な怪物」は、今夜、ほんの一瞬だけ、一人の男として揺らいで見えた。

「お兄様。私は……あの方が仰る通り、ただの『名もなき客』ですわ。でも」

 ローゼリアは、窓の外の月を見上げた。

「あの方に救われたプライドを、今度は私が守らなければならない気がするのです」

「……何だって? ローゼリア、お前、まさか……」

 ケビンの絶望的な呟きは、夜の帳に吸い込まれていった。
 
 同じ頃、公爵邸の書斎。
 フレデリックは、暗闇の中で一人、自らの喉をさすっていた。
 
「……ローゼリア」

 独り言のように零れたその名は、今度は驚くほど滑らかに、そして甘美に響いた。
 その響きに、彼は人生で初めて、戦慄を覚えた。

「……認めよう。……これは、極上の誤算だ」
__________

エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇‍♀️

あなたにおすすめの小説

片思いの貴方に何度も告白したけど断られ続けてきた

アリス
恋愛
幼馴染で学生の頃から、ずっと好きだった人。 高校生くらいから何十回も告白した。 全て「好きなの」 「ごめん、断る」 その繰り返しだった。 だけど彼は優しいから、時々、ご飯を食べに行ったり、デートはしてくれる。 紛らわしいと思う。 彼に好きな人がいるわけではない。 まだそれなら諦めがつく。 彼はカイル=クレシア23歳 イケメンでモテる。 私はアリア=ナターシャ20歳 普通で人には可愛い方だと言われた。 そんなある日 私が20歳になった時だった。 両親が見合い話を持ってきた。 最後の告白をしようと思った。 ダメなら見合いをすると言った。 その見合い相手に溺愛される。

三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで

狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。 一度目は信じた。 二度目は耐えた。 三度目は――すべてを失った。 そして私は、屋上から身を投げた。 ……はずだった。 目を覚ますと、そこは過去。 すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。 ――四度目の人生。 これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、 同じように裏切られ、すべてを失ってきた。 だから今度は、もう決めている。 「もう、陸翔はいらない」 愛していた。 けれど、もう疲れた。 今度こそ―― 自分を守るために、家族を守るために、 私は、自分から手を放す。 これは、三度裏切られた女が、 四度目の人生で「選び直す」物語。

【完結】身代わりに病弱だった令嬢が隣国の冷酷王子と政略結婚したら、薬師の知識が役に立ちました。

朝日みらい
恋愛
リリスは内気な性格の貴族令嬢。幼い頃に患った大病の影響で、薬師顔負けの知識を持ち、自ら薬を調合する日々を送っている。家族の愛情を一身に受ける妹セシリアとは対照的に、彼女は控えめで存在感が薄い。 ある日、リリスは両親から突然「妹の代わりに隣国の王子と政略結婚をするように」と命じられる。結婚相手であるエドアルド王子は、かつて幼馴染でありながら、今では冷たく距離を置かれる存在。リリスは幼い頃から密かにエドアルドに憧れていたが、病弱だった過去もあって自分に自信が持てず、彼の真意がわからないまま結婚の日を迎えてしまい――

婚約破棄された悪役令嬢ですが、面倒なので全部放置します

かきんとう
恋愛
 王都の大広間に、どよめきが広がった。  天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、何百もの蝋燭の光を反射し、きらきらと輝いている。その光の中心に立つ私は、妙に他人事のような気分で、その場の空気を眺めていた。 「エレノア・フォン・リーベルト! 私は貴様との婚約をここに破棄する!」  高らかに宣言したのは、第一王子であり私の婚約者でもあったアルベルト殿下だった。  周囲の貴族たちが一斉に息を呑み、次の瞬間には小声のざわめきが連鎖のように広がっていく。  ――ああ、ついに来たのね。

完】異端の治癒能力を持つ令嬢は婚約破棄をされ、王宮の侍女として静かに暮らす事を望んだ。なのに!王子、私は侍女ですよ!言い寄られたら困ります!

仰木 あん
恋愛
マリアはエネローワ王国のライオネル伯爵の長女である。 ある日、婚約者のハルト=リッチに呼び出され、婚約破棄を告げられる。 理由はマリアの義理の妹、ソフィアに心変わりしたからだそうだ。 ハルトとソフィアは互いに惹かれ、『真実の愛』に気付いたとのこと…。 マリアは色々な物を継母の連れ子である、ソフィアに奪われてきたが、今度は婚約者か…と、気落ちをして、実家に帰る。 自室にて、過去の母の言葉を思い出す。 マリアには、王国において、異端とされるドルイダスの異能があり、強力な治癒能力で、人を癒すことが出来る事を… しかしそれは、この国では迫害される恐れがあるため、内緒にするようにと強く言われていた。 そんな母が亡くなり、継母がソフィアを連れて屋敷に入ると、マリアの生活は一変した。 ハルトという婚約者を得て、家を折角出たのに、この始末……。 マリアは父親に願い出る。 家族に邪魔されず、一人で静かに王宮の侍女として働いて生きるため、再び家を出るのだが……… この話はフィクションです。 名前等は実際のものとなんら関係はありません。

「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした

ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?  ※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

恋は、母をやめてから始まる――正体を隠したまま、仮の婚約者になりました

あい
恋愛
両親を失ったあの日、 赤子の弟を抱いて家を出た少女がいた。 それが、アリア。 世間からは「若い母」と呼ばれながらも、 彼女は否定しなかった。 十六年間、弟を守るためだけに生きてきたから。 恋も未来も、すべて後回し。 けれど弟は成長し、ついに巣立つ。 「今度は、自分の人生を生きて」 その一言が、 止まっていた時間を動かした。 役目を終えた夜。 アリアは初めて、自分のために扉を開く。 向かった先は、婚姻仲介所。 愛を求めたわけではない。 ただ、このまま立ち止まりたくなかった。 ――けれどその名前は、 結婚を急かされていた若き当主のもとへと届く。 これは、 十六年“母”だった女性が、 もう一度“ひとりの女”として歩き出す物語。

大嫌いな従兄と結婚するぐらいなら…

みみぢあん
恋愛
子供の頃、両親を亡くしたベレニスは伯父のロンヴィル侯爵に引き取られた。 隣国の宣戦布告で戦争が始まり、伯父の頼みでベレニスは病弱な従妹のかわりに、側妃候補とは名ばかりの人質として、後宮へ入ることになった。 戦争が終わりベレニスが人質生活から解放されたら、伯父は後継者の従兄ジャコブと結婚させると約束する。 だがベレニスはジャコブが大嫌いなうえ、密かに思いを寄せる騎士フェルナンがいた。