7 / 11
歪な慰め
雨が上がり、皮肉なほど澄み渡った青空が広がった翌日。パルマン侯爵邸の応接室には、凍りつくような沈黙が流れていた。
私の正面に座るシモン様は、目の下に濃い隈を作り、どこか昂揚した、それでいて追い詰められたような奇妙な熱を瞳に宿している。
「セシリア。……父上とも話し合った。学園卒業直後に予定していた僕たちの結婚式は、中止にする」
その言葉を聞いた瞬間、私の心の中にあった「小さな灯火」が、音もなくふっと消えた。
驚きはなかった。ただ、凪いだ海のような静寂が胸に広がる。
「……中止、ですか。……延期ではなく」
「兄上が行方不明の今、華やかな式など挙げられるはずがないだろう? ヘンリエッタ様の心情も考えてくれ。彼女は、本来なら自分が立つはずだった場所に君が座るのを、どんな思いで見つめることになるか……」
シモン様は、まるで自分が悲劇の聖者であるかのような口調で語り続ける。
パスカル様を悼むためではない。彼は、ヘンリエッタ様を「守る」という大義名分を盾に、私との生活から逃げ出そうとしているのだ。
「分かりました。式の中止、承知いたしましたわ。……では、シモン様。今後のことですが、婚約解消の手続きを早急に進めましょう。ダルク伯爵家としても、宙ぶらりんな状態では困りますから」
私が淡々と、事務的なトーンで告げた瞬間。
シモン様の表情が、目に見えて強張った。彼は信じられないものを見るかのように私を凝視し、それから激昂したように机を叩いた。
「婚約解消!? 君は……この期に及んで、自分の体面のことしか考えられないのか! 兄上がいなくなり、パルマン家がこれほど混乱している時に、よくもそんな冷酷なことが言えるな!」
「冷酷……ですか。ですがシモン様、あなたは先ほど仰いましたわね。『彼女を一生支える』と。婚約者のいる身で別の女性に一生を捧げると宣言された以上、私との婚約を維持する理由は、もうどこにもございません」
「それは……! それは、道義的な責任だ! 僕は彼女を放っておけない。独りきりになった彼女を、パルマン家の一員として、僕が一生支えていくと決めたんだ。……だが、君との婚約は別だ。パルマン家とダルク家の結びつきは、そんなに簡単に断ち切れるものではないだろう?」
――ああ、なんて醜い。
彼はヘンリエッタ様への恋心を「支える」という美しい言葉で飾り立てながら、一方で伯爵家という後ろ盾を失うことも、私という「便利な補佐役」を失うことも恐れているのだ。
両手に花を抱え、どちらの責任からも逃げようとするその姿に、私は吐き気さえ覚えた。
「今はそんな場合じゃない! 婚約解消など、兄上の件が落ち着いてから話し合えばいいことだ。今はただ、僕に従ってくれればいいんだ、セシリア。君は強いんだろう? だったら、少しくらい待てるはずだ」
シモン様は、私の手を握ろうとして、その冷たさに気づいたのか、途中で手を引っ込めた。
「……『強い』から、待てる。……『強い』から、後回しでいい。……『強い』から、傷つかない」
私は、彼がこれまで私に投げつけてきた言葉を、一つずつ反芻した。
そのたびに、彼への三年間が砂のように崩れ落ちていく。
「シモン様。私は、あなたが思うほど強くはございません。ただ、あなたのように『自分に都合のいい嘘』をつけないだけですわ」
「なんだと……?」
「解消の手続きについては、後ほど父を通じて、正式な書面を送らせていただきます。……失礼いたしますわ」
私は立ち上がり、一度も振り返らずに応接室を出た。
廊下ですれ違ったヘンリエッタ様が、勝ち誇ったような、それでいて不安げな視線を投げかけてきたが、私は彼女の存在さえ視界に入れなかった。
屋敷を出て、初夏の陽光を浴びる。
シモン様。あなたは「今はそんな場合じゃない」と仰いましたね。
ええ、その通りですわ。私にとっても、もう、あなたに構っている場合ではないのです。
私は馬車の中で、アシュトン商会から届いたばかりの、小さな、けれど重みのある手紙を広げた。
そこには、たった一行。
『反流の先に、生存者の影あり。』
私はその紙を強く握りしめ、暗闇の中で静かに微笑んだ。
シモン様、ヘンリエッタ様。
あなたたちが「悲劇」に酔いしれている間に、私は「真実」をこの手に取り戻します。
その時、果たしてどちらが「強い」のか。
地獄の底で、じっくりと教えて差し上げましょう。
____________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
私の正面に座るシモン様は、目の下に濃い隈を作り、どこか昂揚した、それでいて追い詰められたような奇妙な熱を瞳に宿している。
「セシリア。……父上とも話し合った。学園卒業直後に予定していた僕たちの結婚式は、中止にする」
その言葉を聞いた瞬間、私の心の中にあった「小さな灯火」が、音もなくふっと消えた。
驚きはなかった。ただ、凪いだ海のような静寂が胸に広がる。
「……中止、ですか。……延期ではなく」
「兄上が行方不明の今、華やかな式など挙げられるはずがないだろう? ヘンリエッタ様の心情も考えてくれ。彼女は、本来なら自分が立つはずだった場所に君が座るのを、どんな思いで見つめることになるか……」
シモン様は、まるで自分が悲劇の聖者であるかのような口調で語り続ける。
パスカル様を悼むためではない。彼は、ヘンリエッタ様を「守る」という大義名分を盾に、私との生活から逃げ出そうとしているのだ。
「分かりました。式の中止、承知いたしましたわ。……では、シモン様。今後のことですが、婚約解消の手続きを早急に進めましょう。ダルク伯爵家としても、宙ぶらりんな状態では困りますから」
私が淡々と、事務的なトーンで告げた瞬間。
シモン様の表情が、目に見えて強張った。彼は信じられないものを見るかのように私を凝視し、それから激昂したように机を叩いた。
「婚約解消!? 君は……この期に及んで、自分の体面のことしか考えられないのか! 兄上がいなくなり、パルマン家がこれほど混乱している時に、よくもそんな冷酷なことが言えるな!」
「冷酷……ですか。ですがシモン様、あなたは先ほど仰いましたわね。『彼女を一生支える』と。婚約者のいる身で別の女性に一生を捧げると宣言された以上、私との婚約を維持する理由は、もうどこにもございません」
「それは……! それは、道義的な責任だ! 僕は彼女を放っておけない。独りきりになった彼女を、パルマン家の一員として、僕が一生支えていくと決めたんだ。……だが、君との婚約は別だ。パルマン家とダルク家の結びつきは、そんなに簡単に断ち切れるものではないだろう?」
――ああ、なんて醜い。
彼はヘンリエッタ様への恋心を「支える」という美しい言葉で飾り立てながら、一方で伯爵家という後ろ盾を失うことも、私という「便利な補佐役」を失うことも恐れているのだ。
両手に花を抱え、どちらの責任からも逃げようとするその姿に、私は吐き気さえ覚えた。
「今はそんな場合じゃない! 婚約解消など、兄上の件が落ち着いてから話し合えばいいことだ。今はただ、僕に従ってくれればいいんだ、セシリア。君は強いんだろう? だったら、少しくらい待てるはずだ」
シモン様は、私の手を握ろうとして、その冷たさに気づいたのか、途中で手を引っ込めた。
「……『強い』から、待てる。……『強い』から、後回しでいい。……『強い』から、傷つかない」
私は、彼がこれまで私に投げつけてきた言葉を、一つずつ反芻した。
そのたびに、彼への三年間が砂のように崩れ落ちていく。
「シモン様。私は、あなたが思うほど強くはございません。ただ、あなたのように『自分に都合のいい嘘』をつけないだけですわ」
「なんだと……?」
「解消の手続きについては、後ほど父を通じて、正式な書面を送らせていただきます。……失礼いたしますわ」
私は立ち上がり、一度も振り返らずに応接室を出た。
廊下ですれ違ったヘンリエッタ様が、勝ち誇ったような、それでいて不安げな視線を投げかけてきたが、私は彼女の存在さえ視界に入れなかった。
屋敷を出て、初夏の陽光を浴びる。
シモン様。あなたは「今はそんな場合じゃない」と仰いましたね。
ええ、その通りですわ。私にとっても、もう、あなたに構っている場合ではないのです。
私は馬車の中で、アシュトン商会から届いたばかりの、小さな、けれど重みのある手紙を広げた。
そこには、たった一行。
『反流の先に、生存者の影あり。』
私はその紙を強く握りしめ、暗闇の中で静かに微笑んだ。
シモン様、ヘンリエッタ様。
あなたたちが「悲劇」に酔いしれている間に、私は「真実」をこの手に取り戻します。
その時、果たしてどちらが「強い」のか。
地獄の底で、じっくりと教えて差し上げましょう。
____________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
あなたにおすすめの小説
【完結】夫は私に精霊の泉に身を投げろと言った
冬馬亮
恋愛
クロイセフ王国の王ジョーセフは、妻である正妃アリアドネに「精霊の泉に身を投げろ」と言った。
「そこまで頑なに無実を主張するのなら、精霊王の裁きに身を委ね、己の無実を証明してみせよ」と。
※精霊の泉での罪の判定方法は、魔女狩りで行われていた水審『水に沈めて生きていたら魔女として処刑、死んだら普通の人間とみなす』という逸話をモチーフにしています。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
「病弱な幼馴染を置いていけない」と言った婚約者に、最後の処方箋を置いてきました——彼女の病気は、3年前に治っています
歩人
ファンタジー
侯爵令嬢エリーゼは宮廷薬学士。婚約者ルカスに「病弱な幼馴染リディアを看病するため婚約解消してほしい」と告げられた日、エリーゼは一つの事実に気づいていた。リディアの処方箋——3年前から薬の成分が変わっている。「治っている人間に出す薬」に。
エリーゼは何も言わず身を引いた。ただ一通の封書を残して。中身は3年分の処方記録と、宮廷薬学士としての最終所見。「患者リディア・フォン・ヴァイス。現在の健康状態:良好。治療の必要性:なし」
その封書が開かれた日、ルカスの世界は崩壊した。
人生の全てを捨てた王太子妃
八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。
傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。
だけど本当は・・・
受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。
※※※幸せな話とは言い難いです※※※
タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。
※本編六話+番外編六話の全十二話。
※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。
【完結】出逢ったのはいつですか? えっ? それは幼馴染とは言いません。
との
恋愛
「リリアーナさーん、読み終わりましたぁ?」
今日も元気良く教室に駆け込んでくるお花畑ヒロインに溜息を吐く仲良し四人組。
ただの婚約破棄騒動かと思いきや・・。
「リリアーナ、だからごめんってば」
「マカロンとアップルパイで手を打ちますわ」
ーーーーーー
ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。
完結迄予約投稿済みです。
R15は念の為・・
『病弱な幼馴染を優先してください』と言った妻が消えた翌日、夫は領地の会計書類が全て白紙になっていることに気づいた
歩人
ファンタジー
侯爵家に嫁いで五年。ルチアは夫エミルの領地会計・社交・使用人管理を全て一人で担ってきた。だがエミルはいつも幼馴染のアリーチェを優先する。「アリーチェは体が弱いんだ、お前とは違う」——その言葉を百回聞いた日、ルチアは微笑んで離縁届に署名した。「ええ、私は丈夫ですから。どうぞ幼馴染様をお大事に」。翌朝、エミルが目にしたのは——税務報告の締切、領民からの陳情の山、そして紅茶の淹れ方すら知らない自分。三ヶ月後、かつて「地味な妻」と呼ばれたルチアは、辺境伯の財務顧問として辣腕を振るっていた。
幸せを壊したのはあなた
有賀冬馬
恋愛
裕福な婚約者に支配され、その幼馴染に嘲笑われる日々。リリアは家族のために、心を無にして従い続けてきた。
だが、不貞の濡れ衣を着せられ、すべてを奪われて街に捨てられる。
死を覚悟した彼女を救ったのは、不器用だが真っ直ぐな愛を注ぐ商人・アルベルト。
「俺の隣にいてほしい。一人の女性として」
自らの才能を開花させ、幸せを掴んだリリアの元に、自業自得で没落した元婚約者が這い寄る。
「お前がいなければ何もできないんだ!」
……知っています。だからこそ、私は貴方を助けない。
私が義姉ですがなにか?
透明
恋愛
ルーク王子は激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の義姉を除かねばならぬと決意した。
かわいいポピー嬢を虐げる義姉を懲らしめるためにポピーの家に行ったルーク王子と取り巻きたち。
あれ?あなたは誰ですか?