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奪われたドレス
パルマン侯爵家が主催する「次期継承者お披露目」の夜会を三日後に控え、ダルク伯爵邸には注文していたドレスが届けられていた。
それは、私が半年前からパスカル侯爵家――当時はシモン様との成婚を祝う場を想定して――と相談し、最高級のシルクと、ダルク家の家紋を象った繊細なレースをふんだんに使った特注品だった。
色は、私の瞳に合わせた深いオリーブ。光の加減で金糸が輝き、それはまるで静かな森の中に差し込む陽光のような美しさだった。
しかし、そのドレスを広げて検品していた私の元に、招かれざる客が訪れた。
「あら、なんて素敵なドレス!」
侍女を突き飛ばすような勢いで部屋に踏み込んできたのは、ヘンリエッタ様だった。彼女は私の制止も聞かず、まだトルソーにかけられたままのドレスに駆け寄り、その滑らかな生地を遠慮なく撫で回した。
「セシリア様、これ、貴女のために新調したものですの? でも、おかしいわ。今の貴女はもう、パルマン家の婚約者ではないのでしょう? こんなに華やかな装いをする必要なんて、どこにありますの?」
「……ヘンリエッタ様。これは、パルマン侯爵家から公式な招待状をいただいている以上、礼儀として用意したものですわ。それに、貴女には関係のないことです」
私が冷たく言い放つと、ヘンリエッタ様は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。そして、あろうことかドレスをトルソーから乱暴に剥ぎ取ると、自分の身体に宛てがった。
「見て。わたくしにぴったりだわ! サイズも、わたくしの細い腰にちょうど良さそう。……そうだわ、シモン様に相談しましょう。わたくし、喪が明けて初めての公の場だというのに、着ていくドレスがなくて困っていましたの。モンクトン家の実家も、今は……その、色々と物入りですもの」
彼女が「物入り」と口にした瞬間、私の脳裏にはパスカル様が教えてくれた情報の数々が浮かんだ。モンクトン侯爵家の放漫経営による巨額の負債。彼女がパルマン家の金を横流ししてでも隠したがっている真実。
「ヘンリエッタ、それはセシリアのドレスだ。返しなさい」
背後から、シモン様の声がした。一瞬、彼が常識的な判断を下したのかと期待したが、それはすぐに裏切られた。
ヘンリエッタ様は、大きな瞳にみるみるうちに涙を溜め、ドレスを抱きしめたままシモン様の胸に飛び込んだ。
「シモン様! わたくし、悲しいですわ……。セシリア様は、こんなに美しいドレスを着て、わたくしと貴方の仲をこれ見よがしに笑うつもりなんです。わたくし、こんなに惨めな思いをするなら、夜会には出られませんわ……!」
「……ヘンリエッタ。そんな、泣かないで」
シモン様は困惑した顔で彼女を抱き寄せ、それから私を、射貫くような冷たい目で見据えた。
「セシリア。君は本当に、どこまで彼女を追い詰めれば気が済むんだ。君のような女なら、ドレスの一着くらい、他にいくらでも持っているだろう? だが彼女には、今、君の優しさが必要なんだ。このドレスは、彼女に譲ってやってくれないか。……君は、その、もっと地味なものでも十分に『気高く』見えるよ」
気高く見える。
それは、「君はもう飾り立てる必要のない、ただの傍観者だ」と言われているに等しかった。
「……分かりましたわ。シモン様がそこまで仰るのなら」
私が淡々と、怒りも見せずに承諾すると、ヘンリエッタ様は勝ち誇ったような笑みを一瞬だけ見せ、それからまた「か弱き女」の仮面を被って、シモン様と共にドレスを抱えて去っていった。
残された部屋で、侍女のマリアが悔しさに声を震わせた。
「お嬢様! あんな無礼、許されていいはずがございません! あのドレスは半年も前から……!」
「いいのよ、マリア。怒る必要なんてないわ」
私は、鏡の中に映る自分を見つめた。
飾りを奪われ、剥き出しになった一人の令嬢。
「マリア。クローゼットの奥にある、あの無地のドレスを出して。装飾もレースもない、ただの漆黒のドレスを」
「お嬢様……あんな地味なものを? 素材は最高級のサテンですが、葬儀の際に着るような一番控えめなものですよ?」
「ええ。それでいいの。……ヘンリエッタ様には、存分に私のオリーブ色のドレスで着飾っていただきましょう。パルマン家の『家紋』があしらわれた、あのドレスをね」
私は、暗闇の中で静かに微笑んだ。
彼女は知らない。あのドレスに施されたレースの模様――パルマン侯爵家の象徴である獅子とオリーブを絡ませたその特定の配置が、あの家の「正嫡の妻」のみが纏うことを許される、歴史ある伝統の意匠であることを。
本来、次男の婚約者である私にさえ、その意匠を身につける資格はない。
けれど、あの隠れ家でパスカル様は、血の滲んだ手で一枚の古い羊皮紙を私に差し出したのだ。
『これを持っていけ、セシリア。これは、我が代々の当主が、自らの伴侶と認めた者にのみ授ける「装飾の許可証」だ。日付は、私が難破する数日前に書き留めておいたものにしてある。……これを、あの女に奪わせろ』
パスカル様は、自分を裏切った者たちへの最後の審判として、私を「真の正妃」として指名した。その上で、あえてヘンリエッタ様が私の持ち物を奪いたがる性分であることを利用し、彼女に「資格なき正妃」の証を盗ませるよう仕向けたのだ。
何も知らないヘンリエッタ様が、シモン様の隣でこのドレスを纏い、壇上に上がった時。
それは単なる「ドレスの貸し借り」では済まされない。公式な許可証を持つ私から、パルマン家の家法を象徴する装束を強奪したという、動かぬ「不敬」と「略奪」の証拠となる。
もし本当の「パルマン家の主」がその場に戻ってきたら。
彼女が誇らしげに纏うそのドレスは、彼女の美しさを引き立てる装飾ではなく、自らの欲望で身の程を弁えず、他者の権利を侵した「盗人」であることを全社交界に知らしめる死装束となるだろう。
「私は当日、一切の飾りを捨てて会場へ向かうわ。……誰の目にも留まらない、ただの影として。けれど、その影が舞台の幕を下ろす合図になるのよ」
窓の外では、潮騒のような風が吹いていた。
ヘンリエッタ様。シモン様。
奪えるものは、今のうちにすべて奪っておきなさい。
貴女が私のドレスで着飾って悦に浸っている時、私はパスカル様と共に、貴女の「居場所」そのものを奪い去って差し上げますから。
夜会の日は、すぐそこまで迫っていた。
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それは、私が半年前からパスカル侯爵家――当時はシモン様との成婚を祝う場を想定して――と相談し、最高級のシルクと、ダルク家の家紋を象った繊細なレースをふんだんに使った特注品だった。
色は、私の瞳に合わせた深いオリーブ。光の加減で金糸が輝き、それはまるで静かな森の中に差し込む陽光のような美しさだった。
しかし、そのドレスを広げて検品していた私の元に、招かれざる客が訪れた。
「あら、なんて素敵なドレス!」
侍女を突き飛ばすような勢いで部屋に踏み込んできたのは、ヘンリエッタ様だった。彼女は私の制止も聞かず、まだトルソーにかけられたままのドレスに駆け寄り、その滑らかな生地を遠慮なく撫で回した。
「セシリア様、これ、貴女のために新調したものですの? でも、おかしいわ。今の貴女はもう、パルマン家の婚約者ではないのでしょう? こんなに華やかな装いをする必要なんて、どこにありますの?」
「……ヘンリエッタ様。これは、パルマン侯爵家から公式な招待状をいただいている以上、礼儀として用意したものですわ。それに、貴女には関係のないことです」
私が冷たく言い放つと、ヘンリエッタ様は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。そして、あろうことかドレスをトルソーから乱暴に剥ぎ取ると、自分の身体に宛てがった。
「見て。わたくしにぴったりだわ! サイズも、わたくしの細い腰にちょうど良さそう。……そうだわ、シモン様に相談しましょう。わたくし、喪が明けて初めての公の場だというのに、着ていくドレスがなくて困っていましたの。モンクトン家の実家も、今は……その、色々と物入りですもの」
彼女が「物入り」と口にした瞬間、私の脳裏にはパスカル様が教えてくれた情報の数々が浮かんだ。モンクトン侯爵家の放漫経営による巨額の負債。彼女がパルマン家の金を横流ししてでも隠したがっている真実。
「ヘンリエッタ、それはセシリアのドレスだ。返しなさい」
背後から、シモン様の声がした。一瞬、彼が常識的な判断を下したのかと期待したが、それはすぐに裏切られた。
ヘンリエッタ様は、大きな瞳にみるみるうちに涙を溜め、ドレスを抱きしめたままシモン様の胸に飛び込んだ。
「シモン様! わたくし、悲しいですわ……。セシリア様は、こんなに美しいドレスを着て、わたくしと貴方の仲をこれ見よがしに笑うつもりなんです。わたくし、こんなに惨めな思いをするなら、夜会には出られませんわ……!」
「……ヘンリエッタ。そんな、泣かないで」
シモン様は困惑した顔で彼女を抱き寄せ、それから私を、射貫くような冷たい目で見据えた。
「セシリア。君は本当に、どこまで彼女を追い詰めれば気が済むんだ。君のような女なら、ドレスの一着くらい、他にいくらでも持っているだろう? だが彼女には、今、君の優しさが必要なんだ。このドレスは、彼女に譲ってやってくれないか。……君は、その、もっと地味なものでも十分に『気高く』見えるよ」
気高く見える。
それは、「君はもう飾り立てる必要のない、ただの傍観者だ」と言われているに等しかった。
「……分かりましたわ。シモン様がそこまで仰るのなら」
私が淡々と、怒りも見せずに承諾すると、ヘンリエッタ様は勝ち誇ったような笑みを一瞬だけ見せ、それからまた「か弱き女」の仮面を被って、シモン様と共にドレスを抱えて去っていった。
残された部屋で、侍女のマリアが悔しさに声を震わせた。
「お嬢様! あんな無礼、許されていいはずがございません! あのドレスは半年も前から……!」
「いいのよ、マリア。怒る必要なんてないわ」
私は、鏡の中に映る自分を見つめた。
飾りを奪われ、剥き出しになった一人の令嬢。
「マリア。クローゼットの奥にある、あの無地のドレスを出して。装飾もレースもない、ただの漆黒のドレスを」
「お嬢様……あんな地味なものを? 素材は最高級のサテンですが、葬儀の際に着るような一番控えめなものですよ?」
「ええ。それでいいの。……ヘンリエッタ様には、存分に私のオリーブ色のドレスで着飾っていただきましょう。パルマン家の『家紋』があしらわれた、あのドレスをね」
私は、暗闇の中で静かに微笑んだ。
彼女は知らない。あのドレスに施されたレースの模様――パルマン侯爵家の象徴である獅子とオリーブを絡ませたその特定の配置が、あの家の「正嫡の妻」のみが纏うことを許される、歴史ある伝統の意匠であることを。
本来、次男の婚約者である私にさえ、その意匠を身につける資格はない。
けれど、あの隠れ家でパスカル様は、血の滲んだ手で一枚の古い羊皮紙を私に差し出したのだ。
『これを持っていけ、セシリア。これは、我が代々の当主が、自らの伴侶と認めた者にのみ授ける「装飾の許可証」だ。日付は、私が難破する数日前に書き留めておいたものにしてある。……これを、あの女に奪わせろ』
パスカル様は、自分を裏切った者たちへの最後の審判として、私を「真の正妃」として指名した。その上で、あえてヘンリエッタ様が私の持ち物を奪いたがる性分であることを利用し、彼女に「資格なき正妃」の証を盗ませるよう仕向けたのだ。
何も知らないヘンリエッタ様が、シモン様の隣でこのドレスを纏い、壇上に上がった時。
それは単なる「ドレスの貸し借り」では済まされない。公式な許可証を持つ私から、パルマン家の家法を象徴する装束を強奪したという、動かぬ「不敬」と「略奪」の証拠となる。
もし本当の「パルマン家の主」がその場に戻ってきたら。
彼女が誇らしげに纏うそのドレスは、彼女の美しさを引き立てる装飾ではなく、自らの欲望で身の程を弁えず、他者の権利を侵した「盗人」であることを全社交界に知らしめる死装束となるだろう。
「私は当日、一切の飾りを捨てて会場へ向かうわ。……誰の目にも留まらない、ただの影として。けれど、その影が舞台の幕を下ろす合図になるのよ」
窓の外では、潮騒のような風が吹いていた。
ヘンリエッタ様。シモン様。
奪えるものは、今のうちにすべて奪っておきなさい。
貴女が私のドレスで着飾って悦に浸っている時、私はパスカル様と共に、貴女の「居場所」そのものを奪い去って差し上げますから。
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